ミリー2
***
「……まず」
白髪の魔術師が来て、次の朝。
私はルナ―リアの館の食堂で、まずいスープをすすっていた。
「ここ、いいか?」
その声に、私は顔を上げる。
そこには、隻眼白髪の男。
昨日来たという魔術師だった。
「……べつに」
それだけ言って私はまたスープに視線を落とす。
「助かる」
白髪の魔術師もそれだけ言って、私の向かいに座ると食事を始めた。
「……んくんく」
「……がつがつ」
私達のテーブルは静かだった。
お互いがお互いに何も関心を抱いていない。
でも、それはそれで、疲労している私にとってとても楽だった。
しばらく二人で食事を続ける。
「……」
ちら、と向かいを見ると白髪の魔術師は肉と野菜が挟まれたパンを頬張っていた。
……このような男でも、普通の食事をするのだな。
頭の隅で、ちらりとそんなことを思った。
そんな食事を中断するように――。
―――ギィィィ。
――私の背後で、ドアの開く音。
……あの男がやって来た。
私の頭の中に走る、諦めにも似た確信。
「――ミリー。支度をしろ。出かけるぞ」
風の魔導士、ゼムド。
私の主が、来た。
「……はい」
食べかけのスープをテーブルに残したまま、私は席を立ちあがる。
力の入らない体を無理やり動かすように、ふらふらとゼムドの元へと向かった。
今日もまた、死と隣り合わせの一日が始まる。
今日もまた、命を玩具にして遊ぶのだ。
いつものようにそう思った――その時だった。
「――おい、お前」
背後から突然かけられた声に、ビクリ、と私の体が震える。
弾かれたように私が後ろを振り返ると。
――白髪の魔術師がテーブルから離れて、こちらへと向かってきていた。
その赤の眼光が、ぎろり、と私を貫き、まるでそれに縛られているようだった。
――私に、何か?
ぱくぱく、と口は動く。
しかし、それは音とはならなかった。
「……ぁ……ぅぁ」
――何かマズいことをしてしまっただろうか……この得体の知れない男に気に障ってしまうようなことを?
そんな簡単な質問が出来ない程、私は突然の状況に混乱していた。
――その男はゆっくりと近付いてくる。
一歩。
……二歩
…………三歩。
そして。
その男は私を――。
通り過ぎた。
「…………ぁぁ」
――私に言ったのではなかったのだ。
その瞬間、緊張が解けてふっと私の体から力が抜ける。
白髪の男はいつの間にか私の前に来ていた。
「おい、あんたがゼムドか」
「……そうだが?」
面白そうに白髪の魔術師を見るゼムド。
それに一切表情を動かさない白髪の魔術師。
――二人の男の間で漂う、ピリピリとした空気。
そして、それを破ったのは、白髪の魔術師だった。
「俺と戦え」
***
エドガーはよく、私の主と戦っていた。
……理由は知らない。
当時の私は知ろうともしなかった。
そして、その戦闘は。
私程度では到底届くことのできない物だった。
――風の魔導士たる私の主、ゼムド。
魔導士と、魔術師の違いは何か?
強力な魔術が行使できる?
魔術に対する知識が豊富である?
それは確かに強い魔術師たり得る条件であるのは間違いない。
だが、それは本当の意味で違うのだ。
魔導士の行使する魔術は、ただの魔術師と絶対的に違う点がある。
それはその行使する魔術の本質。
魔導士の魔術は――魔術を支配する。
この世界の現象を操るだけではなく、他人の意思まで、自分の意思で塗り替えてしまう。
人の魔術――精神までを塗り尽す。
それができるとはどういうことか?
