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たゆむ夏果て  作者: 阿江
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夏休みに入り、景は本城が帰った後に松谷といることが多くなった。松谷にネットゲームなどを教えてもらいながらプレイしたこともある。そういうとき、何かのボタンを押す松谷は無表情で、それが課金しているのだと知って、景は少しほんの少し彼の祖母を思い出した。


老女は景から見ると、疲労した表情がくっきり浮かんだ真面目そうな人物だった。元々、市営住宅の朝の掃除で一番話すことが多い人物だったから、景は松谷と会っていることを説明した。


老女はどう思ったのか、何度か首を振ったが、家に入るのは迷惑かと問うと『そうではないけどね……』と言ったきり、黙った。


 もの言いたげに見ていることも多かったが、前ほど話しかけてこなくなった。


 景は夏休み、意外な程充実していた。


 去年と違って、朝食を作らなくても、弟は文句を言わなくなり、パンぐらいは自分で焼くようになった。そのため朝から開いている学校の自習教室へ通えるようになった。レポートもまだ終わっていなかったし、本城の話を聞くようになってからいい加減なことは書かないでおこうと思うようになっていたから、市の図書館に資料集めのために通う。


 夕方は駐輪場で本城に会う。まだ明るい中、寄る蚊を見ながら首筋に汗の光を浮かしている少年を、景はしばらく見つめる。一人でいるのが、似合う人間は、いる。それは人を待っているから、強調されるのかもしれない。景はそんなことを考える。


 そして二人で松谷の家まで行くのだ。本城はどうやら景と松谷が親しいことに気づいているようで、二人がわりに親しげに話しているのを聞いて、『親しくなれば、普通に話せるんだ?』と松谷に言った。


 しかし本城はそれ以上踏み込んだことは言わなかった。カチャカチャとパソコンを触り続けていた。


 本城は一度だけ、景の家に来た。


 松谷の家で、どうしてか読書感想文の話が出て、本城が何にしようか迷っている、とこぼしたのだ。


『本城君、ちゃんとそういうの書くの?』


『ははっ、そりゃ書くよ。それが義務で、する時間があるならするし』


『そう、なんだ』


『景、けっこう本読むの?』


『同級生と比べたら、読んでる方だと思うよ』


『ふぅん、教えてよ』


 教えてよという言葉の意外性にうたれていたら、本城の中で決定事項になって、松谷の家から出た後に、『じゃあ教えて』と言われたのだ。


『本城君、どういうのがいいの?』


『テーマ、があるといい。できれば小説で』


 しばらく階段に座って話した。ガムがついていたりと汚い階段だ。一人なら、座る気になれないだろうが、本城といると不思議にそういうことは気にならなかった。話して、自然に、じゃあ家おいでと言っていた。本城は瞬きしただけで『いいの? じゃあ行く』とこたえた。


 弟と共同に使っている部屋ではない、父が寝る為だけに使っている部屋は前の家から運んだ本がいくらかある。


 段ボールをあけ、本を取り出すと、埃がフワフワと舞う。ふと密閉した空気を感じて、扇風機を回した。その間本城は部屋を見渡したりせずに、ただ立っていた。


 本城が選んだのは定番の『ああ無情』で、それは本城らしいように思えたが、実際は似つかわしくなくて、あの最後に音楽の流れる暴力的な小説の方がずっとらしいと思った。ただそれを手に取る本城は小学生に見えて、景は嬉しかった。


