その1
久しぶりに賑やかな、いや、ちょっとケンカ口調の声に満ちた客間に私はいた。まぁ、ケンカ口調になってるのは私とロゼットなんだけど。
「だから! 何度も言ってるでしょ。双方が納得する形で穏便に処理できるのは、この提案くらいしかないんだって」
「いくら国王代理だからって王妃候補の分際で、勝手に経済構造のあり方変えるなんて許されると思ってんのか、バカ官僚!」
「……はぁ? バカはそっちでしょう!?」
つい先日、夜中に私の部屋に夜這いに来た男からバカ官僚呼ばわりされた私は、目を見開いて言い返した。怒り心頭でまともな反論もできないじゃない。
ロゼットは私を苦々しげに見て、続けた。
「カイ将軍は本当に交渉する気があんのかよ? 白龍の乱舞を利用して、今頃、国境のあっち側で軍備を整えて総攻撃の準備をしてるかもしれねぇ。こっちも少なくともオスタ男爵に領兵団の総動員をかけるように密かに連絡すべきだ」
「そんなことしたら全面戦争になるじゃない。その方が許されないわよ」
「望むところだ。俺たちが圧倒的勝利を得て、金輪際、ギュリドの奴らに手出しさせないように見せつけておくべきだろう。新国王の力を西大陸諸国に知らしめるいい機会じゃないか」
ロゼットの言い分はもはや外交官僚じゃなくて、血気盛んな青年士官のものだ。私は大きく溜息をついた。
「だいたいねぇ、あんたたち貴族が流通を独占しようとしてるのが――」
本日何回目になるかわからないやりとりを続けようとした時、机を軽く叩く音と共にライナの呆れた声が割って入ってきた。
「はいはい、二人とも不毛な言い争いはもう止めてちょうだいね。それよりも、白龍の乱舞がちょっと収まってきたんだから、次のことを考えましょうよ。数日内に返答するって言ったんでしょ、あの男」
私は今朝、ロゼットたちを集めてバルダミアに交渉を持ちかけたことを明かした。その結果が口論だったんだけど、バルダミアが私をどこかに連れて行くという話は秘密にしてある。
バルダミアが私の提案を飲むと言ったら私の役目はそこで終わり、後は両国の王宮に報告して事後処理をしていくことになる。けれど、拒否されてしまったら、また一からやり直しだ。
「そう言えば、ファース卿はどうしてる? 最近、姿を見かけないよな」
「お父様ならずっと部屋にこもってるわ。こんな猛吹雪じゃどうしようもないし、完全に敵将に仕切られてしまってるから、区長を続けるわけにはいかないって思ってるのかも」
「まぁ、そりゃそうだ。ライナ嬢には申し訳ないけど、最初の一撃を食い止められなかった時点で辺境自治区を任せる資格を失ってたんだ」
ライナは椅子にもたれかかった尊大な態度を取るロゼットに気を悪くする様子もなく、神妙に頷いた。今回の件で、区長として力を発揮できなかった父親の不甲斐なさを一番理解し、心を痛めているのは彼女だろう。私はライナの手に自分の手をそっと重ねた。
「シャイラ、ありがとう。お父様のことは気にしないで。本当はここの住民にとって善政がなされれば誰が区長だっていいのよ。私はお父様が区長として頑張ってきた姿を知ってるけど、ここ一年くらいはすっかり統治が疎かになってたと思うわ。ところで、白龍の乱舞が小康状態になったら、すぐに町の視察に出て被害や病死者を確認しに行かないとね」
そう、今、私たちが考えるべきことはそれだ。食料の保存と分配は前回の白龍の乱舞の時の記録を参考にしているけれど、現実に十分かどうかはわからない。
公邸と別館の食料や医療品、生活用品の貯蓄はガイアンとリンが管理してくれていて、なんとか今までぎりぎり皆に行き渡っている。王都には追加支援を要請してあるので、小康状態になったらオスタ男爵領から運び込まなければならない。
私たちは一通りやるべきことを話し合った後、解散した。
とりあえず自室に戻ろうと廊下へ出ると、後ろから声を掛けられた。
「シャイラ様、ちょっとお話しても……?」
騎士の外套を外して片手に抱えたガイアンが立っている。私が承諾すると、ガイアンは適当な小さい応接室を見つけて私を入るよう促した。
「すみません。この部屋は少し冷えますね」
「大丈夫よ。さっきの客間だと人の出入りがあるし」
私が答えると、ガイアンは手にしていた外套を私に渡してくれた。私はありがたく受け取って、肩から羽織ることにした。
「で、話って何?」
「……ええ、大変申し上げにくいことですが、シャイラ様は少し敵将を信用しすぎでは? 彼がルトガの住民を気にかけているのは事実ですが、交渉事とは別問題です。あなたはフェディオン国王の代理であり、陛下の大切な王妃候補なのですよ。リース殿の主張も的外れではありません。国軍の派遣という手段も排除してはならないと思います」
ガイアンの真摯な言葉に私は少なからぬ衝撃を受けた。自分の立場を考えろというのは、そう言われても納得できる。でも、ガイアンがロゼットの言い分を擁護するなんて思ってもみなかった。
私は胸元で外套をぎゅっと掴んで言った。
「ガイアンは戦争をすることが正しいって思ってるの?」
「いえ、そうではなくて……。次の手を考える時、軍事力も視野に入れるべきだと。私は騎士団長なので戦争のことを考えるのは職責ではありませんが、軍事力というのは、時に陛下の威厳を示すものになるのです。リース殿の発言はまさに外交官僚のものでした」
私はカルダーンと国防政策について話した時のことを思い出した。軍事力の有用性は私だってわかってる。頭ではわかってても、心の中ではバルダミアとは戦いたくないという気持ちの方が大きかった。戦闘が開始されたら、バルダミアは将軍として前線に立たなければならなくなる。そして、我が国軍の強さは西大陸の最強国にも引けをとらない。
あの人を死なせたくないわ……。
気が付くと、私の目尻から一粒の涙が零れ落ちていた。
「あのっ、シャイラ様。わかっています。陛下は以前、シャイラ様は産業だけでなく国防や福祉にも気を配れると喜んでいらっしゃいました。ですから――」
「ううん、そうじゃないの。ごめんね」
私の涙の意味を勘違いしたガイアンが慌てて慰めてくれたものの、本当の理由が至極私的な感情から来ていることに私の心は落ち着かなかった。
「厳しいことを言い過ぎましたね。ただ、陛下があなたに全幅の信頼をお寄せになり、ここに派遣したことをどうか忘れないで下さい。陛下はあなたを心の底から愛されています。何があってもあなたのことを守りたいと。……それは私も同じ気持です。今は陛下の側近である私をもっと頼ってください。いつだってあなたの味方なのですから」
「ありがとう、ガイアン」
私は涙を拭って、どこまでも誠実な騎士団長に笑顔を向けた。何のために私が来たのか、どうして国王の側近がここにいるのか、その意味を改めて考えると仮定の未来のことで心を迷わせていてはいけないのだ。
ガイアンの力強い笑顔を見て、私はバルダミアとの秘密を打ち明けることに決めた。




