最終章 『「ムルクーラーミ」は、キセキの言葉』①
最終章 『「ムルクーラーミ」は、キセキの言葉』
どこまでも澄み晴れ渡った月曜日の放課後。決戦の舞台となる小川小学校のグラウンドには、既に小学生を中心に三百人近くの観客が集まっていた。
とはいえ、まだ試合開始前である現在、観客の多くが群がっているのは、校舎近くに建てられたテントだ。そこでは、百々の父親が経営する会社のソフトクリームが、無料で配られていたのである。
さまざまな種類のソフトクリームが用意してあるが、特に、百々も「開発に協力した」と言っていた新作は大好評なようで、その珍しさもあってか多くの者が手に持っている。
そのような中、いよいよ今回の対決の主役となる五、六年生、二十二人の選手たちが昇降口から姿を現した。
「ほう、本格的だな。いったいどうなってるんだ?」
グラウンドに目をやり、そう和輝が口にする。
それもそのはず、そこにはサッカーのラインが綺麗に引かれ、普段は隅のほうに放置してあるゴールもきちんと線上に移動させられていたのである。
「おい、勇次。これって、六年がやったのかよ? ご苦労だったな」
近くに双子の弟のほうを見つけ、そう和輝が声をかける。
しかし、
「あ? 俺たちがやるわけねぇだろ。バーカ」
そう彼は返してきた。
どうやら勇次、口は悪いが正直ではあるらしい。六年生が準備をしたわけではないということだ。
「じゃあ、誰が……」
つぶやく和輝の耳に、コートの中央、センターサークルから大きく野太い声が聞こえてきた。
「五、六年の代表選手、集合!」
六年生の担任、竹下先生である。
「何で、竹下先生がいるんだよ」
わけが分からないながらも、和輝たちは呼ばれるままに走りだした。
「どうして、先生がいるんだよ? このラインも先生が引いたのか?」
センターサークルに着くと、案の定、そこでは雄一たちが、和輝が抱いたのと同じ質問をぶつけていた。
黙って成り行きを見守る和輝の前で、竹下先生は答えた。
「実は、今日お前たちがサッカー対決をすることを“ある人”からうかがってな、それで、俺がわざわざランを引いてやったってわけだ。感謝しろ」
「“ある人”って、誰に聞いたんだよ?」
そう雄一がたずねると、竹下先生は少しもったいぶりながら答えた。
「それは、……庵神先生だ」
「庵神先生? それって、和輝たちの担任の……」
六年生の視線が和輝に集中する。
そこに、竹下先生は、タッチラインに目をやりながら言った。
「庵神先生、どうぞ!」
名前を呼ばれた庵神先生が、いつものぼさぼさ頭でやってくる。
彼が到着するのを待ってから、竹下先生は続けた。
「庵神先生は、俺よりも十年も先輩の先生で、俺がまだ新米教師だったころ、大変お世話になった先生でもある。その先生から、今回、お前たちの手伝いをしてやって欲しいとお願いされたんだ。そういうわけで、事前の準備はもちろんのこと、試合の審判についても、俺が責任を持ってやってやるから安心しろ」
「……ということは、今、やたらと観客がいるのも、先生たちがいるのも、全ては、和輝が庵神先生に告げ口したからなんだな」
「謎は解けた」とばかりに、雄一が和輝に白い目を向けてくる。
「ち、違……」
そう口を開く和輝を遮り、庵神先生は言った。
「いいえ、それは違いますよ。実は、私、サッカー対決を約束する貴方たちの姿を見ていたのです。……そういえば、あの時、貴方の蹴ったボールで危うく一年生の女の子が怪我をするところでしたが、そのことは、竹下先生にお話になりましたか?」
とたんに、雄一の顔色が変わる。
「ん? ちょっと待て、雄一。今の話、俺は聞いてないが、本当なのか?」
ぎろりと睨む竹下先生の前で、彼は、
「い、いや、それは、その……」
と、しどろもどろになった。
竹下先生は、ひと言で表現すると“怖い先生”だ。さすがの雄一であっても逆らえないのである。
「まぁ、いい。そのことについては、あとでじっくりと話を聞くとしよう。……それで、今回のサッカー対決だが、事前にお前たちが約束していたとおり、前後半二十分ずつで行う。延長はなし。五年生が一点でも取れれば、五年生の勝ち。そうでなければ、六年生の勝ち。それでいいか?」
双方に顔を向け確認してくる竹下先生に、五年生も六年生もうなずいて見せた。
「よし。それでは、五年生は白、六年生は赤のビブスをつけ、五分後に再び集合するように。以上」
タッチラインの外側で、五年生、十一人の選手が白いビブスを身に着ける。
和輝は十番、鈴香は十一番である。
そして、試合開始まであと四分となったところで、
「鈴香、ちょっといいか?」
和輝が彼女を呼んだ。
「何?」
返事をする鈴香を連れて、他の選手から少し離れた場所へと移動する。
そこで和輝は、袋に入った何かを取り出して言った。
「一日中尻のポケットに入れていたから、ぐちゃぐちゃになってしまったけど、品質に問題はないはずだ。お前にやるよ」
「……え?」
思わぬプレゼントに目を丸くしながら、鈴香がそれを受け取る。
袋の中には、可愛らしいピンクのヘアバンドが入っていた。
「昨日、お前は大丈夫って言っていたけど、やっぱり気になってな。それがあれば、髪の毛が邪魔になることも……」
和輝の話の途中で、鈴香はさっそくそれを頭につけた。
それから、
「どう? 似合う?」
と、自分の顔を指さしてたずねる。
「あ、あぁ、似合う……って、そうじゃなくて、俺は、髪の毛が邪魔にならないようにと思って。どうなんだよ?」
顔を赤らめそう問う和輝に、鈴香は答えた。
「うん、これでもう絶対に大丈夫! 今の私、何でもできそうな気がする!」
「そうか、それはよかった」
「あ、でも、仄かに和輝のお尻の温もりが……」
鈴香がそっとヘアバンドに触れる。
「お、お前! やっぱり今のなしだ。返せ!」
手を伸ばしてくる和輝をするりと交わすと、鈴香は、
「駄目。和輝からもらったものだけは、誰に何と言われても返しません」
と逃げだした。
「待てよ、鈴香」
なおも追いかけてくる和輝。
そこにくるりとふり返り、鈴香は言った。
「和輝。私、とても嬉しいよ。……ありがとう」
彼女の満面に湛えられた笑みに、思わず和輝の動きがとまる。
彼は、
「ま、まぁ、喜んでくれてるんだったら、別にいいけど……」
と横を向いた。