82.果たせなかった約束
82.果たせなかった約束
思い返せば、多くの約束をされたし、してきた。さぞかし、私は迷惑なやつだっただろうな。約束ってやつは、破っちゃいけない。だから、私はきっと多くの人に恨まれるだろう。不思議なのは、私は、約束を果たせないのに、私が押し付けた約束はみんな守ってくれるんだ。なあ、ライラ、最期の最期に、2人の息子に会わせてくれてありがとう。お前が私をここへ導いてくれたんだろう。
でもごめんな。アスリーン。
俺はライラじゃないから、約束を守れそうにない。愛しいネスの大地に帰り着いたら、伝えたいことがあった。恥ずかしくて、言えなかった言葉。あの日、ネスの基地で、帰ってきたら言うよと約束したのに。
「ジャスって誰? それ、おじさんの会いたい人だったの?」
血で濡れた絨毯に、ただ1人息をするアゼルは、その血の出所であるレイスターの顔があまりに穏やかなので、さっきまでの出来事がもしかして幻なのではないかと思った。それは当然残酷な現実なのだが、いまいち現実味を欠いていた。
腑に落ちない行動ばかりをする。ここに集う全員が。
「あの人、何がしたかったんだろう」
アゼルは呟く。黒い死神は、なぜかおじさんを助けに戻ってきた。おじさんを、自分で刺したくせに。だけど、僕にはその死神がまるで別人のように見えた。
「アゼル様!」
遅すぎる衛兵。同じ過ちを何度も繰り返すコウテンの騎士たちは役立たず。
「ザルナークさん……」
「アゼル様、一体何が……。ローズ様……!?」
明らかなる己の失態がばらまかれた室内。
「アゼル様、早くこちらへ……」
ザルナークは、幼いアゼルをこの大人の汚した世界から助けようとした。
「いえ、ザルナークさん。僕は、お父様に伝えたいことがあります」
「何を……仰っているのです? それに、イリス様は!?」
「この人は僕の命の恩人です。乱暴に扱わないで下さい。ザルナークさん、約束して下さい。お母様みたいなことをしたら、許しません」
お母様みたいなこと? と、ザルナークは疑問に思ったが、それを言葉にはしなかった。
「しかし、この者は!」
赤いマントは、いくら赤い血を流そうが薄まらない存在感を発している。その意味を、この王子は知らないだけなのだとザルナークは思う。
「関係ないです。この人には。僕も誰も、関係なく接してた」
「アゼル様?」
ザルナークは、やはりキングの子だな、と少し不謹慎にも感動していた。キング、悲しみや苦しみから遠く離して、大事に育てたつもりでしょうが、立派なじゃじゃ馬に育ってますよ。お2人とも。
ローズ様の毒にも負けず、立派になられた。
ザルナークが場違いの感慨にふけっていると、廊下が騒がしくなった。ザルナークは、アゼルにどこか身を潜めるように言った。アゼルはそれには素直に従い、華奢な王女が1人で使うには大きすぎるベッドの脇に隠れた。
瞬間、勢いよくドアが開いた。
「ここよ!」
その声は、この部屋の主人、イリスだった。ザルナークは緊張を解く。が、次に入ってきたのは、青い頭に赤い目の見知らぬ少年。いや、この男は……、ザルナークの目が熱くなる。
「おい、しっかりバレてるだろ、この兵士の多さは!」
「何よ、ちゃんとたどり着いた……」
イリスの言葉が途切れた。
「……っ!」
ジャスティーは、間一髪で、青いシールドに守られた。凄まじい殺気を感じたと思ったら、それはもうすでに自分に襲いかかってきていた。ザルナークの剣がジャスティーに向かって振り落とされている。シールドの先で、ジリジリと拮抗する音がする。
「ザルナーク! 何をするの!」
突然のお出迎えにイリスは驚いた。誰もいないはずの自分の部屋。
「イリス様、お下がりください! この者は……」
ザルナークの目には、イリスがここ数日やたらと目にしたおぞましい怨念のような、とにかくとても悪いモノが宿っていた。その目を見て、イリスも少し目を細めたが、すぐに凛とした顔でザルナークと向かい合った。
「ええ、この者は、アザナルを殺した者です」
透き通るようなでイリスは言った。ジャスティーの顔が、どうしようもなく歪む。ザルナークの力は抜けたというのに。
「……知っておられたのですか?」
理解できない、と言ったザルナークの顔。
「なら、なぜ、この者と共におられるのですか!」
理解できないから、再びザルナークの剣に力が入る。ジャスティーは何を言っていいのかわからず、ただ青いシールドでそれを受けていた。
「やめて、ザルナーク! 私たちは話し合わなければならない。だって、この戦争はおかしいんですもの。ジャスティー! もう一度言って! あの時、ジャスティーはこの戦争を止めたかっただけなの。ジャスティーは、アザナルを殺したかったんじゃない。アザナルだって、ジャスティーの仲間を殺したんですもの。お互い様だわ!」
