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第四章 『決戦の前に』③

「ほら、休憩は終わり。続きだ、続き」

 サッカーボールを小脇に抱えた和輝が催促するように手を叩く。

 公園の地面に大の字で寝転がったまま、鈴香は口を開いた。

「いい? 和輝、よく聞きなさい。これ以上走ったら、私はきっと死ぬわ。そうしたら、貴方は殺人犯になっちゃうのよ。私は、和輝に殺人犯になんてなって欲しくない。だから、もう少しだけそっとしておいて。……あ、そうだ。あと、ついでにジュースも買ってきて」

「お、お前、ふざけるなよ! 最後まで特訓につき合え、そう言ったのはお前なんだぞ!」

 当然のことながら、和輝が怒りだす。

「それについては、海よりも深く反省を……」

「また、海よりも深く、かよ。お前の海はどれだけ深いんだ?」

 大きくため息をつくと和輝は、公園の出入り口のほうへとその場を離れた。

 「あら、愛想を尽かされたかしら」それは拙いと、鈴香が彼の姿を目で追いかける。

 しかし、どうやらそうではない様子。ひと先ず彼女は安心した。

 そのまま、そっと瞳を閉じてみる。春も盛りの日差しは少し強く感じるが、吹き抜ける風は爽やかで心地よい。鈴香は、うとうとし始めた。

 すると、突然、彼女の頬に、何か冷たいものが張りついてきた。

「きゃあ!」

 悲鳴を上げて慌てて上半身を起こす。

 目の前には、両手に缶ジュースを持った和輝の姿があった。

「ほら、やるよ」

 鈴香の手に、その片方が手渡される。

「ありがとう! 和輝! 貴方、命の恩人よ!」

 大きな瞳を輝かせると、さっそく彼女はプルタブを開け、ジュースを飲み始めた。

「まったく、殺人犯なのか命の恩人なのかどっちなんだよ? ……まぁ、いいや。それより、ここは直射日光が当たるから、隅のほうに行くぞ」

「うん」

 大事そうに両手で缶ジュースを持つ鈴香とともに、和輝は日陰となるベンチへと移動を開始した。


 ベンチに座った鈴香の正面で和輝は、拾った木の枝で地面に縦長の長方形を描き、真ん中に一本の横線を入れた。

「いいか? これがサッカーのコート。お前のほうにあるのが味方のゴールで、俺のほうが敵のゴールだ」

「分かった」

 双方を木の枝で示す彼に、鈴香はうなずいて見せた。

「……で、試合中のお前の場所は、ここだ」

 和輝が手に持つ缶ジュースを地面に置く。それは、鈴香から見て右下の位置だった。

「え? 私、相手のゴールからこんなに遠くなの? ここからだと、シュートを打っても届かないよ」

「まぁ、そうだろうな。俺だって届かないだろうから、お前ならなおさらだ。そこで、今やっている特訓が活きることになる」

「特訓? 特訓って、和輝が蹴ったボールを私が犬みたいに追いかけていただけじゃないの」

「それでいいんだ。明日の試合中、俺は今日の特訓と同じ要領で大きく長いボールを敵陣地へと蹴りこむ。そうしたら、お前は……」

「犬みたいに走る」

「そう。別に犬みたいじゃなくていいけど、とにかく全速力で走るんだ」

 和輝は、鈴香の右下にある缶ジュースを敵陣地のゴール近くへと移動させた。

「そして、ボールに追いついたところで、シュートね」

「あぁ。とはいえ、実際には相手もいるし、そう簡単にいかないとは思うけどな。でも、明日の俺は雄一から完全にマークされて動けないだろうから、そうなると、鈴香の俊足に全てをかける以外に方法はない」

「私に、できるかしら?」

 不安げな顔を浮かべる鈴香に、にこりと微笑んで和輝は断言した。

「鈴香にならできる。お前も庵神先生みたいに奇跡を起こすんだ」

「奇跡、か。……ムルクーラーミ、ね」

「そう。ムルクーラーミだ」

 奇跡の言葉を唱えながら笑い合う鈴香と和輝。

 今にして思えば、この時、鈴香の願う奇跡は既に実を結んでいたのかも知れない。


 一方、そのころ、博士と百々は……。


「うーん、完全に手詰まりだね。さすがにヒントが少なすぎるよ」

 百々の部屋のふかふかソファーに腰をかけ、庵神先生から渡された白い紙を博士がひらひらとさせる。

「そうだね。『「ムルクーラーミ」は、キセキの言葉』だなんて、今さら教えられても……」

 博士の隣に座る百々も「降参」といった様子で頭を抱えた。

「キセキの文字が漢字じゃなくて片仮名なのには、恐らく、何かしらの意味があると思うんだけど、それ以上のことは分からないな」

「ねぇ、博士君」

「何だい?」

「ひょっとして、私たちは、まだ答えに辿り着けないんじゃないかしら?」

「え? それって、どういう意味?」

 博士が大きく百々へと身を乗り出す。

 近づく顔にどぎまぎしながら、百々は答えた。

「あ、あの、金曜日の昼休みのことを思い出して欲しいの。あの時、庵神先生は、ヒントが書かれた紙が入った封筒を上着の内ポケットから取り出した。つまり、それは“事前に準備していた”ってことなの」

