第5話 「初めてのディナー」【前編】
「へえー。鬼嶋くんって普段から部屋を綺麗にしてるのね?」
「そ、そう?」
モモモモさんがウチに来た。
あの後、何を食べようかとの事になり、あれこれ話しながら駅前をぶらぶらしていた。
とは言っても、あの駅には気の利いた店などない。
ハンバーガーや牛丼のファーストフード店に、大手チェーンの居酒屋が一軒。あとは渋い居酒屋とスナックがちらほら。
初デートの記念すべきディナーに相応しくない店ばかり。
あの公園の噂が頭を過ぎった。
この立地がいけないんじやないのか、と。
でも昔と違い、最近公園の近くにファミレスが出来た。
最初は気張らずにファミレスでいいかと、足を運んだのだったが、あいにく家族連れのお客で溢れかえっていた。
ファミレスで小一時間も待つのはごめんだ。
で、なんかあるだろうと思って駅まで来た訳だけど、すっかり一人じゃない事を失念していたと言う訳だ。
一人なら確かに何かあるのだ。
並盛りに半熟玉子なんか付けて、そこへサラダなんかも追加したら、ちょっとした特別なディナーだ。
ただ、僕は一人じゃなかった。
今日出来たばかりの可愛い彼女と一緒。
最高にハッピーな精神状態。
半熟玉子やサラダでは、そんなハッピーを昇華させる事は出来ない。
空腹を満たす為だけの店ではダメなんだ。
そして、あんなにやいのやいのと煩かった母さんは知らん顔。
因みに母さん達の初デートのディナーは、父さんが働いていたラーメン屋だったらしい。
そこは既に潰れてしまっているので、母さん的にはノープランと言う訳だ。
もしかしたら僕をネタに、ただ思い出の場所へ行きたかっただけなのかも知れない。
公園を出た時にすっかり満足した様子だったから、当たらずとも遠からずだろう。
そうして駅前をぷらぷらしてた僕らだったが、モモモモさんが未だ開いていたスーパーを見つけ、食材を買って何か作って食べようと言い出した事で、家ディナーが決定したのだった。
しかし初デートの日に、いきなり家へ招待する事になるとは思わなかった。
掃除などは母さんが完璧にやっているから、部屋が綺麗なのは当然。
ただ、やはり僕の部屋は狭い。
幽霊とは言え、母さんもいる。
六畳一間に通路に仮設されたようなキッチン、そしてユニットバス。
実質、六畳間に三人だ。
ソファベッドにローテーブル、それにテレビと衣装ケース。
然程物が多い訳ではないが流石に三人は窮屈だ。
と言うより、必然的にモモモモさんとの距離が近くなる。
この際母さんはどうでもいい。
さっき付き合う事になったばかりのモモモモさんが狭い僕の部屋にいるのだ。
ソファに座っているのだ。
買物袋から食材を取り出してニコニコ笑っているのだ。
モモモモさんよ存在感のせいか、人口密度は軽く三割増し。
僕はあたふたと立ったままで、自分のスペースをみつけられない。
「料理を作るのもいいけど、とりあえず紅茶でも淹れてあげたら?」
母さんの声で「なるほどそうだな」と、お湯を沸かす事にした。
それにしても軽はずみな事をした。
こんな狭い部屋でディナーだなんて。
半熟玉子とサラダの方が、よほどマシなんじゃなかったか。
そのあとに場所を変えてお茶でも飲んで、ケーキなんか突いたりしてさ。
あぁぁあああっ、失敗した!