「お互い様? この星に侵入してきたのは、ネスじゃないか!」
ザルナークは、イリスに対しても感情的になった。本来使うべき言葉遣いはすっかり頭から抜け落ちていた。
「……だから、そっちが攻めてくるって、宣戦布告してきたんだろ!」
ジャスティーは言った。
「何を言っている?」
「わかんねぇよ、ただ、そう言われてきたから、それを信じてここにやってきた。だけど、それすらわかんなくなってきた。だから、本当はどうなってるのか、知りたいんだ。この星のキングと会って話がしたい。殺すんじゃなくて、話をさせてくれ。俺たちのキングと、コウテンのキングとの、話し合いを設けてほしい。こんなバカなこと、もう終わりにしたいんだ。俺は……、ここの星の奴らだって、嫌いじゃない」
ジャスティーは、シールドを解いた。ザルナークは、そのまま剣がジャスティーを貫かないように、急いで剣を引いた。ザルナークからジャスティーに向けられていた殺気は消えていた。
「だからお願い。あなたも協力して」
まっすぐに、イリスはザルナークを見た。
「……まったく、レイディ様と同じ瞳で無茶を仰る」
やれやれ、と言った形でザルナークは剣を置いた。真っ直ぐな瞳には敵わない。あなたの武器は最高に強い。ザルナークは降参した。
「善処するが、お前、名前はなんだったか?」
ザルナークが問う。
「ジャスティー」
ジャスティーは凛々しく答える。
「ネスのジャスティーとやら、既にここが血の海だって、気づいているか? お前らは、ここまで侵入に成功している。それでも、話し合いで解決できると思っているのか?」
「レイスターなら、俺の星のキングなら、できる!」
それは、虚しく響いた。
「……ジャスティーって、言った?」
ジャスティーには聞き覚えのない、この場にふさわしくない声。幼い声がした。
「?」
ジャスティーはその声に振り返る。その視線の先、イリスのベッドの脇からアゼルが姿を表した。しゃがみこみ、隠れるのをやめ、呆然とした様子で立っていた。
「アゼル、どうしてここに……っ! ひっ!」
イリスの声が奇声に変わった。勢いで自分の部屋までたどり着いた瞬間、ザルナークとジャスティーがかち合ったため、この部屋がもう、自分が日常を送っていた部屋とはすっかり違うものに変わっていることに気づくのが遅かった。この部屋で穏やかな気持ちで眠ることなど二度とないだろう。
イリスは、アゼルの声を捉えようと、その方向へ体を向けた地面に、ローズの変わり果てた姿が見えた。なぜ、アゼルはここにいるのだろう。そして、同じく、なぜここにローズがいたのだろう。そして今、なぜ、アゼルはその母親を放っておいているのだろうか。
「ザ、ザルナーク……ここで一体何が……」
イリスは口もとに手を当て、体を震わせる。
「ネスに殺されたんですよ」
「そんな!」
イリスはショックを受ける。
「違います! それは違う!」
そこでアゼルが声をあげた。
「アゼル様?」
「ねぇ、あなた、ジャスティーって言った? ジャスティーって、ジャス? ねぇ、ジャスってみんなから呼ばれてるの?」
アゼルがジャスティーに駆け寄ってきた。
「いけません!」
ザルナークがアゼルを止める。
「ねぇ……!」
ザルナークに体を抑えられても、アゼルはジャスティーへと手を伸ばす。
「ジャスって、呼ぶのは……、家族だけで……」
ジャスティーの心臓はうるさく音を立て出した。見覚えのある赤いマントの先が、ちらと視界に入ったからだ。そして、そのちらと目に見えた体の一部だけで、もう確信的に誰だかわかったからだ。
「僕のこと、ジャスって呼んだ」
「え?」
ジャスティーの視界がぼやける。
「僕の頭、撫でてた」
ジャスティーは、アゼルがそう言った瞬間、なぜだか無性に申し訳ないという気持ちになった。罪悪感に襲われた。ごめん、ごめん、レイスター。傍にいなくてごめん。ごめん、ごめん、レイスター!
「嘘だろ……? レイスター!」
ジャスティーは、大きなソファーに隠れて見えなかったレイスターへと駆け寄り、震える手をレイスターの顔の前で持て余していた。経験したことがないほどの動揺に、体がうまく動かない。触れることができない。
「待って……。俺がジャスだよ!」
ジャスティーはレイスターの体にすがりつくように覆いかぶさった。待って、待って、行かないで。今はっきりとわかったんだ。ずっと、悪いことを考えていた。その答えはすでに持っていたのに、わからなくて、ここに来て大切なものから離れてしまった。
「俺はバカだ……ッ」
ジャスティーは声を詰まらせる。
バカだよ、父さん……!
