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55.秘密の扉


55.秘密の扉



 「お母様……」

 イリスはまるで母が部屋の中にいるかのように、声に出して母を呼び、ゆっくりと扉を開け、ゆっくりと顔を扉から覗かせた。

「わぁ」

 そして思わず声が出てしまった。そこは薄いブルーに統一された装飾の施された、空のような場所だったから。足を踏み入れればそこが、こここそが、天国のようだった。

「涙がでそうなほど素晴らしい部屋だわ」

 イリスはなおも残る母の美しさに魅了された。うれしかった。私の本当のお母さんはとても美しい人だったと、その事実を確認することができてうれしかった。ザルナークの言葉に感謝する。いつも、ローズお母様に遠慮して、私は自分の出生を追求してこなかった。まだ私が認識できていないことはいっぱいあるのに。

 お母様をきちんと、偲ぶことさえ私はできなかった。なぜだろう? 

 イリスは壁にそって並ぶ大きな本棚を見上げた。アンティーク調の本棚にはたくさんの本が敷き詰められていた。入りきれなくて、部屋のところどころに本が散らばっていることに気付く。

「すごく勉強をされていたのね」

 イリスは少し自分のことを恥じた。ああ、お母様からたくさん本を読んでもらいたかったし、自分もたくさん本を読みたかった。今からでも読めるけど、もう全てが遅いのではないかとも思っていた。

 本当に守りたいものは、すでに失ってしまった気がする。

「お母様……」

 イリスは部屋の奥にある大きなベッドに倒れ込んだ。そのまま母のぬくもりに包まれて眠ってしまいたかった。それが永遠でもいいと思えるほど気持ちのよいベッドであった。

「ん?」

 イリスは寝転んだところから見える枕が不自然に浮いていることに気付いた。

 そして何気なくその枕の下に手をいれる。

「あ」

 そこにはイリスが求めているものがあった。イリスが求めるのならば、全てのものはその不思議な魅力に誘われやってくる。それが無機物だとしても。

 イリスは体を起こした。

「本? 違う、アルバムだわ」

 枕の下には秘密が眠っているってことぐらい、イリスにもわかっていた。

 イリスの白い手が、ボロボロになった濃い緑色の表紙に触れる。大事にしていたのか、それと同時に常に触っていたのか、それが本であるのなら間違いなく愛読書だった。

 イリスは少し悪い気がした。何か、やはり秘密を覗きみているような罪悪感があった。これは開けてはいけないものなのかもしれない。誰にだって秘密はある。それは、家族にだって知られたくないものかもしれないし、もうこの世にいないからって、犯していい領域ではないかもしれない。

「お母さんの顔が見たいだけなの」

 イリスはそう言うと少し楽になった。そして緑色の扉を開けた。

「……」

 イリスはその最初のページに貼られた写真を見たとき、ショックを受けた。具体的に説明のつかない感情。悪い感情でもなければいい感情でもない。ただ心臓が一瞬止まったように感じたし、全身の肌がザワついた。

「私?」

 イリスは呟く。

「ううん、私じゃない」

 ぶつぶつと独り言を続ける。

「お母様は、まるで私とうりふたつだわ」

 イリスは写真を見て、自分は間違いなくローズではなくこの写真の女性、レイディが自分の母親であるという確証を得た。しかし、イリスは徐々に恐怖に脅かされていく。母親の写真を見て恐怖など感じることなど誰が予想できただろう。不思議な感覚と気持ちの悪さでイリスは顔を歪める。だけど、その写真から目を放すことができなかった。

「お若い頃のお母様と、その手に抱かれる赤ん坊。その赤ん坊は……」

 私じゃない。私じゃない赤ん坊をお母様が抱いている。イリスの顔はもはや顔色というものを失っていた。

 なぜ?

 誰?

 私?

 いえ、違う。


 ガタン!

