決着なんだが
「…………またなのね」
ボカリ、と瓦礫の山をどかしながら、私は感じた。
――私の思考が恐ろしく冷えていくことを。
先ほどまではあんなにエドとのやり取りに胸を焦がして、楽しんでいたというのに。
――原因は明白。
「……本当に浮気者なんだから」
私はぎりぎりと自身の歯ぎしりを聞きながら、エドに喉を撫でられ嬉しそうにしているそのメスを睨んだ。
――また他の女。
イライラする。
本当にイライラする。
今すぐにでも飛び出して、エドの目の前でその首をねじ切り、腹を捌いてやりたい。
その男は私のモノだと証明してやりたい。
お前のような発情したメスがべたべたしていいものではないのだ、と言いたい。
「……死ね」
――もちろん、私自身、わかってはいる。
エドガーがとても魅力的な男であることは。
こんな私にすら無垢な笑顔を向けてくれて、そして優しく抱きしめてくれる。
それだけで、それまで一人で孤独に抗ってきた――いや、そうするしかなかった女はすぐに落ちてしまう。
この人だけは、自身のことを真正面から受け止めてくれて、なおかつ愛してくれる、そして愛させてくれる――。
それがどれ程女の心を満たし、揺り動かすか。
「……死んでよ」
――本当はエリーもセルティもいらない。
エドを召喚した初めの時みたいに、ずっと二人で暮らしていきたかった。
私以外の女なんていらなかった。
あの人の笑顔を見られるのは、あの人に触れるのは、あの人の匂いを嗅げるのは、あの人のやさしさを味わえるのは、私だけでよかった。
この世界でエドガーの存在を知っているのは、私だけでよかったのに。
「……あなた、じゃまなの。消えてよ」
――エドガーの隣には私だけいればいい……。
ふつふつと腹の底からどろりとした何かが沸き上がって来る。
――狙いは隣の女。
エドガーの相棒面をしているそのメス。
――そこは私の場所だったのに。
あの人を守るのも、あの人と共に闘うのも、あの人の世話をするのも。
全部全部全部、私だったのに――!!!
「……キエロキエロキエロキエロキエロ!!!」
私が練り上げていく魔術は、ただ、殺すこと。
氷だとか炎だとかではなく。そういう曖昧なものではなく。
ただ、殺すこと。
殺意。
それを具現化する。
「……リサ!……アリサ!――アリサッ!」
あの人が私の名を呼んでいる。
――嬉しい!
安心して。
もうずっと一緒だからね。
もうすぐ、邪魔者はいなくなるからね。
そして私はそれを解放する――。
「……“消滅”」
***
「あはッ!アハハハハハハハハハ!」
瓦礫から現れたアリサ。
それはベロニカの存在を視界に入れた瞬間、その身より真っ黒な魔力があふれ出す。
“エドガー!アリサの意識が飲まれておる!もう手加減などはできんぞ!”
「わかっている!」
そして羽根まで真っ黒に染まったその少女は俺を見て――ニタリと笑った。
「……エドォォォォォォッ!」
瞬間――アリサが俺の目の前に。
「ギャムッ!」
“させぬ!”
そして俺を庇うようにベロニカが俺の前に飛び出した。
「――ジャマダアァァアァァァ!!!」
そしてその悲鳴のような叫び声と共に繰り出されるのは――重く鋭い蹴り。
ベロニカはとっさに腕を胸の前で組む――しかし。
――ドバギョ。
筋肉がちぎれ、肉が破裂する音。
そのスピード、威力ともにベロニカに対処できるものではなかった。
「――――グギャァァッ!!!」
とっさにガードするベロニカだったが、蹴りの勢いを殺しきれず胴体がくの字にへし折られ―――そのまま後方へと弾き飛ばされる。
――無事でいてくれ、ベロニカ。
その光景を横目で流しながら、俺もアリサへの攻撃に移る。
――狙うは左下の脇腹、肝臓。
人として心臓と脳の次と言っても良いほど、生命維持に重要な器官を狙う。
――左拳の鎧の形を変形。拳の先を鋭い杭のように尖らせる。
ベロニカへの蹴りで生まれた隙を狙って、俺は拳を突き出した。
――耐えろよ、アリサ。
「――くらえ」
――ブジジュッ!