「なあ! どうやってこんな上品なガキと間違えてんだ! バカ息子は俺だろ!? このバカ親!」
ジャスティーは叫ぶ。レイスターの血と自分の涙で顔がぐちゃぐちゃになる。そのジャスティーの様子を見て、イリスは少し怯えていた。ジャスティーの情緒が不安定になったら、あの力が目覚めるかもしれない。
「ねぇ……、父さん……」
ジャスティーはぽつん、と呟いた。その声に、レイスターの手がぴくん、と動いた。
やっと呼んでくれたか。
「レイスター!?」
ジャスティーは叫ぶ。レイスターは、ジャスティーの顔を見て、にっこりと優しく笑った。ジャスティーはそれに見惚れてしまった。初めて見るレイスターの表情だった。本能が伝えている。俺は、この人の子どもで、この人に愛されて、守られていたって。
レイスターは震える手で、ジャスティーの目から流れる涙を拭ってやろうとした。しかし、目覚めるだけの力しか残っていなくて、その手がジャスティーの頰に触れる前に崩れ落ちる。ジャスティーは素早くその手を取った。まだ暖かい手。
どれほどレイスターが自分のことを想っていてくれたのか。
ジャスティーは自分の弱さを呪った。
「誰だ……レイスターを殺したのは」
ジャスティーの体から、グリーンの揺らめく気が発されたように見えた。
「ダメ! ジャスティー、自分をコントロールして」
イリスは叫んだ。
「うるさい! 誰だ! 言え!」
ジャスティーは獣のように毛を逆立ててアゼルに牙を向いた。
それなのに、アゼルは堂々と立っていたように思う。
「ミズ」
アゼルはぽつん、と言った。
ジャスティーの沸騰しかけた怒気が、一瞬で冷めた。「ミズ」。底なしの絶望の入り口が開いた。
「でも、ダートマスとも言ってた。よく、わからなかった」
「どういうこと? どうなってるのかしら。ザルナーク……、ザルナーク?」
イリスがジャスティーとアゼルの会話を聞きながら、ザルナークに意見を求め、その顔を覗き見た時、ザルナークは恐ろしい顔をしていた。
「ダートマスだと……?」
ザルナークは苦虫を噛みしめるように言った。
「知ってるの!?」
そのイリスの声に、アゼルとジャスティーはザルナークを見た。
「ミズじゃない! ミズのわけない! そいつだ! ダートマスだ!」
ジャスティーは希望を見出したように叫ぶ。ほんのついさっきまで開いていた絶望の入り口から生還した。
「ミズって誰? ジャスティー知ってるの?」
「ああ、俺の兄ちゃんだ」
ジャスティーのその声はとても清々しい響きを伴っていた。
「お兄様……」
イリスが呟く。
そこに、援軍か、廊下から大勢の足音が近づいてきた。
「くそ」
ジャスティーは顔を歪ませる。
「扉に最終ロックを。イリス様」
「え?」
ザルナークの指示にイリスは戸惑った。
「最終ロックです。パスワードは知ってますよね?」
「え、ええ。でも……」
イリスは、キングから、それは最期の手段だと言われてきた。でも、それを使う場面なんて想像したこともなかった。平和ボケしたお姫様。そう言われることが嫌で、この部屋を飛び出してばかりだったけれど、いざこの部屋を捨てることになると思うと、イリスの胸が痛んだ。可愛らしく飾り立てた部屋の中が、あまりに場違いな幸福感を表すから、余計に虚しさが溢れてくる。
「コウテンに存在する武器では、もうこの扉を開くことは物理的に不可能となります。コウテンの守りの要。ここは、家族をもう二度と失いたくないという、キングの、アヴァンネル様の意思が強く込められた場所です。この部屋の壁も、特殊な鉱石で作られています。さあ、我々だけで進みましょう。黒い闇に隠れるJOKERの後を追って」
ザルナークは強い決意に満ちた眼差しでイリスを見つめた。イリスは頷く。深く深く続く秘密の通路の先。向かう場所がなんとなくイリスにはわかった。あの、冷たい場所。
「アゼル様はここに」
ザルナークは指示を付け加える。
「どうして!」
「あなたには、あなたの役割があります。ローズ様を失った今、あなたまで失うわけにはいかないのです。私がキングに殺されてしまう。どうか、私の命をお救い下さい。本当は、あなたもですよ、イリス様」
幼いアゼルに跪き、懇願するザルナーク。伏せた顔の目だけは、イリスを捉えた。
「ごめんなさい。私は、命に代えても知りたいことがあるの。ジャスティーと一緒に行かなくてはならないの」
「僕も……!」
「なあ、お前」
そこで黙っていたジャスティーが口を開いた。
「俺が戻ってくるまで、レイスターの傍に居てやってくれないか。ここに1人でなんて置いておけない。必ずミズを連れてここに帰ってくるから、それまで、ここで、レイスターの手でも握ってやってくれないか。こんなこと、お前に頼むなんておかしい話だけど……」
ジャスティーはレイスターから、アゼルへと視線を移す。そして、ザルナークの隣に同じように跪く。見よう見まねで懇願の姿勢をした。
「ずるいなぁ……」
アゼルは呟くように言った。