 その時、外から物音が聞こえた。それでイリスは我に返る。意識をどこか別の場所へ持って行かれそうだった。

 イリスは勢いよく開いたアルバムを閉じる。そのとき、一枚の写真がはがれ落ちてイリスの目にとまった。

「これは……」

 イリスはより古い写真を見つけた。

「これは若い時のお父様だわ! そして、お母様、そして……」

 そこには、楽しそうに笑いながら寄りそう三人の姿が写っていた。レイディがとても大事に持っていたであろう一枚であることは間違いなかった。

「誰かしら?」

 イリスの知らない三人目の人物がそこには写っていた。少し暗い影が見え隠れもするが、アヴァンネルとレイディの横で、少し恥じらいの笑みを浮かべ、居心地のよさそうにアヴァンネルに肩を組まれている少年。


「イリス様ー? どこですかー?」


 衛兵だ! イリスは急いでその落ちた写真を取ると、アルバムを大事に腕に抱え込み、部屋を出た。





―ミザール渓谷―


「ぷっはぁ! 水うまーい!」

 ミレーの爽快な声が聞こえてくる。ミザールの川は飲み水にできるほど美しかった。

「ほんと、良かったよね、水があって」

 ルイもほっとしたようにそう言って、気持ち良さそうに顔を洗う。きれいな水は、余計なものをできるだけ洗い流してくれている気がした。

「ね、ハルカナ」

 ルイはその隣で、水に手を浸したまま動かないハルカナに話を振った。

「……ん? うん」

 ハルカナは返事をしたが明らかにうわの空だった。ルイは悲しそうに笑った。

「ほら、ハルカナ! いつまでそんな顔してくれてんのよ!」

 ミレーがハルカナに向かって川の水をはじいた。ハルカナの前にルイにその水がかかる。

「ちょっと!」

 ルイが虚しく叫ぶ。

「水かぁ……。ミズに会いたいな」

 ハルカナはそんなルイに目をくれることもなくそう呟いた。

「まったく……!」

 ミレーは顔をしかめて髪を掻いた。

「あんたがそんなんでどうすんのよ! 私たちは戦争にきたのよ! ネスを出る前に誓わなかったの? その胸に! みんなが無事でいられるわけないでしょ! みんな悲しいのは同じなんだから、さっさと面あげな!」

 そう言ったミレーの顔はいまだかつて見たことのない真剣さと悲壮感が漂っていた。ルイはいつも呑気で楽天的過ぎると思っていたミレーの今の表情を見ると、何も言えなかった。ミレーの言っていることに間違いはないと思ったし。

「会いたいな……ジャスティー」

 そんなミレーの言葉もハルカナには聞こえていない。

「ハルカナ……」

 ルイはハルカナを抱き寄せる。素直に「会いたい」と、聞いたことなんてなかった。ルイはハルカナの想いを知っているから、今はそっとハルカナに寄り添うことしかできなかった。

「あーもー、いいよ! 先行ってるから!」

 ミレーは呆れてその場を去った。ミレーだって悲しいことはわかっている。いくら戦争だと割り切っても、所詮まだこどもの域をでない年齢なのだ。


「どうした? ミレー」

 そこにバインズが通りかかる。

「どうもしてないよ。さっさと出陣したくてうずうずしてんのよ!」

「ふーん」

 珍しく気が合った、とバインズは思った。コウテン城での攻めではミレーとはもう一緒に行動したくない、とまで思っていたのに。

「同意見だよ。ここでぐずぐずしてる間に、形勢整えられるのも癪だしな。せっかくいいところまでいったのに」

「本当だよ。もうどうでもいいからぶっ放したいって感じ」

「はは、意外と頼りになる奴だな、ミレ-。ふ抜けになっちまってる奴が多いってのに。行こうぜ、俺たちでアリスの敵を打つんだ」

 バインズはぐっと拳を握りしめた。


「おい」


 その声に反射的に血の気が引く。

「どうした?」

 ライラはバインズとミレ-のその反応を見て眉を潜めた。

「いえ、ライラ隊長、おはようございます」

 ライラの強さ、兼、怖さを間近で見た2人だ。

「お前らは逆に意気込みすぎなんじゃないか? あそこでふぬけになってる2人を呼んで来い。会議だ」

 まるで日常のように流れるそのライラの態度は、ある意味でみなを冷静にさせた。

「はーい」

 ミレ-は呑気なミレ-に戻ってハルカナとルイの所へと駆けて行った。


「……もしかしてライラ隊長、機嫌悪いですか?」

 バインズはふとライラの手の握り拳を見てそう思った。

「ひっ!」

 バインズは情けない声を上げることになる。

「別に」

 そう言ったライラの目が明らかに血走っていたからだ。

「す、すみません! 余計なことを!」


「……」

 殺気立つのは、事が上手く運ばないからだ。

 あんな奴に悟られるとは、俺も冷静さを欠いている。ライラはふっと軽く笑って本当の冷静さを取り戻そうとした。

 一体なんなんだ! バインズはよりライラのことを恐ろしく思った。

「今の笑ったのかな……」





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