生死の選別
武装した男が遠くに見えた。ゴーグルに覆面、迷彩柄の服にはベストを装着し、武器が見えている。銃と剣が主なものだ。ごくりと唾を飲んだ金髪の男は川べりに伏せて様子を伺っていた。ペアの女もまた木の陰に隠れるようにしつつマシンガンを構えている。
「1人殺せば生還率は大幅アップ・・・金も手に入るし、ヒーローにもなれる」
このゲームに参加させられた人間からは賞賛され、運営しているクソ共には恐れられる。それがどんなに痛快なことかを思い浮かべ、男はニヤけ面を消せずにいた。周囲を窺うようにしてやって来る鬼に自分が見えているとは思えない。石や落ち葉を寝そべった体の上に置いているために、完全に擬態出来ているからだ。ここから近づいてくる鬼を撃ち、女がそれを援護する。まさに完璧な計画、のはずだった。そう、鬼が急に向きを変えたのだ。川べりにまっすぐ来るものとばかり思っていた男は戸惑うが、それでもそこから動けない。動けば居場所を教えることになるからだ。舌打ちしてどうするかを思案した矢先、銃声が響き渡った。悲鳴が上がり、そして2度目の銃声。その後、女の絶叫が近づいてくるが、それは男のパートナーの女の悲鳴ではなかった。たまたま近くに身を潜めていたペアがいたのだろう。それを見つけた鬼が方向を変えた結果の惨状だ。
「クソが・・・見つかるような隠れ方しやがって」
手だけを出してペアの女に身を潜めるよう指示し、女は木と石の隙間にある場所に身を潜めた。だが、直後にそこで爆発が起こった。何が起こったか分からず、男はただ呆然と黒煙をあげる場所を見つめるしかできない。近くに転がっている人間の腕らしいものを見つけた矢先、急激にこみ上げている吐き気に勝てず、男は擬態を解除して川に胃の中の物をぶちまけた。
「え?」
顔を上げた瞬間、目の前に誰かがいて、その手の中の銃が火を噴く。その瞬間で男の記憶は途絶え、意識も命もなくなった。額から流れる血が川を赤く染める中、銃を腰のホルスターに仕舞う鬼がマスクの下の表情を曇らせた。こんなにつまらないゲームは久しぶりだと思う。開始20分で3組が消えたのだから。それも本部を出てすぐに襲撃してきたペアを鬼3人で始末し、川沿いに来たところで隠れているとは到底思えないペアを発見して男を殺害。逃げた女が20メートル離れたために爆発したところ、たまたまそこに隠れていた別のペアの女を巻き込んだのだ。さらには上手く隠れていたペアの男が敵のいる中で堂々と嘔吐する始末。素人相手だが、こうまで張り合いがないとやる気も出ない。
「さっさと終わらせてバカンスといこう」
仕事を終えれば豪華な休暇が用意されるのは慣例だ。いつもであればこのゲームを楽しむ鬼も、こうまで相手に運が無いゲームはさっさと終わらせようと思うしかない。
「伝説の3人斬りのような相手がいることを祈るよ」
鬼はそうつぶやくと再び川沿いを歩き出すのだった。
*
正面のモニターは4分割され、1つは1人の鬼のヘルメットに取り付けられたカメラの映像であり、森を歩いている映像だ。その下には黒煙を上げている映像があり、その右横には人間の腕と思われる物体を映し出していた。残る1つには廃墟のような建物の中でうずくまる3組の男女を映し出していた。開始から20分で3組が消える幕開けとあって、様々な声があちこちから上がっている。そんな様子を一番後ろの席から見つつ、響はタバコに火を点けて煙を揺らせた。今回もやはり早めに終わりそうだと思う。メンバーを見てもピンと来るものもなく、目を見張るような行動を見せるペアもまた見当たらないからだ。ここ3年ほど大きな動きもなく、ただ鬼による一方的な殺人を見せられているだけの状態にあった。
「まさか開始早々3組が消えるなんて・・・あ、今、4組目が死にましたね・・・」
