2人目との邂逅
「1人減った、か」
マスクの下の顔が歪む。それは忌々しいというものではなく、歓喜だ。ここ数回は張り合いがないほど呆気なくゲームが終了していたこともあって今回は楽しめそうだと思う。足元に転がる2つの死体を見下ろしつつ、男はポケットから端末を取り出した。さっき無線で追っ手の1人が倒されたという情報が入ってきたが、定期連絡のためにその情報はかなり前のことだ。
「残りは7組か」
端末を操作し、残るペアの数が表示される。2番、5番、8番、13番、14番、16番、そして20番のペアがまだ残っている。どのペアが追っ手を倒したのかはわからないが、狩り甲斐があるとしか思えなかった。
「ん?」
と、突然端末にメッセージが表示される。こんなことは初めてのことだ。逃げる側はほとんど情報が与えられず、ただ逃げ惑うだけだ。だが、追う側もあまり情報は得ていない。端末が表示される最大半径1キロの動態センサーによって相手を見つける程度、そして6時間ごとに行われる定期連絡ぐらいだ。食料と水は確保できるものの、それはそれで追っ手同士早い者勝ちな部分もある。武装として銃も所持しているが、この男、富岡豪希はそれをほとんど使わないことで有名だった。このゲームの初回から追っ手として活躍しており、そのほとんどをナイフや剣で刺し殺してきていた。今、足元にある2つの死体もナイフによる刺し傷が原因での失血死だ。銃はあくまで威嚇、直接手ごたえのある刀剣での殺人にポリシーを持っていた。いや、その方が自分の中の渇きを満たしてくれる。人を殺すことで心の中の渇き、飢え、そういったものを満たしているのだ。傭兵時代にもなかった高揚感がここにはあるのだ。そんな富岡は端末に表示された文章を読む。そしてマスクの中の顔がにやりと微笑んだ。
「あの肥満親父が」
吐き捨てるようにそう言い、富岡は端末を操作してレーダー画面に戻した。おそらく本部に送られているマスクに取り付けられたカメラの画面は出資者たちには見えなくしていただろう。そうしないと今のメッセージが筒抜けになり、大問題に発展してしまうからだ。
「まぁ、そいつらは最後に狩るさ」
そう言い、1キロ先で動く8番と表示された光点を見つめた。エイジも知らないそのシステムは追っ手しか知らない特殊な操作が必要だった。どのペアがいるかもわかる優れものだが、基本的に富岡は普段これも使用していない。だが、今回は別だった。2番のペアを生還させ、13番のペアを最後にするためにはこれを使うしかない。
「生きてろよ、俺が最後に殺すまで」
富岡はそう呟くと森の中を駆けた。
*
本部のホールではまだ残っている2番と13番のペアの話や、今さっき富岡が殺したペアの話題で盛り上がっていた。成金と響が生き残りのペアとして賭けたその2つのペアはまだ生き残っている。残る日数は1日と数時間だ。俄然盛り上がりを見せる中、ホールを出ていた成金が戻ってくる。その姿を見た響は小さく微笑み、それから足を組んだ。
「今のうちに動いておけばいい」
誰に言うでもなくそう言った矢先、成金が自分の席に着く前に響を見上げた。そして下卑た笑みを浮かべて見せる。そんな成金を見つつ平然とした顔を画面に向けた響は少し仮眠を取るかのように静かに目を閉じるのだった。
*
太陽の位置、それの落とす影からだいたいの時間を割り出せるエイジは今がほぼ正午ごろだろうと睨んでいた。つまりはあと24時間でこのゲームは終わる。だが、その24時間はあまりに長い。数時間歩いては休憩を取り、また歩き出す。それを続けてきたが晴子の疲労はもう限界のようだ。今はレーダーがあるためにまだましだが、他のペアも相当な状態にあるだろうと思う。そんな矢先、エイジが足を止めた。晴子もまた足を止め、すぐにくるっと背を向けた。そこにあったのは死体だ。首のない男が女の上に覆いかぶさっている。しかも下半身は繋がったままで。
「な、な、なんなの?」
晴子が震えた声でそう言い、吐き気を堪える。エイジは少し近づいてその死体をまじまじと見つめた。虫がいないせいか、腐敗は進んでいるが臭いもさほどない。首は鋭利な刃物で切断されたようで、脇には男の首から上が転がっていた。女子生徒の死因は不明だが、その場にある血溜まりの跡からして失血死だと思われる。
「ペアの女を襲っていたのか・・・その最中に殺されたみたいだな」
冷静にそう言うエイジに対し、晴子は顔を真っ青にしていた。まさかこの状況下でペア同士の男が女を襲うなど考えもしなかった。自分たちを殺しに来る相手から逃げる途中での行為など、死ぬ気としか思えない。だが、この異常な状況の中ではそれも仕方がないのかとも思えた。