「庵神先生は、僕たちがヒントをもらいにくることをお見通しだったってことか」

「そうよ。そして、大事なのは、十分な時間があったはずなのに、ヒントとして書かれていたのは、『「ムルクーラーミ」は、キセキの言葉』という一行だけだったということ」

「なるほど。庵神先生は、他にもヒントを用意している。だから、今はまだ答えに辿り着けない、か。……ということは、次のヒントが僕たちに伝えられるのは、明日ってことになるね」

「うん。多分そうよ」

「でも、どうして庵神先生は、そんなヒントの出し方をしたんだろう? 答えに辿り着けないようなヒントの出し方を……」

 博士が思い悩む顔をする。

 「あ、それは……」理由に気づいた百々が、そう口にしようとするが、その直前、彼女は何とかそれを飲みこんだ。

 庵神先生が、答えに辿り着けないようなヒントの出し方をした理由。恐らく、それは、今日のこの時間のため。もし、ヒントが解読できてしまったら、博士の性格上、すぐさまこの場に和輝と鈴香を呼んでしまうに違いないからである。

 解読できないからこそ、今、百々は、博士と二人だけの時間をすごせている。

 そして、それは鈴香たちも同じ。

 「鈴香ちゃんも今ごろ和輝君と仲よくサッカーの練習しているかしら」庵神先生の計らいに感謝しながら、百々は、ふと彼女のことを思い浮かべていた。


 日の光が西に傾き始めた夕方。裏山の公園ではまだ和輝と鈴香の声が響いていた。

「ほら、ぐずぐずしていないで、次。さっさと蹴りなさい」

 そう鈴香が命令する。

「……す、鈴香。少しでいいから、……休憩しないか?」

 完全にへたばっている和輝が大きく肩で息をしながらそう言うが、

「駄目。休憩はなし。早くしなさい」

 と彼女はそれを拒絶した。

「……お、お前は、……鬼だ」

 荒い呼吸の中、とぎれとぎれの小さな声で和輝がぐちを溢す。

 だが、

「何か言った?」

 そう鈴香から睨まれると、彼は、

「な、何でもねぇよ。……行くぞ!」

 と半ばやけくそにボールを蹴りだした。

 それと同時に、鈴香も勢いよく飛びだす。「犬みたいに」などと彼女は表現していたが、その様はまさに野良犬。飢えていたところに肉を見つけた野良犬そのものであった。

 やがてボールが地面に着地する。ワンバウンドで追いついた鈴香は、その左横に並んだ。

 それから、ボールの落下位置に合わせて、

「おりゃあああ!」

 の叫びとともに思い切り右足をふり抜いた。ボレーシュートだ。

 ボールは、水面すれすれを飛ぶカワセミのように、鋭く低い弾道で左へとカーブを描きながら飛んで行った。

「よし、……パーフェクトね」

 鈴香は、心の中で自分に親指を立てて見せた。


「ねぇ、今のシュート、どうだった? 何か言ってみなさいよ」

 ボールを拾い戻ってきた鈴香が、そう自慢げにたずねる。

 和輝は、その目に尊敬の念すら浮かべて答えた。

(すげ)ぇよ、鈴香。まさか一日でここまで上達するとは思わなかった」

「でしょう? これも特訓につき合ってくれた和輝のお陰よ。ありがとう」

 鈴香は、手に持つボールを和輝に手渡した。

「あぁ。だが、よく覚えておけよ。今日の特訓の成果を試合で披露できるのは、一度だけだからな」

「どうして?」

「どうして、って、今みたいなプレーを試合中に何度も見せてみろ。それまでまったく相手にされていなかったお前にもマークがつくぞ。もし、そうなったら、シュートを打つどころか、ボールに触れさせてももらえなくなる」

「……なるほど」

「分かったか? そういうわけで、チャンスは一度きりだ。しかも、最終最後のラストプレーでそれをやることになる。だから、その時がくるまでは、ゆっくりと体力を温存していろ」

「了解したわ。能ある鷹は尻を隠す、ってやつね」

「隠すのは“尻”じゃなくて“爪”だが、まぁ、そういうことだ。頼んだぞ、鈴香」

「任せておいて」

 金曜日の五時間目に博士がしたのと同じように、鈴香は、自分の胸を叩いて見せた。

 そこに、ふと気がついた様子で和輝が、彼女の顔を指さして聞く。

「それはそうと、鈴香。お前、その髪の毛、邪魔にならないのか?」

「え?」

 鈴香は自分の顔に触れた。

 確かに、そこには、海を漂うワカメのように、汗にまみれた髪の毛がべったりと張りついていたのである。

「いや、お前が問題ないって言うんだったら、別にいいんだけどよ」

 そう言う和輝に、鈴香は、「本当はちょっと邪魔だけど……」と思いながらも、

「大丈夫、平気よ」

 と答えた。

 せめて外見だけでも女の子らしくしようと伸ばし始めた髪の毛だ。ここで切るわけにはいかなかったのである。

「そうか。何はともあれ、これで特訓はお終いだ。明日、頑張ろうな」

 和輝が右手を差し出してくる。

「えぇ、頑張りましょう」

 ほおを流れる汗だけでなく手汗もべちゃべちゃの鈴香は、慌ててそれを自分の服で拭い、そっと彼の手を取った。

 仄かに上気し赤くなった二人の顔は、特訓を終えてすぐだったからか、夕日に照らされたからか。それとも、他に理由があったのか。

 真実は、二人の心の中に問うてみるしかない。

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