83.おかえり
EP2から始まります。EP4の完結です。完全完結ではありません。
83.おかえり
生きるために殺すのなら、それは仕方のないことなんだ。
「生き残るために、殺したのか」
アヴァンネルは、亡き父親が眠る像の前に立ってそう言った。幼い頃から、教えられてきたことは、傲慢さがもたらす盲目の戯言だけだったのかもしれない。
「否、違うだろう」
アヴァンネルははっきりと言った。それは、独り言ではなかった。
「待ちくたびれたぞ、神殺しの亡霊よ」
「ただいま。やっと帰ってきたぞ」
それは生き生きとしたジョーカーの声。
「お前の帰ってくる場所なんてないんだよ。相変わらず、陰気臭い顔だな」
アヴァンネルは顎を引き、目だけは真っ直ぐ睨みつけるようにジョーカーを捉えていた。その目に見つめられると、少し切なさが込み上げてくるのは否めないが、懐かしさが勝ってジョーカーの口元に笑みが浮かんだ。ああ、やっと俺を見てくれた。『亡霊』だと面と向かって言ってくれたおかげで、やっと生者としてこの星に帰ってこれた気がした。
「お前は随分と老け込んじまったなぁ」
優越感に浸るようにうっとりとしたいやらしい笑みを浮かべ、ジョーカーはアヴァンネルにゆっくりと近づいていく。
「バカは不老不死を求めると言うが、まさか本当のバカだったとは……」
嘲るようにアヴァンネルがそう言うと、ジョーカーの笑みは消えた。それを見て、アヴァンネルは続けて問いかける。
「違うのか?」
ジョーカーの笑みが消えると、アヴァンネルはそれを喜んだ。
「……うるさい」
ジョーカーは小さく短く抵抗する。
「肉体はただの器にすぎんのだよ。いくら外見が若返ったとしても、お前の精神は疲弊し、やつれ、老いている。残念だったな、お前は相変わらず醜いよ」
ジョーカーは、一度目を閉じ、怒りを諌めた。アヴァンネルは的確にジョーカーの傷をえぐることに成功しているのだが、高ぶる感情をコントロールしようと努めることぐらい、ジョーカーはできた。目を閉じて、気持ちを鎮める。
「……ふん、いいさ。お得意の優越感に浸って俺を嘲笑えばいい。だがしかし、よく考えた方がいいぞ。なぜ、俺が遅かったのかな、なんて、ちょっとぐらい考えてもいいんじゃないか?」
「何……?」
予想外に落ち着いたジョーカーの反応に眉を潜める。よく見ると、ジョーカーの体には血がついていた。しかも、いたるところに。
「まさか……」
アヴァンネルは顔を蒼くして呟いたが、『やっぱり』と言った方が正しいのかもしれない。頭のどこかでよぎっていた。アヴァンネルはわかっていた。なのに、ここに留まって、ジョーカーをただ待っていた。
その様子を、物陰に隠れてライラは見ていた。レイスターと別れた後、たどり着いた先にいたのは、ミズではなくアヴァンネルだった。ライラは、その人物がこの星のキングであるとすぐに見抜けた。この星は、見てくれに格差をつけすぎなのだ。
立ち並ぶ銅像の下に何が埋まっているのかなどライラは知る由もなかったが、この場所に漂う空気は、厳かで神聖なるもののように感じた。きっとここは特別な場所。
しかし、こんな時にキング1人でいるとはなんたることだ、と、ライラは思ったが、すぐにレイスターを思い出して、キングっていうのはこれが普通なのか? と自問自答するはめになった。
さて、どうしたものか、と暫く立ちすくむ。
「随分と……拍子抜けだ」
ライラは口に出して呟いた。口に出さずにはいられない本音だった。自分たちの敵であるコウテンのキングは、もっとこう……、悪役らしく、嫌な顔をした醜男だと思っていたのに。
それはそれで、ムカつく野郎だが。
静かに佇むコウテンのキングは、常に憂い顔で、この戦争など望んでいるようには見えなかった。明らかに、侵略された側のキングだった。それは事実だが、いや、事実だが真実ではないはず。あのキングが、ネスの地を侵略すると仕掛けてきたんだ。