皮を貫き、肉を引きちぎる不快な音。
俺の拳には硬鉄のような皮、そして肉をむりやり貫き、内臓を破裂させる感触。
「―――!!!ぎィぃィィィィィィィィィィ!」
突然の激痛にアリサが魔獣のように叫び狂った。
その目はぎりぎりと力が籠められ、その視線は俺を串刺しにする。
「……」
だが手は緩めない。
――ずじゅずじゅずじゅ!
俺の拳が、さらに奥へとめり込んでいく。
「ぎゃァァアアァッ!!!―――ガハァッ――ゴホォッ!――うがぁッ!」
俺の耳元に、脳まで響くようなアリサの絶叫と苦しそうに咳き込む声。
どくどく……とアリサの腹から漏れる血が、腕を、そして俺の鎧を伝っていく。
そのままアリサを向こう側へと倒し、馬乗りになったまま、そのまま拳を進めていった。
――想像もつかないほどの痛みが今、アリサを襲っているだろう。
「――ウブぅッ!え……エド……!」
――だがアリサの目にはまだはっきりと俺への戦意が残っていた。
血走った眼のアリサがぎろりと俺を睨む。
「い゛い゛がらわたじのも゛のに゛なりなざい……!――ゲフッ!」
ばしゃり、と俺の顔面に血が飛び散った。
「――エド、お願いよエドガー……わたしの、私だけのものになって――!!!」
アリサの手が俺の頬へと伸びる。
だが俺に触れることはできない。
二人の間には、薄っぺらい土の壁。
俺の鎧がある。
「違うな、アリサ。俺がお前のモノになるんじゃない。お前が俺のモノになるんだ」
そして俺は突っ込んでい左手から鎧を外し、素手のままアリサの中へと進めていく。
「ひィッ!うぐゥゥゥゥゥゥ……!!!」
俺の指が脂肪をかき分け、血管をちぎり、筋肉を破り、内臓をかき分けるたび、アリサからは新たな音色の絶叫が上がった。
――だが俺はやらなくてはならない。
痛みで暴れるアリサの手が空を裂き俺の全身が、鎧がその圧倒的な暴力の余波で刻まれる。
「耐えろ、いいな、耐えるんだ、アリサ――!」
右手の鎧も解放。
肉をかき分けていく左手とは違い、そちらは――アリサの頭を優しく撫でる。
「―――うぎぃぃぃいいい!!!――くぅ!――うん――エド――エド――!!!」
ぐい、と絶叫を我慢するように唇を噛みしめ、アリサは俺の名を呼んだ。
アリサの両手の指が、俺の背中にギリギリと食い込む。
アリサの黒い魔力で、その抵抗で鎧がぼろぼろと崩れていく。
――だが気にしてはいられない。
そのまま俺は左手をアリサの腹の底まで進めていく。
そして子宮、そして膀胱のちょうど上の辺り。
そこまで辿り着いた。
「―――くぅ――ふぅ――!!!」
肉体内の筋肉などの組織に包まれる圧力で、左手が今にも捻り潰されそうだ。
――もう手の感覚はほとんどない。だが辿り着けたなら十分だ
そしてそれを握りしめる。
――魔臓を。
「――――アがァァァァァァ!!!」
アリサが悲鳴を上げ、両手で俺の背をがつがつと叩き、足をバタバタと空を蹴り、暴れ始めた。
その目はいつもの紅く、優しいアリサの目ではなく、完全に黄色くなった、怒りに狂った魔獣の目。
殺意だけで俺を殺せそうなほど、怒りに滾った目。
――そうだ。俺が握っているのは魔臓。
これを潰せば、アリサが魔力を作り出せなくなってしまう。
魔獣化を食い止める程度ではない、魔術の行使すらできなくなる。
「――これで、終わりだぞ、バケモノ――!!!」
「ぐるアァァァァァ!!!」
最後の抵抗というかのように――アリサの両手がぐい、と俺の背中に食い込んだ。
ごじゅごじゅ――と俺の背から鈍い音。
――俺の背中に、鋭い激痛。
背中に、俺の中に指を突っ込まれる感触。
――でも、もう、終わる。
最後に言っておかないとな。
「――ごめんな、アリサ」
「―――ぎイイぐッ!――がはッ!――えどぉッ!!!」
アリサの表情がぐちゃりと歪む。
痛みか、それとも何かを察したか――――。
泣き虫なアリサは、その魔獣化の影響で黄色く淀んでしまった両眼から、ひたすらに涙が溢れさせていた。
――本当にごめん。
“――ベロニカ、始めるぞ”
“……本当に良いのじゃな?”
