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81.誤算



81.誤算



 過去の歴史が眠る場所に、静かに佇む男は、考えた。どうやら、少し読み違いをしてしまったのかもしれない。あまりに待ち人が来ない。ここではないのなら、一体どこへ向かう?

 アヴァンネルの頭の中に、いちばん嫌なシーンが浮かんだ。私がいちばん恐れていること。それを考えると、身震いがした。いや、大丈夫だ。そのための城だ。そのための。私の子どもたちは、宇宙でいちばん安全な部屋で守られているはず。守りの装備としては、全体の9割をそこに注いでいると言ってもいいほどの、強固なシェルターだ。あの部屋から、出ない限りは。



 キングの部屋から伸びる秘密の通路。キングの部屋がもぬけの殻なのを確認して、ジョーカーは、隠し扉を開いた。少し前に、ジャスティーが使った通路だ。ジャスティーがイリスの部屋から、最前線までたどり着いた通路。親族のみの共有が許される秘密。王族なら知っている。

 ジョーカーは思う。私の目的は、あの日からずっと変わらない。ようやく、ここへ戻ってきた。あの日、成し遂げることができなかった、本当に壊してしまいたかったものを、今こそ、この手で破壊してやる。自分の命にのみ価値があると自惚れるな。ジョーカーは、腰に、先祖代々から伝わる家宝である剣を携えた。憎き血の繋がり。全てを断ち切るため、ジョーカーは走る。



「あれ?」

 レイスターは、激戦区へとみんなを鼓舞しに向かったはずなのに、やけに、上品な絨毯が敷かれた戦闘中の城とは思えない空間に辿りついてしまっていた。

 道を間違えてしまった? 戦闘の音が遠ざかり、変な緊張感に襲われる。ここはどこだ? だいぶみんなの気配から離れてしまった。だけど、何かに導かれるようにしてここへやってきたのも事実だ。

 レイスターは走るのをやめた。ゆっくりと歩く。見たこともない見事な装飾品で彩られた廊下に目移りする。ああ、アスリーンが見たらなんと言うだろう。こういうの、好きかな。いや、あいつには似合わないか。レイスターはそんなことを考えながら歩いていた。

 元気にしてるかな、アスリーン。レイスターはアスリーンのことを考えることで顔が緩んでしまった。おっと、いけない。レイスターはパンッ、と自分の頰を叩く。気合いを入れ直す。

 と、その瞬間、突然目の前に開かれた扉が現れた。レイスターが歩く廊下の左側に並ぶ部屋の扉が勢いよく開いたのだ。咄嗟に、叩いた頰に添えられたままの手をペンライトに移すが、その動きは、止まった。

「お姉様じゃない……」

 目線を下にやると、小さな男の子がレイスターの顔を見てがっかりとしていた。

「え?」

 子ども? こんなところに? レイスターはしゃがみこむ。

「おい、お前こんなところで何をしているんだ? 早く部屋に入れ」

「だって! イリスお姉様が帰ってこないんだ!」

「いいから!」

 静かな廊下に響く話し声に、ハラハラする。間違いなく、身分の高い衣服を身にまとっている少年の手を、レイスターは自然と掴んでそのまま部屋に入った。

 きっと、この星の王子だろう。つまり、

「キングの息子……」

 レイスターは呟いた。幼い子どもだ。拾った時のミズよりも幼いな。

「何?」

 何も知らない無垢な瞳に見つめられる。ジャスティーにも、ミズにも、ネスの子どもにはない光を瞳に宿しているように思えた。

「ここは……」、レイスターは部屋を見渡す。「お姉ちゃんの部屋なのか?」

 明らかに女の子の部屋だった。ピンクの装飾を主とした様々な家具。くん、と匂えば、何やらいい香りがした。テーブルには、ポッドに入った綺麗なオレンジ色の飲み物が置かれたままだった。

「おじさん、お姉様を見なかった? 外に出たら危険なのに、いつも言いつけを守らないんだ」

「はは、君は偉いな。ちゃんとここに隠れてるわけだ」

「ううん、僕も本当は自分の部屋にいなくちゃいけなかったんだけど、なんだか心細くて、お姉様に会いにきたんだ。でも、いなくて……。どうしたんだろう、無事かなっ?」

 レイスターは答えに詰まる。何を仲良く喋っているんだろう。この子の父親を殺しにきたっていうのに。それに、この子の帰ってこないお姉ちゃんは、どこかで私の子どもたちが殺してしまっているかもしれない。

 甘かった。理屈でどうこうできる問題じゃなかった。殺されるから殺していいわけでもなく、攻められる前に攻めればいいわけでもなく、私がこの星を粛清して、ネスの未来を繋げることに、この子を巻き込むのは、ただの悪でしかない。この子はきっと大人になって、私を殺しにくるだけじゃないか。それだけならいい。ネス全てを滅ぼしにくるぞ。

