73.♠︎Kの出陣
73.♠︎Kの出陣
ライラは、バートンと共に優雅に空を飛行している。バートンの飛行するラインは、後ろから見ていてとても気持ちのよいものだった。ストレスなく人と飛べるとは! と、ライラは思ったが、そこで、いや、人ではないか、と思った。
「おっと、先に着いちまったじゃないか」
しばらくの優雅な空中散歩の後、ライラは速度を落とした。近くの森林に紛れるように機体を隠す。
「バートン、もういい、ありがとな」、ライラが優しく言った。
『あ、あの、ちょっと速すぎましたね。もうすぐ、♠︎隊が追いつくとは思うのですが』
バートンを通してハートが言った。バートンに向けられた感謝の言葉に、なぜかハートは顔を赤らめた。
『ああ、もういい、自動追従にしろ。裏門は見えてる』
ブツ。
そこで乱暴に通信が途絶えた。自分の赤面を返してほしい、とハートは思った。バートンに優しく話しかけるなんてバカじゃないの? と続けて思った。
「ハート、どうかしたか?」
スペースシフターの舵を取るアスレイは、自分の視界の隅っこで、何やら感情をうろうろさせているハートが目について話しかけた。
「いえ! 予定通り、ライラ隊長はコウテン城裏門付近で待機中です!」
なんで顔が赤いんだろう? とアスレイは思ったが、どうでもいいことだったので無視した。
「ああ、やっぱり早いな。リーダーやってるくせに、単独行動が一番得意だからな」
なんだかうっとりとした表情でそう言ったアスレイ。ハートはなぜか腹が立った。きっと、アスレイのライラに対する尊敬の感情を受け入れられなかったからだろう。繰り返しになるが、ハートは高圧的な態度の人間が嫌いだ。ハートは思ってしまう。優秀だろうがなかろうが、私を傷つけるのは、そういった態度なんだ。優秀な人にはわからない、私の不器用ゆえの感情は、邪魔で仕方がないけれど、しょうがない。
「でも、どうするんですか? ライラ隊長だって、いつまでも隠れてられないでしょう」
「ああ、でも、もうすぐ届く」
アスレイの声が少しだけ高くなった。希望を含んでいた。
「あ!」
アスレイ越しに見えたものにより、ハートは思わず声を上げてしまった。
「ああ!」
アスレイもハートのテンションに珍しくも乗っかる。
「あれは……! 遂に届いた!」
ハートが見つめるレーダーに、2つのネスの機体。目標であるコウテン城正門に勢いよく向かって行く。
「よし! 総長! 第1目標突破しま……」
アスレイが声高々と宣言しようとしたが、その声は不自然なところで止まってしまった。何か起こったのかと、ハートはレーダーから視線をアスレイへと移動させる。アスレイはしばらく固まっていた。思考を回転させる代わり、体は一切のエネルギーを放棄しているみたいだった。
「あれ?」
再び、アスレイを通り越して、見える景色に、ハートもまた疑問を口にだす。
「総長は?」素直にハートはそう呟いた。
司令室の総長の席に、沈黙し、重々と腰を携えてみんなの勇姿を見届ける勤めであるはずの、ネスのスペースシフターの総長レイスターの姿はなかった。
「トイレですかね?」呑気なハートの声は続く。
アスレイの思考の行き着いた先には、もちろんそんな答えは待っていない。
「クソっ!」
希望一転して、顔を渋く歪めたアスレイは吐き出すように言った。
「え?」
ハートは、アスレイのその声にただ事ではない、と一瞬で不安になる。
「総長はどこだ! 誰か見てなかったのか!」
アスレイは司令室全体に大きな声を出して問うが、答えを持っているものはいなかった。
「何? どうかした? こっちは問題なしよ」
スペースシフターの主砲を担うダリアは、主砲の標準以外、全く何も見ていなかった。それはそれでいい。アスレイの失態だ。それはアスレイにもわかっていた。
「くそ、油断した」
「どうしたんです? どこかで休憩でもしてるんじゃないんですか?」
ハートは、アスレイの様子を大げさじゃないかと思った。ここは空。どこにも逃げることなど叶わない。だって、そう、だから私はここにいる。逃げたいけど、退路は絶たれてる。
「いや、違う……きっと」
きっと、
「アスレイ! 第2滑走路が開いてる!」
ダリアの声が聞こえた。アスレイはゆっくりと顔をあげ、司令室の大きな前方スクリーンを見た。そこに現れたのは、間違いなく、
「レイスター!」
アスレイは叫んだ。
一機飛び出していったスピード。
『すまん、任せた!』
それに乗ったレイスターが短く言った。
「冗談じゃありませんよ! どうしてくれるんですか! あなたはキングなんですよ! 前線に出ていけば一気に状況は悪くなるって、わからないんですか!」
