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母さんといっしょ   作者: 守ー
2/10

第2話 「一人なのは一瞬だけ」

 


 トントントントン


 朝のワンルームマンションに、包丁の小気味よい音がこだましている。

 僕はそれを聞きながら、ソファベッドの中で目を覚ました。


 包丁を握るのは僕の母さんだ。

 とは言っても、母さんは僕以外には誰も見えていない。

 それはここだけの話、母さんは幽霊だから。


 幽霊と言っても不思議なもので、料理もすれば、その料理を食べる事も出来る。

 ただ、別に食べなくてもお腹が減る訳ではないそう。

 そして、食べたとしても味覚がないので、僕の母さんは滅多に食べ物を口にしない。


 生前は料理上手な母さんだったのだけど、味覚がないせいで、生前に作った料理以外は自信が無いから作らない。

 そんな保守的とも言える料理だが、生前のレパートリーが豊富だったおかげで、僕の一人暮らしの食生活はすこぶる良いものになっている。

 とっくに死んでしまっている母さんに、こんなにお世話になるとは思いもよらなかった。

 幽霊母さん。感謝しきりである。


「あ、ユウくん、起きたのね? もう少しで朝ごはん出来るから、早く歯を磨いちゃいなさい?」

「………」


 母さんは僕が六歳の時に亡くなったせいか、今でも僕の事をその当時と同じ扱いをする。

 まあ、親なんだからそれもしょうがないかと思う。

 普通なら親とは年齢が詰まる訳ないしね。

 しかし、母さんは亡くなった当時の二十八歳のままの見た目で、僕はもう直ぐ十九だ。

 いい加減、違和感を感じるのは否めない。


 しかし、やはり幽霊だろうが歳が近かろうが母さんは母さんだ。

 僕は滅多な事がない限り母さんの言葉通りに行動する。

 いや、だいたい母さんは当然の事を言ってるだけなので、聞かない理由がないだけかも知れない。


「今日もトオルくんのとこへ行くんでしょ?」

「あ、うん……」


 僕は炊きたてのご飯に卵を落としながら返事をする。

 この他にシャケの切り身に大根の味噌汁、金平牛蒡が今日の朝食のメニューだ。

 シンプルなだけに、一人暮らしではなかなか味わえない代物が嬉しい。

 トオルくんとは、建築現場の足場を作る親方、父さんの従兄弟だ。

 僕はそこで仕事を回してもらえる事もあって、一人暮らしを始めたのだった。


「お金を稼ぐ事は良い事だけどさあ。ユウくんは手先が器用なんだから、それを活かした職に就く為に、それなりの学校や修行に行くのも良いと思うんだけどな?」

「ああ、それね……」


 母さんは事ある毎にこの話をする。

 特に昨日あんな事があったからか、その話を避ける為にか、今日はいきなり切り出して来た。


「うん、それよう。もう少しちゃんと考えてみたらどう?」

「そうだね……。まあ、もう少し安定したら本腰を入れて考えるよ」

「うん、良かったあ」


 大抵こうして話は終わるのだ。

 しかし、最後に見せる母さんの笑顔が、ボディブローのように効いて来ているのか、最近では本当に考えるようになっている。

 僕は頭の出来は遺伝しなかったようだが、味覚や手の器用さは、母さんの遺伝子を受け継いでいるようで、料理なども人並み以上にこなす事が出来る。

 ガッツリ母さんに作ってもらっておいて信憑性に欠けるが、これだけは自信がある。

 だからと言って、どうしてもやりたい事かと問われれば、どうもそうでも無い。


 他に取り柄が無いくせに。


 と、良く自問自答している。

 でも、本心だから仕方がない。

 今は、そのやりたい事が何かを探している。としておきたい。


「ごちそうさま!」

「はい、お粗末さまでした」