「どうしたの?」

 顔を伏せ、動かないレイスターを心配そうに覗き込む。

「いや、なんでもない。きっと、お姉ちゃんは帰ってくるよ」

 レイスターは笑ってそう言った。

「君、名前は?」

「僕は、アゼル。アヴァンネルとローズの子、アゼル。おじさんは?」

「私は……」

 レイスターがその問いに答えようと口を開いたその時、肌が一瞬で逆立つ、おぞましい冷気を感じ取った。そして次に、その反動で熱された殺気が鋭く体を貫いた。レイスターは、反射的にアゼルを抱き込んで、その『者』から庇った。

「おじさん!?」

 アゼルはレイスターの背中に隠れる形となった。

「……アヴァンネルと、ローズの子だと?」

 殺気を纏う黒い死神のような人物は、ゆらゆらと体を揺らしながら、それは心の動揺とシンクロするようで、頭を押さえる動作をした。

「ローズだと? お前は、正当な血筋ではない……」

 ゆらゆらと近ずくどす黒い影。

 その姿を見たレイスターの目がみるみるうちに大きくなる。

「だっ、誰!?」

 アゼルがレイスターの背中に隠れ、震えながら問いかける。

「誰だって? お前こそ誰だ。あいつは、お前が生まれてくるなんて愚行を犯すなど……」

 ジョーカーは頭を押さえながらも、憎悪がたぎる片目でしっかりとアゼルを捉える。ジョーカーの目には、そのアゼルの前にいる人物が視界に入らなかったのか。

 次の瞬間、レイスターは、ジョーカーを抱きしめた。すっぽりと、ジョーカーはレイスターの腕の中に入った。アゼルはその状況を、ぽかんとした表情で眺めていた。

「なっ……」

 ジョーカーは、突然のことに、うまく反応することができない。

「よかった……無事だったか、よかった……」

 レイスターは、優しくそう言った。背の高くなったミズの頭を、よしよし、と撫でる。その様子を見ていたアゼルは少しホッとした。柔らかい空気が流れたから。

「は、離せっ!」

 ジョーカーは我に返り、握っていた剣を乱暴に振り回して、レイスターの抱擁から逃げた。その剣さばきは、なんとも稚拙なものだった。しかし、レイスターの赤いマントを切り裂き、そこから、赤い血を流させることには成功した。レイスターは丸腰も同然だった。なんせ、戦意がなかった。

「おじさん!?」

 アゼルが悲鳴をあげる。血、というものを見ることもない平和な生活を送っていた。だが、それがとても悪いものであることぐらいは知っていた。

「ミズ、帰ろう」

 レイスターは、胸を開いた傷口をひとつ撫でると、再びジョーカーの顔をしっかりと見据えてそう言った。ジョーカーの目にはレイスターに対する恐れが見えた。

「ミズ? もうそいつはいない。真の姿に戻ったんだから……。もう記憶もだんだんと薄れていってる。だから、その名前で呼ぶな」

「もういい。全て投げ出して、帰ろう」

 レイスターは、再びジョーカーに手を差し伸べる。ジョーカーの話なんてまったく聞いていないようだ。

「だからっ……、帰る場所なんて」

 レイスターの手が、左目の鉄の眼帯に触れた。

「痛むのか? そういえば最近、左目を気にしていたもんな。どれ、見せてみろ」

 呑気に話すレイスターだが、それはとても自然な会話だった。気取った様子も緊張もなく、日常のような会話。こんな状況でその会話になるのは、とても不自然なはずなのに。


「なあに、気にするほどの傷でもないだろう」

 レイスターは眼帯の下に隠れるジョーカーの右目を覗き込んだ。

「取れよ。そんな重たいもの」

 そして、その眼帯を留め具を外した。開かずの間が、開いたみたいだった。

「どこをどう見ても、やっぱりミズじゃないか。ちょっと顔を隠したぐらいで、そんな嘘、親に貫き通せるとでも思ったのか?」

 レイスターは嬉しそうに笑ってそう言った。がしゃん、と重みを伴なってジョーカーの鉄の眼帯は床に落ちる。

 顔にかかる長い前髪をそっと触って顔を確かめる。満足そうなレイスター。ジョーカーの目から滲み出るのは、涙?

