左腕の約束なんだが
ゆさゆさ、と誰かに揺すられる感覚で俺は目を覚ました。
「――起きてください、エドガーさん」
「……ぁぁ」
眼を開けるとそこには金髪をツインテールにし、白いシャツと黒のスカートの清楚な感じの少女――セルティが困ったような表情を浮かべていた。
あれから結局、寝てしまったようだ。
俺の側で、アリサとエリーが寄り添うように眠っている。
アリサも部屋に戻ってきた後、一緒に眠ってしまったのだろう。
「……今何時くらいだ?セルティ?」
「……もう夜です」
その言葉で窓の外を見る。
すっかり暗くなっていた。
「……そうか」
「……そうです」
ふふ、と笑ってセルティは傍の机にある鍋からおかゆをよそった。
「口を開けてください」
「……ぁ」
セルティが蓮華を俺の口に運ぶ。
味は薄め。とても柔らかく、消化によさそうだ。
「おいしいですか?」
「ああ、うまいよ」
「……ふふ」
シンプルに感想を述べると、セルティは楽しそうに笑った。
「どうしたんだ?」
「……いえ、エドガーさんにそう言ってもらえるととっても嬉しいなって思いまして……」
僅かに顔を赤くしながらこちらを恥ずかしそうに見るセルティ。
なんだかそんな彼女をみていると、こちらまで恥ずかしくなってくる。
「……その、ならよかった」
「ふふ、そうですね、よかったです。それじゃ、口をあけてください」
「……ん」
一室に響く、すぅすぅというアリサとエリーの寝息と、カチャカチャという食器が触れ合う音。
それに、サァ―――と森の木々が揺れる風の音が加わった。
とても静かで落ち着いた空間。
「お湯、のみますか?」
そして、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる少女。
「ああ、ありがとう」
とてもとても、暖かい空間。
――これをささやかな幸せというのだろうか。
穏やかな時間、そして暖かい温もり。
これがあるだけで、とっても充実した時間になる。
「――ふぅ」
温かいお湯を飲んで、俺はほっと息を吐く。
そんな俺を優しそうにセルティは見守っていた。
だが、この場所に置いて、そんな平和な時間は長く続くはずもなかった――!!!
「すぅ……すぅ……んぐ……―――はっ!」
その時、それまで俺の脇の下で体を丸めるように眠っていた銀髪の少女が、何かを察知したように覚醒する。
当然その目に映るのは、まるで夫婦のように穏やかで幸せな空間を作り出す俺とセルティであった。
「エドガーさん、熱くないですか?」
「大丈夫だよ、セルティ」
「……そうですか」
「……」
「フルーツ食べますか?」
「もらおうかな」
「どれからにします?」
「セルティに任せる」
「……エド」
「ならこの黄色いのからで……」
「はぐ……んむ……うまい」
「……!そうですか!ならこれはどうですか?」
「……もぐ……これもいいな」
「………エド」
「……次はこれ……あ!」
「――あむ!」
俺の前に少女の頭が飛び出した。
アリサはそのままセルティの持つフォークを咥えると、してやったりというような顔でこちらを見てどヤァとする。
「……もぐもぐ……ずいぶん楽しそうね、エド?」
「……な、何言ってるんだアリサ?食事していただけだぞ。俺達は?」
じとっとこちらを見つめるアリサ。
「……そうかしら?ま、いいけどね」
こりこりと果実をかみ砕きながら、若干不機嫌になってアリサは唸った。
***
そして食事も落ち着いたころ……俺は一種の衝動に駆られてしまう。
「……あ、アリサ」
「何かしら、エド?」
ぶすっとしたアリサ。
しかし、その手はしっかりと俺の右手を握りしめている。
ぎゅっとさらに力が込められたのを感じた。
「と、トイレまで連れて行ってくれないか?」
それを聞いた瞬間―――アリサの顔はにやりと緩む。
「大きいほう?小さいほう?」
「……小さいほうだ」
「わかったわ、少し待ってて」
そそくさとベッドから降りると、アリサは何やら探しにどこかへ行ってしまう。
――アリサのあの悪い笑み。何も起きないだろうな……?
