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赤い山脈 蒼の王国  作者: 木葉
第13章 蒼き王国を目指して
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その2

 ルトガ地区での住民投票を行う準備は約ひと月半を要した。

 その間、何度も王宮の使者がギュリド王国に行き来し、また彼の国の使者もやって来た。そして、国王は自ら辺境自治区へ足を運んで、住民投票の趣旨と投票は完全にルトガの民の意思を尊重して実施されることを説明した。

 そろそろルトガ山脈の高い場所では初雪が観測される頃だ。もっとも、今年は真夏の白龍の乱舞で初雪とは言えないが。

 山脈が雪に閉ざされてしまう前に、フェディオンとギュリドの勅使は互いの国王の署名を入れた誓約書を持ち合い、交換した。それは、投票の結果がどのようなものであっても、両国はその結果を尊重し、受け入れるという約束だった。

「とうとう、明日ね」

 王妃であることを内々に認められた私は、今や堂々とカルダーンの部屋に出入りできる身分となり、住民投票の前夜を共に過ごした。開票結果次第では、フェディオン国内が混乱し、最悪の場合、不満を爆発させた王都や各地の住民が暴徒化する恐れがある。王宮内でカルダーンが暗殺されることも排除できない。

 私たちは言葉少なに就寝し、翌朝を迎えた。

 本当は私もカルダーンも現地に行って、直接、投票の準備や監督を行いたかった。けれども、新宰相が「そうすれば、ギュリドの国王も現地入りしていただかねばならず、さらに準備期間を要することになります」と苦言を呈してきたため、諦めたのだった。

 住民投票を行う場合、一番、気がかりなのは不正が行われないようにすることだ。もしくは、不正行為があったと隣国から疑われないようにすること。

 そこで、カルダーンが現地の総監督に選んだのは文化教育大臣だった。彼もまた貴族出身だけれど、経歴的に商工業関係の利権にほとんど関与していなかったし、彼自身も几帳面で比較的公正な姿勢で評判が良かったからだ。

 文化教育大臣は十日前からルトガ地方に赴いている。毎日、現地の様子や準備状況の報告を寄越してきて、カルダーンの不安を払拭してくれた。

 投票は日没をもって締め切られた。文化教育大臣の連絡によると、ギュリド王国の総監督者は近衛隊副長、つまり、リン・マーレン大尉だという。

「良い人選だな」

 その名前を読んだ時、カルダーンは呟いた。

 次に彼女に会えるのはいつになるだろう。私はこれから王妃となり、公務以外で王宮を離れることもなかなかできなくなる。女官の身分であれば、長期休暇をとった時にでも、隣国を旅することもできただろうが、それは王妃の身分では叶うまい。

「随分と寂しそうだね」

「ライナとリンは大事な友達だもの」

「……婚礼式の宴にこっそり二人を呼ぼうか」

「いいの? でも、バルダミアが許してくれるかしら。可愛い妹であり、近衛隊副長であるリンを、少しの間でも手放したくないんじゃない?」

「そしたら、その兄上も招待せざるを得ないな」

 カルダーンの口調は素っ気なかった。相変わらず、隣国の国王のことは何かと意識してしまうらしい。でも、私はカルダーンの優しい気遣いを感じ取って微笑んだ。たぶん、カルダーンは初めから私たちの結婚式にバルダミアとリンを招待するつもりだったのだろう。

