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赤い山脈 蒼の王国  作者: 木葉
第13章 蒼き王国を目指して
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その4

 私は、あっと短く小声で叫んだ。だけど、彼は区長公邸の露台でバルダミアが放った矢を受けて死亡したはずだ。

「俺はファース卿の謀反を知った最初の時から今に至るまで、彼を生かしたまま、その罪を法廷の前に晒して裁きを受けさせるべきだと考えてた。戦死や自害なんて、させるものかと思ってた。そして、この考えは今も変わらない」

「でも、ファース卿は戦で亡くなったのよね?」

 すると、カルダーンは静かに頭を振り、驚くべき事実を私に告げた。

「彼は生きてるよ。国軍病院に収容されて静かに生活してるんだ。君もあの戦の時、伯爵が公邸の露台でアルメイス殿の矢を受けて倒れたのを見ていただろう? その鏃は殺傷能力はないんだけど、細工がしてあって、人に当たると衝撃で麻酔薬が噴出されるようになってた」

 私は当時のことを思い出した。カルダーンが勢いに任せて剣を抜いてしまった後、バルダミアが彼に声を掛けて、矢を放ったのだった。

「アルメイス殿は俺がファース卿を殺したくないと知っていたから、麻酔薬の矢を射る役目を買って出てくれたというわけなんだ。アルメイス殿の弓術の腕前は誰もが認めるほどだって、その時は色々な人から聞いていたから、安心して任せられた」

 すぐさま国王軍が公邸に突入し、倒れたまま放置されていた伯爵の身柄を確保した後、伯爵は密かに国軍病院に運ばれたのだ。もちろんこの事実を知っているのは二人の国王と国王軍の一部だけで、伯爵の娘のライナにも伏せられていた。

「ライナには本当に申し訳ないと思ってるよ。父親の自業自得と言えばそうなんだろうが、俺が密約を反故にしたことがそもそもの発端なんだし……」

「それは……仕方がないわ。密約を結ぶこと自体が本来は不適切じゃない? それに、ライナはあなたを恨んだりするような子ではないと思う」

「……そうだね」

 完全に日が落ちた王宮の中の広間は、相手の顔が見えないほど暗くなっていた。

 カルダーンは私の頬に軽く口付けると、立ち上がった。

「これが俺の最後の隠し事だよ。近々、王宮裁判を開廷する。ライナにも出席してもらうつもりだ。できれば君も」

「ええ、わかったわ」

 私は簡潔に返答すると、カルダーンの後について広間を出た。


 戦死したと思われていた伯爵が生存していたという事実が公表されると、当然のことながら、王宮や王都に衝撃が走った。

 事前にライナには国王の使者から真相が伝えられたのだけど、彼女は驚きこそすれ、取り乱したり、涙を流したりすることはなかったそうだ。そして、父親が法廷にかけられるとわかると、「お願いします」と使者に深く頭を下げたのだ。

 開廷当日、私は黒を基調とした地味な服装で法廷に出向いた。

 中央の国王の席の下段に裁判官たちの席が設けられており、私やその他の関係者は左側に並んで座った。ライナは右側の関係者席で裁判に臨むことになっていて、少し挨拶を交わした後は話すことはできなかった。

 反乱軍鎮圧の日ぶりに、ファース卿が人前に姿を現した。ひどくやつれているのではないかと思っていたんだけど、病院でしっかり回復したらしく、見た感じは健康そうだ。

 被告人席に座ったファース卿は背筋を伸ばして、真っ直ぐ前を見詰めている。

 けれども、裁判長がファース卿の犯した罪状を読み上げ始めると、彼は一瞬、娘のライナの方に視線を向けて項垂れた。

 裁判長は言う。

「被告人はルトガ東方辺境自治区を統治し、守護する責任を負う自治区長でありながら、その職責を放棄し、国王陛下を窮地に追い込むことを目的とし、自治区へ侵攻してきたギュリ度王国の西域軍を領地に引き入れた。

 そして、当時、国王代理としてルトガ自治区へ派遣された王妃候補シャイラ・ミランド女史の殺害を目論んだ。これらは全て一人娘を王妃の地位に据えんがために行われ、実現が阻まれたと知るや密かに隠していた私兵をもって国王に反旗を翻すに至った。以上が罪状です」

 ファース卿の罪はもちろん国王への反逆罪だ。おまけとして、私への殺人未遂も含まれるけれど、当時の身分が王妃候補なので、ほとんど反逆罪と言っていい。

 初めて目にした裁判長は意外と若かった。もっと顔に皺が刻まれた白髪の老人かと思っていたから少し驚いた。まだ四十代前半なのだろうか。黒衣を纏った裁判官というよりも、青空の下で馬を走らせる騎士の方が似合いそうだ。

