復讐、その結末
退屈の極みの中、居眠りをする者が続出していた。動きもなく、そして残りの人数もわずかだ。まさか夜が明ける前に全滅かと思う面々だが、それはそれでよかった。こんな退屈な大会は早々に終わればいいと思っていたからだ。そんな中、画面に映し出される3人の鬼と対峙する1人の男の映像は眠っている者を起こし、ぼうっとしていた者を正気に戻させた。ナイフ1つで戦う鬼と銃を持った男の一騎打ちだ。本来であればありえない映像に活気が蘇ったホールを見つめる霧雨もあくびをかみ殺しつつモニターに注目した。
「剣崎さん、演出家ですね」
霧雨の言葉に反応せずウイスキーを飲む響は興味がなさそうだ。どうせ鬼が勝つ、そういう目でモニターを見ているだけで感情もない。
「くだらん、といった感じですか?」
「そうだな」
「楽しめそうですけど?」
「彼は死ぬ、それがわかっているのに?」
「どういう風に死ぬか、楽しめるでしょう?」
自分が賭けた男の死にすらにこやかにそう言う霧雨の内面を見た響は小さく微笑みを浮かべるとウイスキーを脇に置く。
「このゲームの趣旨は生きようとする者のあがきを見ることだ。死にたがりの戦いなど面白くもない」
「どう死ぬか、それもまた楽しみでしょう?」
「生きたい、けれど生きられない葛藤、死という恐怖の葛藤、それらを見るのが趣旨。あがき、もがき、生への執着を見るのが楽しいのだよ。ただの殺戮を見ても仕方がない」
「人の無残な死こそ、芸術ですよ」
「そうかね?」
響はそこで話題を切った。この霧雨という男がここに来た理由を知って大いに失望したからだ。このゲームは金持ちたちが失った情熱を捻じ曲がった方向で蘇らせるのが目的だ。人の欲望と贅沢を得た彼らが望むのが無残なる死を眺め、それを賭けの対象にするといった畜生にも劣る行為。それが悦楽であり、満足感なのだ。
「さぁ、始まりますね」
嬉々としてそう言う霧雨を危険な存在と位置づけた響はこの男をマークすることに決めた。もし、彼がこの面子の中で権力を握れば暴走し、やがて組織に仇をなす存在になるだろうと思えたからだ。自らの欲望のために暴走する、これほど恐ろしいものはないのだから。
*
雪乃の位置は確認している。そこを基準に20メートルの範囲でしか動けないとはいえ、1対1なら勝機は多い。何より、相手はナイフ1本なのだ。構えるそのナイフを見つつ足場の確認を怠らない。
「咲夜」
呟きが声にならない。心の中でそう言い、そして銃を再度握りしめた。その瞬間、剣崎が間合いを詰める。ナイフの距離では勝負にならないために引いて下がるものの、20メートルの制限があるために迂闊には間合いを広げられない。ならばと前に出た。突き出されるナイフの長さ、その腕の長さを計算に入れて一旦下がり、銃を前に構える。だがそれも横なぎの一撃を避ける動作によって無駄に終わった。無駄弾は使いたくないもののやむを得ず1発を放って間合いを開けることに成功したトウヤは足場の悪さを呪いつつ横に駆けて銃を構える。だがそれはお見通しな剣崎は銃口から逃れるように軽いフットワークを続けた。照準が定まらない。仕方がない、そう思ったトウヤは前に出た。
「いい判断だ・・・・・が」
嬉しそうにそう言った剣崎が一瞬だけナイフを手離し、今度はそれを逆手に持って真上へと振りかぶる。
「最初の判断を誤ってる」
振り下されるその一撃を銃で受けるトウヤに対し、剣崎は無防備な腹部を蹴りつけた。威力を押し殺しながら数歩下がるも、腹部へのダメージは大きく、そして長引く。かといって膝をつくことも出来ないトウヤは脂汗を流しつつ、迫る剣崎に2発発砲した。だが銃口を見ただけでどの方向に弾が出るかを見切れる剣崎にとって素人のそれなど当たるはずもない。笑みをそのままにぐっと銃を掴むとその右手首を切り裂いた。鮮血が闇夜に舞い、絶叫がこだまする。腱を切られて大量の血を流すトウヤの右手はこれで死んだ。だが左手で背中のマシンガンを手繰り寄せるが、剣崎は続けざまにナイフを振るい、斜めに掛けられたベルトを断ち切ってしまった。地面に落ちるマシンガンを蹴飛ばしてナイフを突き出せば、咄嗟に避けたとはいえ腹部を薄く切り裂かれてしまう。左手で右手首を抑えるが、出血は止まらない。肩で息をするトウヤは焦りと痛み、そして麻痺した思考の中で歯噛みするしかなかった。