 弟がそろそろ帰ってくる、と景が言うと本城は帰った。


 本城が景の家に来たのはその一度きりだ。




「三上さん」


 市の図書館で、読書感想文の本を読んでいると声を掛けられた。景が顔をあげると、戸惑いがちに見つめてくる相坂がいる。


「あ、久しぶり。なんかこんなところで相坂さんに会うなんて」


 相坂の髪は顔の輪郭に張り付いていて、景はそれに気を取られた。


「あっ違うくて、私、皆と待ち合わせしてるんだよ。ほら、レポートあるでしょ。ここで資料集めて、皆でポパイのフードコートで完成させようって」


 何が違うのか分からなかったが景は頷く。


「偉いね。大人数でやると、考えも深まるし」


「あっうん、かもしれないね」


 とりあえず同意しておこう、という相坂の返事に笑った。


「相坂さん。適当だなー」


 冗談ぽい口調でからかうと、一瞬相坂は黙って、


「えっ、そんなことないとおもうけど……私、別に」


 と変な硬い微笑を浮かべる。景はこの会話に絶望的な詰まらなさを感じて、もう一度笑った。


 沈黙に耐えかねたのか、


「あの、三上さんも一緒にどう?」


 と言ってきた。景が応える前に、図書館が騒がしくなり「暑い!」「水分がぁ~」と聞こえて、二人のいる場所に女子中学生四名が集まってきた。ちょうど今いるところが机が置かれて、色々な人が本を読んでいるところだったので、冷たい視線が送られる。老人はワザとか音を立てて、新聞を捲る。


「あっ景ちゃん」


 その中の一人が最初に景の名前を呼び、横の相坂を見つけた。


「相坂、はっやいなー」


「まあ真面目だしね」


「うんうん、そうだねー」


 相坂は愛想笑いを浮かべて、皆に話しかけた。


「そうっ? 私真面目かな?」


「うんしょっと。じゃあ、資料探ししよー。めんどいなぁ」


「でもクーラーさいこー」


 その光景を静観していると、景に一人が寄ってきた。


「景ちゃん、なんか資料ない? 探し方わからないし」


「探し方は、図書館の人に聴いたら教えてくれるから。資料はあそこらへんにある」


 景は指さして、もう一度本に向き直る。


「ああー、もっと詳しく!」


「うるさいです。あっちへ行って大人しく調べなさい」


「ううー、先生お願いします。一生のお願いですー」


「ものがないとね」


「ケチ!」


 そこでやっと彼女は景が指差した方向へ行き始めた。


 相坂はそれについていった。振り返られず、ただぼんやりとついて行っていた。


 景はそれを目で追う。


 別に、教えても良かった。そこまでの距離をついて行って、「これとか面白いし、分かりやすい」と言ってもいい。


 でもそういう輩は絶対に調子に乗る。次からもそうしてもらえるのが当たり前だと考えるようになり、最終的には下として扱われる。一人がそう扱い始めたら周囲に伝染する。


 親切を媚と受け取り、善人を奴隷と勘違いする人間は本当に多い。景は自分が善人とは思っていないが、人に親切にして、それが媚と受け取られれば不快に思う。


「どうでもいいのに」


 普通に親切にさせてくれればいいのに、ただありがとうと言ってくれて、それで終わりがいいのに。どうして次からは当たり前になってしまうんだろう。


 景は昔そんなことを考えたことを思い出す。今はそんなものだと思うし、その当時だってそれほど理不尽には感じなかった。だって景は、普通にできた。


『掃除変わってよ』


 という言葉に『いやだよ。じゃあバイバイ。明日ね』と返すことができた。でもできない人はどうするのだろう、そうその当時考えた。


 相坂の背中を頬杖をついて眺めながら、「言えばいいのに」と言葉が漏れでる。


 五人は資料を集め終わると、景の元へきて「一緒にいこー」と言った。


 景も時間的に余裕があったし、皆が画用紙をどういう風に扱うのかは興味があった。


 図書館を出ると、太陽がぎらぎらと照っていて、アスファルトは乾いていて砂のようにも思える。暗い色はひやりとした石にも見えて、不思議な感覚に襲われた。喉が空気でかさついて、首はぐっしょりしている。


自転車のゴムのサドルは生柔らかく、それに触れて漕ぎ出すと、相坂と横並びになった。風は颯爽と葉の谷間と、人間の隙間を駆け抜けている。相坂との間に爽やかな一筋の風が吹き抜ける。缶ジュースが冷やし、太陽を浴びた真緑の葉が優しく溶け合った風だ。


