【032】六号生:日常の終わり
春。9歳になった俺は、今日から六号生として学校に通うことになる。
―――そう、思っていた。
この時の俺はまだ知る由も無かったのだ。
皆で学校へと通い、共に授業を受け、時として死にかける…そんな当たり前の日々は、もうあまり残されていないということを…。
まぁそんな日々が当たり前なのもどうかと思うが。
「さて、最後の始業式か…そう考えるとなんだか感慨深いものがあるな。」
体育館に集まった勇者達は、開式の時を待っていた。
さすがに最上級生ともなれば慣れたもの…ということもなく、賢二を筆頭に大半の生徒が恐怖に震えている。
「にしても遅いな先公ども…。緊急の職員会議って話だが、なにも始業式の前にやらんでもいいだろうに。」
体育館の中で、既に一時間近く待たされている生徒達。
早く始まってほしい気持ちとそうでない気持ちが入り混じる。
「ところで賢二、歴史調査の件…その後進展は見えたか?」
「え、まだ言う…?これ以上やったら“進展”どころか“明日”が見えなくなるよね…?」
秋と冬の二度に渡る投獄により、すっかり心が折れてしまった賢二としては、勇者が未だに懲りない意味が全くわからなかった。
「こんなの聞くのも今さらだけどさ、なんで勇者君は大陸の歴史にこだわるの?もう興味本位の域は超えてるよね?」
そう賢二が尋ねると、一瞬キョトンとした後、やれやれといった感じで答える勇者。
「そりゃあお前、将来のためだろ。いずれ世に名を残すだろう俺だ、先人達の足跡を知っておくのは大事なんだよ。なんたって超えなきゃいけないんだからな。」
「でもさ、今は『魔王』とかいないんだし…無理して旅立たなくてもいいんじゃないかなって。」
「あん?そんなわけねーだろ。こんな名前で生まれたんだ、いつか島を出て冒険でもしないと成り立たねぇよ。もしお前、近所に農具片手に“勇者です”とか言ってるオッサンがいたらどうする?俺なら遠くから石とか投げるぞ。笑顔で、それでいてそこそこ強めに。」
「いや、考え過ぎだとは思うけど…まぁ勇者君も一応悩んでるんだなってことはわかったよ。」
もう長い付き合いになる二人だが、こういった現実的な未来の話をするのは珍しかった。日常が死と隣り合わせ過ぎるからかもしれない。
「勇者君、どこか行くの?」
そんな勇者達の会話が聞こえていてたらしい姫。
「む?あー…まぁ少し先の話だがな。どんな場所かは俺も知らんが、少なくともこんな小さな島よりはいい場所だろうよ。」
「お花畑ならいいな。」
「あ、それいいね姫!今ちょうど綺麗に咲いてる時期だもんね!じゃあ今度行こうよみんなで!みんなでね!」
二人をいい雰囲気にさせまいと横からしゃしゃり出てきた盗子。
しかし勇者はもちろん無視した。
「チッ、それにしても遅いな…忘れてんじゃねぇか?誰か行って呼んで来いよ。」
「じゃあ私が行きましょうか…」
勇者の言葉に反応し、おもむろに立ち上がったのは『霊媒師』の霊魅。
だが相手が相手なだけに、勇者も賢二も悪い予感しかしない。
「いや、お前はいいよ!お前絶対“職員室じゃない場所”に“教師じゃない何か”を呼びにいくだろ!?」
「そ、そうだね…。そしてどこかに連れてかれそうだよね僕ら…」
「お花畑ならいいな。」
「良くないから!そっちは帰って来れないやつだから!多分そこ渡っちゃいけない川の向こう側だから!」
盗子はとても嫌な未来が脳裏をよぎった。
「フン、もういい…あんな殺人鬼がいる学校なんかにいられるか!俺は自分の部屋に帰る!」
「いや勇者君、それ殺人事件が起きた山荘とかで真っ先に殺される人のセリフ…って、もしやそのフラグを利用して先生呼び出そうとしてる?」
そんな感じで気を紛らわせつつなんとか時間を潰すも、特に進展も無いままさらに小一時間が経過し…限界を迎えた勇者は遂にキレた。
「ぬぉおおおお!もう我慢できん、早く出て来いやクソ校長めがぁああああ!!」
「ちょっ、待って勇者落ち着いて…!」
「さっさと出て来やがれ先公ども!今日は貴様らが…地獄を見る番だっ!!」
その頃、舞台袖では―――