「お前の負けだ」
そう言い、剣崎は小さく笑った。それはバカにした笑みだ。
「まだ、終わってない」
ぜいぜい言いながらそう強がるものの、出血のせいで意識が飛びそうだ。
「俺に勝ってもあと2人いる。血まみれ、丸腰のお前に何ができる?」
「勝つ」
血まみれの左手を拳に変え、構えを取った。それを見た剣崎は呆れた顔をして背後に立つマスクの男に顎で何かを指示した。チラッとそっちを見ることしかできず、トウヤは剣崎の動きを見るしかない。迂闊に動けばナイフで切られるからだ。
「いやぁぁぁぁ!」
甲高い悲鳴に目だけを動かし、舌打ちをした。おさげ髪を持って引きずられるようにして連れてこられた雪乃が涙を流して暴れているが男はお構いなしに剣崎の横に立つと暴れる雪乃の腹部に拳をめり込ませた。嘔吐し、うなだれる雪乃を背後からその太い腕で首を絞めつけるようにした男は腰からナイフを取り出すと制服のブラウスを縦に切り裂いた。下着も切られて胸が露出するが、それを隠す気力など雪乃にはない。涙と鼻水にまみれた顔はトウヤを見ていた。怯え、助けを求める目をして。
「さて、遊びは終わりだ、実にあっけない」
そう言い、剣崎はナイフの切っ先を雪乃の心臓の上に置く。白い肌の上に出来た小さな赤い点から細くて赤い筋が流れていくのを見つめるトウヤは武器の無い自分を呪った。
「お前の敗因は2つ」
剣崎は静かにそう言い、ナイフを少し進めた。呻く雪乃の鳥肌だらけの白い肌がさらに赤く染まる。ガクガクと震えながら許して、殺さないで、助けてと呟くことしかできない雪乃を見つつ、トウヤは剣崎を睨むことしかできない。
「1つは武器の選択ミスだ」
「ミス、だと?」
「銃だけを選ぶヤツは生き残れない。こういう場合を想定しないからだ」
「そうかよ」
「5年前、パートナーを無傷で生還させた男は銃ではなく、剣と刀を主に選んだそうだ」
その言葉に愕然となり、彼に会わせてくれなかった晴子を恨んだ。事前に知っていれば状況も変わったと思うが、それはもう後の祭りだ。
「だから最後に反撃が可能だった」
銃もなく、マシンガンもない。右手は使用不能で残ったのは自身の体だけ。相手の武器は潤沢で、勝ち目はどう考えてもなかった。
「2つ目の誤算は、簡単なことだ」
剣崎はそう言い、雪乃の目の前にナイフをかざす。途端に暴れるががっちり太い腕で首を固定されているために手足をばたつかせることしか出来ず、それを振りほどくことは不可能だ。涙は溢れ、生を懇願する。雪乃を捉えて離さない男はその声に興奮を隠しきれなかった。その証拠に下半身に膨らみが見える。
「お前は目的を間違えた」
「どういう意味だ?」
血が失われ、意識が保てなくなってくる。それでも剣崎の言葉がそれを覚醒させた。怒りは燃え上がり、咲夜の顔が目に浮かぶ。笑顔の彼女が、照れた顔の彼女が、そして動かなくなった彼女の顔が。
「復讐はいい、が、その意思が間違いだ」
「意志?」
「5年前、三島エイジという男はパートナーを無傷で生還させた。自身は死の淵を彷徨ったが、ここの腕利きの医者のおかげでなんとか命は繋がった」
「それは結果だろ?」
「最初から三島の目的は彼女の生還であり、自分はそのために最善を尽くしただけだと語った。つまり、その強い意志が生還という結果になったんだ」
「だから!それがなんなんだ!」
「こうだよ」
言葉と同時にナイフを雪乃の心臓に突き刺した。深々と刺さった刃は見えず、赤い血だけが体を染める。雪乃は口から血泡を吐き、呼吸もままならない顔をトウヤに向けた。その目に涙が光っている。
「う、そ、つ、き」
