第3話 「結局のところ母さんペース」
雑なキューピッドとは言いつつも、その後の僕とモモモモさんはそれなりに連絡を取り合っていた。
しかし、あそこまで母さんに後押しされると若干身構えてしまう。
決して反抗期なアレではないが、あからさまなプッシュは逆効果な気がする。
「ねえねえ、ユウくん、あの子見て?」
バイト帰りでヘトヘトの僕に話しかけて来る母さん。
今日の現場はきつかった……。
「結構可愛いお顔してるけど、やっぱりモモモモちゃんの方が可愛いいわね? なんてったって、大学もお母さんと一緒だしね!」
へいへい。
さっきから何度聞き流した事か。
母さんがズルいのは絶妙な女の子を選んで来るところだ。
確かに母さんが指差す(誰からも見えてないからあからさま)女の子は、一見誰が見ても可愛い。
しかし、モモモモさんを下回るレベルか、少しぽっちゃりや、首筋にタトゥーが入ってるとか、何かしらモモモモさんに有利に働く人物を狙い撃ちしている。
実際にモデルさんかなって女の子を見かけても、「今頃賢治さんは何してるのかしらね?」などと、話題を変えて知らぬ顔。
全く身勝手な母さんだ。
もしや僕と引き合わせる為に前々からモモモモさんを尾け回していたんじゃないの? と、思わず勘繰ってしまう。
ただ、僕の前に再び母さんが現れてからというもの、ほとんど僕の側にいる訳で、モモモモさんを尾け回す時間は無かったはず。これは偶然に違いない。
「そう言えば、ユウくんの好みのタイプって聞いてなかったわよね?」
僕が適当にへいへいとあしらっていたせいか、新たな問いを投げかけてきた母さん。
そうやってまたモモモモさんの話に繋げるつもりだろう。
「母さん、かな?」
「キャッ、嬉しー」
暫くはこれで時間を稼げるだろう。
母さんは身をくねらせながら、何やらブツブツ言っている。
そして、僕の腕を組んで鼻歌交じりに歩いている。
今日はこのまま電車にも乗るようだ。
「見て見てあそこ?」
『いや、見れないから……』
混んだ車内でもお構いなしの母さん。
止むを得ず念話で対応する。
さっきのはもう時間切れらしい。
「やっぱりいいと思うなあ、モモモモちゃん。もう、さっさとお嫁さんにしちゃえば?」
『な、なに言ってんの母さん。未だ付き合ってもないじゃないかよ!』
「あら。って事は付き合う気はあるのね?」
ニコニコしながらグイグイと組んだ手を脇腹へ押し当てて来る母さん。
僕は強引にその手を引き抜き、そっぽを向いた。
と、その時、
「イヤっ、痴漢っ!」
僕の後ろで女性の声がした途端、バッっと音を立てたように周囲の視線が僕に集まった。
「い、いや……ぼ、僕?」
女の子が物凄い睨んでいる。
少し制服を着崩した女子高生だ。胸元のボタンも大胆に開けている。
「あんた、痴漢なんかしてんじゃないわよっ!」
「そうよ、ちょっと次の駅で降りなさいよね!」
件の女子高生の隣りから、友達らしき二人の女子高生が凄んで来る。
おかげで周りのサラリーマンのおじさん達も、詰め寄るような批難の目を僕に向けて来る。
いや、確かに母さんの手を振り解く時に怪しい動きになってしまったかも知れないが、誰かに接触した覚えはない。本当だ。
「違うなら違うって、はっきりキッパリと言ってやりなさい?」
母さんはいつの間にか女子高生の後ろに回って、その頭へ指をさしながらそう言った。
確かに何も触れていないのだから、キッパリと言っておかないと後が面倒だ。
「僕は全く触れてもいませんよ? それに、角度的にも僕が触れるのは難しいでしょ?」
僕の左手は吊り革につかまっていて、空いた右手のみが母さんと手を組んでいたせいで下がっていたが、後ろ向きで触ろうとすれば、件の女子高生には距離的に難しい。
触れるなら隣りで凄んでる子までが限界な気がする。
位置的に件の女子高生が一番遠い位置にいるのだ。
「あんたが動いた瞬間に触られたんだけどー」
お怒りモードなのだろう、棒読みで返して来る件の女子高生。
「とにかく次の駅で降りて、駅員交えて話すんだな?」
サラリーマンのおじさんが、横から声を上げた。
それを皮切りに、「そうだな」とか「とにかく降りろ」とか、「見苦しいぞ」とまで声が上がる。
こうして冤罪が起こるのか。と、呆気にとられながらも、おじさん達の他人事感をひしひし感じた。
明日は我が身だよ?
