74.イリスとハルカナ
74.イリスとハルカナ
誰?
ハルカナは、その姿を見た瞬間から、嫌悪というものを顔にありありと表して、その美しい少女を睨みつけるように見ていた。
「イリス……、あいつの言うことなんて信じるなよ」
蛮族の森からイリスを担いでしばらく走ったジャスティーは、さすがに疲れ果て、蛮族の森の領域から外れるとすぐに地面にへたりこんだ。
「……」
イリスは、ジャスティーの首に腕をしっかりと回し、その体にしがみついたまま離れないでいた。
「なあ……、もうこんな風に外に出てきちゃダメだぞ。危ないんだから」
ジャスティーは、自分の肩に顔を埋めたままのイリスに向かってため息混じりに言った。
「だって! 真実はあの城の中にはないんですもの! 真実は……あなたの側にしかないんですもの……」
イリスはやっと顔を上げた。声と一緒に涙が溢れでている。ジャスティーはその涙を見ると、体から力が抜けていく。やめてくれ、と思った。
「泣くなよ。外にだって真実はなかった。俺はもう帰るよ」
ジャスティーは、イリスの涙で輝く青い瞳から目を逸らした。
「なんですって?」
目を逸らしたが、それをイリスは許さなかった。ひときわ低い声でジャスティーに問いかける。
「真実しかなったじゃないの」
「……イリス」
もはや怒りを露わにしているイリスの様子に、ジャスティーの心臓の鼓動が速くなる。
「もういいから止めてくれ! あそこには何もなかった! あったとしても、イリスには関係ない。邪魔しないでくれ! なんでついてきたんだ! 俺は、落ち着いて考えたかったのに……」
ジャスティーは心臓の鼓動に背を押されるように、イリスに向かって叫んだ。イリスはそんなジャスティーを、真っ直ぐに見つめた。やめてくれ、と再びジャスティーは思った。
「私は、真実を確かめるために、ジャスティー、あなたの後を追ったの。あなたが、遠く離れたこの星にやって来て、自分の星の任務を放棄してまで知りたかった真実を探すことを、とても勇気のある行動だと思ったの。だから、私もその真実を確かめるために、あなたに背を押されるようにここにやって来たの。なのに、そんなことを言うの?」
イリスの青い瞳に、赤い炎が宿っている。
「アザナルは、あなたに殺されました」
その言葉は、ジャスティーを絶望まで陥れることができる。
「……だけど、私はあなたを責めることはない。だって、あなたは、いい人だと思うから。戦争だから、殺しただけで、あなたに罪はないと思った。あなたは、あの時、あの戦いを止めようと必死に走ってくれた。その事実を、私は信じたの。だけど、今、この真実に目を背けるというのなら、私はあなたのこと誤解していたのかもしれない」
「ああ、とんだ誤解だろ……」
ジャスティーは目を伏せ、そう呟くのがやっとだった。その態度に、イリスがキレた。
「目を背けるの!?」
イリスがジャスティーの襟元を掴んだ。
「背ける!」
パチーン……!
鮮やかに決まった平手打ち。清々しい音が澄んだ空に響き渡った。ああ、夜明けの空は気持ちが沈む。なぜか、イリスに打たれたジャスティーはそんなことを考えていた。
「失望しました!」
イリスはそう言って、ジャスティーの胸に写真を押し付けた。
女の平手打ちの瞬発的な痛みに、少し感動すら覚えたジャスティーだが、ショックは大きく、しばらく放心状態でそこに突っ立っていた。写真は右手でちゃんと押さえてはいた。
イリスは、そのまま立ち去っていく。
「?」
やっと、ジャスティーはその胸に押さえつけられた写真に目を向けた。
「あ!? 写真? イリス?」
放心から一気に覚醒し、ジャスティーは目を丸くしてその写真を覗き込んだ。なんだってこんな写真を急に見せてくるんだ。癒しのつもりか? と、変なことを思った。
「いや、違う……。これは……」
「蛮族の言ったことが、ぴったり当てはまるとは思わない?」
もう、随分と離れた位置から、イリスがジャスティーに向かって言葉を投げかけた。
「イリス……これは何だ?」
今度はジャスティーが泣きそうになっていた。
「ジャスティー!!」
その時、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。その声は、瞬間的にジャスティーの心を温める何かを持っていた。本能にまで住み着いて覚えている。絶対の安心感。
「ルイ!?」
ジャスティーは、その声に振り返る前にその名前を呼んでいた。
遠くから駆けてくるルイの姿が見える。随分と懐かしく感じる。会っていないのは1日ぐらいなのに。随分と随分と懐かしく感じた。
「ジャス!」
ルイは怪我もなくピンピンしているようにみえるジャスティーの姿を見て、心の底から安心した。大きな任務を完遂できると思ったからだ。レイスターの憂いの一つを取り除き、もう一つの憂い、ミズを僕たちで探しに行くんだ。道が大きく拓けたと思った。
が、近づくにつれて、何か様子がおかしいことに気付く。やっぱりどこか怪我でもしてるんだろうか?
