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72.禁忌の子

72.禁忌の子




 ジャスティーはレイスターの部屋へと続く廊下を走っている。そして、突き当たりにあるその部屋の扉を開けた。

「レイスター!」

 そして、その勢いのまま叫んだ。

「なんだ?」

 レイスターの淡々とした声。ジャスティーとはまるで正反対。

「レイスターが俺のお父さんなら、アスリーンが俺のお母さんだろ?」

「ああ、そうだな」

「じゃあ、レイスターとアスリーンは、もちろん、夫婦ってやつだよな!」


「いや……兄妹みたいなもんだよ」

 そう言ったレイスターの顔がなぜか赤かったので、ジャスティーは不思議に思った。

「え? それじゃあ話が通らないんだけど?」

「うるさい。誰からそんな話聞いたんだ? 俺たちは家族だ。それだけだ」



 いつか、そんな話を2人でしてたっけ? レイスター。もう、遠くに感じる。レイスターとアスリーンは、兄妹なんかじゃない。どうして肯定しないのかわからないけれど、正真正銘の夫婦じゃないか。レイスターはどうしてはっきりとアスリーンに伝えないんだろう。

 兄妹ってさ、当然のことだけど、結婚して夫婦になることなんてできないんだぜ。

 なあ、レイスター。



「……。ィー……。ジャスティー!」

 意識をどこかへ持っていかれていた。イリスの泣きそうな声と顔にハッとする。

「お願い! 走って!」

 イリスはジャスティーの腕を握りしめて叫ぶ。その頰にはすでに涙が伝っていた。泣きそうなのではなく、もうすでに泣いていた。

「え? イリス……でも……」

「お願い!」

 ジャスティーの声を遮断する。これはもうお願いではない。命令に似たものだ。しかし、ジャスティーの足は動かない。頭が混乱して、まだよくわかっていない。イリスはなぜそんな風に理解して恐怖することができるんだ? 俺の頭ではまだ理解しきれていないから、戸惑いしかない。こんな頭で、やっと辿り着いたここから去ることなんてできない。

「ジャスティー!? 私の言っていることが聞けないの?」

 イリスの苛立ち。ジャスティーに向かう怒りの声。

「待てよ! 俺は混乱してる!」

 ジャスティーも泣きそうになってきた。

「だから! この蛮族が! 私のお母様を襲ったのよ! やっとわかったわ。お父様がなぜ蛮族をあそこまで憎んでいるのか。全てのことが繋がった。繋がってしまった」

 イリスはジネンジの顔をしっかりと睨みつけた。純粋なる憎しみ。ジネンジはなぜかそれを光栄に思った。純粋で、汚れていない。ああ、そうだな、あの時の目と同じだ。そして、いくら俺が汚そうとしても、結局は汚せなかった。そういうものじゃなかった。彼女の心とは。人間の、心とは。


「その通りだ。そして、これは確信に似た俺の推測だが、お前は、俺と、その娘の母親との間にできた子どもだと思うぞ」


「えっ!」

 まず、声に出して驚いたのは、じっとその様子を隠れるように静かに見ていたヨウだった。

「そんなわけない! お父さんは、そんなことしない!」

 ヨウもまたショックを受けていた。

「昔のことだ。今とも違う、その頃はまた違う事情があったんだ」

 ボクがヨウをなだめるように抱き寄せた。


 

 ジャスティーはというと、それにも全く反応することができていなかった。ただ、足をガクガクと震わせていた。ジャスティーの体は感じている。これは、拒否反応なのか。

「走って! ジャスティー!」

 再び、イリスの切なる願いが、大きく空に響き渡った。

「お、俺は、信じないからな! ふざけるな!」

 

 お前が俺の父親なんてことがあるか!!

