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天然石に愛された娘  作者: 月森杏
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第2章

 


 次の日、ハローワークに出掛けた瑠璃は現実を知った。雇用保険の手続きの煩雑さと、再就職の難しさを。

 瑠璃は年齢も三十歳を越えていたし、これと言った資格も持っていなかった。

 求人があっても、提示されたお給料ではとても一人暮らしを続けられなかった。

『やっぱり現実は厳しいなぁ』

 瑠璃は検索機の前でガックリと項垂れた。周りの空気も重苦しく澱んでる。ここにいるのは失業した人ばかりなんだから仕方ない。


 駅からの道をとぼとぼと歩きながら考える。

『正社員は難しそうだし、お給料だけ考えればきのうのお店で働く方がずっといいのよね。すごく素敵なお店だったし、アクセサリーを作れるって言うのも魅力的だな。好きなものなら接客も楽しいかも知れない。でもあの店主さん、初対面なのにいきなり勧誘って怪しいよね。せめて優しい感じの女の人なら、もう少し話を聞いたんだけど』

 瑠璃はうんうん唸りながら歩き続ける。

『もう一度お店に寄って、話だけでも詳しく聞こうかな。もしかしたら、からかわれていたのかも知れないけど。時給二千円とか有り得ないもんね』

 瑠璃は『時給二千円』を半信半疑に思いながらも、話だけは聞いてみようとお店の方に方向転換した。


 『天然石ブルームーン』は瑠璃のアパートから意外と近かった。歩いて30分弱。歩くことに慣れた瑠璃には通える距離だ。

 きのう店主に簡単な地図を書いてもらったので、もう迷うことはなさそうだ。

『あれ、絶対笑っていたよね』

 迷ったと言った時の店主の呆れたような顔を思い出して、瑠璃はちょっとシュンとしてしまった。

『でもこの距離にあんな素敵な場所があったなんて。やっぱり歩いてみないとわからないものね』


 瑠璃は迷わずにあの住宅街までやってきた。

『改めて見ても素敵な家ばかりね』

人の姿は今日もなく、長い白壁の上を黒猫がゆっくり歩いているだけだった。

『でも、ほんとうにわかりづらい場所だし、住宅街で人通りもないし、こんな所でお店をやっていけるのかしら?』

 瑠璃はまだ勤めてもいないのにお店の存続を危ぶんだ。


『天然石ブルームーン』はきのうと同じく可愛らしい雰囲気で佇んでいた。

 近づいてみると、扉に『Closed』の札がかかっていた。

「えっ!お休み?」駆け寄って中を覗いてみると、お店の中は薄暗く、窓辺のサンキャッチャーだけがキラキラと輝いていた。

「今日はやってるはずなのに。まさか仕入れに出掛けちゃったんじゃ……」

 きのうの店主との会話が思い浮かぶ。


「ほんとうについてない」

 瑠璃がお店の前でガックリと項垂れていると、後ろから声がかけられた。

「やっぱりまた来ましたね」

 振り向くと、可笑しそうな顔をした店主が荷物を抱えて立っていた。

「あっ……」何となく恥ずかしくなって俯く瑠璃に、店主は「どうぞ」と言って扉を開けた。


 店主は灯りをつけると綺麗に片付けられたテーブルを指差した。

「お掛けになってお待ち下さい」

 そのまま荷物を抱えて奥に入っていった。チラリと見えた扉の奥はバックヤードになっているようだ。

 瑠璃はオズオズと椅子に腰掛けて待った。

「それで今日はお客様としてご来店ですか?それとも……」

 問いかける店主に瑠璃は慌てて立ち上がる。

「きょ、今日はお仕事の話をお伺いに参りました。もう少し詳しくお伺いできればと」


「そうですか。では、お座りください」

 店主は座り直した瑠璃と自分の前に珈琲カップを置いた。砂糖とミルクピッチャーも添えながら、自分も瑠璃の前に座った。お店中に珈琲のいい香りがひろがった。

