第10章
瑠璃が混乱した気持ちを落ち着けようと、テーブルの上を片付けていると、また急に扉が開いた。玉木が戻ってきたのかと思って顔を上げると、トレイを持った内田が立っていた。
「外、すごいことになってるよ。まるで台風一過だね。ルーナちゃんが来てたんでしょう?うちの店でも庭のテーブル席が風に煽られて大変だったよ」
内田がテーブルにトレイを置きながら、困ったように笑った。
「それは悪かったな。また玉木がルーナをからかったんだ」
「ほんと仕方のない奴だな。で?その本人はどうしたんだ?あいつには、ミルクとマフィンを持ってきてやったのに」
「ああ、都合が悪くなって逃げたよ」
月人と内田は顔を見合わせて笑った。
「ちょっと色々あって日替わり頼むの忘れてたよ。悪いな」そう言いながら、月人は珈琲を淹れにいく。
ぼんやりと二人の会話を聞いていた瑠璃に、チラリと内田が目を向けた。
「じゃあ、瑠璃さんはここのこと色々聞いたんだね?」
瑠璃は小さくうなづいた。
内田はテーブルに頬杖をついて、瑠璃のことを興味深そうに見た。
内田もここでお店を開いていると言うことは、そう言うことなんだろうと瑠璃は思った。
「玉木が黒猫なのは知ってるでしょう?僕はね、兎なんだよ。みんなは『ラパン』って呼んでるよ。そう、お店の名前は僕の呼び名から取ったんだ。あっ、でもね、僕はこっちの世界では兎の姿になったりしないよ。タマとは違うからね」
「そうなんですね」と、にこにこ笑いながら、瑠璃はちょっとだけ残念に思った。ぜひ、兎のふわふわ、もこもこを堪能したいと思ったから。
今日の日替わりは、ふわふわのオムレツのデミグラスソース掛けとバケット、ミモザサラダ、クラムチャウダー、デザートはガトーショコラだった。
「う~ん。今日もすごく美味しいです。バケットにデミグラスソースつけて食べても最高です」
美味しさに表情を緩める瑠璃に、ラパンは満足そうな顔をする。
「よかったよ。瑠璃さんが僕が兎だってこと、気にしないでくれて。兎が作ったものなんかイヤかなっとも思ったんだけど」
「そんなこと全然気にしませんよ。いつも美味しいご飯が食べれて、とっても幸せです」
ほんとうに幸せそうな瑠璃の顔を見て、月人が複雑そうな顔をする。
「瑠璃さんがこの店で働いてくれるのは、もしかしたら『ラパン』のご飯のおかげかもしれないって、時々思うことがあるよ」
「月人さん、ひどいです。それじゃあ私、ただの食いしん坊みたいじゃないですか……」
ちょっと口を尖らせて抗議する瑠璃に、「まあまあ」と二人して宥めた。
扉の方から、何かカリカリと引っ掻くような音がした。
ラパンが心得たように扉を開けると、『ミャゥ』とタマが中の様子を窺いながら入ってきた。
「全く、玉木になれば自分で扉を開けられるくせに、何でわざわざタマで来るかなあ?」
文句を言う月人に、『ミャー、ミャー』と可愛く返事をして誤魔化している。
ラパンが「仕方ないなぁ」と言いながら、椅子の上にタマ用のミルクとマフィンの皿を置いた。
ミルクをピチャピチャと舐めているタマは、まさしく猫だ。
「やっぱり可愛いですね」そう言ってタマを撫でようとする瑠璃を月人が止めた。
「玉木、ここでは猫になるのは禁止だ!それに、喋れるんだから『ミャー、ミャー』鳴くな」
月人が牽制すると、タマは猫なのにニヤリと笑った。
「仕方ないだろう?ラパンがミルクを皿で持ってきたりするから。飲んだら玉木に戻るさ」
「えっ?僕のせい?」ラパンが納得いかない顔でタマを見た。
タマはミルクを飲み終わると、宣言通り玉木に戻って言った。
「マフィンを食べたいから、紅茶淹れてくれる?」
まさに自由人。瑠璃はクスクス笑ってしまった。月人とラパンは呆れている。
「私が淹れてきます」瑠璃が立ち上がると、月人もバックヤードに付いてきた。