『……』
返事はかえってこなかった。
「総長!」
アスレイは繰り返しレイスターに訴える。
そして、そのままフルスピードでこの母船を振り切るように飛んで行った。
「追いますか!?」ハートが言う。
「いや、スピードには敵わない」
アスレイは短く言った。
「撃ちますか?」ダリアが言った。
「はあ?」ハートが変な声を出した。
「バカねぇ、かすめる程度に決まってるでしょ」ダリアが嫌らしく笑った。
「いや、いい」
アスレイは再び冷静さを取り戻して言った。
役得か。俺だって、飛び出していきたいのに。アスレイはそう思った。
「作戦は変わらない。スピード2機が中央正面突破口を開く! それに続いて全艦突撃だ」
「ん? なんだ? 通信が乱れたか?」
バインズは通信カフスを触る。コウテン城を目前にして、妨害電波も多く入るようになった。
「あー、あー、クリア!」
テストをするようにバインズに向かってミレーは言った。
「お前じゃねぇよ。スペースシフターとだよ」
バインズは冷たく言う。
「えー? よく聞こえないんだけどー?」
ふざけたようにミレーはバインズに向かって言った。
「ふん」
それを鼻であしらうバインズ。構っていられない。
思いのほか、スムーズに再びたどり着いたコウテン城。シスカが隊長機を足止めしてくれているおかげかもしれない。しかし、ここからが、すんなりと進めないのが当然のこと。城のあちこちに設置されてある対空砲が一斉に自分たちに向かって動きを変化させていく。
「あれ? もう復旧した?」
ミレーが言った。前回の攻撃で、目につく狙撃機は撃ち落としたと思っていた。それが♠︎の仕事でもあったから。
「まあ全機撃ち落としは無理だったってことかな」
バインズが答える。
『2機とも散開しろ! 主砲で突破する!』
アスレイの通信がピリッと2人の耳に響いた。痛みもあったかもしれない。
その後ダリアが指揮を取っているであろう大砲が不気味に動き出した。
「あぶねー! 避けるぞ」
「うん! アスレイってばなんかあったのかな?」
「なんで?」
「なーんか、機嫌悪かったよね?」
意外にもアスレイの機嫌を読み取ることができたのはミレーだった。
「そうか? まあ、どうでもいいだろ。こんな戦地じゃ、誰の機嫌も」
バインズは、ミレーの言うことに対して、鼻であしらうようにしか対応することはなかった。
―蛮族の森側上空―
遠くで、何か大きな音が聞こえたような気がした。
自分たちは間違った行いをしているのか? そう一瞬でも思ってしまうのは、罪悪感が心に住み着いているからに他ならない。
「始まった……?」
ルイが呟くように言う。
「そうね。私たちも急がないと!」
その罪悪感を感じているのはルイだけで、ハルカナはただ前だけを見ている。ルイはそのハルカナを羨ましいと思った。
「あっ!」
ハルカナが声を上げる。
「ルイ! 誰かいる! 見える!」
視力のいいネスの子どもたちは遥か遠くまで見渡すことができる。そうじゃなくても、ハルカナには感じることができた。いつも空気のようにあったジャスティーの存在を。
「ああ! よかった!」
ルイは安堵の声を出す。
「ジャス……ジャス……」
ハルカナは無意識に口を動かしその名を呼ぶ。心の底から安心したはずなのに、うまくそれを表現することができない。ただ、よかった。やっぱりいた。私が迎えにいかないと。いつだって、一緒にいたのは私たちだから。私たちにしか感じることのできないジャスの存在を、確かなものにしなくては。もっともっと近くにいって、この手でジャスを捕まえなくちゃ。
ハルカナは速度をさらにあげる。今回は、油断するな、というルイの冷静なる意見で、ハルカナにブレーキがかかることもなかった。心のままに飛べばいい、とルイも思った。この状況で、ジャスの間抜け面を拝む、という以外のことはどうでもよかった。
ハルカナの束の間の大きな心の損失。それを埋めることができるのは、残念ながらジャスティーしかいないことは、ハルカナよりもルイがいちばんよくわかっていたのかもしれない。
その先には、幸せしかない、と思っていた。
ジャスティーは、私たちの助けを求めている。そうに決まっている。
だけど、少し状況が違った。
「あれ?」
その異変に気づいたのは、ルイのほうが早かったかもしれない。
「2人いる?」
そのルイの言葉に、考えるよりも先に体が感じた。嫌な感じだった。ハルカナの顔に陰りがみえた。
「うん……誰だろう?」
とりあえず、会わなくちゃ。