 その裁判長は柔和でもなく鋭くもない視線を被告人へ投げ、罪を認めるかどうか、申し開きしたいことがあるかどうかファース卿に訊ねた。

 遠目で確認すると、ライナは背筋を伸ばしたまま、じっと父親が何を言うのか待ち構えている。ライナだけでなく法廷中が固唾を呑んで見守っていた。

「私は前国王陛下を信じていました。新しく王国を引き継いだ現国王陛下のこともそうです。国王と臣下の約束事は絶対だと信じて、生きてきました。裏切られたのは私です」

 ルトガ自治区にいた頃、私たちに浴びせた激しい言葉ではなく、ファース卿は静かに答えた。

 やはり彼の思いは変わらないようだ。

「では、罪を認めないということですか」

「認めようが認めまいが結果は同じでしょう。私の娘は異教徒なのです。この国の王と婚姻を結ぶことはできませんし、王妃の座は卑しい商人の娘に奪われました。私が信じてきたものは全て露と消えました」

 そう言ってファース卿は大きな溜息をつき、この時、私は不意に彼に憐れみを抱いた。

国王のため、若い頃から辺境自治区で苦労の連続に耐え、国で一番とも言える美しい娘が王妃になることを夢見て生きてきた男……。ところが、新しい国王は約束を守らなかっただけでなく、貴族ではない娘を選んでしまった。そして、希望の星だった愛娘の心は異教の神に捧げられていた。本当に、ファース卿の手元には何もなくなってしまっていたんだ。

「国王陛下がなぜ先王との約束を違えたのか、私の憤りの原点はそこにあります。むしろ、罪を問われるべきは国王陛下ではありませんか」

 大胆不敵なファース卿の発言に、場は騒然となった。「不敬だぞ」とか「今すぐ捕らえろ」とか、不穏な言葉や怒号が飛び交う。

 裁判長が木槌を叩いて静粛を求めたが、なかなか収まらない。

 そして、最も高い位置に座っていたカルダーン自らが裁判長を制して、おもむろに立ち上がった。

「静まれ」

 国王の一言で、水を打ったように法廷内の喧騒はなくなった。

「本来、法廷で余の発言は認められていない。しかし、敢えて話さねばならないことがある。裁判長、発言を許してもらえるか」

「……はい」

 裁判長の許可が出ると、カルダーンはなんとそのまま壇上から降りて被告人席の前にやってきた。

「余は先王の四番目の子だ。皆は当然、余の長兄が次期国王だと考えていただろう。余もそうだった」

 突然、裁判とは関係ない話を始めた国王陛下に、またもや法廷はざわついた。

「身近にいた人間ならわかるだろうが、先王、つまり余の父に最も反抗的だったのは余自身だ。それにも関わらず、先王は死を予期した病床で余を後継者として宣言した。もし、従順で穏やかな長兄であれば、異教徒だと判明するまでは、密約通り、王妃候補にファース卿の令嬢を指名しただろう」

 カルダーンはファース卿を見据えて、こう語った。恐らく、後継者指名の内情に言及したのは初めてのことなのではないか。そして、私はおぼろげながら先王の意図を理解した。

 幼少期から玉座に就いていた先王は、フェディオン王国をさらに発展させ、豊かにしたという実績がある。けれども、そのためには辺境自治区のように文字通り端に追いやられ、ほとんど切り捨てられてきた地域や集団も存在した。これは私の推測だけど、先王は統治の方法に限界を感じていたのかもしれない。

 だから、周囲の予想に反して、自分と意見を違えることが多いカルダーンに新しい治世を託したのだろう。ファース伯爵にとっては不幸なことに、先王の負の遺産の中にあの密約が含まれていた。

 しばらく沈黙していたファース卿が、カルダーンを見上げて言う。

「つまり、先王は事実上、私との約束を守るつもりはなかった、というわけですね。陛下が密約の存在を良しとせず破棄するであろうことを見越して……」

 その顔には既に諦念が浮かんでいた。今の国王が彼を裏切ったのではなく、約束を交わした時点で、伯爵は敗北していたのだった。

「余は密約を破棄したことに何ら後ろめたい気持ちを抱いていない。それが過ちだったとは全く思わぬ。そして、先王の失政の事実も、卿が余に反旗を翻したことも消えぬ。余は……それらを全て抱えていかねばならぬ」

 まただ。またこの人はとてつもなく重い現実から目を逸らさず、火の中でも水の中でも歩いて行こうとしている。

 ファース卿がふと視線を外した時、カルダーンは裁判長を仰ぎ見た。

「これで余の話は終わりだ、裁判長。あとは法廷に任せよう。余はどのような判決でも従う」

 それから裁判は五日間に渡り行われた。その間、カルダーンは一言も発せず、ただ高みの玉座から淡々と進められるやりとりに耳を傾けていたのだった。

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