「なら、私は食器片付けてきますね」
「あぁ」
そして部屋に残されるのは、俺とエリー。
「……んすぅ……んくぅ……くぅ……」
エリーは幸せそうに俺に寄り添って寝ている。
アリサから解放された右手で、そのケモ耳を優しく撫でた。
モフモフとした触感の中にピクピクと俺の指に反発する耳の肉。
その二つの相反する感覚が、俺の掌に堪らない幸せをもたらすのだ。
「……んふぅ……ふにゆ……」
心地よさそうにエリーも寝顔をだらしなく緩めている。
――ああ、癒される、主に心が。
「持ってきたわよ、エド!」
とエリーのモフモフを堪能していると、アリサが帰って来た。
(――何から何まで、本当に世話になってしまっているな)
「アリサ、ありが……」
とう、と言おうとして、アリサの両手に抱えられたものに気付いた。
瓶。
瓶だ。
「ん?どうしたの、エド?」
瓶?
カタツムリの殻のような形をした瓶。
「そ……それは何だ?アリサ?」
自身の声が震えている。
できればその答えを聞きたくはない……が。
「尿瓶よ、準備するわね」
「私も手伝うね、エドガー」
――やっぱりそうか……!
俺は今から行われる惨劇に目の前が真っ暗になるのを感じた。
いそいそとアリサはベッドにあがって来ると、俺から布団を剥がしていく。
それと同時に、いつの間にか目を覚ましていたエリーが俺の下半身の服に手をかけた。
「――ア、アリサ!待て!エリーも待ってくれ!」
「大丈夫よ、私がしっかり支えてあげるから」
「そうだよ、エドガー。何も恥ずかしいことはないよ?誰でもするんだもん」
「そういう問題ではなくてな……!」
「でも今のエドガーさん一人でするのは難しいですよ?結構重いですから、尿瓶。流石に私達一人くらいは支えてあげないと、こぼれたりもっと大変な事になっちゃいますから」
セルティも二人に混じるため、ベッドに上って来る。
「エド!」
「エドガー!」
「エドガーさん!」
三人とも、眼が熱に浮かされたように空を踊っていた。さらに口元はふにゃふにゃと期待に緩まり切っている。
……そうこうしている内に、俺は下着まではぎ取られてしまった。
――なんて羞恥プレイだ……やめてくれ……。
「……ふぁ……!」
「…………すんすん……!」
「……ぁ……また会えましたね……!」
――もう、どうでもいいか。
俺は何の感情も映さなくなった目で天井を見つめながら、ただただ少しでも早く、それが終わることを祈った。
***
「終わった……か」
すべてを出し切った俺はもう絶望しきっていた。……この世のすべてに。
「……え、えへ……えへへへ」
「…………はふぅ…………」
「……ん……んぅ……!」
そんな俺とは裏腹に、少女たちはそれぞれぶつぶつ何か言っていた。
……俺を含め、それぞれが気持ちを落ち着かせるためには少しだけ時間が必要だった。
そして、俺は毎日のようにこんなことをされるのかと思い、さらなる絶望に襲われる。
――いかに全身が重く感じようが、右腕の回復だけは何よりも優先しなくてはならない。
――リハビリ、しよう。なんとしても。
「……はっ!」
とそこでアリサが現実世界に戻って来た。
そして自身の抱えた尿瓶を大切そうに抱えながら、いそいそとどこかへと消えていく。
その時、『これ、何かに勿体ない気が……』というアリサの言葉を聞いてしまった俺は、記憶を消すために自身をぶん殴りたい衝動に襲われた。
「寝よう……」
俺にはもう……どうでもよかった。
そうだ、こう考えよう。
これは夢なのだ。
きっと、俺のどこか変態な部分が見せた夢なのだ。
アリサ達が変態だったのではない。
それをそう感じてしまう俺がきっと変態なのだ。
さっきのアリサの『勿体ない』だって、『肥料に使える=勿体ない』なのだ。
――とにかく、寝よう。
もう寝て、明日の朝には全てを忘れるのだ。
「それじゃ、次は包帯を替えましょうか」
「それに、体も拭かなきゃね」
だがそれだけで俺の辱めは終わらなかった。
エリーとセルティはその目をぐるぐると興奮で回したまま、ワキワキと俺に馬乗りになる。
「……もうどうにでもしてくれ」
俺の言葉。これが俺の本心だった。
俺はひたすら心を無にしていくことに集中した。
「……あは!ついに観念したね」
「……ふふ、そんな大げさに考えなくても、私達は嫌じゃありませんから」
