76.亡霊
76.亡霊
ああ、この段差だ。
ライラは笑みを見せた。貴重な笑みだが、貴重ゆえに誰も見ることはできない。ゆっくりと途方もなく歩くその足に、何かひっかかるものを感じた。しゃがみこんで凝視すると、ビンゴとばかりに不自然な四角が浮き出て見えた。この部分が開くはずだ。だが、そこで笑顔は曇る。どうやって開けるんだ?
「……くそ。びくともしねぇじゃねぇか」
特殊な装置で開けるのか? 見たところコードキーらしきものもない。物理的な力で開くことができそうなわりに、硬く頑丈だ。
「爆破……するか?」
ネスのペンライトの黄色いボタンに手をかけようとして、躊躇した。
その時、
ライラの肌に一気に鳥肌が立った。全身に寒気が走る。身の危険を咄嗟に体が感じ取ってくれた。考えるよりも先に、青いスイッチに手をかけ、自分を防御していた。
下からその扉が持ち上げられ吹っ飛んだ。
ライラが望んだ通りに、何かが爆発を起こして地面が吹っ飛んだ。
―その地下―
それは、フラニーの執念だったのか。
ただ、フラニーは、どうしようもなくミズのことを愛していた。恐ろしく純粋で、気を抜けば、それは当たり前に憎しみに変わる愛だった。
「ミズ!」
フラニーは手を伸ばす。頭を抱えてうずくまるジョーカーは、フラニーにとっては、ずっと、訓練生の頃からずっと、思い慕っていた大好きな人物以外の何者でもなかった。ネスにいた頃は、こんな風に苦しむ姿なんて一度も見たことがない。年だって、そんなに離れていないはずなのに、私たちよりも大人びた仕草と表情が魅力的で。みんなから少し離れた位置で、いつも優しく微笑んでいた。どんな人にも、私にも、こんな私にも、ただ優しく微笑んでくれた。それが、とても嬉しかった。
ジャスティーにだけ見せる特別な表情があることは、悔しかったけど、ちゃんと許していた。だって、家族ならしょうがない。ジャスティーには、理不尽に嫉妬していたけど、純粋にただ羨ましかっただけ。
手を伸ばす先に見える、鉄の眼帯で隠れていないジョーカーの右目が、悲しく揺れている。
少し見ない間に、随分と大人びた風貌に変化した。それを見た瞬間、フラニーは目標を変えた。不自然なほど勢いよく、ジョーカーから体を背ける。
「……さない。お前は、許さない!」
目標をリアへと戻す。いつもいつも、この星に来てからミズばかりを追っていた、この女だけは許さない。この女のせいで、ミズがおかしくなった。
「……うっ!」
再びリアに摑みかかるフラニー。リアの顔が歪む。
「あんたも死ぬのよ!」
右手に緑の液体の入った試験管を持ったリアが言った。
「お前が死ぬのなら、そんなのどうだっていい。そもそも、私はもう死んでるんじゃないのかしら」
フラニーはまさに、死人らしい出で立ちだったので、自分がもうただの亡霊であるかのように話した。
「私が今ここに立っている理由は、あんたを道ずれにするってことだと思うの」
やけにすらすらと話すことができる。私らしくない。フラニー自身もそう思った。やっぱり、私、あの時この女に殺されたんだわ。
「じゃあ、あなたの大好きなミズも道ずれにするの!?」
リアが微笑みかける。歪に口元は引きつる。リアのすぐ隣には死があった。
「ミズと死ぬのもいい」
そう言ったフラニーの、血管の浮き出た目に睨まれたリアにはもう交渉の術がない。フラニーの手に力が入る。体術は得意だった。白くて細いリアの首を掴む。そのまま足をかけて2人は倒れ込んだ。
2人の女の漆黒の髪が大きく揺れる。ジョーカーにはその様子がスローモーションで見えた。右手からすっぽ抜けた試験管。勢いよく倒れ込んだせいで、大きく弧を描いてリアの後方へと飛んでいく。
「フラニー!」
大嫌いな女に覆いかぶさる自分を引き離す、大好きな声が、自分の名前を呼んでいる。幻かもしれないけど、確かにフラニーの耳にその声は届いていた。
次の瞬間、大きな爆発音とともに、全ての物事が途切れた。
―コウテン城―
「なんだ?」
爆発音とともに地響きがする。キングの椅子にどっしりと深く腰をおろすアヴァンネルも、さすがに顔をしかめた。鉄壁の守りの塔が、揺れている。
「キング! 大丈夫ですか!?」
キングの近衛兵が扉を開け入ってきた。黒の騎士団とはまた違う、キング直属の部下だ。
「ああ、問題ない。何があった?」
キングは顔をしかめただけで、いつもと変わりなくそう言った。
「内部で爆発が起きました。詳細がわかるまで動かれませぬよう!」
近衛兵はそう言って、慌ただしく去っていく。内部? アヴァンネルはより一層顔をしかめる。内部までネスの侵入を許したということか? またしても?
直感的に感じる不自然さ。いつかの記憶が蘇ってくる。あの日もまた、私は1人で扉を開いた。
今もまた、亡霊が蘇って私を呼んでいる気がする。
レイディ、それがお前ではないことが、とても悲しい。だけど、私は行かなくてはならないだろう。あの日から、私の世界は止まってしまった。




