悲願の島
不快な音が頭に響く。重い瞼をどうにか開き、気だるい体を起こした。不快な音は依然として続いているが、5分ほどでピタリと止まった。トウヤはぼーっとしたまま座りこみ、きょろきょろとするしかない。未だに意識がはっきりしないせいか、思考も上手く働かなかった。どうやらやたら広い空間にいるらしい。自分以外の人間も多くいる。そしてようやく思考が働き始めた頃だった、左にある巨大なモニターに明かりが灯る。いや、こちらが正面なのか。もそもそと起き上がる男女を見つつ、トウヤもまた立ち上がった。服装はそのままだが、荷物の入ったバッグはない。携帯も取り上げられているようでポケットの中に何もなかった。状況を把握しようと記憶を辿るが、まだ意識がはっきり覚醒していないせいかぼんやりとしてしまう。そんな中、モニターにどこかの島を上空から撮影したような映像が映し出され、そのモニター手前の床からピエロの面を被ったタキシード姿の男が姿を現した。一気にざわつき、周囲の男女の意識も急速に覚醒していく。トウヤはゾクリと背中に走る悪寒を感じつつ薄ら笑いを浮かべている自分に気づいていなかった。
「皆さん、おはようございます・・・っても、もうすぐお昼なんですけどね」
マイクを通してそう言い、ケタケタと笑うその不気味さ。
「えー、ここはとある無人島にある施設です。モニターに出ている島がまさにそれ!」
おどけるような大げさな動きでモニターに手を向けるピエロの言葉に周囲がざわつく中、トウヤは悪鬼の笑みを浮かべつつ拳をギュッと握り締めていた。
「あなたがたはこれから男女ペアとなり、追ってくる3人の鬼から3日間逃げて逃げて逃げまくってもらいます!でも、鬼に捕まると死んじゃいますけどね」
そう言い、再び大笑いするピエロ。トウヤはとうとうここへ来た歓喜に体をうち震えさせ、笑みが消えないでいる。隣に立つ制服姿の男は都市伝説やら噂やらといった言葉をつぶやくばかりなのに。
「もちろん、あなた方には武器の所持が認められます。ペアで5つ。ただし銃を選んだ場合、予備の弾装は1つとカウントしますけど」
そう言い、モニターを使って男が説明を始めた。それは事前にタケルたちから聞かされていた事柄と同じだった。20メートル以上離れれば爆発するブレスレット、3日間逃げ切れば1人につき1億円が支払われることなど。左腕に取り付けられたブレスレットを見やるトウヤの顔から笑みが消えた。復讐の機会は来たのだ。咲夜を殺したのが3人の中の誰かはわからない以上、3人とも殺す必要がある。勝つ気はあるものの、ここで懸念材料が出てきた。そう、ペアになる相手だ。戦力になればいいが、足手まといになる女はゴメンだ。自分の目的は生きてこの島を出ることではない。恋人の仇を討つことだけなのだから。
「さぁ、説明はここまで。ではペアを決めて武器の選択へと参りましょう!ペアはコンピューターがランダムに選出します。左手のブレスレットに表示される数字とモニターに出る数字が一致したペアは前に来て頂戴」
モニターから島が消え、無数の数字が回転し始める。そうして止まった数字が1を表示し、同時に前の方にいた男女が声を上げた。どうやらブレスレットにはめ込まれている小さなモニターに数字の『1』が表示されたらしい。トウヤは泣き叫ぶ少女が黒い覆面の男に引きずられるようにして連れ出されるのを見つつ、神に祈りを捧げた。
「男勝りな女を選んでくれよ」
震える男、泣く女、暴れる男、開き直った女、様々な男女が数字によってペアを組まされてこの広い空間から出て行く。残るは8組になったが、まだトウヤのブレスレットは光る様子を見せなかった。
*
16分割されたモニターが集合して1つの大きな画面になっていた。そこを正面に、映画館のように段になった席にはアルコールの類が置かれ、中にはステーキや和食などが備え付けのテーブルの上で湯気をあげていた。やがてモニターは4つに分割され、広いホールを全体的に映したもの、武器を選んでいる男女、島内部へと出て行く男女、そして出撃の準備をしている3人の鬼の様子を映し出すものに変化した。