「ジャス?」
ルイは走る速度を緩めて、ジャスティーに歩みよろうとした。
「待て!」
ジャスティーは反射的にルイが自分に近づくことを拒否した。
ルイの顔が強張る。ショックは隠せない。
「どうしたの?」
ルイは心配そうに聞いた。ジャスティーは咄嗟に出てしまった、自分のルイへの言葉に自分でも傷ついているみたいだった。それがわかるから、ルイは本気で心配した。
「ねぇ、帰ろうよ。ハルカナも待ってるよ?」
ルイはそれでも、やっと再会できた親友を連れて帰ることに集中する。何かあったのかもしれない。違う星に来てるんだ。当たり前だ。
と、思ったところで、ルイが「ん?」と、声に出して疑問を唱える。ジャスティーとの再会を心待ちしていたはずのハルカナの気配が感じられない。なぜ僕だけがジャスと話をしているんだ?
「ハルカナ?」
ルイは後ろを振り向いた。僕はずっと、ジャスを必死に探すハルカナの後ろ姿をついて来ていたはずなのに、いつのまにか通り過ぎて前にいる。
ルイが後ろを振り向くと、ハルカナは、少し離れた場所で立ち止まったままだった。変な顔をしている。探して探して、求めて求めていたものをやっと見つけた表情ではなかった。
2人ともどうしたっていうんだ? ルイも混乱してきた。
「誰?」
ハルカナは呟くように言った。
「え?」
ルイには何を言っているのかわからなかった。
「ジャス」
ハルカナがやっとその名前を呼んだ。ジャスティーは、ハルカナの声を聞いても、顔をあげなかった。それを見たルイは、とんでもないことが起こっているのかもしれない、と確信した。
「ジャス、誰? その子」
そう言いながら、ハルカナはジャスティーに近づいて行く。そこでやっとジャスティーがハルカナの顔を見た。だけど、その顔は笑っていなかった。
ルイは、ハルカナのその疑問を聞いて、ジャスティーの後方、木の陰に隠れるようにこっちを見ているイリスの姿を確認することができた。ルイはジャスティーしか目に入っていなかった。そういえば、2人いた。上空からちゃんと確認していた。
「えと……」
ジャスティーは言葉を濁らせる。「誰?」、その質問は、今のジャスティーには一番辛いものだった。「誰?」。そもそも、俺は、「誰」なんだ? あの子は、コウテンのお姫様だ。俺はあの子の、「誰」なんだ?
イリスは木の陰に隠れていた。ネス。それはコウテンの侵略者である。ジャスティーは敵ではない。だけど、もちろんその他のネスの人間はイリスにとって敵であった。
迂闊に動けない。
全てが緊張感と不穏な雰囲気に包まれる、再会の時、ルイはジャスティーとハルカナを交互に見やったあとに、その少女を見た。
「綺麗な子だね」、ルイは優しく言った。
「え?」、ジャスティーはそのルイの言葉に、なぜか目頭が熱くなるのを感じた。
「誰なの?」
ルイが優しく聞く。その答えはどうでもいいみたいに。俯き気味の顔からジャスティーはルイをしっかり見た。
「ルイ……俺……」
「うん」
言葉が出ない。何を言っていいかわからない。だけど、何かを言おうとしたジャスティー。その時、イリスが駆け出した。自分の方をチラチラと見ている様子を感じ取って、森の奥へと駆け出していった。
「イリス!」
そのイリスの姿を見てジャスティーは叫んだ。そして飛び出していこうとしたところで、
「ジャスティー!」
ハルカナがその足を止めた。ジャスティーはハルカナを今一度見た。
「一緒に帰ろう?」
精一杯のハルカナの想いだった。泣きそうに笑っている。ジャスティーはショックだった。こんな顔、見たことない。それでいて、きっと俺のせいなんだ。
だけど、ジャスティーの意識はイリスへと向かっている。それがひしひしとハルカナに伝わる。それは、ルイも予想していないことだった。
「なぜ? ジャス。僕たち、家族じゃないか」
ルイの顔にもう笑顔はない。ただ、不思議だった。なぜこんなことになっているのか。
「違う、俺、家族じゃない」
「……ジャス、レイスターが待ってる」
「違うんだ」
「ジャス!」
ルイが悲痛な叫び声を上げる。
「だから! 俺は、もう自分が誰なのかわからねぇ!」
「ジャスはジャスだよ! ちっちゃい頃から一緒だった! ミズとハルカナと僕は間違いなくジャスの味方なんだ! レイスターはジャスのお父さんで……」
「違う! レイスターは他人だ!」
その言葉は、ジャスティー自身と、ルイとハルカナの心に深く突き刺さった。
「……ごめん」
ジャスティーはそう呟くと、もうこの場には止まれないと、2人に背中を向けた。
「待ってよ!」
それでもハルカナは叫ぶ。知らぬ間に頰は涙に濡れていた。
「待って!」
ジャスティーは待たなかった。背を向けたまま、イリスが去った方へ向かって走り出す。
「ジャス、ミズも消えたんだ」
ルイは言った。ジャスティーの足が止まる。ミズ。その言葉に足が止まる。
「ジャスがいないと、ミズを見つけられない」
ルイはジャスティーの反応を待った。そして、目を伏せた。ジャスティーは、一瞬動きを止めたが、それは、ただの一瞬だった。
「わかったよ。もう、君を探さない」
ルイは言った。