「走るぞ」
突然そう言い、エイジが晴子の手を取って走ろうとする。だが今見た死体のせいか、拒否反応を起こした晴子はその手を振り払う。驚くエイジが晴子を見れば恐怖に満ちた顔をしていた。
「追っ手が来ている!早く逃げないと!」
レーダーを確認したエイジのその言葉を聞き、ますます晴子は動けなくなった。それを見たエイジは舌打ちをしながらレーダーを見る。もう既に300メートルの位置まで迫ってきていた。相手はこちらの位置を把握している。仕方なく近くの木に身を潜めようとするが、晴子が動かないのではどうしようもない。
「頼む!そこの木の陰に隠れてくれ。俺は別の木に行くから!早く!」
そう急かされてようやく晴子は近くの木の根元に伏せるようにした。茂みでうまく隠れられたが、おおまかな位置はバレているだろう。エイジも隠れようとした矢先、銃声が響いた。威嚇射撃だったようで、エイジを掠めて木を撃ち抜いていた。もう隠れても無駄だと悟ったエイジは腰の刀を抜き、腰に差していた銃を腹の前に持ってきた。やはりというか、武装した男は自分の手で獲物を直接殺したいらしい。すぐ近くまで迫っても構えた銃を撃つ気配を見せなかった。嫌な汗が全身を伝う中、エイジは刀を構える。
「13番のペア、か」
低くくぐもった声がそう言い、マスクの下の顔が笑ったような感じがした。何故番号まで分かるのかと思うエイジだったが、今はそれどころではない。男は銃を腰のホルスターにしまうと背中の剣を抜いた。
「剣術は得意か?」
男はそう言い、剣をくるくると回して見せた。エイジは何も言わず刀を構えたまま動かない。それを見たマスクの下の顔が歓喜に歪むのが分かった。
「最近にはいなかったタイプだ。楽しめる」
そう言い、じりじりと間合いを詰めてきた。エイジはただじっと相手の動きを見据える。茂みの中からその様子を見つつ、晴子は心臓が口から飛び出そうな感覚に気を失いそうになるのだった。
*
ホールは歓声に沸いていた。響の賭けた13番の男が追っ手と戦っているのだ、無理もない。1人の追っ手を不意打ちとはいえ殺している13番の男が勝つか、追っ手が勝つかでまたも賭けが行われるほどの熱気がホールを満たしていた。しかも今度はさっきのような不意打ちではない、真正面からぶつかりあうのだ。賭けはほとんどが追っ手に有利になる。
「13番男に1億」
その言葉にホールがどよめいた。20人中17人が追っ手に賭ける中、響のその言葉はさらに全員を盛り上げる。勝てば総額2億を得、負ければ1億を失う賭けに出た響の表情はそれでも余裕を崩さなかった。
「そりゃ最終的な生き残りに賭けているんだ、当然ですわなぁ」
成金の言葉に周囲が笑う。だが響はそれでも平然としつつ、注ぎ足されたワインを口へと運んだ。
「あの少年は剣術を学んでいる、勝負はわかりませんよ」
1人そう呟くとニヤリと笑った。遠目からそれを見ていた成金がムッとした顔をしてみせたが、それはすぐに消えてニタニタとしながらモニターへと顔をめぐらせるのだった。
*
重装備なくせになんと身軽な動きをするのか、敵は剣を自在に操りエイジは防戦一方になっていた。そんなエイジは相手の剣を避け、決して刀で受けようとはしない。そんなエイジにやきもきしつつ、晴子は震える体を押さえながらじっとその様子を見つめていた。恐怖のせいで援護をするという意識も働かない。時々エイジもまた刀を振るうが相手は軽々と避けて間合いを開けた。どう考えても相手はこの戦いを楽しんでいる。ふぅと息をつき、エイジは刀を構えた。そんなエイジに低い体勢で迫った敵は瞬時に剣を突き出す。だがエイジはその攻撃に体を回転させてかわし、同時に横に刀を薙いだ。敵の右太ももが鮮血に染まり、男は舌打ちをしつつ剣を数回突き出す。エイジはそれらを全てかわしながら一定の距離を保った。
「なるほど・・・剣の心得、ありか」
マスクの下の男がそう呟く。実に楽しそうな感じがしていた。傷は浅く、動きに支障はない。
「が、甘い」
声と同時に男が前に出る。突き出す剣が頭を狙うが、エイジはかすかに頭を動かしてそれをかわした、はずだった。そんなエイジの右胸が裂かれ、血が空中に舞う。一瞬にして背中にあるもう1本の剣を抜き放った相手が上からその剣を振り下ろしたのだ。傷は浅いが痛みは感じる。裂けた服の間から血で染まった肌が見えていた。それでもエイジは相手を見据えている。実に冷静な目にマスクの男はますます嬉しそうな顔をするが、それはエイジには見えない。
「完全に入ったと思ったが・・・」
