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悪夢物語

ミュゼと星

作者: 暮 勇

 小さな港町の小さな入り江にぽつんと浮かぶ、ねずみ色の小さな灯台。

 その上で、ミュゼは空を眺めていた。

 望遠鏡を真上に向け、夜間、彼の目が開いている間は大きな体を屈めてじっとその前に座り、レンズを覗き込み続けた。


 ミュゼは、”星”を探していた。

 月だけが唯一照らす、暗くのっぺりとした夜空に覆われるこの港町には"星"というものが無く、それを見た者も勿論、居なかった。

 町の住民は一枚の鉛の板の様に重くずっしりとした夜空に飽き飽きし、それを煌々と照らす"星"の存在はおとぎ話として語られていた。

 ミュゼは幼い頃から、お話や頭の中で描かれる、暗闇の中、天井杯に広がる満面の光の粒に思いを馳せていた。

 そして、何度も何度もそのおとぎ話を聞き続け、彼は”星”に魅了されていった。

 彼は15歳になると、兼ねてから貯めていた小遣いで買った望遠鏡を担ぎ、漁師の父親から譲り受けた、小さな波でも当たれば大きな音を立て軋む様な、木製の小さなぼろ船に乗り、誰も使わなくなった灯台に住むようになった。

 そんな様子の彼を見た誰かが、ミュゼが"星追い"をしていると町の人々に語り、しばしの間話題になった。


 おとぎ話を真に受けたミュゼは”星追い人”と呼ばれ、町でも有名な変わり者となり、嘲笑の対象だった。

 "星追い人"は"宝探しの冒険者"と同じくらい夢見がちで子供っぽい、大きくなれば忘れてしまう言葉の一つだった。

 港町の住人の殆どが、海での漁で生活しており、ミュゼ程の年齢にもなれば、皆仕事の手伝いで海に出ていくのが当たり前であった。

「あんな年になっても"星"を信じている」

 同い年の子らはミュゼが居る灯台を船で横切る度、夜の観察の為に眠っている彼に向い声を上げ揶揄い、大人たちは、彼が偶に灯台からぼろ船を出し、町と灯台を往復する姿を見て、呆れて苦笑いを浮かべた。

 しかし、誰に何と言われようと黙し、頑なに夜空を見つめるミュゼに、人々は次第に慣れ、飽きていった。

 半年も経つと、彼のそんな生活に口を出す者は居なくなった。


 ミュゼが灯台に棲みはじめて、もうすぐ一年が経とうとしたある寒い夜のことだった。

 その日は吐く息が白くなり、手足が凍える様な寒さで、海の上の灯台に居るミュゼは冷たい潮風に吹かれ、がたがた震えながら、いつもの様に空を見ていた。

 その上、海は荒れ、風や波は日頃の、静かで穏やかなその姿とは一変し、夜空の暗闇を映したどす黒い大蛇がのたくるように、灯台に大きな波と激しい風を叩きつけた。

 ざぶん、と波が灯台を揺らす度、ミュゼはびくりと身体を震わせ、目が涙で滲んだ。

 この灯台に来て以来の今までにない荒天に、ミュゼはぱちぱちと音を立てる暖炉や、母親の柔らかな掌の温かみを思い浮かべずには居られず、その度に心細い思いで顔を上げ、空を見つめた。

 報われなかった年月と無慈悲な海の気まぐれに、今まで目をつむっていた"諦め"が明瞭と浮かんだ。

 この嵐が過ぎた朝、灯台を降りよう。

 最早、星への意識もそこそこに、果たして家に入れてもらえるか、自分も漁師になるのだ等と、様々な不安や覚悟が心の中でない交ぜになり、膨らんでいった。

 夜半も過ぎ、諦め顔のまま、空に大きな欠伸をくれてやった時だった。

 初めは、涙で目が滲んだせいだと思った。

 潤んだ瞳が月の光を写し、それを二重写しにしたのだと彼は考えた。

 僅かでも”星”を思ったミュゼは自身の頭の諦めの悪さに辟易し、掌でがむしゃらに両目を擦った。

 しかし、幾ら目を拭おうが瞬きをしようが、月の傍らに、まるで付き従うように小さく輝く白い点は消えることがなかった。

 ミュゼは呆然とした。

 驚きのあまり、望遠鏡で確認することもせず、ただぼんやりとその白い粒を見上げていた。

 ざぶん、と大きな波が灯台に当たり、飛沫がミュゼの頬を叩いた。

 途端にミュゼは弾かれたかの様に望遠鏡に飛びつき、レンズを覗いた。

 煌々と輝くそれを、瞳により大きく写した途端、日頃寡黙な筈のミュゼはまるで幼子のようにその場で飛び上がり、夜空に、海の彼方に、そして町に向けて歓声を上げた。

「”星”だ!”星”だ!!」

 一頻り声を上げ終え、喉が枯れると、ミュゼは何度も何度も望遠鏡を覗き、相変わらず”星”がそこにあることに満足した。

 そして、近くの荷を結んでいたロープを掴み、望遠鏡を欄干に結びつけ、角度が変わらぬように固定した。

 夜空に浮かぶそれと同じくらいに目を輝かせたミュゼは、荒れた海も凍える寒さも忘れ、望遠鏡の横にテーブルと椅子を引っ張り出し、日記に”星”を発見した感動を書き連ねた。

 ざぶん、ざぶん、と波が当たる。

 ミュゼの手は止まらず、冷たい手でページを必死に捲った。

 どぶん、どぶん、と波が激しく叩く。

 ミュゼは陸に戻り、彼を馬鹿にしていた町の皆に知らせ、自慢する時に見せる観察記録を書く事に夢中だ。

 とうとう、一際大きな波がどかり、と灯台を覆った。

 鉛色の蛇はミュゼを飲み込み、海へと攫った。

 もがきもがき、海面に何度も叩きつけられる間、ミュゼは助けを求めること等一片も考えず、喚き続けた。

「”星”が、僕の”星”が…」


 翌日、日頃無関心であった町の人々も、流石にミュゼの身を案じた。

 もうすぐ16歳になるとはいえ、町の大人たちにとってミュゼはまだまだ子供である。

 昨晩の大きな嵐で、もしや波に攫われてはいないかと思い、漁師たちは日が昇りきる前に灯台に向けて船を出した。

 平素であれば、ミュゼは眠りはじめる頃合である。

 漁師たちはその事を思い出し、声を掛けても無駄であると考え、小さな灯台を囲うように幾つもの船を寄せた。

 しかし、漁師たちの目に飛び込んできたのは、ロープで固定された望遠鏡だけであった。

 ミュゼの不在などお構いなく、堂々と上を向いたままの望遠鏡に気圧され、その場に居た皆が白み始めた空を見上げた。

 そして、不意に誰かが叫んだ。

 「月じゃない!”星”がある!」

 その声に背を押されるように、皆が望遠鏡に群がり、代わる代わる覗いては感嘆を漏らし、小さな灯台の中は大騒ぎとなった。

 その場に居た誰もが、明けてゆく空を恨めしく思い、次にやってくる夜を待ちわびた。

 朝日が雲一つない青空を眩く照らす頃、ミュゼを覚えている者は誰も居なかった。


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