こっちの味方になるべきでしょうに。
「で、でも、良く状況を考えようよ?」
「いや考えんのはあんたじゃないから」
冷たい棒読みで返される。
そして、タイミング良く次の駅に停車。
「いや、だ、だから……」
抵抗虚しく、僕はおじさん二人に腕を掴まれ、そのままホームに降ろされてしまった。
その内の一人のおじさんは、鼻で笑ってとっとと電車に乗り込んだ。
あのおじさん、超怪しい。
と、思った途端に電車のドアが閉まる。
そして、おじさんは冷たい視線を残しながら遠ざかる。
「君、学生さん?」
一人残ったおじさんが聞いて来た。
「いえ、フリーターみたいなもんです……」
てか、フリーターだな。
「確実に今日は帰れないと思った方が良いよ。冤罪なら冤罪で時間もかかるから、家族や職場には早目に連絡しておきなさい」
「いや、だから僕はやってないんですって!」
「未だそんな事言ってんのかよ!」
友達Aがキレる。
なんだよ、もう。意味わかんないんだけど……。
「じゃあ、駅長室に移動しましょう?」
友達Bに連れられて来た駅員が、僕の顔を見るなり言って来た。
行っちゃダメなヤツだろう事は、駅員の冷ややかな目でわかった。
行ったら冤罪が確定する!
「助けてあげましょっか?」
更に駅員が近づいて来た時に母さんが声を上げた。
助けられるもんなら聞かずに助けて欲しい。
『あげましょっかじゃなくて、助けられるんなら早く助けてよ!!』
「じゃあ、モモモモちゃんをデートに誘いなさい」
『な、なにこんな時にバカなこと言ってんだよっ!』
「バカなことじゃありません! こんな時だから言うんでしょう。わかったわね?」
なんなのよ母さん。
母さんに頷いたのと駅員に手を掴まれたのが同時だった。
「じゃあ行こうか? 君たちも付いて来なさい」
僕の手を掴んだ駅員が女子高生達にも声をかけて歩き出した時、
「キャッ!」
件の女子高生が声を上げた。
振り向くと、女子高生は胸を押さえながらブルブル震えて辺りを見回していた。
「な、なにっ!」
「イャッ!」
続いて友達A、Bも同時に声を上げた。
見ると、友達A、Bの胸を母さんが揉んでいた。
左手でA、右手でBと言った具合でゆっくりと揉みしだいている。
「な、なななな……」
駅員がそれを見て後ずさる。
多分揉みしだいてる母さんが見えなくても、胸が不自然に動いているのが見えるのだろう。
僕も駅員に手を引っ張られた形で後ずさる。
「そ、それは……」
と、駅員が言いかけた時、女子高生A、Bが、すっと気を失って倒れた。
倒れかかった瞬間、僕は駅員の手を振り解き、A、Bの体を支えた。
「ちょ、ちょっと駅員さんっ」
僕の声て漸く我に返った駅員が駆け寄ってAを支える。
僕はそのままBを座らせる事にした。
「今の見ましたよね?」
「……あ、ああ……」
唯一状況を把握している僕は、冷静に駅員から供述をとる。
「だから、さっきも僕じゃないんですって」
「………」
「聞いてる?」
件の女子高生はコクコクと頷いた。
「これで無実が晴れましたよね?」
「そ、そうだ、な……」
皆が放心状態の中、僕は「じゃあ帰りますよ?」と、返事も聞かずに踵を返した。
そしてタイミング良く来た電車に乗り込んだ。
電車が動き出しても、女子高生達は呆然と立ち尽くし、そして座っていた。
その横で女子高生達をオロオロ見ている駅員。
それらがだんだん小さくなって行く。
僕は思わず大きな息を吐き、心の底から安堵した。
「フフ、上手くいったわね?」
満面の笑みでダブルピースの母さん。
比較的空いた車両だったおかげで、ドアに寄りかかりながら余裕のポーズだ。
『助かったよ……』
思わずぼそりと本心が出た。
本当に助かった。
母さん、ありがとう!