それはつまり、その存在は人間の枠を超えているということ。
――いわば、神。
その存在の前では、人間のすべての行為が意味を成さない。
その存在の前では、人間のすべての言葉が雑音となる。
その存在の前では、人間と言う存在は、虫と等価。
そんな存在と互角に渡り合うエドガーと言う男もまた、人間の枠を超えた魔術師であった。
***
風の魔導士ゼムドには、全ての魔法を打ち消すほどの風魔法がある。
その魔術は、気体の流れを操るだけではなく、敵の魔力をも自身の魔力で霧消させ塗りつぶし、その上で自身の魔術で圧殺してしまう。
だがエドガーも同じような能力を持っていた。
お互いにお互いの魔術の支配権を奪い合いながら――。
エドガーは全身を土の鎧で覆い。
私の主は全身に暴風を纏い。
その力の限りをお互いにぶつけあっていた。
「……」
私は豊かな森林であった――今は更地である――場所の地面にぺたり、と座り込み、二人の闘いを見ていた。
魔術の衝突一つで小さな山一つを吹っ飛ばせてしまうほどの戦闘の規模に、戦場は、既に空へと移っている。
二人は、伝承に聞くドラゴンよりも速いスピードで空を飛び回りながら、一撃一撃に膨大な魔力を込め、放ち合っていた。
ゼムドの掌から風が形作り、それを刃にしてエドガーに放つ。
それをエドガーは魔力の土塊をぶつけるようにして、自身の盾にする。
ぎりぎり、とせめぎ合う刃は、その存在がぶれるように振動し、分裂し。
ぎゅりぎゅりとエドガーの壁を削りながら高速分身した風の刃は結局攻めきれず、エドガーの背後に飛び。
そこにあった数百メートルもある高さの山を破壊。
風の刃はエドガーの背後にそびえ立っていた巨大な山をブロック状にバラバラにした。
それらがばらばらになった瞬間、エドガーの魔術がその破片すべてを掌握。
それがゼムドの周囲を駆けまわり、一つ一つがゼムドに高速回転しながらゼムドに向けて収束していく。
それぞれが目にも止まらない速度で大空を駆けまわり。
――ごつり。
一つがゼムドに突き刺さり。。
―――ゴツリゴツリゴツリ。
二つ、三つ四つ。
――――ゴゴゴゴゴゴ!!!
五つ六つ八つ九つ十。
一つの破片がゼムドに到着したのを合図とするかのように、次々と破片は収束していく。
そして――出来上がるのは、巨大な岩石の塊。
それは次の瞬間、赤く膨れ上がると。
――バガァァアアアアァア!
爆発。
キーーン……と私の耳が鳴った。
そして数瞬にも満たない時間の後……。
――ドガァァアアァアア!
ゼムドがその爆発の後に残ったゴミを吹き飛ばしながら、空の支配者のようにその身に暴風を纏いながら現れた。
その身どころか、服にすら一つのほころびも見えはしない。
「……バケモノ」
都市一つを一発で破壊できるような魔術で牽制し合いながら、その合間でお互いの魔力の支配権を奪い合う。
びりびり、と空が、大地が、体が震えた。
ただ私はそんな闘いを地に座り込んで震えながら見ていることしかできなかった。
そんな神様の遊びのようなじゃれつき合い。
それを見ていると、なぜ世界の人々が、魔導士と言う理不尽な存在にこの世界の頂点と言う称号を与え不可侵の存在としたのか――その理由がわかる気がした。
……それでも、本人たちはまだまだ全力を出しているようでなかったが。
また、そんな人間をやめた二人は、数少ない同類であった。
ゼムドは、エドガーの前だけでは、本気の笑みを、本心の言葉を、本物の感情を放っていた。
――ゼムドが、エドガーと言う存在の出現に一番喜んでいたという事実は、誰の目にも明らかだった。
それは、確実に私の環境を変えることになる。
***
そしてそんな闘いを見つめている者が、私以外にも、いた。
「エドガーたのしそうだなぁ……ボクも混じりたいなぁ」
それがフェリだった。
フェリはエドガーに付いてきていた、従者二人の内の一人だ。
後で聞いた話だと、この屋敷へ連れてきた双子以外に、本当はあと二人の仲間がいたらしい。
「キミもそうだろう?あれの従者」