 ペロリと平らげたお皿を見て、ニコリとする母さん。

 本当に幽霊なのかと、つくづく思ってしまう。

 きっと今、誰かがこの部屋のドアを開けたら、皿が浮いた超常現象を目にして、一目散に逃げ出すのだろう。

 妹達であれば、一度は見せてみたいものだ。


 しかし母さんが幽霊なのをおいといたとしたら、この一人暮らしはぬくぬくな一人暮らしと言っていい。

 その証拠に家事はほとんど母さんがやってくれている。毎日美味しい食事を作ってもらって、しかも食費は一人分。

 羨ましく思う人もいるかも知れないが、この母さんは食事を作るだけではない事をここで言っておこう。


 この母さんは、いつも僕と一緒にいる。


 文字通り、いつも一緒。

 気がつくと、いつも僕の横にいるのだ。

 勿論、これから行くトオル叔父さんのバイト先にも。

 どんなマザコンだよ!

 とは、誰も母さんが見えていないので、幸い仕事場などで言われる事はない。

 しかしながら、常に自分自身が感じているのは確か。

 よって、常に照れくさい。

 どうしても必要な時は離れてもらうように頼んでいるのだが、昨日のようにしれっと約束を破るのが母さん。

 早くに母さんを亡くした僕としては、幽霊でも母さんがいる事に関しては、そう悪い気持ちではない。むしろ九歳から最近まで、その姿を見なかったので嬉しくもある。

 しかし、こうも年がら年中一緒だと思うと、それはそれでしんどいのです。

 この歳になって反抗期もないけど、「ちょっと母さん……」と、ついうんざりした口調にもなってしまうのだ。

 感謝はしてるし嬉しくもあるから、なんとも複雑で自分が嫌になる瞬間だ。


 と言う訳で、今日も母さんはバイトについて来るのだろう。


「じゃあ、行ってきまーす」


 とは言え、お決まりの挨拶は口にする。

 どうせドアを閉めたら隣にいるんでしょ?

 との言葉を呑み込んで。


 しかし、今日は「行ってらっしゃーい」の言葉のあと、ドアを閉めてて直ぐ「ねえねえ、今日の格好、おかしくない?」と、誰からも見えないくせに、僕にファッションチェックをさせる母さんの声が聞こえない。

 因みに母さんは、何処に衣装を隠しているのか、存外衣装持ちなのだ。

 ただ、母さんの記憶に残る生前の服のみなので、少し野暮ったくも見える。

 でも、母さんは美人なので、そんなにおかしく見えない不思議。

 あくまで、母さんっ子判定だけど。


 もしかして、今日は別行動なのか?


 僕はバスに乗り込んでも母さんが現れない事に、久々の解放感が芽生えた。


「次は〇〇区役所前、〇〇区役所前……」

 バスのアナウンスを聞きながら、その思いを確実なものとして感じる。

 あとはこの次の最寄り駅で降りたら、電車で五つ行った先がバイト先。

 いつも母さんはこの時間帯の電車は乗りたがらないので、ここまで現れなければきっと今日は別行動なのだろう。

 少なくとも現場に着くまでは確実に別行動だと思う。


 しかしあれだ。

 なんだかんだ物足りなさを感じるのが悔しい。

 母さんが一緒なのが当たり前になりつつある自分に、思わず恐ろしくなってしまう。


 やばいやばい。


 僕はそんな思いに苦笑しながら、終点の最寄り駅でバスを降りた。


「母さん!」


 解放感は、バスを降りて直ぐ霧散した。

 母さんがバス停のベンチに座っていたのだ。


鬼嶋キジマくん?」


 母さんに詰め寄ろうとした時、誰かから声をかけられた。

 声の方を見ると、母さんの直ぐ横に女の子がいた。


「えーと……、はい?」

「鬼嶋くんよね?」

「そ、そうだけど……」


 可愛いらしい女の子だった。

 しかし僕には見覚えがない。

 どう言う事だ?

 と、母さんを見ると、母さんはクスクス笑っていた。

 ん?