「危うく犯罪者にされるところだったわね? こう言う時にモモモモちゃんと一緒だったら、あんな風に疑われなかったんじゃない?」
「………」
こんな時でもそんな事言ってんのかよ、母さん……。
そりゃ、女の子連れだったら疑われなかったかも知れないけどさ……。
今言うかね、それ。
あー、でも本当に良かった……。
「帰ったら、早速デートに誘うのよ?」
「………」
「あ、約束破るのなら、この子のお尻ムギュっとするわよ!?」
『わ、わかったよ、わかったわかったから、それはヤメて!』
後ろの女の子のお尻に手を伸ばす母さんを、必死の念話で食い止める。
「実際に誘うとなるとドキドキして来た?」
『違う意味でドキドキしてるんですけど……』
幽霊って自由過ぎる。
全くもってこっちは不利じゃないか……。
僕は理不尽を胸に盛大に溜息を吐いた。
「そんな心配する事ないわよう。きっと喜んで応じてくれるわ?」
「………」
今の溜息はそんなんじゃないんだよ母さん。
言ってもしょうがないから言わないけどさ。
「なんなら、今電話しちゃえば? 痴漢に間違えられたって、素敵なネタがあるじゃない?」
素敵でもなんでもないから……。
「あ、でも車内は電話はダメね……」
あれこれブツブツ言いながら、すこぶる楽しそうな母さんを尻目に、僕はどっと疲れが出ていた。
「じゃあ、そろそろいいんじゃない?」
「……まあ……ね……」
家に帰り、風呂にご飯と口実を設けて引き伸ばしていたが、流石に何もやる事が無くなると言い訳も出来ない。
僕は約束通り、モモモモさんに電話する事にした。
メールじゃダメなんだと。
(もしもし?)
(ああ、急にごめん……)
(どうしたの、電話なんて。何かあった?)
(いや、あったっちゃあったけど、今は別件で連絡したとこ……)
(うん、なに?)
(今度の休みに、一緒に何処か行かないかな……って)
(いいよ)
(………)
え?
呆気なく言葉の途中で返事が返って来た。
ほぼノーシンキング。
タイムラグなどあったものじゃない。
母さんはニヤニヤと聞き耳を立てている。
(で、何処連れてってくれるの?)
(あ、いや、特に考えてなかった……)
(じゃあ、私も考えとくから、鬼嶋くんも考えておいてね?)
(わ、わかった……)
(でも、いきなり泊りがけとかはダメよ?)
(え……?)
その後の会話は覚えていない。
唐突になんて事を言うんだモモモモさん。
でも、モモモモさんの楽しそうな話し声が耳に心地よかったのは確か。
それは電話をきってからも、暫くはその余韻でほんわりと心地よかったから。
「ね、お母さんの言った通りだったでしょ?」
「……何が?」
「何がって、モモモモちゃんの事よう。喜んで応じてくれだでしょ?」
確かに即答な上、若干声音も上がっていた。
喜んでいたと言えば、喜んでいたのかも知れない。
しかしデートって……どうしよ。
何処行けばいいんだ?
「そんな顔しないの、ユウくん。デートコースなら、お母さんが一緒に考えてあげるから」
今日イチで母さんが頼もしく見えた。
確かにモモモモさんは母さんと同じ大学な訳だから、多少なりとも思考回路が似ているかも知れない。
そうじゃなくたって、女子の意見は貴重だ。
「た、頼むよ母さん……」
「うん。その代わり、怒らないで聞いて欲しい事があるの」
どうせ、「お母さんも付いて行く!」とかなんだろう。
きっとダメと言っても聞かないのだし、そもそも怒るも怒らないもないじゃないか。
「いいよ。怒らないから」
「良かったあ。ユウくんは賢治さんに似て優しく育ってくれたのねぇ」
「父さんはただ鷹揚なだけだと思うけど?」
「フフ、そこもいいのよねえ?!」
母さんの顔がだらしなく緩む。
ほんっっと、父さん好きな?
僕の知ってる父さんとそいつ、本当に同一人物なのだろうか。
「あ、そうそう。実はさっきの痴漢騒動なんだけどね? あれは多分、お母さんの手が当たっちゃったのがきっかけなの。あ、でもユウくんが無理やり手を振り解くからいけないのよ? まあ、結果オーライって感じかしらね?」
「………」
母さん、そんなさらっと言わないでくれる?
危うく犯罪者にされるところだったじゃないか……。
「で、デートコースなんだけどね?」
次に行っちゃうのかよ、母さん。
今は話が全く頭に入って来ないよ……。
「きっとモモモモちゃんも私みたいに……」
話がどんどん先へ進んでしまう。
マイペース過ぎるよ母さん。
僕はこのペースについて行けるのだろうか。