「……」
――別にあの中に混ざりたくもないし、従者になりたくてなっているわけではない、と言いたかったが、私は無言で返す。
私は、そんなこと以上に、この少女と関わりたくなかった。
何か得体のしれない不安を感じたのだ。
「……キミさぁ、何か言いなよ」
「……」
私が黙っているとその少女はイラつきだした。
――幼稚だ、と思う。
感情がまるでコントロールできていない。
それだけで私はちっぽけな優越感を得ることができた。
ただ。
一つだけ羨ましいことがあった。
「フェリ、着替えをくれ」
「エドガー!お帰り!」
二人が一緒にいるとき、フェリはいつも笑っていた。
プラチナブロンドの髪でできた尻尾をぶんぶんと揺らしながら、そしてその青い目を輝かせながら。
フェリの主は、フェリの家族だった。
フェリには家族がいた。
そして、私にはいなかった。
***
エドガーは強かった。
そして、強いだけでなく、勉強熱心でもあった。
ゼムドとの日課となった手合わせが終わると、フェリのようなバカではなく頭のよさそうな方のメイドを連れて、ルナ―リアの書庫に籠っていた。
そして、いつの間にか私の主はあの男とつるむようになった。
「エドガーよ。どうしてそのようなつまらないことをしておるのだ?お前にはそのようなこと必要ないだろう」
「……何の用だ?」
本を読んでいたエドガーに話しかけるゼムド。
珍しいことだ。
この男が他人に興味を持つなんて。
細めのレンズの眼鏡を掛けたエドガーは聡明で冷たい感じがして、正直に言って近寄りがたい雰囲気だったが、控えめに言っても今のエドガーのような男性を好む女性は、多くいそうであった。
「何の用だを?決まっている。外へ出ろ」
「うぜぇってんだろ、失せろ」
ゼムドはその答えに、残念そうに顔を顰めた。
ゼムドにとってエドガーと言う男は、初めて出会えた、対等の存在。
狂おしいほど求めていたそれを前に、風の魔導士は初めて人間らしい表情を見せていた。
友人。
まるで人間のようなその馴れ合いが、神のような存在であるゼムドにとってどのように見え、どのように感じたのか。
それは、私には一生理解できないだろう。するつもりもないし、したくもないが。
とにかく、ゼムドにできた友人は、私と言うおもちゃの存在の意味を薄れさせた。
私は所詮、退屈を紛らわせるためのものでしかなかったのだろう。
このままであれば、近いうちに私は解放されるかもしれない。
そんな楽観的な思考が許される状況の中。
しかし、私はどうしてか不安を感じてしまっていた。
「……」
だんだんと私から興味を失っていくゼムドに、不安を感じてしまっていた。
「……どうして?」
……その時、私はわからなかった。
でも、少し考えたら、気付いたのだ。
簡単だった。
このままならば私はどうなるのか、と考えたら、自ずと答えは出た。
一人ぼっち。
ゼムドが私から興味を失ったら、私は一人で生きて行かなくちゃいけなくなる。
一人で生きる?
どこで?
誰と?
何を目的に?
そんなことは、今の私には不可能だった。
そうするには、私の精神力が、あまりにも足りなかった。
生きるための希望が、欠けていた。
地獄の日々を生き残り、ぼろぼろとなった私が、新たな生活を一から作り始めるなど、どう考えても不可能だった。
――いつの間にか、もう、私には。
ゼムド以外に私を見てくれる存在は、どこにもいなかったのだ。
私は詰んでいたのだ。
ゼムドから解放されたいのに。
ゼムドから解放されたら、私は一人になってしまう。
……そしたら、どうするか?
何も、浮かんではこなかった。
ただ、真っ暗闇。
光は何処にも存在しなかった。
疲労しきった私が、そんな中を一人で生きていけるかどうかなんて、明白だった。
――終わりだ。
終わりにしよう。
こんなつらいことは、全部終わり。
全部全部、終わりにしよう。
いつの間にか心の隅で、私はそんな思いを抱き。
この地獄が近いうちに終わることを予感していた。