その悔しそうな言葉とは裏腹に嬉しさがこもっている。エイジはじっと相手の顔を見たまま表情さえ変えなかった。2本の剣を持った相手を前に、刀1本のエイジがどう戦うのか予想もできない晴子はここからすぐに逃げ出したい気持ちに駆られていた。だが、それをすれば2人ともここで死ぬ。エイジが勝つ可能性がある限りはここにいよう、そう決めた晴子はガタガタ震える自分をなんとか落ち着かせようと必死になった。
「腰の剣は抜かないのか?」
その問いにも無視をし、エイジは動かない。かつてないほど充実した相手だと思う男は全身を伝う歓喜に震えながら両手の剣を構えた。と、ここでエイジが動く。突き出される剣をかわし、刀を横に薙ぐ。だがそれはもう1つの剣で迎え撃たれてしまい、動きが止まった。同時に突き出していた剣が横に動いた。だがエイジはもうそこにいない。刀を放して男の背後に回っていた。男は振り向きざまに剣を振るうが、エイジは地面に伏せるようにしてサバイバルナイフを取り出し、男の左太ももに突き刺す。同時に転がりながら地面に落ちた刀を手に取るが、そんなエイジは腹部に強烈な蹴りを受けてごろごろと地面を転がった。
「やるなぁ」
男はナイフの生えた足でエイジを蹴っていた。すかさずそのナイフを抜き、腹部を押さえるエイジに馬乗りになった。
「死ね!」
振り下ろすナイフを両手で掴むが、男は体重をかけて上からナイフを落としにかかった。必死でそれを受け止めるエイジの左目付近に切っ先が迫る。ブルブルと手が震え、顔を逸らすのが精一杯だ。そんな切っ先が額に触れて数ミリ進んだ。それでも押さえている手のせいか、それ以上は進まない。男は頭を刺すことを止め、徐々にナイフを下に下げつつ左目を刺すことにして移動を始めた。切っ先が刺さったまま徐々に目に向けて移動するナイフ。エイジは左目を閉じながらも必死で押し返そうとするが、やはり下からでは力が入りきらない。そんなナイフが瞼に迫った瞬間、エイジはグッと腕を顎の方まで下げるようにした。その勢いで瞼を通過した切っ先が顎を掠める。同時に身を捻ったためにナイフは首のすぐそばを通過して地面に刺さった。その瞬間、銃声が数発こだまする。動きを止めた2人を見ていた晴子の角度からはどちらが銃を撃ったのかはわからなかった。ただ、目を見開いて2人を見つめているだけだ。
「グボゥッ」
呻きのような叫びの後、マスクの男がエイジに乗る感じで倒れこむ。それはさっき見た首のない男の死体が女の死体に覆いかぶさっているような感じに見えた。エイジは倒れてきた男を腕でどかし、肩で大きく息をしながら震えた手で握った銃を空に向けていた。ナイフが地面に刺さった瞬間に腹部から銃を抜いてそれを撃ち放ったのだ。男は胸を撃たれて即死の状態である。のっそりと身を起こしたエイジだが、顔と胸は血まみれだ。それは自身の傷のせいか相手から流れた血のせいかわからないほどに。エイジは起き上がり、銃をしまうとふらふらとしながら刀を拾って鞘に収める。そのままよろよろと木にもたれかかるようにしつつズルズルと地面に座り込んでしまった。ここでようやく我に返った晴子がのそのそと茂みから出てくる。そんな晴子を見て血にまみれた顔を緩ませ、エイジは大きく息を吐いた。
「これでさらに生き残る確率が上がったって信じたいね」
その言葉を聞いた晴子は両手で顔を覆って泣いた。自分のせいでこの事態を招いたことを悔やんだのだ。あの男女の死体を見てエイジに対しても不信感を抱いた自分をバカだと思う。昨日も昨夜も、エイジは自分にそういう気さえ起こさずにいたのだ。それを知りながら何故あんな行動に出たのか、自分が情けない。エイジはなんとか立ち上がるとそんな晴子に近づいた。
「泣くなよ・・・・」
「ごめんなさい・・・」
「え?」
「ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・・・ごめんなさい・・・」
何度も何度も謝る晴子に困った顔をするエイジは今頃になって痛み出す傷に表情を歪めながらも、そっと晴子の頭を撫でた。
「すぐこの場を離れよう」
そうエイジが言った矢先、すぐ近くの茂みが音を立てる。この島に動物はおらず、いるのは人間だけだ。逃げる者と追う者、そのどちらかしかいないのだ。晴子も泣くのを止めて警戒するようにその茂みを見つめる。エイジはフラフラする意識をなんとか覚醒させ、右手に銃を握り締めるのだった。もし敵であったならば今度こそ終わりだ、そう覚悟をする中、茂みから顔を出したのは精悍な顔つきの男と、モデルのような容姿をした美少女だった。