「前回は残り6時間で全滅でしたね・・・今回はもう少しギリギリまで頑張って欲しいものです」
スーツを着た初老の男がモニターを見つつそう言い、赤ワインの入ったグラスを右手で回している。
「まったくです。ここ数回はまるで面白みが無い」
「あの伝説の鬼殺しのような興奮をもう一度味わいたいですなぁ」
隣り合う中年の男が笑いあう。このゲームに多額の投資をしている者たちであり、ゲームを賭けにして儲けを企んでいる金持ちだ。そんなざわついた中、オールバックの髪をした男が一番後ろの席に座り、足を組んでモニターを見つめていた。そんな男の横に若い男が座る。長めの前髪を横に流したホストのような身なりの男だ。
「いやはや、毎回この時間が一番ドキドキしますね」
30代だと思える若い容姿はこの中にいる22人の中で最年少である。3回前から新たにメンバーに加わった、いや正確には年老いて入院することになった父親に替わってメンバー入りした東山霧雨だ。最年少でありながら最も切れると言われるその霧雨は横に座ってウイスキーグラスを手に取る響幸平に笑顔を向けた。
「例の男はどれかな?」
響はそう言いつつも霧雨の方は見ない。ただじっとモニターを見据えているだけだ。
「まだ選ばれてはいませんが、この男です」
そう言い、手元の資料を差し出す。響はそれを受け取ると6枚綴りの紙をめくって内容をさっと読んでいった。
「2組目の生還者である男と接触しています。それ以外にも、島のことを知る人物ともネットおよび直に会って嗅ぎまわっていたようですね」
「復讐、か・・・」
響は感情のない声でそう言い、ウイスキーを一口飲んだ。資料に書かれていた動機は亡き恋人のための復讐。事細かいプロフィールなどが書かれたその資料をテーブルの上に置くと響は薄い笑みを浮かべて見せた。
「復讐で鬼を3人殺すために、ね・・・それがどんなに困難か、どんなに無駄なことかも理解できないとは」
「それが愛なんでしょう。ま、高校生の恋愛ごっこ、復讐する俺はかっこいい、なんでしょうけど」
霧雨がバカにしたように笑い、響は笑みを濃くした。
「大体、ペアの女を連れて3人の鬼を殺すなんて不可能ですよ・・・ありえないですよね?」
「そうだな」
「あー、でもいたんですよね・・・たしか5年前ですか?鬼3人を1人で倒し、ペアの女を無傷で生還させた伝説の男が」
「ああ」
響は目を細め、笑みを消した。今や伝説となったその男のことはよく覚えている。このゲームの性質上、絶対にありえないその快挙を成し遂げた男を、響は今でも鮮明に覚えていた。
「なら、今回は楽しめるかな?」
霧雨はそう言い、モニターを見つつ微笑む。だが響は表情を消してウイスキーを一気に飲み干すと近くにいるウェイトレスにおかわりを要求した。
「彼はこのゲームの常識を覆し、死の底に落ちても這い上がって生き延びた・・・この小暮トウヤという男とは違う」
響はそう呟くように言い、追加でステーキを注文する。
「でも、こういうモチベーションの男は初めてですし」
「こいつの彼女は?」
「松島咲夜。前回、残り9時間程度で左足を撃たれた上にそこをナイフで突かれています。その後、腹部に2発の銃弾を浴び、倒れこんだ直後に額に一発」
「ああ、あの女か。ペアの男は・・・たしか剣で刺し殺されてたな」
「はい」
よく覚えているなと感心する。今やこのゲームを統括している響はゲームを主催している組織の総帥の息子という立場ではない。彼こそが総帥代行、つまりはこの22人の中でトップに立つ存在なのだ。
「響さんには悪いですけど、私は彼に賭けます。生き残る、そう思ってますから。3人の鬼を殺して、というおまけを期待して」
微笑む霧雨に苦笑を返し、響は椅子に深く腰掛けてモニターを見つめた。だが、頭の中にあるのは3人の鬼を殺した伝説の男、三島エイジの顔だった。
「彼は信念の塊だったが、小暮君のその信念はどうかな?」
心の中でそうつぶやくとウイスキーを口に含むのだった。
*