ライラの頭にジャスティーの言葉が蘇る。「この戦争はどこかおかしい」。
「それじゃあ、やってらんねぇんだよ」
ライラは思う。あの男を殺せば終わりだ。
帰ろう、レイスター。もう、早くネスに帰りたい。ネスの外に初めて出て、だだっ広い宇宙に放り出され、真っ白く整えられた清潔で無機質な、ただ美しく見えるような星に、なんの憧れもときめきもなければ、憎しみもない。無感情だ。
俺は、ただ、あの地が懐かしい。泥臭い、あのネスの大地が懐かしい。
お望み通り出て行くから、その命で手を打ってくれ。
ライラは、ただの動作として、シルバーホールを前に突き出し、標準をアヴァンネルに合わせる。殺気すらない、もう、何の感情も持っていない。それゆえに、コウテンのキングは、自分を狙う俺の存在に気づけないだろう。
が、何かを察知して、キングが動いた。静かに佇んでいたはず男から、怒りのようなものが感じられた。バレた? ライラはしまった、と思うが、キングの感じたものはライラの気配ではなかった。ライラは乗り出してしまっていた体を柱の影へ引っ込めた。
それから、あの2人の会話が始まった。
ライラには、その状況を全く理解することができなかった。したくもなかった。
「知らないうちに、お前は随分と悪趣味になったもんだな」
ジョーカーが言った。
「何?」
顔を青くさせて最悪の事態を考えていたアヴァンネルは、隙をつかれたように顔をあげて、ジョーカーを見た。そして、そのジョーカーの表情の理解に苦しんだ。
「なぜ、お前がそんな顔をしてるんだ」
ジョーカーの顔がひどく歪んでいる。笑っているようにも、怒っているようにも、泣いているようにも見えた。アヴァンネルは当然思う。なぜ、お前がそんな顔をしている? 泣きたいのはこっちだし、怒りたいのもこっちだし、お前はただ楽しそうに笑っている方がこの状況には合っている。
「レイディを殺したのは、お前だ」
ジョーカーはアヴァンネルに言った。
「何だと……?」
アヴァンネルの目に、熱い光のような怒りが宿る。
「レイディという女がいながら、なぜ、あんな女を愛せるんだ……」
そのジョーカーの言葉に、アヴァンネルは違和感を持った。そして、はらわたが煮えくり返るほどの嫌悪感も。
「なぜ、お前がそんな事を言う? お前が私からレイディを奪ったんだろうが! もう彼女はいないんだ! お前が殺したんだ! 正に、ここで、この場所で! 10年前のあの日、お前が、レイディの胸に剣を突き刺しただろう!? 私の世界の中心を奪ったのはお前じゃないか!」
怒りは急に爆発した。しんとした場所に轟々と響き渡ったアヴァンネルの声。
「……お前、俺の気持ちを知らなかったとでも言うのか?」
それとは対照的に、ジョーカーの声は、アヴァンネルの耳に小さくこだました。傷ついた子どもが1人、目の前に立っている。アヴァンネルの怒りは行き場をなくして、ただ、唇を噛み締めた。
「時を経てもなおそんなことを言うのか……。昔からずっと言ってる。しょうがなかったんだ……。そして、どんな理由があろうがな、お前には俺の命もレイディの命も、誰の命も奪う権利なんてないんだよ!」
アヴァンネルは叫んだ。それは、怒りとはまた別の感情のようだった。ジョーカーも、なんだか泣きそうな顔でその言葉を聞くから、柱の影に潜むライラは、一体目の前で何の茶番を見せられているのかと、呆れていた。
一体何がどーなって、こーなってるんだよ……ミズ。ミズか? それともミズの血縁者か? 信じられない話だが、明らかにコウテンのキングと昔馴染みじゃないか。あれは、ミズではない。ものすごくよくミズに似ている誰かなんだ。つまり、血縁者か?
