第1章
扉を開けた人物が、ポカーンと口を開けている瑠璃にもう1度声をかける。
「よろしかったら中でご覧になりませんか?」
その丁寧な物言いとは裏腹な冷たい感じの声と眼差しに、瑠璃は一瞬ビクッと体を震わせた。
「何も無理やり買わせようとはしませんから、安心してください」と、あまり安心できない口調でその男は言った。
こういう可愛いお店には不似合いなスーツ姿の背が高い男だった。瑠璃はこのお店には、もっとふわふわした感じの優しそうな女の人が似合うと思った。ものすごく予想外だった。
「どうぞ」と、促されて扉を示されては、瑠璃には断ることができない。確かにお店の中を見てみたいと言う気持ちもある。
瑠璃はおずおずとお店の中に足を踏み入れた。
お店は外から見た印象よりもずっと広く感じられた。間口は狭いが奥行きがあるのだ。
先ほどの彼はすぐにカウンターの奥に入ってしまい、黙って何か作業を始めてしまった。「ご自由に」と言うことかも知れない。
瑠璃はドキドキしながら棚に近づいた。
棚は石が映えるように白く塗られており、今まで本でしか見たことがないような天然石が綺麗に並べられていた。図書館のカード入れのように引出しがたくさんついたチェストには、貴重な石が納められてるらしく、一つ一つがラベリングされている。
『へぇ~、私の好きなアイオライトだ。見てみたいけど、引出しに入っているってことは高いものなのかな。買わないのにあちこち開けたりできないよね。こういうお店で働けば、好きな石を思う存分見たり触ったりできるんだよね』
瑠璃は引出しを開けるのは諦めて店内を見て回った。
その他にも珍しい石の結晶や多肉植物の寄せ植え、ヴェネチアングラス、ポプリやキャンドルなどが素敵にディスプレイされていて、ずっと見ていても飽きさせない。瑠璃の好きなものばかりだ。
中央にはテーブルと椅子が並べられていて、作業台のようになっていた。丸ヤットコやペンチ、トレイやテグス、ワイヤーなどがあるので、ここでアクセサリーを作ったりするのだろう。
「素敵ねぇ」瑠璃が思わずつぶやくと、カウンターにいる男が顔をあげてこちらを見た。
「よかったらここで働きませんか?明日からは暇でしょう?」
「えっ?」瑠璃は戸惑った。
『何で私に仕事がないってわかったんだろう?もしかして私、無意識に何か言っていたのかな?でも、言い方がちょっと失礼よね。暇でしょう?だなんて。こっちはもっと深刻なのに』
瑠璃が黙って見つめていると、男は入り口付近に貼ってある求人募集の紙を指差した。
「ちょうど募集しているところなので」
「何故、私が仕事を探しているって思ったんですか?」
「いえ、何となくです。石が好きなのかと思ってお声をかけただけですが」
不信感まるだしの瑠璃に、男は素っ気なく答えた。
『怪しい。なんかとてつもなく怪しいよね。こんなお店で働くことに魅力は感じるけど、でもねぇ……』
瑠璃がどうやってこの店を出ようかと考えていると、男がボソッとつぶやいた。
「やっぱり怪しいですか?」
『えっ、何?私、心を読まれたの?』瑠璃は狼狽えて一歩下がった。
「違いますよ。読んでません。あなた、顔に出すぎなんですよ」
男は呆れたように瑠璃の顔を見た。瑠璃は自分の非現実的な考えに顔を赤くして下を向いた。
「私はこの店の店主で、青野月人といいます。今はひとりでこの店をやっていますが、石の仕入れとか出掛ける時に店番をしてくれる人を探しています。営業時間は11時から19時、週5日勤務で時給は二千円」
「に、二千円?」瑠璃は時給に激しく反応してしまった。
「ええ、店番と接客、それにお客様がいない時は、この店にある石でアクセサリーを作る。それが仕事内容です。あなた、アクセサリー作れますよね?」
「は、はい、作れます。でも素人レベルです」
「それはおいおい覚えていただければ結構です。天然石の知識も学んでいただきたいですし」
「えっと、働きませんよ?」
瑠璃がどんどん進められていく話に焦って慌てて断る。
「それは何故?」
店主は心から驚いているようだった。何故引き受けないのかと、本気で不思議そうな顔をする。
「こう言うことは大事なことですから、こんな風に急に言われても……」瑠璃は顔の前で大きく手を振る。
「あなたは石に呼ばれてきたのではないのか?」店主が低い声でつぶやく。
「えっ?」と瑠璃が戸惑ったように聞き返した。よく聞こえなかった。
「わかりました。ではよく考えて、もし働いてもいいと思ったらご連絡をいただけますか?」
店主はショップカードと名刺を渡しながら、瑠璃のことをじっと見つめる。
瑠璃は黙ってそれを受け取ると、頭を下げて店を出ていこうとする。が、急に困った顔になって振り向いた。
「あの~ここはどの辺りでしょう?帰る道がわからなくて」
店主は目を見開いて、意地悪そうにちょっと口角をあげた。
「あなたはまたここに来ることになる。石に呼ばれたのなら絶対だ」そのつぶやきは低く、瑠璃の耳には届かなかった。