その1
お世辞にも快適とは言えない簡易馬車に乗り込んだ私たちは、オスタ男爵領を出立してから無言のまま、窓の外を眺めたり目を閉じて寝たりしている。
通行証のおかげで地下通路の門はすぐに通してもらえた。
そして、日が落ちてから突然現れた私たちに驚く男爵に諸事情を説明し、この馬車と非常食を用意してもらったのだ。
整備された街道は一定間隔で明かりが灯されているので、ここで事故に遭うことはないけれど、外はすっかり闇が下りてもう手元の手紙の文字が読みにくくなっている。
ガイアンから渡されたその手紙の差出人はリンだった。
――この手紙を読んでいるということは、私と兄の正体を知らされた後でしょう。さぞ驚いたことと思います。私の国は地理的環境のため、あまり豊かではなく、外国からは謎に包まれた国だと見られていますが、よそ者を排除するような国柄ではありません。だから、兄が異国の女性を妃に迎えても、国民は歓迎するでしょう。もともと軍部でのし上がってきた兄が先王の崩御の後、不穏分子を征伐して王位に就いてから既に三年が経ちました。仕事熱心な兄ですが、そろそろ妃を娶らなければと身内の私ですら心配になります。あなたが義姉になってくれたら嬉しいです。でも、私がみたところ、あなたの愛する人は兄ではないのでしょう。兄を支えてくれる女性は他にいると信じています。これからも私たち、友人でいましょうね。
完全に車内が暗くなって文字が読めなくなる前に、私はこの手紙を何度も読み返した。最後の方は涙で文字が滲んで読んでいると言える状態ではなかったけれど。
リンの手紙で、バルダミアが元から軍人だったことを初めて知った。フェディオン王国のように王家の血統が重視されないのだろう。真に国の頂点に立つに相応しい人物が王位に就くというのは、よく考えてみれば合理的である一方、無用な争いの元になり得る。それを抑えることができているバルアミアという男は、やはり突出した力量の持ち主ということだ。
私はバルダミアともリンとも敵同士になりたくはなかった。
でも、そんな気持ちは私の個人的なもので、許されざる感情として切り捨てなければならないのだろうか。
「シャイラ様、大尉は何と?」
ガイアンが私の膝に置かれた封筒を見て訊ねてきたので、私は暗がりの中で微笑んだ。
「秘密よ、女同士のね」
「ああ、なるほど。無粋な真似をしてしまいました」
言えない内容だということを理解してくれたガイアンも笑みを返してくれた。それからガイアンは隣のロゼットと動揺に目を閉じた。
深夜になって、私たちは宿泊施設に到着した。往路と違って、官用の施設ではなくごく一般的な宿屋だ。ロゼットはあからさまに嫌な顔をしていたけれど、元々、貴族ではない私は簡素で清潔な部屋に泊まれるだけでありがたいと思っていた。
寝台に横たわって眠りに就こうとするものの、バルダミアの優しい包み込むような口付けと突然の求婚を思い出して何度も寝返りを打つはめになった。あんなの反則だよ……。窮地に陥った特殊な状況の中で、完璧な姿を見せられて動揺しないわけがない。
バルダミアが将軍の一人だと信じていた私は、それまで彼の配偶者の存在について考えもしなかった。私より少し年上の二十代後半で独身という軍人や官僚は別に珍しくない。でも、国王という立場なら話は別だ。
私が求婚を蹴ったせいで、バルダミア、いや国王アルメイスは一から王妃探しをしなくちゃならなくなってしまったんだと思うと切なくて溜息が出る。あの山脈に囲まれた広大な冷たい王国にただ一人で君臨するなんて……。
リンが手紙で「兄を支えてくれる女性は他にいると信じています」と書いていたように、きっとバルダミアと共に人生を歩む王妃がどこかにいるはず。
翌日の早朝、不機嫌さを最大に表したロゼットが私の部屋の扉を荒っぽく叩いて、私を起こしに来た。
「遅えよ。今日の夕方までに王都に着くには日が昇りきってからじゃ間に合わねえぞ」
「わかってる!」
私は大声で答えながら着替えをした。毛皮の外套を鞄に押し込んで、薄手の半袖の制服に衣替えだ。
今まで白龍の乱舞という大雪の寒さを体験していて忘れかけていたけれど、フェディオン王国は真夏の盛りで、早朝にも関わらず汗ばんでしまう。
「こっちの行程を早馬で王宮に報告しといた」
馬車に乗り込んだ私にロゼットがそっけなく伝えた。
窓から見える景色に、もうルトガ山脈は入っていない。牧歌的な風景が徐々になくなり、木造住宅から煉瓦造りや石造りの建物が増えていく。幅が広くなった街道は、一気に人や馬車の往来が激しくなった。
「空がとても蒼いですね。ルトガ地方の空模様はひどく気が滅入りました」
「ええ、フェディオンの空はこうでなくちゃね」
私は窓に顔を寄せて、雲一つない空から降り注がれる太陽の強烈な光を瞼に感じていた。
何度か短い休憩を取りつつ馬車は王都に到着した。懐かしい王宮の裏門をくぐると、馬車小屋の前に立派な身なりの男性が立っていた。
「お待ちしておりました、ミランド嬢」
硬い表情で私の名を呼んだのは、ロゼットの父親である宰相閣下だった。
宰相は私が馬車から降りると、「さあ、行きましょう」と促して歩き出す。慌ててガイアンが後ろについてきたものの、ロゼットはじっと立ったまま動かない。
「騎士団長、申し訳ないが息子と一緒に行ってくれないか」
「なぜです? 私の役目は王妃候補の護衛なのですよ」
「もう王宮内だ。その必要はない。陛下がミランド嬢一人にお会いしたいと待っていらっしゃる」
「……そういうことならば、ここで失礼いたします」
宰相の有無を言わせない言葉に、ガイアンが立ち止まる。宰相は騎士団長を一瞥すると、再び私の前を歩き始めた。
カルダーンが私を待ってる――。
期待と少しの不安が混ざり合いながら、私の胸の鼓動は高鳴った。




