その1
1.
知らず知らずのうちに何度も欠伸が漏れてしまい、私は慌てて手で隠した。
昨晩のロゼットの奇襲の後、私はどっと疲れてそのまま布団に潜り込んだものの、どうにも気持ちが落ち着かず寝付けなかったのだ。
あいつが何を考えてるのかさっぱりわからない。ううん、正確に言うと、彼が私が王妃になることが気に入らないっていうことはわかるんだけど、いつも計算高い冷静な人間があんな軽挙な行動に出るなんて思ってなかった。私に恋してるの? ……それはあり得ない。
だって何も同僚の、しかも自分より身分の下の私を選ばなくても、ロゼットの周りには釣り合いの取れた華やかな貴族の女の子たちが自然と集まっていて、彼も楽しそうに相手をしてるじゃないの。恋の相手なんていくらでもいるのに。あーもうっ、こんな時に何なのよ!
「珍しくぼーっとしてるわね、シャイラ。どうかしたの?」
食後の紅茶を飲みながらライナが尋ねてきて、私は今まで上の空だったことに気付いた。
「あ、えーっと、ほら、ライナに借りた本を寝る前に読んでたらすっかり遅くなっちゃって……」
「でしょう? 私、久しぶりに面白い小説を見つけたと思ったのよ。気に入ってくれて良かった」
ライナは私のごまかしを信じて、にっこり笑ってくれた。昨日の一件は、ライナにだって打ち明けられないよ。
「じゃあ、シャイラ。支度を整えたら、地下に行く階段の前に集合しましょう」
「了解」
約束した通り、私とライナは別館に収容されているキダ教徒たちに奇病の聞き取り調査を行うことになっていた。
別館へ続く地下通路は外気と同じくらいに冷たく湿っている。それでも、吹雪を防いでいるだけマシだった。私たちは自然と速足で進み、別館に辿り着いた。
ここの建物は二階建てで、玄関付近の開けた接客の場以外に三つの会議室と小さめの客室十部屋からなっている。客室には貧困層の家族に入ってもらい、会議室は独身者や浮浪者用だ。ちょっと窮屈になってしまうけど、それぞれ仕切りで小さな区画を作って個室として使ってもらっている。とりあえず、部屋は暖かいし、食事も三食ありつけるということで、そんなに不満は出ていないようだ。
「ああ、良かった、ちゃんと神の涙が置かれてるみたいね」
ライナの視線の先には、接客の場の壁際に安置された雫型の信仰対象があった。そして、その周りの床には教徒たちが座り、歓談している姿が見えた。
「お話中ごめんなさい。ちょっと私たちも加わっていいかしら?」
ライナは躊躇いなく彼らの輪に入っていき、世間話をし始めた。伯爵令嬢なのに、こういう物怖じしない行動力は本当に凄いなって思う。私もライナの隣に座って彼らの話に耳を傾けてみた。
「あたしらが若い頃も、白龍の乱舞があったんだよ。お嬢さん方は知らないかもしれないけどね。その時はこんな風に衣食住を与えてもらえなくて、地下壕に潜んでどうにか生き延びたものさ。若かったからこそできたもんで、赤ん坊や老人は皆、寒さで死んじまったよ」
「思い出したくねぇなぁ」
「しかし、今回は何だって俺たちにも温情が下されたんだね? 区長は同じだろう?」
初老の男性が黄色く縁取られた真っ赤な毛糸の帽子を手で弄びながら、不思議がっている。それで、私は事情を説明した。
「は! 面白いこった。ギュリドの軍人の考えだってのか。フェディオンの王様も区長もちっとも当てになんねぇなら、いっそのこと自治区はギュリドの領土になっちまえばいいんだ」
「全くだよ。あたしらは快適に過ごせれば、誰が王様だって気にしないよ」
その言葉を聞いて、私とライナは顔を見合わせた。私たちの正体は明かしていない。公邸で働いてる女中で、カイ将軍から別館の様子を見回ってくるよう言われたと説明してある。本当は貧困層を収容しようと提案したのは王妃候補である私だけど、それは言えないのでカイ将軍の主導だってことになってる。そうすると、区長や国王に批判が向けられることは必死の成り行きだ。
実はカルダーンはバルダミアの書簡を受け取った後、すぐに支援物資を自治区に送ってくれていた。でも、急に準備したせいか物資の量はかなり少なく、別館の人たちに回せる分までなかったのだ。
「まぁ、今の待遇はありがてぇと思ってるが、白龍の乱舞が終わった後の俺たちはどうなるんだろうね……。またあの採掘場に放り込まれんか」
「ああ、それじゃ、そのカイ将軍ってのに物申してみるか? そいつならどうにかしてくれるかもしれねぇよ」
男性たちが深刻な話をし出したので、私は詳しく話をしてもらえないか求めた。ここは何でもいいから情報を収集してみなきゃ。
すると、私が知らなかった過酷な事実が明らかになったのだ。