「本当に料理してるのね?」
モモモモさんはオモチャのようなキッチン周りを見ながら、感心したように言った。
調味料がディスプレイのように飾ってあるのだ。
元々料理が好きなのもあるが、この調味料が並ぶ景色が好きなのだ。
正直、ほとんど使った事のない調味料もある。
それに、今や母さんがほぼ毎食料理する我が家では、その調味料達も完全にディスプレイと化している。
しかし、この調味料を眺めながらレシピを考えたり、その味を想像したりするだけで楽しかったりする。
自分で料理をする機会の無い今、それがこの調味料の使い道だ。
「へえー、鬼嶋くんが作ってくれるって聞いた時は、正直どうなるんだろうって思っちゃったけど、すっごく期待が出来るね?」
「い、いや、そんな期待されると……」
「フフ。でもお野菜切ったりとかは手伝うからね?」
「あ、うん、ありがとう。いや、モモモモさんは座っててくれればいいからっ」
こんな狭いところでは密着するように作業する事になる。
ドキドキして落ち着かないし、思考停止で手でも切り兼ねない。
久しぶりの料理な上、そんな状態では酷い味になるのがオチだ。
ここは一人でやるのがベターだ。
僕は無理やりモモモモさんをソファベッドに座らせて、湧いたお湯をティーポットに注ぐ。
「あ、じゃあ、あとは自分でやるから……」
そう言ってモモモモさんが僕に手をかざした時、
コンコンコンコン、コンコンコンコン……
けたたましくドアをノックする音とともに、
「いるんでしょ、開けてー。ねえねえ、いるんでしょー!?」
いつかの女性の声。
いや、確かミカさんと言ったか……。
な、なんでまたこんな時に!
「だ、誰?」
「……さあ?」
明らかにバレバレのトボケをかましてしまった。
自分でもわかるくらい声が震えてしまっている。
「ねえ、いるんでしょ!!」
ミカさんの声が怒気を帯びて来た。
なんでそんな声になるのよ。
男からの呼び出しでアイス片手にさっさと帰ったくせに!
「ユウくん、お母さんに任せなさい!」
「ふぇ?」
母さんの存在を忘れていた!
母さんは自分の胸をぽんと叩くと逞しく頷いてみせた。
そして、そのままトコトコ歩いてドアを擦り抜けた途端、ミカさんのノックの声が止んだ。
凄いよ母さん!
と思った次の瞬間、
「ヒギャャヤヤヤーッ!!」
外から絶叫が聞こえて来た。
誰かが殺された。そんな絶叫だ。
「な、なに今の?!」
「…………さ、さあ……」
モモモモさんの問いに、今度は恐怖で声が震えてしまう。
まさか母さん……。
「ちょ、ちょっと怖いんだけど……」
「…………」
モモモモさんが僕の腕に縋り付いて来て震えている。
僕も違う意味で震えてしまう。
母さん、殺して……ないよ……ね?
「け、警察、警察に連絡する?」
「えっ?」
モモモモさんが至極真っ当な対処方法を口にする。
ただ、僕は被害者も下手人も知っている。
さて、どうしたものか……。
「と、とりあえず外の様子を見てみるから、通報はそれからにしよう……」
「だ、大丈夫?」
心配するモモモモさんをドアから下がらせて、僕はドアの覗き口から外の様子を見てみる。
が、なにも見えない。
そしてモモモモさんに、もっと離れるようにと仕草で伝え、ドアを細く開けて外の様子を覗き見る。
あれ?
誰もいない?
ゆっくりと更にドアを開けて、完全に首を出して様子を見る。
被害者はおろか、下手人もいない。
目についたのは軍手と水溜り。
血とかはないから、最悪の事態にはなってないのだろう。
良かった。
いや、流石に殺したりはしないか……。
しかし、あの絶叫は凄かった。
人ひとり死んでてもおかしくない絶叫だった。
「なんか、誰もいないみたい……」
とりあえず僕は中のモモモモさんへ報告する。
母さんは何処へ行ったのやら。行方不明だ。
「な、なにがあったんだろう……」
「さ、さあ……」
モモモモさんは恐る恐るドアの隙間から外を覗いている。
僕も何があったかわからないので、普通に自然な声で返す。
ただ、母さんが何かやったのは間違いない。
「ゆ、幽霊とかじゃないわよね?」
「ッ!」
思わずドキリとしてモモモモさんの目を凝視してしまった。
当たりだよ、モモモモさん。
いや、当てちゃダメだよモモモモさん!
