5
冬に入った。
父が初めて、『会ってほしい人がいる』と言った。弟からグチグチと文句が出たが、結局会いに行くことになった。
三人で階段を下りたのは、初めてだった。
景は首筋のファーがさわさわと肌を撫ぜるのに、眉を寄せる。
「こんばんは」
父が踊り場から一段降りたとき、誰かに挨拶する。
「こっこんばわんは」
男の声が聞こえて、景は足を止め、そっとファーを取った。
「なんだよ」
後ろからの弟の声に「先行って」と囁く。
「んだよ」
と、いつもより不機嫌な様子を装ってみる弟を弄ることは出来なかった。反応がない景に鼻白んで見せてから、景を追い抜く。
そしてギョッとしたような表情をして、景の方を垣間見た。
「……姉ちゃん」
「すぐに行く」
そっと階段を下りながら、右側の扉前に立っている人を見て会釈する。
松谷はおどおどと立っていた。
「寒いですね」
景の言葉に、松谷は俯いて頷いた。
「奇遇ですね」
「違う、んだ。待ってた」
景はファーをコートのポケットに入れる。
「寒いのに、よく――。どのくらい待ってたんですか?」
「一時間、くらい」
「家に来たらよかったのに」
「怖くて、行くの怖くて」
「臆病ですね」
景は声を上げて笑って、そっと微笑を浮かべた。
「松谷さんらしい」
「俺が提案したんだよ」
後ろから、声が聞こえた。
振り返ると、本城が手を擦りながら立っている。
「こいつが家に行くの怖いとかいうから、『じゃあ行くのが怖いなら、待てば』とかいって。寒い中、ずっと待ってた。松谷! 原稿取って来いよ」
松谷は慌てて、扉を開けて、室内に入っていく。
「本城君、ずっと松谷さんに付き合ってたの?」
「ん」
「どうして?」
「知らないよ。八月にもう終わるとか言ったくせに、なんかもうやらないとか言いだして。仕方ないから、付き合ってた。大変だった。あんたもいないし、あいつは鬱々としてるし。でも完成した」
景はさきほどから緩みっぱなしの唇を撫でる。
うれしい。はじめて人を信頼し、全てが返ってきた。いくらでも彼らに返せる。
待っていた、季節が来て、廻っても。
「本城君、あの子は?」
間髪入れずに、「家に帰った」と言う。
実際はどうなのかは分からない。けれど盗聴器までをも欲したのだ、と考えると、少しだけ良い風に考えてしまう。
「あのときのこと謝って」
「あのとき?」
「モノ投げられたのに、止めてくれなかった」
「あれは……」
本城は口ごもり、そのまま「知らない」ときっぱり言う。
「なんであんなに怒ってたの?」
「――――気づいてんの?」
「子供っぽいと思った。あってる?」
「死ね」
「敦と一緒」
景はなんだか身体が温かくなってきた。
きっと、周りから見たら私はほとんど変わっていない。
ちょっとはっきり言うようになった、くらいだろう。でも少しずつ、少しずつ動き始める前兆がある。
暖かいな、暖かいな、そう思っているうちにきっと松谷は戻ってくる。