“これが今、俺達の出来る一番の方法だ”
“……お主がそれで良いのなら――主よ”
ベロニカ。
短い間だったが、どれ程助けられたか。
“――ありがとう”
“ばかものぉ……!そんなこと言うな!死んだら許さんからな!”
ベロニカの半泣きの声。
お前も泣いてばっかりだったな。
“ああ――心配するな”
死んでもやり遂げるつもりだが――死ぬつもりはない――これで準備は整った!
俺はさらに左手に力を籠める―――!!!
「――――ぐギィィィィィィィ!!!」
アリサは何かを察したように必死に俺をどけようとするが、させられない。
殴られようと、指で体内をこねくり回されようと、俺は絶対に《《止めはしない》》。
そんな俺の下で、アリサが顔面を引き絞り、俺へと突き出す。
――ドごちゃ。
アリサの頭突き。
鈍器のような頭が、俺の額を直撃した。
「――――ぅグゥ!」
わずかな低迷感を無理やり振り切る。
左の視界が黒く染まって、よく見えない。
「――ギヒッ!ぎひひひひひ!!!」
アリサは俺に組み伏せられ腕を腹に突っ込まれたまま、額から俺のものかアリサの物かわからない程の大量の血を流しながら、ケタケタと笑っていた。
――意識も、もう完全に魔獣側に取り込まれている。
だが、間に合った。
始めよう――。
「―――魔力吸収」
その言葉と共に、俺はより一層強く魔臓を握りしめる。
「ギッ!――ゥゥゥゥゥッぅアアアアアアアアアアア!!!」
――心配するな、バケモノ。
俺はお前を殺さない。
お前はアリサの中にいてもらう。
だが二度とアリサには逆らえないようにしてやろう―――!!!
つぷり、と俺の五本の指をアリサの魔臓に差し入れた。
そこから俺は俺自身の魔力と、アリサの魔臓同士のパスをつなぎ、俺の魔力を無理やりその中へと注ぎ込んでいく。
俺がまず行うのは、魔力によるアリサの魔力の屈伏。
「―――――イッ―――ぁ――ガァ――――!」
アリサはぱくぱく、と口を魚のようにしながら、白目を剥いている。
抵抗する余裕もない。
「―――グ――うォォォォォォォ!!!」
――俺が上げるのは、自身を奮い立たせるような雄叫び。
アリサの体内へと侵入させた俺の魔力に纏わりついてくるアリサの魔力。
それを、俺の魔力が喰っていく。
ひたすらひたすらひたすらひたすら。
アリサの中に垂れ流された俺の魔力に集まって来るアリサの魔力を、俺はひたすらに喰っていく。
“エドガー!何をしておる!はよう魔力を渡せ!早くするのじゃ!”
「―――うぐぅ――――ぁぁ!!!」
俺の中で膨れ上がる魔力量。
それを頭に響く言葉通りに、自身のパスが繋げられたどこかへと送る。
その間も、俺はひたすら目の前の少女の魔力を喰らい続ける。
「―――――ギァァァァ――ぐぅぅぅぅう」
――もう俺とアリサ、どちらの悲鳴かも、絶叫かもわからない。
俺の頭脳には絶え間ない激痛。
その情報の処理量と、その俺の限界をとうに超える魔力量に、体が悲鳴を上げ始めていた。
“――耐えるのじゃ、エドガー!意識を保て!”
「――――うぐぅおオオオオ!!!」
グチミチミチィ—―!
肉をすりつぶす音。
俺の左手が、アリサの中で恐ろしい勢いで再生していく内臓、そして筋肉に押しつぶされていく。
ギリギリギリ――!
アリサの両足ががっちりと俺の背中に回されて、ぎちぎちと俺の体を締め付ける。
バギバギバギぃ――!
腕が俺の体が粉砕されるのではないかというほど強く、俺の肉体に食い込んでいく。
「あが――アがががァァァ!」
――暴れまわるアリサの頭部。
それを右手で抑えつける。
その頬ごと右掌で掴み、瓦礫に上にこすりつけるように。
―――ボギボギギ。
左腕から、いびつな音。
―――ボギァッ!バギゴギッ!