「…………あっ……」

 ジョーカーは、震える声で、レイスターに何かを伝えようとする。その表情は、レイスターがずっと望んでいたものだった。助けを求めるようなか弱い表情。レイスターは、昔から、ミズにもっと甘えてほしいといつも思っていた。ミズは、口では大切な家族だと言ってくれていても、どこか他人行儀で、いつも気を遣わせていたように思う。ずっと頼っていたのは自分の方だったし。本当、親失格だったよな、レイスターは、ただただ深い愛情でもってジョーカーの瞳を見つめ返した。


「おじさん!」


 しかし、次に聞こえたのは、アゼルの悲鳴のような声だった。




『とんだ親バカだ』

 レイスターは霞む視界の中、思った。自分はネスのキングでもなんでもない。ただの人の親だ。それも、究極の親バカ。バカ息子の親は親バカだ。ほんと、俺の家族はバカばっかりだ。


「う……、うわぁぁぁぁ!!」

 アゼルが目の前の光景を見て叫んだ。可愛らしい悲鳴から絶叫へと変わった。

「はぁ、はぁ……」

 ジョーカーは、苦悶の表情でそこに立っていた。感覚のない左目からも涙を流していた。

「なんだこれ?」

 溢れる自分の涙を手に受け止める。レイスターを貫いた剣につく赤い血液が涙で滲む。

「おじさんと知り合いだったくせに!」

 恐怖におののくアゼルは、生まれつき持っている王族の気品なのか、恐怖で涙を流しつつも、ジョーカーに毅然とした態度でそう叫んだ。

「何を言う……。バカなことを抜かすな……!」


「僕にも伝わったのに……。ミズお兄さんのこと、あんなに心配してたじゃないか!」


 アゼルが叫んだ。ジョーカーがまさに今、決死の思いで切り刻んだはずのミズの痕跡は、どうしても自分に襲いかかってくる。コウテンの王子にまで、自分がミズだと認識された。

「違う! 私は、コウテンのダートマスだ!」

 ジョーカーもまた泣き叫ぶようにそう言い放つと、この部屋から逃げるように、秘密の通路へと向かった。

「待ってよ!」

 アゼルは叫ぶ。当然、ジョーカーは待たなかった。

「うぅっ……、どうしよう、どうしよう。おじさん……」

 アゼルは倒れたままのレイスターになすすべもなく近づく。堂々と、自分を反射的に庇うことなく受けとめた傷からは、容赦なく血が溢れ出ている。


「……ジャス? 泣いてるのか?」

 レイスターの口がそう言った。

「おじさん!」

 アゼルは興奮して叫んだ。

「待ってて! 誰か呼んでくるから!」

「いい、ここにいろ。すぐにどっか行っちまうからなぁ……」

「え?」


 吸い込まれるような優しい目をしたレイスターに見とれていたら、勢いよく扉が開いた。秘密の通路ではなく、正規の扉が開いた。

「アゼル!」

 そこに現れたのは、ローズだった。

「よかった! お母様!」

「きゃああ! 一体何事ですか!」

 ローズは、動く度に首やら手やらに施された装飾品がじゃらじゃらと音を立てる、相変わらずのうるさい女だった。

「僕を助けてくれたんだよ!」

「こんなところで何をやってるの! その人から早く離れるのよ!」

 ローズはアゼルの言葉を聞くことなく手を引っ張った。

「なぜ、ここに……赤の悪魔がいるの……」

 ネスからやってきた侵略者の服装は把握していたらしい。

「誰か! 誰か! ザルナーク! いないのか! この者を斬首せよ!」

 ローズは廊下に向かって叫んだ。

「待ってよ! お母様! どういうこと? この人は僕を庇ってくれたんだ!」

「黙りなさい! そんなことがあるはずないでしょう? いいわ、私がとどめをさしてあげる。虫の息のようだしね」

 ローズは、イリスの部屋にあった鋭利なもの。裁断に使うハサミを見つけた。それを握りしめる。もうアゼルにはそれを止める気力が残っていなかった。レイスター以外の人物はみんな悪魔のように思えた。人間って、大人になったら悪魔になるのかな? 

「だめ……、やめて……」

 それでもか細い声で抵抗する。僕は、あの人に生きてもらいたいのに!

『やめて!』


「うぅ……っ!」


 アゼルは目を瞑った。そのまま、気絶でもしてればよかったのに。

 目を開くとそこには、もう1人の悪魔が舞い戻ってきていた。

「どうして……」

 アゼルは呟く。

ジョーカーは、倒れ込んだレイスターへと向かったハサミの先端を右手の甲で受け止めた。

「大嫌いだ。お前みたいな大人なんて」

 そして、そのハサミを手の甲から抜くと、ひるんだローズの首元に力強く突き刺した。

 ローズは、たくさんの綺麗な宝石たちを伴って、地面に崩れ落ちた。


 




 ジャスティーは足を止めた。

 すぐ後ろに続く自分を追い越しそうな勢いの足音がはたと聞こえなくなったので、イリスも立ち止まり、後ろを振り返る。

「どうしたの?」

 イリスが心配そうに聞いた。ジャスティーは真顔のままぴたりと動きを止めていた。不可解な行動だった。

「どうしたの?」

 返事が返ってこないのに、イリスはもう一度聞いた。

「わからない……けど、とても悲しくなった」

 ジャスティーは、体中からこみ上げる悲しみに足を掴まれた。自然と流れ出る涙が一体何を意味するのか、わからなかった。






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