その2
一番理解できていないのはライナだったに違いない。辺境自治区を預かる自分の父親がなぜ王妃候補をこんな場所で襲撃する必要があるのだろう。
「もしかして、私が以前、この公邸の大広間を収容所として開放することを提案したせい?」
私が思い付く理由としたらそれしかない。
「確かに立腹してましたが、そんなことでシャイラ様の命を二度も奪おうとするのでしょうか?」
そうだ、私はライナに連れられてキダ教徒の地区に行った帰りにも矢を射掛けられたんだった。ガイアンの言う通り、大広間の掃除が大変だからという理由で王妃候補を亡き者にしようなんて思わないよね。
「ライナ、あんたは昔、カルダーン三世の王妃候補になるよう父上から言われただろう?」
バルダミアの問い掛けは思いもよらないものだった。ライナは少し躊躇いがちに答える。
「ええ……。そういう話があったのは、初めは先王のご容態が悪くなられてから。二度目は今の国王が即位されてすぐの頃よ。ああ、シャイラ、黙っててごめんなさい。でも、二回とも断ったのよ。私は辺境で生まれ育って、ここの土地が好きだし、王宮で暮らす勇気なんてなかった……。一度、先王の時代に王宮の舞踏会に出たことがあったけど、王子だった今の陛下とは挨拶しかしてないし、やっぱり私は田舎でのんびり暮らすのが性に合ってるって思ったわ」
「そうだったのね。でも、貴族の娘に王妃候補の話が来るのは特別なことじゃないし、どうして私を殺そうとすることに関係するの? 王妃候補から外れた貴族の娘なんてたくさんいるんだから、ライナだけが例外じゃないわ」
すると、バルダミアが随分と立派な封筒を私とライナの間に置いた。よく見ると、国王だけが使用できる封印が押されてある。
「先王からファース卿への密書だ。いや、密約と言った方が適切だな。読んでみるといい」
ライナから封書を手渡されて、私は中身を取り出して目を通した。内容は数行で収まる程度の簡潔なものだったけれど、私は溜息をついて読み終わった書簡をライナに回した。
「……お父様がこんなに卑しい人だったなんて」
それは密約と言うに相応しかった。ファース伯爵は長年の区長就任とその功績への報奨として、娘を次期国王の妃にすることを要求し、先王はそれを承認したのだった。おそらく、舞踏会に出たライナを見て、先王は暗黙のうちに承認したのだと思う。美貌と教養の高さ、貴族としての振る舞いは王都の貴族の娘よりも優っていたからだ。
「でも、結局、ライナ嬢でなくてシャイラが選ばれたんだろ。約束と違う」
「先王は亡くなる前に、王太子となったカルダーン三世にファース伯爵の娘を妃に迎えるよう遺言したはずだ。だが、即位したカルダーン三世は何らかの理由で約束を反故にし、ファース伯爵を失望させた」
ここまで来て、ようやく私の命が狙われた理由がわかった。娘をどうしても王妃にしたい伯爵が私を邪魔だと考えて排除しようとしたんだ。私がこの世からいなくなれば、カルダーンは別の女性を妃に迎えなければならなくなり、国内で最も資質を備えているライナに目を向けざるを得なくなるというわけだ。
ライナは青ざめた顔で私の様子を伺っている。あんなに華やかで明朗な女性が枯れた花のように俯いているのを見て、私は心から同情した。自分の知らないところで勝手に政治の道具にされ、挙句の果てには仲良くなった私を亡き者にされかかったのだから。
「こいつの父親の欲望についてはよくわかったけどさ、どうして隣国の将軍が他国の辺境の密約なんか知ってるんだよ」
「そうね。まさか、お父様を脅して弱みを聞き出したんじゃ……? お父様はそれであなたの前では何もできないのね」
ロゼットの言葉に、ライナはきっと顔を上げてバルダミアを見据えた。すると、バルダミアは片方の眉をわずかに上げて、首を横に振った。
「伯爵は大した俳優だよ。密約のことを話したのは、伯爵の方からだ。疑問に思わないか? 隣国への盾になるべき辺境自治区があっさりと敵の侵入を許し、その日のうちに公邸まで占拠されたんだぞ」
「まさかお父様……」
「俺が兵を引き連れて乗り込んできたすぐ後、区長自ら俺に会いに来て、こう告げた。『取引をしよう。私は国王をちょっと困らせたいんだよ』とね」
ファース伯爵が提示した取引というのは、自ら進んで西域軍の人質のような状態となり、自治区を占領させる代わりに、最近、王妃候補に選ばれたシャイラ・ミランドを自治区に呼び寄せ、できるだけ長く引き止めることだった。
伯爵からすれば、国王の目の届かない騒乱の最中にある辺境自治区で王妃候補が死んだとしても、いくらでも理由は付けられるし、自分自身は人質ということで紛争解決に関する責めを負わずに済むのだから一石二鳥だ。約束を守らなかった若い新しい国王は、辺境自治区と王妃候補を敵に取られるという窮地に陥った状態に苦しまなければならない。
全て伯爵の掌の上で転がされているかのようだった。
「でも、お父様の誤算はシャイラ自身にあるわね」
不意にライナが顔を上げて微笑んだ。伯爵の誤算……?
「シャイラはただの王妃候補じゃないもの。王宮で修羅場をくぐってきた商工官僚よ。辺境に派遣されて怯えて大人しくしてたわけじゃないじゃない」
ライナの言葉にバルダミアも軽く笑い、そして、彼は意外なことを打ち明けた。
「ファース卿からは、隙あらば王妃候補を殺害してほしいと言われていた。賊か配下の兵士に襲われたようにすれば真相はわからないだろうってね」
「やはりお前は……!」
ガイアンは剣の柄に手を掛け、怒りの形相でバルダミアを睨めつけた。しかし、バルダミアは動じることなくガイアンを一瞥しただけで、話を続けた。