クーラーのよく効いた店内は、昼食時だからかどこかざわついていて、座ったテーブルもどこか汚れている。


テーブル拭きで汚れをぬぐい、五人の作業を眺めた。


 写しは禁止のはずだったが、レポートはお互いにパクっているようだ。ほとんど相坂が情報を提供している。


 画用紙は別々に作業するかとも思っていたが、何故か役割分担制をとることにしたらしい。困惑する景を横目に、五人は本を広げて、


「私の画用紙はこの資料で、これはこれで」


 などと言っている。


「じゃあ、線引くのは相坂で、線の色塗りもお願い。グラフとかの色分けは私がするね」


「じゃあ私文字書く」


 景は本を読みながら、経過を見つめていた。


 一時間くらいは普通に協力してやっていたが、だんだんと違ってくる。二時間たって、景が「帰るよ」と言った頃は、ただ相坂が黙々と定規で線を引いていた。他の四人は無表情でスマフォを触っている。


「おー、ばいばい」


「じゃね」


 そ言葉に「ばいばい」と言って、背を向けると、


「うわっ、このTwitterイタすぎ」


「んー見せて、くそ、あと五ポイントなのに」


 と聞こえる。


 自転車置き場の端に止めてあった景の自転車は、風か故意かで倒れていた。


 それを起こして、妙に苛立ってしばらく動かない。


 最初からうすうす気づいていた。単純に労働力の搾取なんだろうな、と。


 随分、堂々としていた。やり方は姑息で見え見え、外部に嫌悪感を与えるほどの慣れっぷり。これからも彼女たちは手馴れていくのだろう。


 想像して、彼女たちが将来、普通の会社で普通にきゃらきゃらと笑っているのが想像できた。相坂はどうだろう。


 一生、変わらない構図が広がっているのだろうか。


 景は首を振った。自分が考えることでもない。


 思考はすぐに松谷家の行かなければ、というのに移り変わった。




「もう、完成する、かも」


 松谷はメモを取りながら、そんなことを言った。


「八月中ですか?」


「うん、聞きたいことも、大分聞けた、から。たぶん九月には入らない」


 まだこんなに暑いのに、景は少し寂しい気がして、ふと夏の空を思い出した。なぜか夏の空を見上げるのは、夏果ばかりで、八月の上旬とかにあの暗い空とひんやりとした空気を感じた覚えはなかった。


 本城が椅子をくるりと回して松谷を見た。


「本城君、はどう?」


 松谷の窺うようなセリフに、鷹揚に頷く。


「ん、分かった。別にいい」


 簡単にまとまってしまった、景はもう一度夏の夜空を思い出して、レポートの仕上げにかかった。


 まだまだ遠い、それがほんの少し気持ちを楽にさせた。


 本城が「じゃあ、帰る」と言った後に、松谷はパソコンを触った。


「何してるんですか」


「ちょっと、気になってる、ことがあって」


 返事を返しながら、目は画面にくぎ付けだ。景はそこまで歩いて行って、覗き見ると、どうやら履歴を調べているらしかった。


「……やっぱり履歴は、ない、か」


「本城君の?」


「うん。そう。あんまり画面を隠している様子は、ないんだけど、ちょっと画面見ると、気づいて、こっち見るから。だけどほんのちらっと見たとき、なんか変なサイトで、さ」


「変な?」


「いやっ、まだちょっとよく分かんない、よ。どういう理由で使ってるのかも、あれだし」


 どういう理由? 景は引っ掛かりを覚える。利用の仕方ということだろうか。


 景が思い浮かべる変なサイトは一八禁系のものや、本当に文字通り奇妙なサイト、そういうものだ。


「何のサイトなんですか」


「いやっ」


 松谷はまるで母親に問い詰められたかのように、景を窺い見た。


「……出会い系」


 その言葉に一瞬、顔が凍りついた。だけど、松谷には軽口をたたいた。


「松谷さんは、そのサイトちらっと見ただけで分かったんですね?」


 笑って言った言葉に、松谷は慌てて、


「ちがっ、違う。そうじゃなくって」


 笑い続けると、松谷も我に返ったのか景の顔を見て、頬を緩めた。追従する笑みとはどこか違う、ぼんやりとした笑みだった。

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