逸脱の先、最果の空
短い間でしたが、お付き合い頂きありがとうございました。
最終話となります。
「何かが起こることを期待していた」
彼女は呟く。
「僕達に意味があると信じていた」
独白と共に、彼女は歩を進める。
「主人公であることを期待していた」
漆黒のドレスを纏い。
「逸脱に真実があると信じていた」
秩序を滅ぼすための祭壇に、上がる。
「今、僕の存在は結果する」
悪魔が語る言葉に耳を傾けてはならない。
それは人を誘惑し堕落させるために甘いのだ。
ならばこそ彼女は悪魔では無く。
その歌はただただ人を破壊する。
どれだけの被害が出たのかは、私には分からない。
彼女が歌った「滅びの詩篇」は、忌み言葉を伝染に特化させたものだ。感染者は非感染者を同じ歌によって感染させ、また非常に強い攻撃衝動を得る。感染を免れるのは、この国の言葉と思想背景を持たない者か、強固な信念により自らを固定した者、あるいは私のように狂い方が噛みあった者となる。
「こんにちは。マネキンマスター、いますか」
「君か、ラッキーガール。噂のディーヴァはどうした」
「彼女は死にました。自分の価値を確認したから、と」
「殺したのか」
「それはもちろん。だって自殺なんてもったいないじゃないですか。世界最高の「愛してる」も貰えたので私は満足です」
「……俺は異常者を数多く見てきたが、理解できないものはまだまだあるな」
首を振りつつ、彼は私を建物へと通してくれた。理性の残っている人間には侵入できない領域。この前来た時には無かった、人格の破壊された者を排除するための罠を避けつつ、ゲストルームへ。
そこに鎮座するのは赤黒いマネキン。全身のパーツがそれぞれ別の人間をモデルにしているため、見ているだけで不安定になりそうだ。顔の右半分はマネキンマスターの、左半分は美女のそれだった。
その顔の提供者であり、うっとりとそれを見つめる人物は、マネキンの前で床に座っていた。
「もしかして、あの人、自分の血で「愚者のための美」を染めましたか」
「その通りだ。おかげで何度輸血するはめになったか」
「……まあ、これ以上自傷しないんなら、健康にはいいんじゃないですかね」
自らの血を見ることに人間らしい衝動の全てを塗りつぶされてしまった彼女。この人がいなければ、私がマネキンマスターに会うこともなかっただろう。
マネキンの鎖骨を見る。私の人生に比べればほんの一瞬の間寄り添っただけの彼女を想い、私は微笑んだ。
「それで、今日は何の用だ」
「用自体は終わっちゃってるんです。彼女を知っていた人物に彼女の死を告げるだけ。これまで会ってきた逸脱者達に挨拶して回るのが、今の私の意味です」
感染したり、感染者に殺されたり、既に逸脱の果てに死んでいたり。まともかどうかはともかく、まだ自我を保っている生存者は数えるほどしかいなっかった。
ここにいる二人は、自分自身の在り方に全く興味を持たなかったが故に、今も変わらずに存在している。ただの現象にどす黒い感情などありはしない、そういうことだ。
「なら、もう行くのか」
「もう少し、これを眺めたら」
「次はどこに行く」
「ここで知り合った人達と会ったら、その次は北へ。お嬢様のサロンと、考古学者さんの洞窟にお邪魔したら、彼方の丘に寄って、そこで先のことを決めようかと」
指折り数える。もう半分以上は済ませたのだが、ここからが本番だ。距離的に。
「記憶しておこう。全て終わってこの街に帰ってくる気になったら、またここに寄るといい」
「そのときはお土産に、旅のお話を聞かせてあげますね」
彼女の歌は、思ったよりずっと深刻な被害をもたらしていた。
テレビで一度だけ流れて、それからは動画投稿サイトに転載されただけなのに、驚異の感染力でこの国の秩序を破壊していった。
私にとって一番面倒なのは、公共交通機関が軒並みストップしてしまったことだろう。
「だからって、自動車盗んでいいんですかね」
「気にすることは無い。持ち主も、その財を引き継ぐはずの者も、皆死に絶えたのだ。この煉獄においては、自らの目的に身を捧げることこそ正義だと、私は信じるがね」
眼鏡の男性はそう言って私を送り出した。信仰に生きる彼は、年端もいかぬ子供たちや、比較的安全な狂い方をした人達を集めてコロニーを作っていた。
「ありがとうございました。水のご恩は忘れません」
「構わないさ。旅人よ、君の道に幸いあれ」
「好きな人を二回殺した感想はどうかしら」
私の言葉を聞く前に、盲目の彼女は言った。
「私もまた、数々の異常者を見てきたクチだけれど。ねぇ、ラッキーガール。あなたほど満ち足りた「表情」が視えるのは、これが初めてよ」