「妃后の子…あの子は相当マズいな。もはやマオに汚染されきる寸前だ。」
校長の口から出たのは、『妃后』と『マオ』という聞き覚えのある言葉…そう、あの『歴史全書』に出てきた名前だった。
「ハイ。半身とはいえ、やはり子供には荷の勝ち過ぎる存在のようです。」
傍らには教師の姿が。
緊急の職員会議というのは嘘だったのか裏からこっそり入ったのか、陰から勇者達を観察しているようだ。
二人はいつになく険しい顔をしている。
「ならば計画は変更だ。早速、明日にでも術式に取り掛かれ凶死。」
「なっ…!?で、ですが『霊体封印術』の解読書はまだ…!」
「宇宙にまで使いを出したのに見つからんのだ、もはや諦めるしか無いだろう。仕方ない…『肉体封印術』の方を用い、あの子の肉体ごと封印するのだ。」
「し、しかし…!」
物騒な計画が動き出した。
始業式が終わり、次は春の行事といえば遠足。
俺達にとっては最後の春遠足だ。
きっと無謀な冒険を強いられるはずなので、気を引き締めてかからねばなるまい…などと思っていた矢先、何故かしばらく学校は休みになると告げられた。
まだ始業したばかりだというのにいきなり休み…これは何か裏があるに違いない。
「というわけで、わざわざ我が家へ来てもらった理由は他でも無い。探るぞ。」
「な、なんで勇者君は、いつもそうやって自分から危険に飛び込んでいくの…?前世は夏の虫か何かなの…?」
「イヤッ!イヤだよアタシ!今度こそ絶対にイヤァーー!!」
朝っぱらから勇者宅に呼び出された賢二と盗子。
二人は心底嫌そうな顔をしているが勇者は特に気にならない。
「とにかく学校に向かうぞ雑魚ども。きっと何か怪しげな儀式とか…」
「ふぅ~…ったく、どこ行ったんだあの人は?参ったぜ…」
勇者が賢二と盗子の首根っこを掴んだちょうどその時、芋園で再会した秋から居候している剣次が客間から出てきた。
勇者らには気付いていない様子で、なにやら困ったようにブツブツ呟いている。
「む?どうしたカルロス、誰か探してるのか?」
「うぉっ!?な、なんでもないぜ勇者!別に凱空さんなんか探しちゃいない!」
なんでもないじゃ済まないビッグネームが飛び出した。
「なっ…凱空!?お前、まさか凱空を知ってるのか!?」
「てゆーか、この辺に住んでる人なの!?」
「剣次さん、今のは一体…」
この展開には、勇者はもちろんのことノリ気じゃなかった盗子と賢二もさすがに食いついた。
剣次はなんとか誤魔化そうと必死に頭をフル回転させた。
「だ、だから違うっての!そんなことより勇者…親父さん知らないか?」
「親父が凱空なのか!!?」
だが最悪の事態を招いた。
うっかり漏らしたカルロスの一言により、なんと親父が凱空なのだと判明。
予想だにしていなかった衝撃の展開だ。
もちろんただの同名という可能性も考えられなくはないが、そう何人もいそうな名前でもないし…認めたくはないが恐らく本人なのだろう。
「親父が…そうか親父が…」
「うん…まさかあの勇者親父が『元勇者』だなんて、ビックリだね!」
「僕は親の名前を知らなかった勇者君にビックリだけどね。」
父が答えなかったのか勇者が興味無かったのかは定かではないが、確かに賢二の言う通りだ。
「まぁいい…その話はとりあえず後回しだ。まずは計画通り学校へと急ぐぞ。」
自分の父が歴史上の偉人かもしれないという事実はかなり興味深いはずだが、なぜか追求の手を止めた勇者。
どうにも妙な胸騒ぎがして、学校の方が気になって仕方がなかったのだ。
しかし、そうはさせまいと立ちはだかる剣次。
「いいや、悪ぃがここは通せねぇ。学校はもっと…な、なんでもねぇが。」
「そうか、やはり学校で何かが起こってやがるのか…!」
そして悪化の一途を辿った。
(ちょ、ちょっとこの人バラし過ぎじゃない賢二?もしかして作戦なんじゃ…?)
(いや、彼はいつでもこんな感じだから憎めないんだよ…)
賢二の言った通りのようで、剣次の全身からは滝のような汗が滴っている。
「ふぅ…恨むなら自分を恨めよな勇者。全ては事実を知った、お前が悪いんだ。」
「アンタが教えたんじゃん!」
ガッキィイイイイン!
