第30章
その頃、ルーナはただひたすら走っていた。
意識のほとんどがノワールであっても、体はルーナなのだ。
猫族と兎族の二重の結界を、破られたことに気づかせずに脱け出しただけで、マイナスエネルギーの水晶の力は殆んど使ってしまった。
『竜の洞穴』までルーナの体で転移するほどは力が残っていなかった。
飛べるだけ飛んでここまで来たが、 まだかなりの距離を走らなければならない。
まだ追い付かれることはないと思うが、ノワールは焦っていた。
早くノワール本体と合流しなければと。
こんな女の体は、ここに放置してしまえと思うのに、ノワールには何故かそれが出来なかった。
「何故だ!本体からの意識が、この女を連れて来いと呼びかけてくる。こんな女、今さら何の役にも立たないと言うのに。もしや一緒にいる間に情が湧いたのか?そんな、まさかな……」
ノワールはいやいやと首を横に振った。実際に首を振ったのはルーナなのだが。
「このまま意識を奪われ続けていれば、体の方もいずれ衰えて朽ち果てるものを……」
自分は意識の一部でありながら、本体の考えていることがわからない。
「少し別行動をし過ぎたのかも知れないな」
ブラックトルマリンの精の姿をした本体のノワールと、ルーナの中のノワール、元々はひとつのものであるから意識は繋がっているし、経験したことも全て共有している。
考えや気持ちが食い違うはずはないはずだ。
「この女をどうしたいのだ?」
「………………」
問い掛けても返事はなかった。
ルーナの中のノワールはため息を吐くと、また黙々と走り続けた。
走りながらノワールは、ルーナとの出会いを思い返す。
ノワールとルーナが出会ったのは、ノワールが石の精の姿を取れるようになって、やっと『竜の洞穴』の結界を破ることができた時だった。
ノワールは、遥か昔に己が消滅させられた記憶を憎しみに変えて生きてきた。
永い時間をかけて徐々に力を蓄え、耐え難い孤独を、外の世界の奴ら、石の精たちと人間に復讐すると言うことだけを考えて耐え抜いてきた。
そんな永い孤独の果てに、ノワールは自分がブラックトルマリンのただの力の集まりではなく、ちゃんと形を持った石の精の姿になっていたことに気がついた。
「……漸くここまできたか」
ノワールは感動にうち震えた。
ノワールはまず、塔のように聳え立つブラックトルマリンの六角柱の柱から、マイナスエネルギーを体に取り込んで、頭上を覆う黒い結界を弾き飛ばした。
今まで暗闇に覆われていた世界が一気に光で溢れた。
ノワールにとって初めて見る青空だった。
風も光も他の石から放たれる力も、ノワールには初めて感じるもので、それはとても心地いいものだった。
パタパタと小さな羽を使って飛び上がると、眼前には光に満ち溢れたキラキラと輝く世界が広がっていた。
それに比べて、今まで自分が永い間封じられていた場所は、なんて狭くて暗い場所だったのかと、ノワールに沸々と怒りが込み上げてきた。
ノワールは、今まで自分が封じられていた火口のような穴を飛び出すと、初めての飛行を試すように飛び回った。
力の気配に導かれて、ゴツゴツとした岩山の岩壁に張られた結界までやって来た。
その結界も難なく撃ち破ると、ノワールがいた場所へと続く洞窟が現れた。
「なるほどな。俺はこんな場所に永い間閉じ込められていたと言う訳か……これは石の精に協力した人間の結界、やっとここを抜け出せたんだ」とノワールは暗く嗤った。
結界を破るのに結構なエネルギーを使ってしまったので、森からエネルギーを取り込もうとノワールは、己に意識を集中した。
「んっ?なんだ?」
ノワールは違和感を感じて集中を途切らせた。
「なんだこのエネルギーは……?俺の持つものとは全然違う」
ノワールは首を傾げた。
消滅させられた前のブラックトルマリンの精の記憶を引き継いではいたが、自分以外の石のエネルギーに触れるのはノワールにとって初めてのことだった。
その時、ノワールの頭の中にたくさんの弱々しい声が響いてきた。
「ねえねえ、何かな?このイヤな感じ……」
「初めて感じる力だよ。何だか恐ろしいね」
「恐いね」
「うん。恐いね」
「どうする?」
「どうしよう?」
「しばらく意識を閉じて、何処かに行くのを待とう」
「きっとすぐに居なくなるよ」
「そうだね」
「そうしよう」
「……うん」
「…………」
「…………」
そしてそのオルゴールの音色のような声は沈黙し、森の中は静寂に包まれた。
先ほどまで感じられた石たちからの心地いいエネルギーも感じられなくなった。
ノワールは呆気に取られた。
「何だこれは!どれほどの時間が経ったとしても、俺に対する仕打ちは変わらないのだな!」
ノワールは石たちの拒絶に怒りのあまりぶるぶるとうち震え、マイナスエネルギーを辺りに撒き散らした。
「そうだ!俺はもともと復讐のためにこの森に戻って来たんだ!」
怒りに増幅されたマイナスエネルギーは、周りの石たちを怯えさせ、僅かながらも力を奪い取っていった。
ノワールは考えた。どうやって復讐するのが一番いいのか。
この『水晶の森』の全ての石の力を奪ってしまうのはどうか。
そうすればノワールを結界で閉じ込めた人間も困るだろう。
自分がされたように、全ての石の精を消滅させれば、少しは気が晴れるだろうか。
力を奪うだけでは、何かが違うとノワールは思った。
前のブラックトルマリンの精が悲しかったこと。
もちろん、消滅させられたこと事態もそうだが、何より信じていた石の精の仲間たちと人間から突然糾弾され、消滅させられたことだ。
信じていたものに裏切られたのだ。
それが一番悲しかった。
そうノワールの記憶は語っていた。
「そうか……」
ノワールは顔を上げてニヤリと笑った。
「信じていたものに裏切られる。それが一番堪えることだろう。我々の積年の憎しみを思い知れ!」
それからノワールは密かに『水晶の森』の様子を探った。
ノワールには他の石たちからは僅かな力しか奪えなかった。
ノワールが近づくと、石たちは意識を閉じてノワールの存在自体を無視した。
実際は怯えてのことだったが、昔のように拒絶されていると、ノワールは憎しみを募らせていった。
そしてある時、偶然気がついた。
人間が採掘した石からは、全てのエネルギーを奪い尽くすことが出来ると言うことを。
その全てのエネルギーを奪われた石は自然には復活せず、力を持った石としては死んだも同然だと言うことを。
「これはいい。石たちを死んだも同然の状態にすれば、石を愛する石の精たちは嘆き悲しむだろう。石の力を使って生活している人間も、仕事にならなくて困るだろう。まずはそこから復讐を始めよう」
ノワールがそんな復讐の計画を立てていると、森の石たちが『竜の洞穴』と呼ぶ自分が封じられたいた洞窟に人間の気配があった。
「誰だ?今までここに近づくものなどいなかったと言うのに……」




