その1
いつの間にか白龍の乱舞は峠を越えていたらしい。山脈や町の上空が分厚い雲に覆われていることには変わりはなく、寒さも厳しいままだけれど、吹雪が収まったのは幸いだ。でも、会議室の中は暖炉が使われ、静かに炎が揺らめいている。
真夏のフェディオン王国にあって、唯一、極寒の冬がここを縛っている。
半ば強制的に会議室に残された私とカルダーンは、対峙したまま無言を貫いていた。互いの体は向き合っていても視線はぶつからず、カルダーンの顔は私から見事に背けられている。
(なんで何も言わないのよ……)
私は軽く苛立ちを覚え、「ねぇ」と声を掛けた。すると、カルダーンは私が言葉を続ける前にそれを遮った。やっぱり顔を合わせてはくれないまま……。
「どうしてここへ来たんだ。余はもう王妃候補として振る舞うなと言ったはずだが」
予想していた言葉だったので、私は臆することなく答えた。
「私に女として興味がなくなったっていうなら、もう私も諦めるわ。でも、官僚としての働きまで否定されてないんだから、王に諫言するためにここにきたの」
「諫言だと?」
カルダーンは不意を突かれたように、少しだけ顔を上げた。きっと私が元王妃候補として恋情を切々と訴えてくるのだと思っていたに違いない。
「言いたいことも聞きたいこともたくさんあるんだけど、とりあえず、自国領に経済封鎖をしたことはどういう理由か聞かせて」
「あれは……余も迷った末に決断したことだ。しかし、自治区からの音沙汰もなく、敵の意図もわからないままではどうすることもできない。だから、西域将軍とその軍を孤立させるために経済封鎖に踏み切った」
言い終わると、カルダーンの口から深い溜息が漏れた。本当に苦渋の決断に迫られたのだということが、私には痛いほどわかった。それでも、私は敢えてこの決断を批判する。
「そんなことだろうとは思ってたわ。でも、ルトガ自治区は隣国に接してるのよ。こちらが経済封鎖しても、ギュリドからの支援が来るかもしれないし、西域軍が暴走して自治区の住民を攻撃する可能性だってあったのに。あなたは自国領に経済封鎖なんてすべきじゃなかった」
「ではどうすべきだったと言うんだ!?」
声を荒らげたカルダーンは私を冷ややかな視線で睨みつけた。
「待っていてほしかった。私と騎士団長を信じて、せめて白龍の乱舞の小康状態が続く時まで待って、私の復命が来るのを……」
国の大事が掛かっているのに、一人の女を信じて待てというのは国王には酷なことだったのかもしれない。だけど、私はただカルダーンに恋する女の子ではないのだ。それだけだったら、私は危険で責任重大な任務を引き受けていないし、カルダーンだって私を手放したりはしなかっただろう。
「そうかもしれない」
反論されるかと思ったのに、カルダーンがぽつりと言ったのは肯定ともとれる言葉だった。
「俺は、弱い王なんだ……」
「え……?」
蚊の鳴くような、ほとんど聞き取れない声に、私は思わずカルダーンの顔を見上げた。今、「俺」って言った。もしかしたら――。
私は経済封鎖の話題を終わらせて、私にとっての本題に入ることにした。そのために、バルダミアは私とカルダーンを二人きりにしてくれたはずだから。
「カルダーン? ところで、これから誰を伴侶にするつもりなの?」
「一介の官僚が心配することじゃない」
「私の帰りを待ってたって言ってくれたのは嘘? 王妃候補から外した理由は何? 本当に嫌いになっちゃったの?」
実はカルダーンは私を突き放した時、どうしてそういう結論に至ったのかということは一切説明してくれなかった。私とバルダミアの関係を疑ったまま、本当に私に愛想を尽かしてしまった可能性は否定できないけれど、ガイアンも言っていたように、私はカルダーンが国王としての決断を一時の感情で反故にするとはどうしても思えなかった。
だから私はその一縷の期待に賭けてみたかった。
「お前を余の王妃候補から外したというのは、そういうことだろう」
「シン大神に誓って、嘘じゃないわね?」
「ああ……」
「じゃあ、早く王妃を迎えなきゃね。あなたは一国の主なのよ。そういう制度が気に入らなくても誰か相応しい人を妃にして、後継者をもうけるのが筋じゃない。私たち臣下を安心させるためにもね。私の言ってること間違ってる?」
「いや……」
畳み掛けるように言う私は、内心、絶望的な気持ちに押し潰されそうになっていた。ちょっとでも私に対する情愛を残してくれているのではないかなんて、虫のいい自分勝手な思い込みだったんだ。
私は深呼吸をして、カルダーンとの決別の瞬間を受け入れる準備をして言った。
「それなら私の目を見て、辺境の問題を片付けたら速やかに新しい王妃を選ぶ、って約束して」
「………」
「陛下、お願いです」
これ以上ないほど悲痛な気持ちを抑えながら私は声を絞り出した。そして、とうとうカルダーンが耐えられないというふうに大声を張り上げた。
「できるわけないだろう! 俺の妻は君しかいないんだからな!」