「ご、ごめんね変な事言って……。ここに住んでるの鬼嶋くんだし、こんな話したら気持ち悪くなっちゃうものね?」
「………」
「……今の話は忘れて?」
青ざめた僕を心配したのか、モモモモさんはそそくさとソファへ戻ると、ぎこちなくも紅茶を飲み始めた。
「と、とりあえずご飯作っちゃうわ……」
「そ、そうね。お願いします……」
「追っ払って来たわよ?」
「ッ!」
モモモモさんの返事を聞いて振り返ると、母さんが目の前にいた。
『追っ払ったって、何処行ってたのよ母さん』
「ちょっとコンビニまで……」
『………』
ちょっとコンビニってなんだよ。
全く悪びれもせず、何を言ってるのやら……。
『だから今まで何をして何処へ行ってたのよ?』
「いや、だからコンビニまで逃げるところを見届けて来たのよ」
『で、何をして?』
「……ちょっとイタズラしただけよう。もぉう、ユウくんの為にしたんだからね?!」
ぷっくり頰を膨らませる母さん。
確かにそうだけど……。
母さんが言うには、ドアを擦り抜けると偶々落ちていた軍手が目に入ったそうで、それを手にはめてミカさんの胸を揉んだらしい。
ミカさんは宙に浮き上がった軍手を見て後ずさり、それが自分の胸を揉みしだいた事にビックリして、尻もちをついて失禁してしまったらしい。哀れ。
あの水溜りは、ミカさんの恥ずかしい池だったようだ。
それから母さんは、念のため逃げて行くミカさんをコンビニまで見届けたそうだ。
いや待てよ。
そう考えると、ミカさんはトイレを借りに来ただけか?
いや、わざわざ駅からバスに乗ってトイレを借りに来るはずはない。
やはりピンチに違いなかったのだ。
「……と言う訳だから、あれはユウくんがお掃除してね?」
『わ、わかった……』
料理の最中にシモの後片付けの話をするのもなんだが、そう言う訳ならばやらない訳にはいかない。
母さんがピンチを救ってくれた事に変わりはない。
「へえー、やっぱりユウくんは、お料理の道に進むと良いのかもね?」
『いや、こんなの料理の内に入らないから……』
母さんは僕の手元を見ながら、ニコニコ話しかけて来る。
今日はパエリアとサラダ。
簡単に出来るけどそれなりに見える料理ってヤツだ。
実際、僕の部屋だと火が一つしか使えないので、大した料理は作れない。
時間をかければそれはそれでなんとか形になるのかも知れないが、今日はそんな時間などないし、急遽決まった事だからこのくらいで良いと判断したのだ。
ちょっとご馳走っぽいしね。
「いや、手際とか見ればわかるわよう。お料理は一番そこが重要なのよ?」
『そんなもんかねえ?』
「そうよ、お母さんが言うんだから間違いないわ!」
『まあ、母さんは料理上手だからね?』
「キャ、嬉しっ!」
『それを言わせたかっただけ?』
などと、いつものように他愛もない会話をしていると、
コンコン、コンコンコンコン……
控え目だが、またドアをノックする音が響いた。
「き、鬼嶋くん……」
「………」
モモモモさんの怯えた声を聞こえた時、
「〇〇新聞ですが、ご在宅であれば少しお話を……」
と、外から男の人の声が聞こえて来て、ほっと胸をなでおろした。
「新聞屋の勧誘みたい」
「そうみたいね。ああビックリした……」
モモモモさんもほっとしながら照れ笑いを浮かべている。
しかしこんな時間に勧誘だなんて。
って、まあ夜の方がいる確率が高いからしょうがないか。
でもガツンと言ってやらなきゃだな。
もうサラダは出来上がり、あとは火にかけたパエリアが炊き上がるのを待つだけだ。
丁度手が空いていて良かった。
などと思いながらドアを開けようとした時、
「うわっ!!」
僕の手からドアノブがすっぽ抜け、勢いよくドアが開かれた。