 二日後の夜、辺境自治区からの早馬が王宮に到着した。

 すぐさま国王は宰相、大蔵大臣、外務大臣を呼び、使者のもたらした書簡を読むことにした。その場には、ある意味、当事者でもある私も臨席している。

 皆が揃うと、カルダーンは書簡を机に置いて言った。

「結論から言うと、辺境自治区の帰属はフェディオン王国のままだ」

 落ち着かず、張り詰めていた空気に安堵が広がり、閣僚たちの顔が緩んだ。国王もまた、泣きそうな表情を隠そうと微笑みを作ろうとしている。

「おめでとうございます、陛下」

「ああ、危うく余の首が飛ぶところだった」

 カルダーンの冗談に私も笑い、バルダミアとの戦いがようやく終わったことを実感した。

「もう陛下は暴君ではありません。随分と変わられましたな」

「そうか」

「即位されてから半年間は、常に鋼鉄の鎧のようでしたから。今は脱ぐことも覚えたように思われます」

「おやおや、私は陛下を暴君と思ったことはありませんよ」

 宰相に続いて外務大臣が言うと、カルダーンは苦笑した。

「嘘を申すな。余を一番煙たがっていたのはお前のような気がするが」

「私を煙たがっているのは陛下ご自身でございましょう。老人のお小言の愚痴はどうか王妃に」

 そんなやりとりも、国の一大事を経た後だからかとても和やかだった。

 本当に住民投票は賭けと言っても過言ではない。フェディオンへの帰属を望む者が、投票者数の七割を占めていたのは奇跡的だ。私はカルダーンが自治区に姿を現し、連日視察をしたことが住民感情を変えたと思っている。

 国王にも自治区長にも見捨てられた領地の住民の不満は強かった。統治者が彼らの声を聞くことなどないと諦め、憤っていた。けれども、カルダーンは自分の過ちに気づき、辺境自治区もフェディオン王国の大切な一部だと自覚した。

 不幸中の幸いと言おうか、ファース卿がついに反乱したこともフェディオン国王への住民感情を変えるきっかけになったに違いない。それは、キダ教徒だけでなく自治区の住民も蜂起し、フェディオン国軍と共に戦ったことからわかる。

 先頭に立ち、共に戦ってくれる国王を、見捨てられてきた住民は選んだ。

 帰属問題は決着したものの、ルトガ山脈の鉱山を閉鎖し、過酷な労働環境と汚染の実態を調査しなければならない。その間、全ての操業が停止されてしまうので、鉱山からの利益はゼロだ。私のかつての上司に当たる商工業大臣は、この方針に強く反対したけれど、国王どうしの取り決めを覆すことはできず、自らの辞任という形で抗議の姿勢を見せた。やはり貴族の経済基盤を壊そうとすることは難しいのだと、私たちは改めて思い知った。

 商工業大臣の空席を埋めたのは、かなり若い貴族官僚だった。私の先輩でもあるその人は、貴族出身だからこそ、伝統的なやり方に限界を感じているというちょっと変わった人物だ。

「昔、彼は西大陸の新興国に留学経験があるんだ。我が国と違ってそこには国王も貴族もいない。誰でも好きなように生き方を選べるらしい。商業も貿易も、腕に自信のある人間が利益を追求していいんだ」

「それで、フェディオン王国の貴族のやり方に疑問を持ったのね」

「俺が王子だった頃、偶然、彼の留学報告書を読んだことがあった。その時はただ変わった視点だとしか思ってなかったけど」

 こうして辺境自治区の新しい時代が始まった。そのうち自治区長が住民の有力者の中から選出され、鉱山の管理は自治区から独立した特別官が派遣される。国王直属の役職だ。

 そして、我が国はギュリド王国と正式に和平合意を結んだ。辺境自治区がフェディオン王国の領土であることを確認し、互いに軍を越境させず、人や物の往来を自由に認めることも約束した。

 自由な貿易も認められることになり、バルダミアは自国の高度な医療技術や薬品を積極的にフェディオン王国に輸出することを申し出た。

 きっとこれは私が彼に、フェディオンの医療が未だに民間療法や迷信に頼っていることを話したことがあったからに違いない。私はそう信じたかった。

 両国の和平合意は、西大陸の国々にも伝わり、驚きをもって迎えられたらしい。

 豊かだが伝統的な貴族の独占によって経済が動かされてきたフェディオン王国が、隣国に門戸を開き、さらに、辺境自治区の異教徒に政治的な配慮を行ったこと、そして、謎に包まれ、野蛮な軍事国と呼ばれてきたギュリド王国がどの国よりも発達した医療文化を有し、それをいとも簡単に輸出を始めたこと――。全てが前代未聞だった。

 もはや東大陸に、暴君も蛮族の王も存在しないのだ。

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