ようやくブレスレットのモニターに数字が表示された。18の数字を浮かべているモニターと見比べ、トウヤは前に向かった。既に残っているは6人の男女であり、広いホールの中は寂しい状態になっていた。覆面の男の前に立ち、彼を睨みつける。そうして弱弱しい足取りでやってきた自分のパートナーを見て目を細めた。気も弱そうな三つ編みの地味な少女だった。よりにもよってと思うが口には出さない。足手まといにさえならなければ復讐は遂げられる、そんな根拠のない自信が今のトウヤの原動力になっていた。パートナーを守りつつ3人の鬼を殺せる、そう信じて疑わない。そう、前例がないのであれば恐怖心、不安もあっただろう。だが前例があり、実際に無傷で生還した女とも出会っている。嘘か本当かは確かめることなく喧嘩別れをしてしまったが、タケルの話は信じられただけに自分も成し遂げてやるといった気持ちになっているのだった。トウヤは震える小柄な少女に微笑みかけた。
「俺は小暮トウヤ、3日間よろしく」
3日と言わず1日ですべてを終わらせてやると思いつつもそう挨拶をするが、少女はおどおどした様子のまま自己紹介ができる精神状態にはなかった。鼻でため息をつきつつ黒覆面に促されるままに広間を出て、暗い通路を進んだ。しばらく行くと右手に鉄製の扉があり、その前に2人の覆面男が銃を携帯して立っているのが見えた。ここが武器庫かと思い、その前に立った。
「制限時間は5分。武器の所持は2人で5つまで。弾装も1つとカウントされる。理解したらなら中に入れ。そこから5分だ」
覆面のせいかくぐもった声でそう説明した男を睨みつつ、震えてろくに動けない少女の手を引いて中に入った。狭い部屋に所狭しと並べられた武器の数々。ネットのやりとりでタケルから聞いていた通り、拳銃にマシンガン、その弾が金属製の棚にずらりと並べられていた。ライフルの類は無い。左右の壁の棚は銃ばかりだが、奥にはナイフや刀剣が並んでいた。西洋の剣から日本刀まで様々だ。ナイフも果物ナイフからサバイバルナイフと種類は豊富だが、持って行こうという気にはならない。狙うのは予定通り銃のみだった。
「武器は俺が選ぶぞ?」
小さな体をさらに縮めて怯える少女にそう言うと、少女はうんうんと頷くだけだった。それを見たトウヤは調べに調べた銃を探す。狙うのは軽く、照準がしっかりしている拳銃と弾薬。それとサブマシンガンだ。少女の護身用に警官が使うようなリボルバー式のピストルを選ぶとあっさりと5つを手にして部屋を出る。ものの2分程度で選び終えたトウヤと少女が部屋を出ると、1人の覆面が扉を閉じた。同時にもう1人の覆面が小さなリュックを2人へと差し出す。
「中に水と食料、簡単な救急セットが入っている。水と食料は1日分程度だからな、考えて使え」
業務的にそう言われた2人はリュックを受け取ると、ここまで誘導してきた覆面が銃を向けながら奥にある扉へと先導した。
「ここから出たら自由だ。しっかり逃げろ。最終組がスタートしてから2時間後にゲームスタートだ」
そうとだけ言い、男は頑丈そうな扉を開く。そこから見える外の景色は少し遠くに壁があるものだ。どうやらこの本部と思われる建物を高い壁で囲んでいるらしい。舗装もボロボロの通路を歩き、壁と外界を仕切る頑丈な扉が少しだけ開いて人が通れる隙間を作った。見える景色は緑ばかり。正面はすぐ森のようだ。
「よし」
1人気合を入れてそうつぶやくトウヤは怯えたようにきょろきょろする少女の手を掴んだ。
「大丈夫だ。生き残れる。だから付いて来い」
睨むように顔を向けてそう言うトウヤの気迫に押されてか、少女は頷きつつも掴まれた手をほどこうとはしなかった。トウヤは少女の手を引いて早足で森に入る。ピエロの説明及びタケルの話によれば虫も動物も存在しない島だという話だ。真意はともかく、それは有利に働くだろう。少女の怯えっぷりに虫アレルギーなどが加われば戦うどころではない。
「怖いと思うけど、ちゃんと付いてきて」
トウヤの言葉に頷くものの、顔は青白く、そして目は常に潤んでいた。
「そういや、まだ名前聞いてなかったな。さっきも言ったけど、俺は小暮トウヤ」
「ひ、雛森・・・雪乃」
「雛森さんね。よろしく」