「小学校で一緒だった、百瀬モモセ桃花トウカよ? 覚えてないか……」

「百瀬桃……あ、モモモモさん?」


 同級生のモモモモさんだった。

 確か同じクラスにもなった事もある。

 当時は、眼鏡をかけた目立たない女の子だったと思う。

 ただ、名前のインパクトだけは覚えている。

 それにしても、あの子がこんな可愛く成長するなんて、ウチの秘密の超常現象並みの七不思議だ。


「その呼び方、すっごく懐かしいんだけど……」

「ああ、ごめん……」


 男連中で面白がって呼んでたアダ名だ。

 モモモモさんに、キッと睨まれて思い出した。


 しかし、よく見るとモモモモさん、ベンチの隙間に挟まったバッグのストラップを取ろうと難儀している。

 睨みながらもクイクイと、それを取ろうと必死だ。


 しかしながら僕には見えている。


 そのストラップを素知らぬ顔で掴んでいる母さんが。

 何やってんだか、母さん……。


「ちょっといい?」


 僕は母さんの手をピシッと叩きながらストラップを外してあげた。


「あれ?」


 呆気なく外れたストラップを、モモモモさんは不思議そうな顔で見ている。

 そうなるよね。

 本当ごめんね、イタズラしたのはウチの母さんです。


「ありがとう。なかなか取れなくて、どうしようかと思ってたところだったのよ……」

「そ、そう……。でも良かったね?」


 本当ごめん。

 母さん、どのくらいの時間こんな事してたんだよ。

 チラと母さんを見ると、可愛らしく舌を出していた。

 全く、困った母さんだ。見えなくてほっとするよ。


「うん、本当ありがとう。でも私って、鬼嶋くんのお母さんに似てるの?」

「な、なんで?」


 ドキリとしてしまう。

 なんでいきなり母さんの話になんのよ。

 見えてない……はずだよね?


「だって、いきなり母さんって呼ばれたから、最初びっくりしたんだもん」


 ああそうか。

 ベンチに母さんが座ってて、思わず声をかけてしまったのだった。

 その時は全くモモモモさんの姿が目に入っていなかった。

 誰にも見えない母さんしか見えてないって、どうなのよ。


「な、なんか寝ぼけてたのかな? バスの中で寝てたから、良くわかんない事を口走ってたっぽいね……」

「そう言えば鬼嶋くんのお母さんって、早くに亡くなってたんだよね?」

「まあそうだけど。良く覚えてたね?」

「あ、ごめんね。なんか変な事言っちゃって……」

「別に、先に変な事言ったの僕の方だったみたいだし……」


 なんだこれは。

 凄く母さんの視線を感じるんですけど。

 物凄く喋り難い。

 思わず母さんをひと睨みしてしまう。


「これからバイトか何か?」

「え?」

「これから何処へ行くのか聞かれたのよ。お母さんの事なんて見てないで、ちゃんと生きてる人のお話を聞きなさい?」


 至近距離から頻りに視線を送って来てた人が言うことかね。

 澄まし顔が少し癇に障る。


「そう、バイトへ行くとこ。モモモ、いや、百瀬さんは?」

「フフ、もうモモモモでもいいわよ……。私はこれから大学なの。O大だから、近いって言えば近いんだけどね?」


 モモモモさんは大学生だったんだ。

 しかもO大って、母さんの母校じゃないか。

 チラと母さんを見ると、澄まし顔がしたり顔に変わっていた。

 モモモモさんに見せてやりたいわ、この顔。


「なら、行き先一緒だ。僕もO大前で降りるから、一緒に行こっか?」

「そうなんだ、偶然だね? うん、行きましょ行きましょ」


 僕らは一緒に駅のホームへと歩き出した。

 勿論、母さんも一緒に。

 ただ、母さんは電車が好きではないので流石に車内では邪魔をしないだろう。

 少しほっとする。




「どうしたの、鬼嶋くん?」

「……あ、いや。なんか近いから、話し難くて……」


 違う。

 本当の事でいて、全く違う。

 母さんが、モモモモさんと立ち位置を同じにしているのだ。

 つまり、母さんの体にすっぽりモモモモさんが収まっているのだ。

 母さんは何故電車が嫌いなのかと言うと、長いこと自分の体の中に他人がいる感覚が好きじゃないそうなのだ。

 オジサンとか最悪らしい。


 なのに今日に限ってすっぽりとモモモモさんと同化している。

 電車の揺れに合わせて分離するように二人に分かれるのが怖い。

 こんなの、誰だって集中出来ないでしょ?