「ではまずお名前を伺っても?」

 瑠璃は名前も告げていなかったことに慌ててしまった。

「すみません。名前もお伝えしていなくて。て、天川(てんかわ)瑠璃(るり)です。よろしくお願い致します」

再び立ち上がって頭を下げる瑠璃に、店主は着席を促す。

「店主の青野月人(あおのつきと)です。それで確認されたいのはどのようなことですか?」

「えっと、募集されているお仕事はアルバイトやパートと言うことでしょうか?」

 月人は瑠璃に珈琲を勧めながら、自分も一口飲んで答えを口にする。

「そうですね。雇用形態ではそうなるかと。ただこちらとしては、この店を好きになって貰いたいし、長く一緒に働いてくれる人を希望してます。後は、石たちに愛される人を」

『ん?最後のは聞き間違いかな?石が好きな人ってことかな?』瑠璃はちょっと首を傾けた。


「冷めますよ」と声をかけられて、瑠璃も淹れて貰った珈琲を手に取った。

 いつも自分が飲んでいるインスタントのものとは比べようもない深い香りに、心が落ち着いていくのを感じた。

『うわぁ、美味しい』緊張して砂糖を入れるのを忘れてしまったのに、その珈琲は今まで飲んだどの珈琲より美味しかった。

 初めて笑みを浮かべた瑠璃を見て、月人は満足そうにうなづいた。


「それでは長期のお仕事と考えていいんでしょうか?実は私、長く勤めていた会社が倒産してしまって、急に仕事がなくなって困っています。できれば長く続けられる仕事を探しています。それに私は事務職だったので、接客の経験がアルバイトしかないんですが」

「それは大丈夫です。ここには石が好きな人しか来ませんし、うちは基本卸しが中心で個人のお客様は少ないですから。この立地では個人のお客様だけを相手にしていては、あっという間につぶれてしまいますからね」

『それもそうだ』と瑠璃は小さくうなづいた。


「では具体的な勤務時間とお休みを伺ってもよろしいですか?」

「勤務時間は、開店準備があるので10時半に来ていただけると助かります。終わりは18時半で、お昼休憩は1時間。その分も時給には換算しますので安心してください。勤務は週5日と考えていますが、お好きな曜日に決めていただいてかまいません。ここは土日が混むということもないので、土日をお休みにしても結構です。何か予定がある場合は、前もって言っていただければこちらで対応します。ただ私が仕入れに出る時は、出勤していただくことになります。もちろん、前もってお知らせします。年末年始やゴールデンウィーク、お盆休みなどの長期のお休みは、自由に取っていただいてかまいません。ただしその場合は、時給制なので月のお給料が減ってしまいますが。それで時給は二千円を考えています。こんな所でいいかがでしょうか?」

 瑠璃はあまりの厚待遇に唖然とした。やっぱり上手い話すぎて怪しいと。


「はい。お話しいただきありがとうございます。また後日、改めて履歴書をお持ちします」

 瑠璃が頭を下げると、月人は瑠璃をじっと見て考え込む。

「この条件ではご不満ですか?」

「いえ、そうでは……」

「ではまだ怪しいとお考えですか?」

 瑠璃はまた思っていることが顔に出てしまったのかと頬に手を当てた。

「とてもいいお話だと思いますが、今日は履歴書を持参していなくて……」

 申し訳なさそうにする瑠璃に、そんなことは何でもないと言うように月人が立ち上がった。

「履歴書は後日で結構です。出来れば今日から働いていただいても?」

『よろしく』と言うように手を出す月人に、瑠璃も慌てて立ち上がった。

「きょ、今日からですか?」瑠璃が焦って叫ぶ。

「早い方がいいだろう?」と月人がニヤっと笑うので、混乱した瑠璃は思わず差し出された手を取ってしまった。

『あっ、しまったぁ!』と思った時はもう遅かった。



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