盗子のツッコミにわずかに動揺した剣次の隙を突いて、死角から攻撃した勇者だったが、余裕で防がれてしまった。
頭の弱さに反比例してやはり剣士としては相当に強い。
「くっ…!さすがはカルロス、一筋縄にはいかんか!」
「ヘッ、お前も腕を上げたじゃねぇか勇者。だが、まだまだだな。」
ふぅ、やれやれ…。やはりコイツはかなり強い。
俺もあの頃より強くなったし、今ならある程度はやれるはずだが…そう簡単に勝てる相手でもないだろう。
つまり、まともに相手するべきじゃないってことだ。
「つーわけで、ここは任せたぞ賢二!俺は先へ行く!」
「えっ!?むむむ無理だよ僕も一緒に…」
「俺達はこれから学校に向かう。恐らくそこには先公どもがいるだろう。そんな死と隣り合わせの戦場境に自ら…そうか、さすがだな賢二!もはや何も言うまい!」
「勇者君…ここは僕に任せてもらえるかな?」
消去法で考えるとそれしかなかった。
「おっと待てよ勇者、ここは通さなねぇってさっきから…」
「ほぉ、いいのかカルロス?コイツはお前が崇拝する…『賢者』なんだぜ?」
勇者はとても悪い笑顔をしている。
「果たして貴様に全てかわせるかな?成長した俺の“剣撃”に賢二の強力な…超強力な“魔法”、そして外野から乱れ飛ぶ盗子の“野次”…!」
「人のことオチに使わないでよ!まぁ野次だけで済むなら盛大に野次るけども!」
勇者のハッタリにしか聞こえない言葉も、素直な剣次には思いのほか効いている様子。
しかし、それでも退けない事情があるようだ。
「た、確かに賢者殿には勝てるかわからねぇ…。だが俺はこれ以上失敗するわけにはいかねぇんだ!頼まれてた『霊体封印術』の解読書も見つけられなかったし、お前らを極秘書庫に入れちまったり凱空さんのことバラしちまったり…このままじゃ俺は…俺は…!」
葛藤の末、やはり戦うことを選んだ剣次。
だが途中から気持ちが入りすぎ、堅く目を閉じて葛藤していたのが災いし、再び目を開いた時には当然…もう勇者達はいなかった。
「な、なんてこった…俺としたことがまた…!」
自分の失態に気付き、膝をついて呆然とする剣次。
「…けど、アンタはまだいるんだな。」
見上げた視線の先には、静かに剣次を見下ろす賢二の姿があった。
「フッ、なるほどな。俺がアイツらに追いつかねぇように足止めを…ってことか。さすがアンタは抜かりねぇな。」
学校に行きたくないからとは言いづらい空気だ。
「ハァ…。剣次さんはお仲間ですし、強いし、ホントは戦いたくないですが…アナタと戦うのであれば、これの出番でしょうね。この…『魔導符』の!」
<魔導符>
書かれた呪文を読み上げることで、未修得の魔法でも使うことができる呪符。
一度使うとなくなる。
「へぇ…その呪符がアンタの切り札ってわけかい。いいぜ何発でもブチ込んでこいよ。」
「たくさんは使いませんよ。僕としても…あまり犠牲は払いたくない。」
「なっ!?犠牲ってアンタ…まさか…“魂”とか…!?」
「いや…“生活費”とか?」
えげつないほど高額だとか。
カルロスと賢二を置き去りにし、走ること十数分…学校の敷地内に入った。
まだ校舎の姿は見えないものの、ここまで来たらもう基本的に一本道だ。
だがそれは、待ち伏せる側にも言えること。
恐らく学校側の刺客であろう、見知った姿が目に入った。
「チッ、やはり待ち伏せしていやがったか…!」
「あ、あれは保険医の…女医先生…!?」
現れたのは、定期的に保険医として学校にやってくる女医…名は『冴子』とかいうらしいが、生徒達の多くは『女医先生』と呼んでいた。
歳は二十代中盤くらいだろうか。黒髪をアップに結わえ、煙草を咥えたクールな風貌のその女には、勇者も盗子も保健室で何度か世話になったことがあった。
「あら勇者君どうしたの?今日は学校お休みだけど?」
「フン、それを言うなら貴様もだろう?ただでさえ非常勤だってのに、こんな日になぜここにいる?」
殺気を込めて睨み付ける勇者だが、女医に臆する気配は無い。
「あら、医者が患者の前に現れた…その意味は考えなくてもわかるでしょ?」
女医の意味深なセリフと不敵な笑みに、思わず冷や汗が滴る盗子。
「えっ…まさか勇者は何かの病気とか…!?」
「口が悪いわ。」
「それ病気じゃないから!いや、まぁ確かに病的な悪さではあるけども!」
これまで俺達は、この女医に攻撃されたことは無い。
職業から考えると戦闘タイプじゃないはずだが、あの学園校の関係者がそんなに甘いとも考えづらい。
「だがまぁとりあえず…コイツがわざわざ張っていた時点で確信した。やはり今、学校で何かが行われてるんだ。」
「ゆ、勇者…先に行って!ここはアタシに任せて!」
「盗子、お前…」
盗子もまた学校に行きたくないというのが本音だ。
「よし…オーケー盗子、先に逝ってろ!」
「え?行くのは勇者の方じゃ…あっ、そーゆー意味!?」
盗子を残し駆け出す勇者。
だがわざわざ待ち伏せていた女医が黙って見送るわけがなかった。
「あら、考えが甘いわね勇者君。そう簡単に…通してあげるとでも?」
「…だったら、簡単じゃなくするだけさ!」
チュィイイン!