「―――ぐぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
神経が焼き切れそうなほどの激痛。
左腕の骨がアリサの体内で粉砕された。
――だがまだいける。
まだ喰える。
指の先はまだアリサの魔臓に届いている。
「――――ゲェ、オグッ!」
自身の体内より何かが逆流し、それをそのまま吐き出す。
びちゃり、アリサの顔に俺の血がぶちまけられた。
体にガタが来ているのか――?
でもまだ俺は死んでいない。
まだ喰える。
《《まだ、喰える》》。
まだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰えるまだ喰―――!!!
“エドガー!もう無理じゃ!もうもたぬ!お主の体がボロボロになってしまう!止めるのじゃ!”
誰かの悲鳴。
――でも、まだ死んでいない。
まだ喰える。
「…………どがぁ……もういいよ、もういいの……死なないで……」
俺が押さえつけているものから、か細い声。
――だが、それがどうしたという。
まだ終わっていないのだ。
次から次へと、俺へと流れ来る魔力。
目の前の少女の肉体はより一層黒ずんでいく。
――もっともっと喰わなくては。
間に合わない。
でも今しか救えない。
喰え!
喰うんだ!
もっともっともっともっと!
もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと!!!
死ぬまで喰え!
喰いつくせ!
“――ドガ―!……ガー!……む!……くれ……どがー!”
俺の左腕から血が噴き出る。
ぶちぶち、と血管がちぎれ、筋肉がぶつぶつとちぎれていく。
「――――――ァ―――――!」
その痛みに叫ぼうとするが、もう叫び過ぎて声が出ない。
左目。
ぼだぼだと大量の血が零れ落ちていく。
先ほどのアリサの頭突きで眼が潰れたのか。
恐ろしいほどの激痛が今になって襲い掛かる。
「―――――ァァァ―――――!!!」
喰え。
それでも喰え。
どれ程の痛みを味わおうが、喰え。
どれほどの命の危険にさらされようが、喰え。
喰いつくせ。
この少女を救うために――!!!
***
それほどの間、その激痛を味わっていただろう――。
10分か?一時間か?10時間か?1日か?
片眼も潰され、光を失い――右眼も朧気で朝か夜かもわからない。
“エドガー!気をしっかりもて!”
「……う……ぐ……」
それでも俺は喰い続けた。
アリサが元に戻るまで。
どれ程の苦しみが俺を襲おうと。
どれ程の痛みが俺を絶望させようと。
そして――やっと終わりは訪れる。
――アリサの背中から生えた翼が一つ、地面にボトリと落ち崩れった。
「――――ッ!――――よし―――!!!」
それに続いて、次々と朽ち果てていく翼。
“あと少し、あと少しじゃ、エドガー!”
「――ぉぉ――ぅぉァアァァァ――!!!」
最後の力を左手に込める。
意識をそれに集中させる。
――これで終わり……だ!喰らいつくせ、最後の一片まで――!
アリサの魔力を逃がさず喰い尽くしていく。
羽根から、全身から、魔臓から――!
――アリサの肌が戻っていく。
真っ黒だったものが、以前のような透き通るような白に。
そして、足の先から顔まで色が完全に元に戻り、最後――――真っ黄色の眼が以前のようなルビーのような赤になった。
「……や……やったぞ、アリサ……!」
――終わりだ。これで終わった――!!!
俺の前には元のアリサ。
完全に元に戻ったアリサがいた。
ぼろぼろ、と俺の頬を伝い、血の混じった涙がアリサに落ちる。
その瞬間――ぶちり、と何かがちぎれる音がした。
左肩がふらりと軽くなる。
「あぁ……そうか」
左腕。
左腕だ。
アリサの肉体の中で筋肉に内臓に、そして魔力に蝕まれ続けていた左腕。
それが役目を果たしたかのように千切れたのだ。
「……終わったんだな……」
それを見て、完全に俺はやり切ったのだ――と悟った。
次いで俺の全身からどっと力が抜け、ふらりと揺らいでアリサの上に重なるように倒れこむ。
“よくやった……!よくやったぞ、エドガーよぉ……!アリサもお前も生きておる……!よくやったのぉ……!”
……ベロニカだ。
あいつのすすり泣く声が、聞こえる。
「……アリサを……頼む」
それだけベロニカに言い残し、気を失っているアリサの横顔を見ながら俺は静かに目を閉じた。




