アリサ1
アリサの生活は、あの日からエドガーを中心に回っていた。
朝早くに起きて、エドガーの朝ごはんを作る。
朝ごはんができたらエドガーを起こしに行く。
エドガーと朝ごはんを食べる。
掃除、洗濯、エドガーとイチャイチャする。
そしてまたごはん。
夜はもちろん一緒に寝る。
エドガーとの日々は続いていく。
エドガーとの思い出が増えていく。
エドガーの世話をして、エドガーと訓練して、エドガーと死線を潜り抜ける。
アリサは幸せだった。
エドガーという自分を受け入れてくれる存在が傍にいてくれて。
自分が受け入れてもよい人が傍にいてくれて。
もうそんな人は自分の前に現れることはないかと思っていた。
アリサはもうエドガーなしでは生きていけないだろう。
この数ヵ月の生活で何度もそう思った。
だけど、エドガーの気持ちはわからない。
それが、アリサは不安だった。
確かにエドガーは表面上は自分を受け入れてくれている。
でも、自分のこの濁り切った浅ましい気持ちまで受け入れてくれるのかはわからない。
これは、かつて自分を受け入れてくれた、魔術の師匠には抱かなかった気持ちだ。
師匠には自分から抱き着かなかった。
師匠には甘えようとは思わなかった。
師匠には甘えてほしいとは思わなかった。
師匠には自分の弱さを知ってほしいとは思わなかった。
師匠の弱さを知りたいとは思わなかった。
根本的に違うのだろう、とアリサは思う。
アリサにとって師匠はあくまで命の恩人であって、それ以上ではない。
確かに、この見た目で迫害されていた自分を拾ってくれたことは感謝している。
だが極論を言ってしまえば、生きる術である魔術を師匠から吸収することが何よりもまず大事だった。それ以外のことはどうでもよかったのだ――。
***
「この『忌み子』が!お前はあの小屋から出るなといっただろう!」
アリサはアルビノの見た目で周りから、家族からすらのけ者にされていた。
アルビノはこの世界では災いの象徴と疎まれている。
太古の昔、魔女と呼ばれる存在がこの世界のほとんどの人間を殺した。
その伝承の姿とそっくりな自分。
誰も自分と眼すら合わせてくれない。話をしてくれない。
子供のころからずっとずっと一人。
孤独は、毒だ。心を殺す、毒。
アリサには信じられるものがいなかった。
誰かを信じられなくなっていた。
「見た目なんぞが人を不幸にするものか」
そう言ってそんな自分を拾ってくれた師匠ですら。
***
アリサは師匠の下で必死に魔術を学んだ。
普通には生きていけないと知っていたから。
自分だけの武器が必要だった。欲しかった。
アリサのその思いが功を奏したのか、それとも、もともと才能があったのか。
アリサは魔術協会の歴史上、最年少で魔導士となった。
師匠は自分が最後の魔術を継承した次の日、亡くなった。
その時になって初めてアリサは気づいた。
自分が師匠を魔術の教本のように扱っていただけだったということを。
なぜなら、師匠がいなくなっても自分の気持ちは何一つ変わらなかったから。
死ぬ前に魔術を全部教わることができて、技術を盗むことが出来てよかったとすら思ってしまったから。
――それに気づいた時、アリサは泣いた。
アリサの恩知らず。
命の恩人をなんだと思っていたのか。
師匠は自分に暖かい食事、家、家族、恵まれた環境を用意してくれた。
師匠は自分を愛してくれていたはずだ。
あんなにもかわいがってくれたというのに。
――自分は師匠のことをあたかも道具のように思っていた。
だが、その涙もすぐに止まった。
それに気づくとまた涙が出た。
でも、すぐにアリサの悲しいという気持ちはなくなってしまう。
そして、それにまた泣いた。
***
アリサは魔導士として生きていく覚悟ができず――自分にそれが許されるとは思えず、神の獣が住むとされる、こんな危険な森まで逃げ出した。
そして、エドガーを召還した――いや、してしまった。
師匠に教えられた最後の術で。
アリサは思ってしまったのだ。
師匠が死に、以前のように一人孤独に生きる中で。
――誰か自分の傍にいてほしい、と。私と一緒に生きてほしい、と。
それは誰もが当たり前に持つ感情。
そして、自分が持ってはいけない感情。
アリサは願ってしまったのだ。
他人からの愛情を一度知ってしまったが故に。
誰かに愛して欲しい――そして、誰かを愛したい、と。
***
アリサはひらめいた。
自分ですら命の恩人には死後とはいえ、ただならぬ感謝の念を抱いた。
それなら。
――自分も誰かの命の恩人になればいいじゃないか。
そうすれば、その人は自分を頼ってくれる。もしかしたら愛してくれる。
そして、アリサは計画を練った。
――この世界の人間ではだめだ。自分の姿を見ただけで自分におびえてしまう。
――なら、異世界の人間を連れてこればいい。
師匠の最後の術は、異界の人間を召還する魔術だった。
これと、異界を覗く術を組み合わせ、エドガーを召還した。
エドガーを見つけたのはたまたまだった。たまたま、身内に裏切られ、この世に絶望した男が、アリサが普段から見ていた男だった。それだけだ。
――だが、それがあったからこそエドガーは今この世界で生きている。
アリサは異界のエドガーを見ているうちに、興味、そしてある種の共感を覚えていた。
エドガーはまだ若く死期が近いわけもないのに、こちらに呼べるはずもないのに、アリサはずっとエドガーを見続けた。
エドガーの人生は壮絶だった。子供のころから裏切りに裏切りを重ねる人生。
エドガーが喜ぶときは喜び、悲しむときは悲しんだ。
エドガーが自分以外の女の子と話していると、胸がちくりとした。
エドガーや、エドガーの世界についてもっと知りたいと思った。当然日本語も。
そうしている自分は、考えるようになっていた。
エドガーもこちらに来ればいいのに。
私と一緒にいればつらい思いをさせないのに。
――何が起ころうと、絶対に。
アリサはその考えが頭に浮かぶたびに打ち消していた。
――それはいけないことだ。
他人の運命を捻じ曲げる権利なんて、私にはない。
――だが、もし。
もしエドガーがその世界で生きていくことに嫌気が指したなら?
もしエドガーが後悔したまま死にゆくなら?
――私が、助けてあげないと。
そう自分に言い訳をしている内に、召喚用の魔法陣は完璧にできていた。
そして、それは唐突に来た。
エドガーをこちらに呼んだ日だ。
***
アリサは幸せに満ちた今でも、時々思う。
――エドガーはあの時死んだ方がよかったと思っているかもしれない。
自分がやったことは、自分のためだけでしかなかったのでは?
本当にエドガーのためであったのか?
――こんな自分がエドガーの傍にいて許されるのか?
こんな自分をエドガーが知ってしまっても、自分と一緒にいてくれるのか?
………
……
…
そんな気持ちを押し殺して、今日もアリサの一日が始まる。
「――おはよう、エド!起きて!」