「へぇ、お嬢様がそんなことをね」
水筒の水を一気に飲み干し、彼はまた鶴嘴を握る。
「僕には彼女のように人の「表情」が視えたり、君の言うマネキンマスターのように「匂い」を感じられたりするわけじゃないから、君のことは君の言葉からしか分からない。そこだけ切り取ってみると、君は」
壁を砕く。考古学者という渾名を付けられながら、何を探すでもなく穴を掘り進める彼は、言葉を探すように幾度も鶴嘴を振るい、ふと、それを停めた。
「凪の水面のようだ。君はすでに人を辞め、悟りに至ったようにすら思えるのだがね」
考古学者さんと別れた次の日、ついに我が愛車はガス欠となった。ガソリンスタンドが動いているはずもなく、補給の絶望的な旅だったから仕方ない。人生初の無免許運転の相棒とはここでお別れだ。
雲に覆われた空は妙に低く、狭く感じる。雨が降りそうな天気だ。今から歩いて間に合うだろうか。
「お姉さん、危ないよ」
そんな声が後ろから飛んできたので、頭をかばいつつ横に転がる。殺意がこもった角材が地面に弾かれバウンドするのを横目で確認し、私は攻撃者と目を合わせた。
憎々し気なその目を見据え、私は手刀を構える。それだけで怯むのは、所詮理性と本能のどちらにも振り切れることができなかった畜生であるということの証拠だ。
「ナイス」
そして、私はひとりではない。
角材を握った獣の頭部に思いっきりシャベルを振り下ろし、痛みに転がり喚くそれを避けて、声の主は私の手を握る。
ジャージを着たその少女は、どこか彼女に似ている気がした。
「それじゃあ逃げよっか」
「あ、うん」
手を引っ張られて走り出す。途中何度か強烈な違和感があったが、どうやらマネキンマスターの館のような結界の中に逃げ込んだらしい。
「ここ、そうだと分かってないと踏み込めないんだ。騙し絵みたいなものなのかな」
そういって笑う彼女は、住処だという大きな車に私を招き入れた。毛布や食料が積み込まれ、しばらくは不自由なく生存できそうなくらいには備蓄があった。
「お姉さん、どこの人なの」
「首都のちょっと下あたりかな」
「そこから車かぁ」
「うん。行くところがあるから」
「何しにいくの」
「夕陽を見に行こうかなって」
「このご時世に、ねぇ。傑作だよほんと」
ひとしきり笑った後、少女は同行したいと言った。距離と時間を考えて、出発は明日の朝にする。
そして私達は、いろんなことを語り合った。来歴から、好きな人のタイプ、人を殺すための道具、異常者の友人。同性愛を受け入れられるかどうか、なら自己愛はどうか。母親のこと、誕生日のこと、最後に観た映画のこと。
人生を共有する勢いで話して、そしてやはり、彼女のことが話題になった。
「ボクとしては彼女の考えはよくわからないな。自分が存在したことを証明したいっていうのはボクの理想でもあるから否定できないけどさ。だからってなんでこの国を滅ぼそうとするんだろうね」
それが彼女だから、としか言いようがなかった。彼女に統合された彼の部分がブレーキを踏んではいたけど、結局逸脱への執着は停まることを知らなかった。
「そういう意味では、あなたは彼に似ているのかもね」
「……まさかボク、殺されちゃうのかな」
「しないしない、私は貞淑ですから」
その後も私達はは話し続けた。いきなりの土砂降りで互いの声が聞こえなくなってようやく、眠りについたのだった。
「ここが「彼方の丘」かぁ」
「すごいでしょ」
「うん。驚いた」
なんの変哲もない高台の草原。辺りには誰もいない。殺し合いから逃げ延びた人間が少ないということではなく、ここもまた一種の結界の中に在るということだ。人間であろうとそのペットであろうと、人の世界を知る者はここに入れないようになっているらしい。私達はその例外だ。
沈む夕陽が山際に消えるのを、真正面から見ているような気分になる。太陽ってこんなに大きかったっけ、という疑問が湧くくらいには、その赤は近くに見えた。
「ここがお姉さん達の特等席なんだね」
「私達だけのじゃないけどね。ここを教えてくれた人はもう亡くなってるから、この世界で知ってるのは今はもう四人だけ」
「他の人たちは来てないみたいだね」
「まだ生きてると思うけどね。旅の二人組だから、今どこにいるのかわからないの」
短い間に、いろいろな人と知り合った。
私が愛した人がいた。それを二人とカウントするか一人と「信じる」かは、まだ私の中で曖昧なままだ。
殺人鬼がいた。月がいかに綺麗であるかを力説し、ついでに私のナイフを褒めて、また闇の中へ去っていった。
マネキンを作る男がいた。自分の血を眺める女もいた。二度目に訪ねたときに振る舞われた、ブラックコーヒーの味が忘れられない。