俺のその言葉を聞いた二人は、きょとんと見つめ合って俺にそう言った。
「……」
俺は無言。ただ天井を見つめているだけ。
早速二人はスムーズに俺の寝間着を脱がしていき、俺はあっという間に下着だけの状態となる。
だがエリーとセルティは寝間着を脱がし終えると、そのそれまでの雰囲気を一転させ、真剣な表情となった。
「……まずは上半身から行きますね」
「痛かったらすぐに言ってね」
その二人の様子の変化に、俺は自身の体に目を向ける。
上半身にまかれた包帯のあらゆる箇所に、うっすらと血がにじんでいた。
セルティがちりちり、と頭、胸、そして腕の血やリンパ液で粘ついた包帯を剥がしていく。
「……ぐ!」
傷口から包帯がはがれる瞬間、鈍い痛みが俺を襲った。
「ごめんなさい……少しだけ我慢して……!」
辛そうな表情を浮かべたセルティが、慎重に、かつ丁寧に包帯をはぎ取っていく。
「それじゃ、拭いて行くね、エドガー」
それに合わせてエリーが傷を必要以上に刺激することないように、肌の汚れを熱いお湯に浸された布でしっかりと拭っていく。
包帯が取れ晒された上半身は、筋肉も血管もボロボロで、内出血をあらゆる場所で起こしているような酷い有様だった。
ほとんど体が動かせないわけだ。
「……お湯、持ってきたわ」
一つ目の桶が俺の血で染まってしまったため、新しいものをアリサが持ってきてくれる。
そうこうしている内に、頭、左目、右腕、そして上半身が終わった。
そして、次は左腕。
「……う……!」
血みどろの包帯を取った瞬間、その場に満ちる濃い血の匂い。
肘の辺りで終わっている、俺の左腕。
その傷口からの出血は酷く、まだ完全に傷は塞がってはいない。
――もうここからは何も感じなかった。すでに神経すら壊れているかのよう。
「……エド……」
アリサが先ほどまでの態度とは打って変わって、ただただ静かに見守っていた。
「……」
「……」
黙々とエリーとセルティは黒く血に染まった包帯を取っていき、そこの傷に触らないよう丁寧に拭いて、また新たな清潔な包帯を巻いていく。
多分、俺が眠っている間も二人で何度もしたのだろう。
眼は真剣そのもので迷いなどは一切なく、手際が良くて正確だ。
ものの数分の内に、上半身の包帯は新しく、清潔なものに変わった。
いつしか俺の側には血で染まった包帯の山が出来上がっている。
そこで、いったん二人は手を止めた。
「……これでだいたい終わりですね」
「……ふぅ」
二人が胸を撫で下ろすのに合わせて、俺もほっと息を吐く。
「下半身は特に大きな怪我もありませんし、拭くだけですから……」
と、そこでアリサが新しいお湯を持って現れる。
「……二人ともお疲れ様。あとは私がやるわ」
「……そうですね、後はお願いします、アリサさん」
「私もお湯と包帯の処理をしてくるね、アリサ様」
「お願いね」
そう言い残して、二人はそれぞれ後片付けのため、部屋を出て行った。
残されたのは俺とアリサだけ。
いつもは明るいアリサも、この時は恐ろしいくらいに静かだった。
「……エド、左腕、痛い?」
そしてアリサはそっと俺の左腕に触れる。
「――痛くはない、もう感覚がないからな」
「……っ!!!」
それを聞いたアリサは、辛そうに唇をかむ。
そして―――彼女は俯いた。
「ごめ……んね。私のせいでこんなことになって……!」
「アリサ……?」
「全部全部私のせい。ぜんぶぜんぶ。エドがこっちに来てから苦労ばかりなのも私のせい。こんな怪我したのも私のせい。左目だって左腕だって。私のせいでなくなったの」
「……アリサ」
「私がいけなかったの。私が望んじゃったから。エドと一緒にいたいって。エドの事、欲しいって。エドに愛して欲しいって思っちゃったから。だから全部全部私が悪いの……!」
「アリサッ!」
俺が強く彼女の名を呼ぶと、びくっとアリサは自身の身を縮こまらせる。
その目は、明らかに俺の返事を恐れていた。
俺にそうだ、と言われるのではないかと。お前のせいでこうなったと言われるのではないかと。
「……アリサ」
「……うん」
もう一度名前を呼ぶ。
アリサはぎゅっと自身の胸の前で自身の手を握りしめた。
「実際、俺はアリサのために今まで苦労してきた。今回も死にそうな目にも合った。正直言って、もうこんな目はこりごりだ」
「……あぁ……!!!」