 何やってるんだか、ウチの母さん。


「地元の友達と会ったりしてるの?」

「え?」

「地元のお友達と最近会ってるのか聞いてるのよう?」


 母さんが体をずらし分離して教えてくれる。

「ちゃんと聞いてなさいよ」的に眉間に皺まで寄せて。

 って言うか、妨害してるのは母さんだから……。


「まあ、何人かは会ってるよ。今日のバイトも犬塚が一緒だしね?」

「犬塚くんかぁ。なんだか懐かしいわね?」


 それにしても、すこぶる話し難い。

 いい加減止めてくれるかな、母さん。

 単体では二人とも美人なのに、同化しているおかげでホラー要素満載だ。

 正直、可愛いはずのモモモモさんがキモイ。


『ちょっと母さん、これどうにかなんないの?』

「どうにもならないわよ。だって他の人が入って来るの気持ち悪いもん」


 強く念じたら母さんから答えが返って来た。

 あれ?

 これって念話?

 ちょっとした発見だ。


「……ねえ、聞いてる鬼嶋くん?」

「あ、ごめん……。なんだっけ?」

「もう、さっきから……」


 と、モモモモさんが口を尖らせたであろう表情を浮かべた時、電車はO大前に着いた。


 ホームに降り立つと、やっと母さんがモモモモさんから分離してくれてた。

 今しがたまでキモかったせいか、可愛さが増して見える。


「何か顔についてる?」

「いや、可愛いなぁって……」


 いかん、思わず口に出てしまった。

 しかも、あろう事か見惚れてしまっていたようだ。


「もぉう、鬼嶋くんったら……」


 モモモモさんは揶揄われたと思ったのか、ぷっくりと頰を膨らませて歩いて行ってしまう。

 そのぷっくりもまた可愛いかったりする。

 いや、いかんいかん……。


「ほら行っちゃったわよ、早く追いかけなさい?」

「………」


 母さんがニタニタしながら言って来る。

 完全に楽しんでやがるな……。

 とは言え、母さんに従うのもなんだが従ってしまう。

 僕はモモモモさんの背中を追った。


 しかしそれからは先ほどの事もあって沈黙が支配していた。

 改札を出ると僕はO大とは反対方向に行くのでお別れだ。

 なんだか名残惜しいけど、こればかりは致し方ない。


「じゃあ……、またね?」

「ちょっとユウくん、またとか言って連絡先聞かないでどうすんのよ?!」

「うん、また……」


 僕が手をあげて別れを告げると、モモモモさんが応える前に母さんが口を出して来た。

 確かにそうだけどもね……。


「じゃあ、連絡先交換しとこうよ?」


 モモモモさんが言ってくれた。

「またね?」と言っといて、連絡先も知らないんじゃね……。

 本当申し訳ない。


 僕らはお互いの連絡先を交換すると、今度こそお互い反対方向へ歩き出したのだった。



「ああ言うのはユウくんから聞くものよ?」

「そうだけどさあ……」


 母さんは眉をひそめながら僕を批難する。

 でも、直ぐに頰を緩めてニコニコと嬉しそうだ。


「本当モモモモちゃんはいい子そうよね? ねえねえ、早いとこ求婚しちゃいなさいよ?」

「な、なに言ってんだよ……」


 飛躍し過ぎだろ、全く。


「フフ。お母さん、謂わば愛のキューピッドと言ったところね!」

「………」


 母さんはすこぶる楽しそうにしている。

 すこぶる雑なキューピッドだな。


 時折ウフフと笑う母さん。

 息子を面白がり過ぎだ。

 なんだか先が思いやられる。


 母さんはその日、モモモモさんを延々に猛プッシュしていた。


 全く、この母さんは何を考えてるのやら。




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