死角から飛んできたクナイを、女医は冷静にメスで弾き落とした。
その隙に走り去る勇者。
慌てて盗子が振り返ると、そこには攻撃の主…暗殺美の姿があった。
「あ、暗殺美…!アンタどうして…!?」
「フン、別にアンタらのためじゃないさ。利害の一致さ。面倒な役目は、勇者の奴に任せるに限るのさ。」
「へ?それってどういう…」
核心に触れない暗殺美の話に盗子が混乱していると、逆サイドの草むらから今度は巫菜子が現れた。
「盗子ちゃん達、前に教室で話してたよね?大陸の歴史がどうとか…。その話に違和感があって、ちょっと暗殺美ちゃんと色々調べてたんだよ。」
「えっ、なんで巫菜子まで!?それに色々調べてたって一体…」
「その前に聞きたいんだけど、『歴史全書』って本に書かれてた『隔離計画』ってさぁ…要約するとどんな計画なんだっけ?」
「え?んー、確か『魔王:終』を封じた氷柱をこの島に移動したことを、誰にも知られないように島ごと隔離したとか…そんな感じだったよ。それが何?」
賢二が最後に読んだ歴史全書の一節には、確かにそのように書かれていた。
しかし、次に暗殺美の口から語られたのは、その文脈からは読み取れなかった新たな説だった。
「そう…確かに『魔王』を封じたとなれば、それを隠すため外界から隔離しようって話はわかるさ。でも実はもう一つ…別の意味での“隔離”も行われてたのさ。」
「べ、別の意味…?ちょっとさっきから何言ってるの!?わっかんないよもうちょっとわかりやすく説明してよ!」
話が見えず苛立つ盗子に、巫菜子と暗殺美は交互に説明していった。
「えっとね、私達ってば大陸から転校してきたでしょ?なのに…“大陸の歴史”に関する記憶だけ、なんでかモヤがかかったみたいに思い出せないことに気が付いたの。極秘書庫がどうとかって話を聞くまで、歴史の話とか考えもしなかったってのも今考えると不自然だし、いざ考えてみても何も出てこない。それが私だけじゃなくて他の人も…。これって、絶対何かあるなって思ってさ。」
「恐らく…なんらかの方法で、私らの記憶が封印されてるに違いないのさ。あの学校の人間なら、その手の魔法とか使えても不思議じゃないさ。」
「ちょ、ちょっと待って二人とも!それって…大陸の歴史をこの島に持ち込まないようにしてるってこと?でも一体なんで…?」
「それは多分、知られたくない“誰か”がいるから…。知れば興味を持って大陸に旅立とうとするかもしれないから…じゃないかな。ずっとこの島に軟禁しておくためには、外の世界とか知らせたくなかったんだと思う。武勇伝って好奇心くすぐっちゃうでしょ?」
「つまり『隔離計画』ってのはさ、この島を外部の脅威から守るために隔離するって意味と、この島にいる“誰か”を解き放たないよう隔離する…そんな二つの意味が込められてるに違いないのさ。」
暗殺美と巫菜子から語られたその話は、盗子にとってはまったくもって寝耳に水の話だった。
しかし、あくまで仮説ではあるものの確かに筋は通っている。
「そうなんだ、そんなことが…って、あれ?ところで女医先生ってばなんでアタシら放置してんの?状況的には力ずくでこの場を制圧して、逃げた勇者を追うべき流れなんじゃ…?」
盗子の言う通り確かにおかしい。
当初女医の役目は侵入者の足止めかと思われたが、実際は勇者をあっさり見過ごし、盗子らの話も黙って聞いている。
「もしかして女医先生って…敵じゃなかったり…?」
恐る恐る問う盗子に、女医は少しだけ間を置いてから答えた。
「…さぁ?どうかしらね。そのまま先へ行かせてあげるのと、この場で食い止めてあげるのと…どちらがアナタ達のためになるのか、わからないのよねぇ。」
そう呟くと女医は、学校の方を振り返りながら煙草に火を付けた。