ライラは頭をフル回転させる。勘のいいライラは薄々感じている。あれは、ミズであってミズでないもの。
ライラは静観する。新たなる展開の扉は、物質的な扉と共に開かれた。
冷たく静かな場所に、バンッ! と勢いよく音をたて、扉が開いた。ゆっくりと、噛みしめるようにこの場所に入ってきたジョーカーとはまるで違う雰囲気で扉は開いた。当然その先頭に立つ男は、青い頭に赤い瞳の少年だった。
「こら、先に行くなと言ってるだろ……」
少し遅れてザルナークが息を切らして辿り着く。イリスの足音はまだ少し遠くに聞こえる。
「お前らが遅いんだよ!」
ジャスティーはザルナークに言った。
「なっ、生意気な……!」
ザルナークは意外とプライドの高い男のようだ。ジャスティーの態度がいちいち気に食わない。しかしプライドではないのかもしれない。ただ、子どもを危険から守ってやりたい親心に似たものかもしれない。なぜか、すんなりと、ザルナークはジャスティーを受け入れていた。
突然の来訪者に、アヴァンネルとジョーカーの動きが止まる。アヴァンネルの高まっていた熱がスッと引くのがわかった。引きすぎて、青い顔になる。
アヴァンネルは、ジャスティーの姿を見た瞬間に、わかってしまった。彼が一体何者なのか。しかし、アヴァンネルとジャスティーの目は合わない。ジャスティーが見つめるのは、アヴァンネルに向かい合っている男。
「やはり、貴様か……」
ジャスティーの隣にいるザルナークが、対象を睨みつけ、剣を抜こうとしたとき、
「ミズ!」
ジャスティーの歓喜の声が響いた。
そう、それは『歓喜』の声だった。
コウテンの短い夜は一度しか訪れていない。そんな時間しか経っていないはずなのに、まるでぽっかりと年月が抜け落ちたみたいだ。長い間、どこか秘境の地に行かされていた家族との感動の再会。そんな雰囲気に包まれている。
しかし、ジャスティーの瞳はだんだんと潤んでくる。それは、ついさっき見た光景をミズに伝えなければならないから。あの喪失は、ミズと共有しなければ、ジャスティーの心を潰してしまう。
ミズ、ミズ、ミズ、ミズ、ミズ、
レイスターが死んだんだ。
俺たちのたった1人のお父さんが、死んだんだよ。
「知ってる」
もちろん。ジョーカーの口はそう言った。
ジャスティーは心でただ思っているだけなのか、それを言葉に出して伝えているのかわからないほど興奮していた。
ジョーカーは両手を広げてジャスティーを迎えようとする。そこにはもちろん異様な雰囲気があったが、ジャスティーの精神状態と、涙で視界がぼんやりとする目では、真実を捉えることはできなかった。そこにあるぬくもりは、間違いなく、ミズのものでしかないと、ジャスティーは確信する。
「行くな!」
ザルナークが叫ぶ。ジャスティーのマントを掴もうとしたが、それを振り切って走り出していた。
「どうして、よそ見ばかりする? なあ、お前が殺したいのは、今も昔も俺だけなんだろ?」
それは、コウテンのキングとしてのアヴァンネルの声ではなかった。どこか若々しさを感じる張りのある声。そんな声が出るのは、幼き日々、共に泣き笑い合った旧友に会ったからかもしれない。どこか自嘲的な笑みを口元に浮かべ、そこから流れ出る赤いものは、10年前に枯れ果てた涙の代わりに流した悲しみの形だ。どうして、お互いこればかりを流さなければならないんだろう?