モニターを見ていた霧雨が苦笑交じりにそう言うが、響はゆったりと煙を吐き出しつつも表情を変えなかった。そんな響を横目に見つつ、霧雨はビールを注文してから1つ背伸びをしてみせた。
「こりゃ思った以上に退屈だ」
「1日足らずで終わりそうだな」
「んな感じですね・・・あー、でも、18番のペアは残ってもらわないと」
思い出したようにそう言い、自分が生き残りに1億を賭けたペアのことを考えた。彼らは今、どこでどうしているのだろう。
「響さんは18番のペア、どう見ます?」
興味津々にそう聞くも、響は全く自分の方を見ない。興味がない、そんな空気が出ていた。
「多分、早めに殺される」
素っ気無くそう言われると、霧雨は苦笑しつつも運ばれてきたビールを受け取った。
「ですかねぇ」
「復讐心が悪い方向に動いている気がするからね」
「悪い?」
「空回りだよ・・・この島で生き残るために必要なのはどうやって生き残るか、それと鬼の思考を読みつつどう行動するかによる。先を読み、いざとなれば死をも覚悟して敵を倒す。そういう思考が大事なんだ。生き抜こうとする意思、それが必要不可欠。隠れて敵をやり過ごそうなんて考えは死に直面した際に何も生み出さない。逃げることを優先しながらも戦うことを考えるヤツは危機に瀕した際に思考が麻痺しない」
「つまり・・・・?」
「復讐さえ遂げられればあとはどうでもいい、なんて考えのヤツは生き残れない。復讐も果たせない。パートナーの存在を軽んじている男は特に、ね」
そう言われては何も返せないが、それでも自分が賭けたペアには生き残って欲しいと思う。
「伝説の男は・・・彼はさっき響さんが言ったような男だったんですか?」
まるで誰かを揶揄するかのような言葉だっただけに、伝説の英雄に賭けて今の地位を得た響を知っている霧雨はモニターも見ずにそう尋ねた。
「三島エイジという男はそういうことが出来ていただけのことだ。私の理想を具現化したかのような男だった。だからこそ、最強の鬼を倒すことが出来たんだよ」
口元が緩んでいる。思い出しているのか、少し遠い目をしていた。伝説の男である三島エイジ、彼はサバイバルゲームで得た知識と経験をフルに生かしつつ鬼の動きを読んでいた。その上で冷静に行動し、逃げることを優先しながらも果敢に戦ったのだ。最後の最後は自分の命を捨ててでもパートナーである水守晴子の命を守ろうと捨て身の攻撃に出た結果、勝利を得ている。今のトウヤの思考とは正反対にあった。だからこそ強く思う。数多くの若者の、それでこそ特異な条件下での行動は皆様々だった。死を逃れようと隠れる者、果敢にも戦いを挑む者、ただ欲望のままに行動する者など様々だ。そんな中で記憶に残る者などほとんどいない。そう、響にとってその者こそが三島エイジと水守晴子なのだ。
「運がよければ、1人ぐらいは倒せるかもな」
無感情にそう言い、響は椅子に身を埋めてみせる。今回も高揚感を得られそうも無い、そんな感情が全身を駆け巡るのを感じながら。
*
岩陰に隠れること10分、そう遠くない場所に黒煙が上がった。おそらくブレスレットが爆発して誰かが死んだのだろう。ゴクリと唾を飲み込んだトウヤが岩から出していた顔を引っ込める。言い知れない不安と緊張に押しつぶされそうになるものの、復讐の時が来たんだと自分を奮い立たせた。その横では雪乃がガタガタと身を震わせている。まったく役に立ちそうにないパートナーに苛立ちつつも、この状況下では仕方がないとも思う。普通なら、普通の女子高生ならばこうなって当たり前だろう。だが、自分は生き残ることを目的としていない。ただ3人の鬼を殺すことしか頭にないのだ。足手まといはごめんだった。
「俺は鬼を全て殺す。そのためにはあんたの、雛森さんの協力が必要なんだ」