「瑠璃さん、あいつを甘やかすことはない。すぐ図に乗りるから」
「はい。でもマフィンを食べるのに、やっぱり飲み物は必要ですから」
瑠璃がにっこり笑うと、月人が「仕方ないな。じゃあ、せっかくだから人数分淹れよう」と、瑠璃を手伝い始めた。
改めてテーブルを囲んだ4人は、月人が奥から出してきた『ラパン』のクッキーをお供に、ゆっくりとしたお茶の時間を楽しんだ。
「この4人でお茶するのは初めてだな」月人がつぶやくと、他の3人がうなづいた。
「そうですね。あっ、でも今さらですけど、内田さんはまだお店が忙しい時間ですよね。大丈夫なんですか?」
瑠璃が心配そうにラパンの方を見ると、ラパンが首を振った。
「瑠璃さん、僕のことはこれから『ラパン』って呼んで。お店のことは大丈夫。うちの優秀なスタッフに任せてきたからね。今日はここでの話に加わった方がいいと思って」
「お店の方はこちらの世界の人なんですか?」
「いや、全部僕の仲間。この住宅街は不思議な場所だし、普通の人間だとこの店に出前できないからね。僕の店には普通にお客さまが来れるけど、ここは違うだろ?僕のお客さまには、たぶんこの店は見えてないと思う。そうだろう?月人」
「そうだな。見えていないのか、見えても入れないのかはわからないけど」
それまで黙々とクッキーを食べていた玉木が口を開いた。
「なかなかこの3人が揃うことはないから、気になることは聞いておいた方がいいよ、瑠璃さん」
月人とラパンが揃ってうなづいた。
「じゃあ、気になっているので教えて下さい。ルーナさんのことです。ルーナさんは魔力を持った、月人さんと同じ世界の人なんですよね?」
「ああ、ルーナは俺が生まれた世界にある『水晶の森』に、お祖母さんと一緒に住んでいて、採掘された石を売って暮らしている。その他に俺がかつてしていたような、魔力を使った仕事もできるように修行しているところだ。もともとお祖母さん譲りのすごい魔力を持っているんだが、まだ未熟で気が荒れると力をコントロールできない」そう言って月人はため息をついた。
瑠璃も、前庭の惨状を思い出してため息をついた。後で片付けなきゃ……
『ルーナさん、気が荒れてたんだな』
ルーナの『月人が好き!』という言葉を思い出して、瑠璃は何だかもやもやした気持ちになった。
「ルーナのところには、水晶の他に色々な石が集まってくるから、仕入れと情報収集のために定期的に出向いている。それでも仕入れによってはしばらく行かないこともあるのに、今回のルーナの突撃訪問は、全てお前のせいだ、玉木!」
突然話を振られた玉木は、「違う、違う」と、慌てて両手を振った。
「イヤ、俺は『ブルームーン』に新しい人が入ったって言っただけだよ。どんな人かってルーナがしつこく聞いてくるから、優しい女の人で、月人と仲良く働いているって教えただけだよ。嘘じゃないだろう?」
「お前は……」月人は頭を抱え、瑠璃は「ルーナさんの気持ちを知っていて、わざわざ言うことじゃないです」と憤慨した。
『ルーナさん、泣いていたな。まあ、玉木さんの気持ちもわからなくはないけど』
そんなことを瑠璃が考えていると、目の前のラパンがニヤリと口の端を上げて笑った。
『ラパンさんて、こんな顔するんだ。いつも穏やかな感じなのに』
「焼きもちだな、玉木。いい年して見苦しいぞ」
ラパンに言われて動揺した玉木が、月人に八つ当たり気味に言った。
「それは……ルーナに対していつまでも煮えきらない態度を取ってきた、お前だって悪いだろう!」
月人は驚いて目を見開いた。
「何言ってるんだ!俺とルーナは兄妹みたいな関係で」
そう返す月人を見て、瑠璃は思った。
『あ、ダメだ。この人、こう言うことに鈍い人だ』
そう言うことに自分も相当鈍いと言うことに、瑠璃は気がついていなかった。