「!?」
次に起こった出来事は、その場面を目撃した全員の頭を混乱させた。
「なんで……」
ジョーカーは、剣を落とす。それは、ジャスティーを貫くはずだった剣。
その剣が、なぜかアヴァンネルの身を貫いた。それは、己の真の目的であったはずなのに、ジョーカーが見る景色は、ジョーカーが思っていたものとは違った。こんなはずじゃない。こんな風に、殺したいんじゃない。なんでこんな……。
「なんでだろうなぁ……。だけど、この子は、あの時、お前に嘘をついて、お前をこんなに苦しめてまで救った命なんだ。救わなくちゃ、あの世でレイディに合わせる顔がない」
アヴァンネルが言った。そして、静かにジャスティーの方へと顔を向ける。
「元気そうだな。おかえり」
そしてジャスティーに向かってそう言った。
「なんだって……?」
ジャスティーはアヴァンネルに庇われたまま動けなかった。唐突に、アヴァンネルから暖かい気持ちを向けられた。レイスターのそれと似ているなんて思うのは、レイスターへの侮辱になるから言わないが、それくらい、何か特別な感情を向けられたと思った。それは、自然とジャスティーの目を潤ませた。しかし、もちろん「ただいま」なんて言えるわけない。
散らばっていたピースが、脳内でチカチカと発光し、それを繋ぐ電流が走ったような気がした。感覚的に、ジャスティーは自分の出生を理解し始める。
やっぱりそうなんだ。俺の母親は、きっとイリスと同じ。だけど、父親は、この目の前の男ではない。この、まるで父親のような雰囲気を漂わせる男ではない。
なのにどうして? そんな風に俺に優しく笑いかける?
「お父様!!」
遅れてきたイリスの悲鳴で、ジャスティーは我に返る。
「来るな! イリス。ザルナーク、今度こそ押さえておけ!」
アヴァンネルの命令に、ザルナークはイリスの体を言われたとおりに押さえた。イリスの手だけがアヴァンネルに伸びる。
「お、おっさん……。だ、大丈夫か?」
ジャスティーはやっと、自分を庇ってくれたアヴァンネルの身を気にかけることができた。そして、現実に目を向けると、大きな問題が存在していることに改めて気づいた。
「てか……、何やってんだよ! ミズ!」
ジャスティーは呆然と立ちすくむジョーカーに向かって叫ぶ。
「そいつはもう死んだよ」
ジョーカーが言った。ジャスティーはその言葉をうまく理解することができない。
「な、何言ってんだ?」
ジャスティーの声が震える。何か大きなものを失いそうで。
そのやりとりを苦悶の表情で眺めるアヴァンネルは首を傾げる。「ミズ」?
「ダートマス」
アヴァンネルが息を吐き、呼吸を整えて言った。
「そいつももう死んだ」
ジョーカーは同じ調子でそれに答えた。
「ダートマス、今起きていることは、全部お前が始めたことなんだろう?」
アヴァンネルはジョーカーの返事を無視して続ける。
「……」
「キ、キング。どうか手当をさせて下さい……」
ザルナークがいたたまれずに口を挟む。アヴァンネルの足元に赤い水たまりが広がるから。しかし、アヴァンネルは小さく首を振った。見つめるのは、ジョーカーの揺れ動く青い瞳。
「ダートマス」
もう一度その名前を呼ぶ。やはり返事はこない。
アヴァンネルはそのまま続けた。
「昔話をしようか」
あの時、お前に本当のことを言っていれば、こんなことにはならなかったんだろう。
EP2からEP4まで終わりました。予想外に時間をかけました。もう書けないと思いましたが、無事に進みました。読んでくださった方、本当にありがとうございました。
次は、EP1へ戻ります。過去編です。これは短く終わらせて、最終EP5でシリーズ完結します。
どうぞ、最後までよろしくお願い致します。