絞り出すようにそう言った彼女の言葉がトウヤの脳を焼く。剣崎はそのまま下腹部までナイフを引き下し、雪乃にとどめをさした。吹き出す鮮血と内臓にまみれた雪乃が地面にうつぶせになった。みるみる赤い血が溜まるそこを見つめるトウヤは足が震えるのを感じていた。
「パートナーを守れるかどうかじゃない、その信用を得られるかどうか、だ」
エイジは晴子を守るために全力を尽くした。だから晴子もまたエイジを信頼したのだ。恐怖の中でエイジという希望を見出し、だからこそ晴子はエイジのために動き、エイジもまた晴子を信用して戦うことができたのだ。トウヤにはそれがなかった。自分勝手に動き、私怨に駆られて戦い、その結果がこれだ。必ず助かる、そんなうわべだけの言葉を信用した雪乃はただトウヤに言われるままに身を隠し、結果、死んだのだ。うそつき、そう言い残して。恨みをこめたその言葉に、トウヤは両膝をついた。雪乃は自分を恨んで死んだ。彼女を殺したのは愚かな自分だとはっきり認識できた。
「復讐?するならもうちょっと考えろ。島に来て復讐なんぞ出来るかよ。ここは生き残るだけで精いっぱいの場所だ。俺たちを殺す?残念、死ぬのはお前だよ」
腰から銃を抜いた剣崎がトウヤの両膝を撃ち抜いた。痛みはあれど恐怖はない。無残に地面に転がるトウヤを見下ろす剣崎は心底うんざりした顔を向けていた。
「さっきの彼女に同情するよ。お前以外の相手なら、少しは希望を持てただろうにさ」
銃声がこだまする。左肩を撃ち抜かれたトウヤは迫りくる死に、ここでようやく恐怖した。死にたくないと思う。咲夜の仇も討てずにここで死ぬという恐怖。雪乃を裏切り、死なせてしまったという後悔。復讐など無駄だと言った晴子の言葉が今更ながらに頭をよぎる。生き残った彼女だからこそ理解していたのだ、この結果を。タケルもまたそうだ。島に行かずに組織を壊滅させるために行動している彼らと共に動くことこそトウヤに必要だったのだ。島をナメていた、負けるはずがないと思っていた。それは傲慢で愚かで、そして無知だった。エイジがどれだけ偉大かを思い知る。エイジはトウヤに賛同しない、そう言ったタケルの言葉の意味を、死を間近にした今になって知った。
「あの世で楽しみな、大好きな彼女とな」
言い終わると同時に銃声がこだまする。咲夜と同様、額を撃ち抜かれたトウヤは絶望の中でその生涯を閉じた。
*
「もう少し、こう、楽しめるかと思ったんですがね」
霧雨はため息交じりにそう言い、深く椅子に腰かけた。結局、盛り上がりもなしにトウヤが死んだことでホールも落胆で満たされている。
「昼までもつかなぁ」
鬼が3人固まっていることで少しは全滅までの時間が掛かるとは思う。だが、生還者はいないと断言できた。
「つまらない、な」
「そうですね」
「いや、今回のことじゃない・・・今さっき死んだ彼だよ」
響はそう呟き、ウイスキーを飲み干した。そのままそっと目を閉じる。くだらない復讐心、くだらない感傷のせいでパートナーの女を無残に死なせ、自分も死んだ。愚かでつまらないとしか思えない結果だ。
「今後はそういう人物は除外するべきだ」
「けど、面白いかも」
「実際、面白くなかったじゃないか」
珍しく不愉快さを前面に出す響の目は怒りがこもっている。だから霧雨は何も言わずに頷くしかなかった。
「私情を持ち込まれては、質がさらに落ちるよ」
響はウイスキーのもう何杯目かわからないおかわりを注文し、モニターを睨んだ。あれから5年経つが未だにあれほどの高揚感を得るに至っていない。そんな響を見つつ霧雨は自分の中の欲望が大きくなるのを感じていた。興奮したい、それこそ、ゲームに熱狂したいと思う。それこそ、三島エイジと水守晴子を再度召喚して、そう考えるほどに。だがそれは組織のルールに反してしまう。だから成り上がるしかないのだ。このゲームを主宰する者たちの中で頂点に立ち、権力を駆使してそれを実現するために。三島エイジが老いる前に。
「大きな野望は身を滅ぼすよ」
モニターを見つめる霧雨を横目で見つつ、響は心の中でそう呟くと運ばれてきたウイスキーを口にする。そして頭の中で霧雨の失脚を促す算段を練るのだった。