極力自分を抑えてそう言い聞かせるが、雪乃はふるふると首を横に振るばかりだった。これはもう何も期待しない方がいいと思い黙り込むが、それでは鬼を倒すための制限が大きすぎる。立ち回りは雪乃を中心に20メートルの範囲でしか行えない。これは敵に距離を置かれた際には圧倒的不利になる。銃火器を装備しているとはいえ、相手の方が熟練度は遥かに上なのだ。地の利も生かせず、勝てる要素は奇襲しかない。三島エイジがどうやって3人の鬼を倒したのかを聞けずにここにつれて来られたことを後悔するばかりだ。自分が理想とする、実現しようとする事柄をやってのけた先人の知恵を借りられなかったことが痛いが、やるべき事は決まっているだけにその決意に微塵の揺らぎもなかった。とにかく、この地形を利用して1人倒す、それだけだ。徐々に周囲が暗くなるものの、一向に殺気めいた気配も感じない。足音も何もなく、ただ風の音だけが鮮明に聞こえているだけだった。
*
巨大な岩を目の前にし、マスクの下の口が吊り上がった。気配を探るまでもなく、あの岩の上に誰が潜んでいると理解できたからだ。もうこの岩に隠れている人間を探す必要などない。3回前のゲーム開始2日前に島を襲った台風によって岩山から落下したこの巨大な岩は逃げる人間にすれば格好の隠れ場所だった。周囲には岩の上を見下ろせるような高い場所もなく、それでいて身を隠すには充分な面積を持っている。だからか、鬼はその岩のかなり手前で立ち止まり、茂みに身を隠しつつゆっくりとそこへと近づいていった。マスクには暗視モードがあって夜間でも周囲を見ることは出来るが、ズームのような機能はない。もっとも、訓練された傭兵だった自分にすればそんなものなど必要ない。気配を察知する能力には長けているつもりだ。だから、岩の上から慎重に周囲の様子を伺っている男の様子も冷静に見ることができた。持っている武器はマシンガンのようで、チラチラと手元に見え隠れしていた。鬼はほくそ笑み、大きく迂回して岩の上に寝そべる男の足元の方へと移動する。そして素早く岩に背中をつけてへばりつくようにしてみせた。たしかにこの岩は隠れるには最適かもしれない。だからこそ、岩に隠れていることが容易に想像できるのだ。所詮は平和ボケした間抜けな高校生だとマスクの下の口元が大きく歪む。そのまま拳銃を右手に持ち、ゆっくりと音も立てずに岩を登り始めた。気づかれてもどうとでもなる、そんな自信から来る動きで。頂上に着いた鬼がそっと顔を覗かせれば、相手は素人だからか、本部のある方向しか見ていないようだ。後ろから来る、そんな想定も出来ないゴミはさっさと片付けようと決めてサッと岩の上に立った。その気配を感じた男がハッとなって振り返る。そこにいる黒づくめの鬼を見て悲鳴を上げつつ手にしたマシンガンを構えるものの、鬼の動きは素早くあっという間に間合いを詰めてマシンガンを持った手を蹴り上げた。マシンガンは落下し、あわてる男が腰の銃を抜こうとするその手を取った鬼が腕を捻り上げつつ男の腹部に蹴りを見舞った。そのせいでバランスを崩した男は岩から落下し、残されたのは怯えた目をした女だけになる。茶色い髪をしている普通の女子高生を前に、鬼は銃を仕舞うと腰のナイフを手に持った。夕日を浴びてきらめくそのナイフにガクガクと震えるしかない少女の泣き顔を見た鬼は最高の快感を得て恍惚の表情を浮かべているが、少女にはマスクが邪魔でそれは見えていない。ゆっくり近づく鬼から逃れよと後ずさりするが、岩の縁に来てしまったためにそれ以上逃げられなくなった。飛び降りるにしては高すぎる。ゆうに10メートルはあるからだ。現に蹴り落とされた男は全身打撲で大怪我を負った上で気絶している。少女は怯えきった目をしつつ、ただ震えることしか出来ないでいた。武器は全て男が所持していたために反撃する術がないのだ。
「死にたくないか?」