 

 ジャスティーは、目一杯の強がりでそう叫ぶと、その勢いのまま、イリスを担いで走り出した。イリスは目をつぶり、ただただこの現実から目を背けているようだった。




―コウテン城―


「蛮族とネスが繋がってるとすれば、なんとも皮肉だな」

 

「はい?」

 ザルナークは、ふと窓の外を見ながら呟いたキングの言葉を聞き逃した。

「いや、なんでもない」

 アヴァンネルは二度は言ってくれなかった。ザルナークは少しもやもやしたものを感じることになったが、追求することはしなかった。

「黒は大丈夫か? だいぶ人数が減ってしまった」

「今回の襲撃に蛮族が関わっているとしたら、蛮族の警戒も怠るわけにはいきませんからね。白の騎士団には強い駒を渡さずを得なかったのですが、まあ、大丈夫でしょう」

 ザルナークはため息混じりに答える。白へと編成された出陣前のアレンの、ぶすくれた顔が頭に浮かんだ。

「そうか。お前も辛いだろう」

 アヴァンネルの労いの言葉が嬉しいと、素直にザルナークは思えなかった。

「どうなされたんですか?」

 そんな言葉は逆に部下を不安にさせるだけだった。ザルナークは案の定、不安を顔に滲ませてアヴァンネルを心配した。

「私はいつも、この国の安寧のために力を尽くしてきたと思っていた。人々が恐怖することなく当たり前に外で走り回ることができる、美しい星。愛する人が隣で当たり前に笑っている、戦いのない、平凡な暮らし。だけど、なんだ、これは」

 アヴァンネルが歩く廊下の先が激しく崩壊していた。修復作業に汗を流すポーンたちの姿。今までにない何か大きなものが襲いかかっている。

「結局、叶わない夢だったのだろうか……」、なあ、レイディ。

 アヴァンネルは悲しそうに呟いた。

「何を仰っているんですか。まだ、戦いの途中ですよ」

 ザルナークはキングの弱音を許さない。

「我々は今、血を流していますよ。だけどそれは決して、夢が叶わなかった今じゃなく、夢を叶えるための今として、血を流すんです。この先、必ず、あなたの言う平和な未来が訪れるでしょう!」

 ザルナークの、語弊があるが晴れ晴れとした宣言だった。

「ふふ」、それにキングはなぜか笑った。ザルナークはもちろんその反応に顔を歪ませる。

「いつもいつも、ただいい方へと向かっているだけだと思っていたのに」

 キングの憂いはまだ晴れないようだ。遠く過ぎ去った『過去』という時間を思い返している。

「ですから、そんな諦めたように言わないでください。キングがその様に気が滅入られていては、士気に関わる!」

 いつもより強気のザルナークがいた。何にも動じることなくただそびえ立つキングという駒が、少しでも迷い揺れれば一気にチェックメイトだ。その前にルークが動く。キングだけは守る。

「お前はいつも、まるで若者のように頼もしいな」

 キングが柔らかく笑った。言っている意味はいまいちザルナークには理解できなかったが、少しだけ気の抜けたキングの顔が清々しかったので、まあいいか、と思った。

「貴方はいつも、暗すぎなんですよ」

 そして、なぜかそんな失言をした。

「なんだって?」


「し、失礼しました」

 すぐに謝った。気が抜けているのは私かもしれない。気をつけなければ。そう思い、ザルナークは気を引き締めた。




―その地下―



「ああ、流石ですね。抽出の速度がみるみる上がる」

 恍惚とした表情で、リアはフラスコを揺らす男、 ジョーカーの、白くて長くて細い指先を眺めていた。

「植物の力、大地の力、蛮族の森が持つ、蛮族に与えられし無二のエネルギーか……。どうやって手に入れたんだ?」

「頑張ったんですよ、私。貴方が帰ってきてくれるこの約束の日を信じて」

 リアは、男が要求する答えを無視して、うっとりとした甘ったるい声を出した。それは、他の誰にも見せない、ジョーカーの前だけに曝け出すのリアの女の部分。

「ああ……」

 ジョーカーはそれを拒みもせず、受け入れもせず、真っ直ぐにフラスコの中の液体だけを見つめていた。

「あなたにしか興味がないのに、頑張ってあの汚らわしい蛮族共と同盟を組んだんですよ。あのとき、失敗しなくてよかった」

 まるで独り言でも言っているかのようにつらつらとリアは喋る。そこに相槌は必要ないらしい。それは、昔からの関係性か。いや、おそらく、昔よりも随分と静かな男になって帰ってきた。