音楽家がいた。直接会ったわけではないけど、その遺した曲を彼女に聴かせてもらった。
表情を忘れた人がいた。再会した時は、「滅びの詩篇」によって暴走した人々に解体され、忘れたはずの笑顔を浮かべていた。
夕陽を眺める老人がいた。彼女と何かを話して、疲れたように笑い、死んだ。
旅人達がいた。行動力だけで事件を解決してしまうあたり、彼女の天敵だというのは間違いないと思う。
屋敷に閉じこもる盲目の女性がいた。私より字が上手なのは、やはり練習したのだろうか。
穴を掘り続ける男性がいた。差し入れたお弁当を褒めながら、大学で学んだことを話してくれた。
最近では、人に道を示し続ける宗教家がいた。この世を煉獄だと断じ、その先のために行動していた。私の知り合いの中ではもっとも尊敬できる人物だ。
そう。いろいろな、自分と違うもの、理解できないものを見てきた。相容れないと思った人もいれば、純粋にその幸福を願っている人もいる。出会いと別れは人を成長させる、確かにその通りだ。私を連れまわした彼女には、そして彼女について歩く勇気を持った自分にも、感謝したいと思う。
「人類は、人間になる前からこの赤を見てきたんだよ」
「それ、彼女の受け売りでしょ」
ばれたか、と笑う。つられて、隣の少女も笑った。
「もうすぐ夜が来るね」
「今日はここに泊まろうか。安全だし」
「ボクも賛成。毛布もあるしね」
パンパンになるまで物資を詰め込んだリュックサックを叩き、言う。
明日も多分、私達は一緒にいる。これがどこまで続く関係なのかは分からないけど、多分そう簡単には切れない絆だろう。
もしかしたら、その終わりこそ、私の最期なのかもしれない。
「明日からどうしようか」
「ちょうどそのこと考えてた。私は君を連れて帰ろうかなって。マネキンマスターとの約束もあるし」
「うん、ボクもあの住処に未練はないし。お姉さんについていくのが楽しそうだから、そうするよ」
「それじゃあ、一旦あそこに戻って荷物を運んで、使える車探しましょうか」
「あれじゃだめなのかな」
「私、マニュアル車はどう動かしていいやらさっぱりでして」
会話を続ける間にも陽は沈んでいく。色合いを変えて行く赤が、一瞬動脈から噴き出る血の色に見えた。フラッシュバックするのはやはり、始まりの日だ。瞼を閉じれば浮かんでくる彼の微笑み。全く同じ表情で逝った彼女も知らぬあの赤こそ、私の「好き」の色なのかもしれない。
「今、何考えてたの」
「何、いきなり」
「いや、さ。ものすごくいい表情してたから」
「そうかな」
「うん。それで、何を決めたのかな」
鋭い。それとも私がわかりやすいのだろうか。私は苦笑しながら、左胸に手を置いた。
そこを巡る赤を想い、言う。
「私を「好き」になれる日まで、全力で生きてみようって。そう思ったんです」
目を覚ますと、お姉さんは既にいなくなっていた。トイレかと思って辺りを見回すと、朝日が昇るのを待っているかのように立ち尽くす人影が見えた。
近づくまでもなくお姉さんであることは分かっていたけれど、何故か違和感がある。声をかけて、振り向いた顔を見たとき、その理由がわかった。
穏やかな微笑み。早いね、というその言葉を語ったのは、
「どっちですか」
どちらでもないよ。選ばれなかった選択肢の残骸、残留思念みたいなものさ。彼はそう言って右手を差し出した。
死人と握手するのは、流石に初めてだった。
この子をよろしく頼む、と彼は言った。
頷き一つで返した。
交わした言葉は少ないけれど、一昨日の夜にお姉さんと話したことに匹敵するだけの理解があった。それはきっと、ボクと彼が似ているからだ。
だからこそ聞いておきたいことがある。
「最後に一つ聞きたいんだ。もし魔法が使えたら、あなたは何をするのかな」
自分が特別であることを願い、それなのに孤独であることを嫌い、逸脱の道を共に歩んだ二人。その結末が歌姫の誕生であるのなら、分岐点の先で待つ彼の願った結末とは何か。
僕の半身が、満足して死んだ。それだけで僕の願いは全て叶ってしまったから、その先を考える権利は君に譲るよ。
ボクの人生の先輩は、死人らしく生者に未来を託し、やはり穏やかに笑うのだった。
Fin.
これにて彼と彼女と、彼らに寄り添った少女の物語は終了です。
この後世界は、海外の逸脱者が作り上げた「壁画」によって、科学文明を失うまでに衰退します。
その後、「忌み言葉」と同系統の呪文により自己暗示を行い、超能力を発揮する時代が到来するのですが……そのお話はまた別、ということで。
最後になりましたが、ここまで読んで頂けた皆様に、感謝を。
――――旅人よ、君の道に幸いあれ