低いくぐもった声がそう問いかける。少女は何度も頷くものの、目の前に迫った死を回避できるとは思っていなかった。だが、万に一つの可能性があるのならそれに賭けたい。
「俺の言うことを聞けば、助かるかもしれん・・・どうする?」
楽しげな男の言葉に頷き続ける少女の精神は壊れる寸前だ。
「全裸になれ」
感情のない声でそう言われ、少女はためらいもなく服を脱いでいった。言われもしないのに下着まで脱ぐほど追いつめられているその精神を破壊できる、鬼はその快感を得つつ少女の控えめな胸に手を当てた。たとえここで犯されようとも生きて帰れるのなら、そう思う少女の目にわずかばかりの希望が宿るのを見たときだった。少女が目を見開いて自分の胸を見つめる。赤い血を噴き出すその胸から生えているナイフの柄を見つめる少女を見た鬼の顔がその名の通り悪鬼に変化するが、よろめいて岩から落下する少女からは見えない。
「一瞬の希望を抱いた矢先の死・・・これこそがまさに死だよ」
鬼がそう口にし、大笑いをする。その後、岩の上から失神したままの男に向かって銃を撃つ鬼からはもう笑い声は聞こえなかった。
*
「悪趣味だ」
響は目の前の映像を見つつ吐き捨てるようにそうつぶやいた。鬼の質も落ちてきている、そうとしか思えない。自分に自信がある表れなのだろうが、岩の近くに他のペアがいた場合、あの鬼は殺されていたかもしれないだろう。無防備で岩の上に立ち、目の前の女に自分のねじれた欲望をぶつけるなど愚の骨頂だ。あそこに三島エイジがいたならば、労せずにあの鬼を殺していたと思う響は無表情の中に静かな怒りをたたえていた。この鬼の行動はここ数回の緊張感のないゲーム内容がもたらした結果だと思うものの、かといって鬼の質の低下はゲームの運営自体の問題になりかねない。それでもわいわい騒ぐ他のメンバーを見つつ、このゲームの根本的見直しにかかる必要があるのかもしれないと考える響はウイスキーの入ったグラスをゆっくりと回して見せた。
「あの鬼、無防備すぎですよね?」
隣に座る霧雨の言葉に小さく頷きつつ、若い新参者でありながらそこに気づいた洞察力に少しながら賞賛の気持ちを得た。この男は他のメンバーとは違うと思う響の口元に自然と笑みがこぼれる。
「ここ数回のゲームが呆気なかったせいだろうが、それにしても質の低下だよ」
響はそう言い、ウイスキーを口にする。ゲーム開始から1時間で既に6組のペアが消えているという事実からして、今回のゲームの決着も早そうだと実感していた。
「これだと、あの小暮って男の復讐も意外と達成できるかもしれませんね」
ため息混じりにそう言う霧雨に頷く響だが、その可能性はないと見ていた。さすがの鬼も、自分に敵意を向けてくる相手に油断はないだろう。生きるために奇襲を仕掛ける者と、殺すつつもりで奇襲を仕掛ける者の差は大きいからだ。
「今回のゲームも、早い時間に終わりそうだ・・・そうなればゲームの内容、鬼の質、全てを見直す必要があるだろうね」
響の言葉に霧雨が小さく微笑むものの、その笑みはどこか不穏な感じがしていた。そう、この霧雨という男はどこか油断ならない、響はずっとそんな風に感じていた。何か意図を持って自分に接触してきている、そうとしか思えないからだ。勿論、この組織に入る際には充分に身元を確認し、裏の裏のそのまた裏まで徹底的に調査し、ふるいに掛けている。IT企業の若社長でありながら組織に加入し、裏社会にも精通したこの青年の父親もまた組織の中枢を担う役に付いていたこともあって、彼は若くして運営に関わることを許されていた。
「そうですね」
そうとだけ言ってモニターを見つめる霧雨の横顔をチラッと見つめつつ、その思惑を想像しながらウイスキーを飲む響はこのゲームの後でいろいろすべきことが出来たと心でため息をつくのだった。