「ねぇ、ダートマ……」


「その名で呼ぶな!」 

 それは今まで物静かであった男の、明らかなるリアへの拒絶だった。

「ごめんなさい! 許して!」

 リアは冷たく白い床に膝をついてまで許しを乞いた。

「誰も、俺の名前を呼ぶな。私は、ただのJOKER。そして、唯一無二の、特別な切り札だよ」




 青碧の湖畔で産まれたのは、ネスの希望だった?


 あれは、黒くて歪な感情を含んだままの無垢なものでしかなかったなら。

 

 「ミ……ズ……」


 ジョーカーは幻聴かと思った。だけど、違った。リアも同じようにその声に振り向いたからだ。

「その名で呼ぶな!!」

 より大きな拒絶を表して、ジョーカーは激昂した。

「どうして……。あなたは間違いなく、ミズじゃないの」

 いつの間にか、フラニーがそこに立っていた。

「許さない、許さないわよ、あんた……、ミズをこんなんにして……」

 フラニーは、愛しいミズから目をゆっくりと横へスライドさせる。視線はリアへと移る。

「どうして……? 致死量の毒を注入したはずなのに」

 フラニーの姿は、生きているというか、まるで死人のような出で立ちで、ジョーカーとリアは、ゾンビでも見ているみたいだった。リアの全身に恐怖が走る。

「おい! 何やってる! 動け!」

 詰め寄られるだけのリアに向かってジョーカーは叫ぶ。

「許さない、許さない、大好きな私の唯一の人間を、こんなにしたわね。あんなに綺麗なものを、こんな風にしたのね……」

 フラニーの口からは赤黒い液体が出ていた。苦しむことなく一瞬で死に至る優しい殺し方だと思っていた。だけど、それは深い思いにより深淵から蘇ってきてしまった。

「拒絶反応?」

 フラニーの体に異変を感じ、リアは、科学者としての立場から少し興味が湧いてしまった。

「逆に毒が回らなかったってこと? ここの星の人間じゃないから……」

 ブツブツと小さく言葉を続ける。

「おい! リア!」

 ジョーカーが叫ぶも、一瞬の隙をついて、リアの右手をフラニーが掴んだ。リアはその右手に、ジョーカーが眺めていたフラスコのなかみの原料が入っている試験管を持っていた。トプッと丸い音を出して、その緑の液体は揺れる。

「放してくれる?」

 リアはこの状況から考えられる最悪の結末を予測して、自分の体から冷や汗が出てくる不気味な気持ち悪い感覚を味わっていた。

「チッ!」

 ジョーカーは舌打ちをする。あの原液が、大気中に飛び散れば爆発する。

「おい、女っ……」

 ジョーカーはリアからフラニーを引き離そうと、背後からフラニーの肩を掴んだ。その時、勢いよくフラニーは長い黒髪を大げさに振り乱し、目を見開いてジョーカーの目を見つめた。フラニーの目には、いくつもの細かい血管が浮き出ていた。その破裂しそうな目玉に、メデューサと目が合ったかのようにジョーカーは身動きが取れなくなった。

「ミズ……? 私の肩にふ、ふ、触れたの?」

 そこには、正気が少しだけ戻って頰を赤らめる女の子がいた。

「だからっ……。うっ……!」

 ジョーカーの頭に激痛が走り、その場でうずくまってしまった。

「ミズ!」


「やめろ!」

 その名前は、やめろ。






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