アリサの顔が一瞬で絶望に染まってしまう。
聞きたくなかった。聞かなければよかった。そんな思いで塗りつくされていく。
でも、そんなことにはならない。俺が、望まない。
「だけどな、アリサ。俺はそれを後悔したことは一度もない。今だってそうだ。俺の左目が潰れた?左腕がなくなった?それがどうした」
俺は箍が外れたように、自身の思いをぶちまける。
「その代わり、アリサが、みんなが生きている。そっちの方が俺にとってはよっぽど大事だ。この先だってそうだ。この命、そのためなら何度だって賭けて見せる」
「でも、エド、だめなの!それじゃ、私が潰れちゃうの!私の罪悪感が、私の愛が、私を潰しちゃうの!嫌なの!嫌!」
そして、アリサは俺に縋るように懇願した。
「お願いよ、エド!お願いだから、私に償わせて!貴方をこの世界に呼んでしまったこと!貴方を愛してしまうこと!貴方を傷つけてしまうこと!私のすべてをあなたに捧げたいの……!」
その悲痛な声に、苦しそうな表情。
アリサはもう限界なんだ、と俺は悟る。
――もう、今までのままの二人では駄目なんだ、と。
「なら……」
「でも……」
「それなら、アリサがそう思うのなら!」
なら、とアリサの言葉を断ち切って、俺は自分の言葉を続けていく。
卑怯だ、卑怯だ、俺は。
こんな形でしか伝えられない。
じっと俺がアリサを見つめると、すっとアリサは口を閉じた。
辛そうに目尻を吊り上げながら、唇をかむアリサ。
今にもその目から涙が零れ落ちそうだった。
「わかった……アリサ。償うというのなら、アリサがその身で償うというのなら……アリサは今日から俺の左手だ」
「……左手?」
「アリサ……君が償いたいというのなら、俺の失ってしまった左手になってくれ」
「……それって……」
「あぁ、そうだ。アリサは今日から俺の一部だ。俺から一生、離れることは許さないし、俺の言うことを一番に優先してもらう」
「……それが……!」
徐々にアリサの顔に生気が戻っていく。
「それがアリサの償いだ」
「……うん……うん……エドのモノになることが、私の償い!」
俺の答えに、本当に嬉しそうなアリサ。
……そのアリサの俺を見つめる表情は、今までで一番、狂気的で、そして心からの悦びを表していた。
――ああ、俺は今、とても酷いことを言っている。
何が償いだ。
こんなのお前を奴隷にすると言っているようなもの。
だが目の前の少女はどうしようもなく嬉しそうだった。
自分のすべてを受け入れられたように胸を張っていた。
沈んでいく俺の心とは裏腹に、浮かび上がっていくアリサの心。
どうしようもない、ズレ。
「私、エドの完璧な左手になって見せるわ!前の左手なんかより、よっぽどすごくて賢い左手になってあげるんだから!」
嬉々として、そう宣言するアリサ。
ずれている。
どこまでも。
自分を物のように言うアリサ。
いつからずれてしまったんだろう、俺達は。決定的に。
「そんな簡単に言うが、俺の左腕は難しいぞ?アリサにできるのか?」
――わかっている。
そんなことを思ってしまう、俺がずれているのだ。
アリサではない、俺が。
ああ――すまない、アリサ。
少しだけ、待ってくれ。
もう少しだけ、待ってくれ。
――覚悟を決めるから。
だから今だけは。
今だけは、俺が君のために悲しむのを……赦してくれ。
「そ、そういえば、エドってアレ、左手を使っていたわよね?ということは、そ、それの代わりも私ということになるのね……!?」
アリサははわはわと頬に手を当て、慌てている。
「だ、大丈夫よアリサ。あなたならきっと大丈夫……て、エド……どうしたの―――泣いてるの?」
「……すまない、アリサ」
いつの間にか俺の目から零れ落ちていた涙に、俺自身も気づいてはいなかった。
「そんなに私が左腕になったのがうれしかったのね……もう、しょうがないんだから」
仕方ないわね、と困った顔をして俺の涙を指ですくうアリサに俺はただただ頭を横に振ることしかできなかった。
「ああ、そうか、そうだな……嬉しいんだ、俺は嬉しいよ、アリサ」
君だけ堕ちて行かせはしない。
何処までも、一緒に堕ちて行く。
最後に幸せだったと君が言えれば、それでいい。
そう、俺達がどれだけずれていようが、誰にも何も、言わせない。俺達さえ幸せならばそれでいい。
――邪魔させは、しない。




