戦闘後なんだが
一瞬。
アリサの眼はエドガーのナイフのスピードに追い付けなかった。
しかも魔力で強化された魔獣の体も一瞬で断ち切った。
それはスピードだけでなく、威力も必殺の域にあるということ。
(――思った以上だわ、空間属性の魔法は)
想像以上に物を加速させるスピードが大きく、そして操れる物の数が多い。
その魔術がシンプルなだけに、魔力も強く込めやすいのだろう。
だが、空間魔法を強く足らしめているのは。
(――エド自身ね)
アリサは魔力切れで倒れているエドガーの元へと急いで走り寄った。
アリサはエドガーを氷のソリに運びながら考える。
(今、エドガーはこちらの世界に召喚されてからは一ヶ月ほど。最初エドガーは殆ど魔術の行使は行えなかった。しかし、エドガーの現在の実力は低く見ても一般の魔術師と同等かそれ以上。魔獣に致命傷を与えられる時点でそれは間違いないわ)
アリサはエドガーの気絶した間抜けな顔を優しく撫でながら考える。
(――ほぼ魔力がなかった状態から、一ヶ月程度でこんなにも魔力が成長するなんて聞いたことがない。確かに魔獣の肉を食べれば、自然と魔力の総量は上がっていくというのは聞いたことがある。それにしてもエドガーの成長スピードは異常ね。エドガーが異世界人であるからか?何がエドガーとこちらの世界の人間とで違うのかしら?)
「……フフ」
アリサは無防備なエドガーの寝顔にクスリと笑う。
「……ま、どうでもいいわよね、そんなこと」
アリサはエドの髪を優しくなでる。
「……でしょ?私のかわいいかわいいエドガー」
――感じる。
どろどろと濁り切った感情を。
……エドには決して見せられないココロを。
「……私が守ってあげる。ずっといっしょだからね、エドガー」
そう言ってアリサは、エドガーの頬に軽くキスをした。
***
狩りの後、俺はほとんど動けなくなってしまった。
アリサ言うには、はじめての実戦で必要以上の魔力を使ってしまい魔力切れになったのでは、とのことだった。
そして、なんとアリサは魔法の氷で作ったソリに、俺と魔獣の死体をのせ、レールを氷で作りながら研究所まで帰ったらしい。
(――アリサ、お前はそんな魔法も使えるのか……。何でもありかよ、魔法ってのは)
研究所に帰ると、とりあえず俺が召喚された懐かしい納屋に魔獣の死体を置いた後、睡魔に耐え切れず、飯も食べずに寝てしまった。
……初めての命のやり取りに疲れたからだろうか。
夢を見た。
昔の夢だ。
俺の親父はクズだ。
親父は母親と俺を置いて、別の女とどこかに消えた――多額の借金だけを残して。
病弱な母親は必死に働いた。
俺を育てるために。俺と幸せになるために。
――そして、死んだ。過労だった。
死ぬまで、気付かなかった。母親がそんなに苦しんでいたなんて。
死ぬ間際に、俺にこう言った。
――私が死んでも、あの人を怨まずに生きて。
俺は、泣いた。
母親の運命に、父親のクズさに。
そして、何もできなかった俺自身に。
何度親父がいてくれればと思ったかわからない。
何度親父が最初からこの世にいなければと思ったかわからない。
何度誰か母親を助けてくれと思ったかわからない。
何度母親をこれ以上追い詰めないでくれと思ったかわからない。
いや、ただ俺は許せないのだ、俺のために誰かが苦しむのが。
俺は弱いのだ、俺は自分がいなければよかったと考えられないほど。
俺は後悔しているのだ。自分のできることが何かあったはずなのにと。
***
リビングのソファで、目が覚めた。
まだ暗い。
深夜。
「……風に当たるか」
研究所の外に出る。
……どう見てもただの家なのに、アリサはこれは何度も研究所だと言っていた。
思わずふっと笑ってしまう。
「よいしょっと……」
庭の芝生の上でごろん、と横になる。
空には満月が輝いていた。
「……この世界にも月があるんだな」
「……ルーネよ。夜の神、ルーネ。
そちらの世界では月といったみたいね」
俺の頭の先の方から、足音が聞こえた。
(……起きてたんだな、アリサ)
「……太陽は?」
「シーナ。
こんばんは、エドガー。素敵な夜ね」
月の光に照らされるアリサは、幻想的な美しさがあった。
「……あぁ、そうだな」
寝転がる俺の傍に、そっとアリサは座り込む。
アリサはウサ耳フードのついた、白の寝間着を着ていた。かわいい。
「……寝れないの?」
「……夢を見てな」
「怖い夢?」
「違うさ。でも嫌な夢だった」
「……そう」
そう言うとアリサは俺の頭の方まで動くと俺の頭を自分の膝に乗せた。
アリサの膝は柔らかく、暖かかった。
アリサは俺を膝枕しながら、俺の髪をなでている。
アリサは優しい笑みを浮かべていた。
「……アリサ、今日はありがとう。俺でも魔獣を倒せたのはアリサのおかげだ」
「そんなことないわ。エド、今まですごく頑張っていたもの」
アリサの指が俺の目尻から顎の先まで、ツーッと動く。
しばらく、お互いに無言が続く。
「……どうしてこんなに俺を助けてくれるんだ?」
……聞いてしまった。
聞きたくなってしまった。
どうしても。
「……あなたを愛しているから」
アリサはまっすぐ俺の見てそう言った。
俺も、そのますぐな視線を受け止める。
「……俺はわからない。俺がアリサをどう思っているか。
俺はほとんど知らないんだ。アリサのことを」
……俺達は今のお互いを知っている。
でも、今までを知らなすぎる。知らなくちゃいけない。
それからじゃないとこれに答えは出してはいけない、そう思う。
この少女のためにも。
アリサは俺の言葉を聞くと、静かに微笑みを浮かべた。
「いいのよ、エドガー。今はそれで」
「……」
「でも、私はあなたを愛している。あなたのためなら何でもできる。あなたの支えになってあげられる――それだけでいい」
「……アリサ・・》」
「……辛くなったら私を頼ること。それだけは覚えておいてね?」
月の光に照らされ、優しく微笑む彼女を見る。
アリサは本気で、このままでいいと言っていた。
恐らく、アリサは以前の世界の俺のことを――知っている。
俺がアリサを知っているよりずっと――俺のことを知っている。
「……ありがとな、アリサ。これからもよろしく頼む」
「……うん」
俺はそれ以上アリサには聞かず。
二人でしばらくそのままでいた。
***
――朝。
ガンガン、ガンガンとドアをたたく音がする。
――うるさい……。
「エド、朝よ!起きて!」
――静かにしてくれ、疲れてるんだ……。
「そ、それなら昨日の夜みたいに私が癒してあげるから!
頑張るから!」
……昨日の夜のことは忘れてくれ……。
「――わ、忘れないわよ!絶対!一生!」
(さすがにアリサでもいつか忘れるよな……)
俺はしぶしぶベットから起きあがると、一人で騒いでいるアリサの元へ向かった。
「もう、やっと起きた、エド!」
「……」
アリサを見つめた。
この少女は俺のために笑ってくれている。
俺を愛してくれている。
アリサは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、何でもないさ」
アリサの額をピンッ、とつつくと、俺はいい匂いのするリビングに向かった。
ただ、思った。
――俺はもう、二度と後悔したくない――