緊張をほぐそうと差し出した手にもビクつく雪乃に心の中でため息をつくが笑顔を絶やさなかった。今はただ雪乃に変な警戒心を抱かせないことが重要だからだ。トウヤは雪乃を促して再び歩き始めた。もちろん会話はない。とにかく深い森に入り、川沿いを歩く。そうして30分ほどしたところで岩場に隠れているペアを見つけてそこに近づいた。大柄な金髪の男とこれまた派手な金髪の女だ。服装からしてそっち系の2人がペアになっているため、そういうカップルにしか見えなかった。
「おう」
男がそう声をかけるとトウヤは頷き、雪乃がトウヤの後ろに隠れるようにする。それを見た女が悪そうな笑顔を浮かべた。
「足手まといのカスを引き当てたんだ?」
その言葉にますます雪乃は身を縮め、トウヤの服をギュッと握った。
「そう言うな・・・いきなりこういう状況じゃ無理もないだろ?」
雪乃をフォローしたトウヤにますます嫌な笑みを濃くし、女は近くの大きな石に腰を下ろした。股を開く座り方からして見た目通りのヤンキーらしい。
「で、こんなところで何を?」
「ああ、鬼をぶっ殺そうって思ってな・・・逃げるよりかは殺した方が早く帰れるし」
そう言いながら両肩に掛けている2つのマシンガンを手に持った。女もまたマシンガンを持ち、残る2つの武器は予備のマガジンになっている。
「なら、協力しよう。2人より・・・・3人の方が勝てるぞ」
あえて雪乃を戦力に入れなかったトウヤを評価するも、男は女と顔を見合わせた。確かに勝率は上がるのは間違いない。
「遠慮するよ・・・お前だけならともかく、その女は足手まといにしかならねぇ。お前の動きを左右するんだからよ」
見かけにはない繊細な考えに舌を巻くしかないトウヤは苦笑を浮かべるものの心で舌打ちをした。確かにその通りだ。雪乃の存在は邪魔でしかない。金髪の女がパートナーであれば自分の復讐ももっと実現しやすい計画を立てられただろう。
「わかった。でも、サポートはしたい」
「いらねー」
睨むようにそう言う男に何も返せず、トウヤは深いため息をついてから2人に背を向けた。相変わらず雪乃は同じ境遇にあるはずの2人から隠れるようにしてトウヤについて行くだけだ。戦力を欲しているだけにかなり痛い状況にあるが、それはそれで仕方がないと思う。あのヤンキーペアが殺す鬼が自分の探している仇でないことを祈りつつ川沿いを歩くトウヤたちは目の前にそびえる巨大な岩を目の前にしていた。
「死角となって戦えそうなのは岩の上ってか?」
トウヤは岩を見上げ、そしてその岩の天辺からこちらの様子を伺っている男の影を見つけていた。よじ登りでのもしたのか、1つのペアが岩の一番上に隠れているようだ。たしかに近くに背の高い木もなければ上から見下ろせそうな場所もない。隠れるにはうってつけのように思える。だが、それは逆に見つけてくださいといわんばかりの場所でもある。
「行こう」
トウヤが雪乃の手を引き、川沿いを離れた。そうしてしばらく行ったところで複雑な形で岩が突出している場所に出た。ここならば奇襲もかけられると判断したトウヤは段差の激しい場所に腰を下ろすと武器を構える。それを見た雪乃が身を縮め、ぶるぶると震え出した。
「始まる前からそれじゃ、気がもたないぜ?」
優しくそう言うトウヤを見ることなく、雪乃はひざを抱えて顔を伏せた。もうため息も出ず、トウヤは岩場の真ん中に陣取る形で周囲の状況を確かめていた。四方、どこから敵が来てもわかりやすく、それでいて隠れる場所も多い。上手く立ち回れば20メートルの範囲でそれなりに動きがとれそうだ。とにかく、ここで3人の鬼のうち1人を倒す、そう決めた。
「過去、このゲームに参加して生還できたペアは3組」
唐突にそう話し出した直後だった。サイレンの音が島中に響きわたり、どこかに設置されているスピーカーからさっきのピエロの声がこだまする。
「みなさーん!今からゲームを開始しまーす!現在時刻は午後3時。明後日の昼12時まで生き残れば賞金を手にできます!頑張って生き延びてくださーい!終了はサイレンで連絡しますからね!では、ゲーム、スタートですっ!」
しんと静まり返ると同時に緊張感が島を包んだ。果たして何組生き残れるのか、自分は復讐を遂げられるのか。




