その5
5.
窓に張り付いたかのような暗闇を覗き込むと、風呂上がりで少し顔が赤くなった自分の上半身が映った。極小の雪の結晶が窓の枠を縁取っている。
硝子窓の向こう側は既に一面の雪だ。バルダミアと廊下で話をした日の夜から、白龍の乱舞は前奏曲から本題に入り、昼夜問わず吹雪いている。それから三日間、私たちは公邸の中に留まって嵐が過ぎるのを待っていた。どうやら白龍の乱舞には緩急があるらしく、しばらく続く吹雪の後は小康状態になるという。
収容所での聞き取り調査は難航していた。奇病のことを知らない人がほとんどで、知っていたとしても話したくないと言って口を噤んでしまうのだ。病気の話だから、私としてもそれ以上強制的に聞く術はなく、途方に暮れてしまった。
ようやくガイアンの手当てが終わったライナによると、奇病の噂はキダ教徒から聞いたので、明日、別館に収容されているキダ教徒たちに確認してみようということになった。別館とは公邸から出ている地下通路で繋がっているから吹雪でも心配ない。
今日はそろそろ布団に入って、もう少しだけ読書でもしようかな。ライナに貸してもらった本を取りに棚の前に移動する。緑色の本に手を伸ばしかけた時、扉が控えめに叩かれた。
「どちら様ですか?」
中から問い掛けると、「俺だ」という返事があった。なんだ、ロゼットか。明日の行動予定の話でもしに来たんだろう。そう思った私は扉を開けた。ロゼットはそろりと足を踏み入れると、扉を静かに閉めた。
「あ、ちょっと待って。椅子の上、荷物だらけだから片付けるね」
うっかりしてた。脱ぎっぱなしの上着と資料が椅子の上を占領していたのを忘れてた。けれど、私はロゼットに背を向けたまま前に進むことができなかった。
「……!」
背中に温もりを感じる。ロゼットが私の背後から両腕を回し、私を抱き締めたのだ。全身を硬直させて身を捩ろうとしたけれど、無駄だった。私の肩に軽く口付けたロゼットの吐息が私の首筋を撫でる。
「お前が王妃になれば、俺はもうお前と対等じゃなくなる。お前が俺の上に立ち続けるなんて、許せねぇんだよ」
掠れた声で囁くと、ロゼットは左手を私の太腿に這わせた。言わずともこいつが何を望んでいるのかは明々白々だ。
「止めて」
「……俺たちの過去、国王は知らないんだろ? 求婚の返事は否だ。お前が俺を選んでも遅くはないぜ」
ロゼットの熱を帯びた声が、私の耳元で囁かれる。
実は私は、学生時代に一度だけロゼットに抱かれたことがあった。
目指す場所が同じだった私たちは基本的に同じような科目を勉強していて、毎日を共に過ごしていた。切磋琢磨できる友人として、それはそれは楽しくて充実した日々だった。
高等学校三年目の夏、官僚志望の仲間たちと合宿勉強をしていた私たちは、昼間の真面目な時間の反動で、夜は賑やかに酒盛りをした。関係を持ったのは、要するに酔った勢いというやつだ。たぶん同じく酔った仲間から、お前らどういう関係なんだよと囃し立てられたのも原因だと思う。
その後、お互いに自己嫌悪に陥ったものの、また自然に友情が復活した。そのまま恋人関係になるという選択肢もあったけど、私もロゼットも今までの楽しく知的な刺激に満ちていた関係を壊すのが嫌で、あの夜のことはなかったことにしてきた。私自身、今の今までそんな過去のことを忘れ去っていた。
それを今頃また関係を迫るなんてどうかしてる。私はまがりなりにも王妃候補で、ロゼットは将来を嘱望されている若手官僚だ。何を血迷ったのかわからないロゼットの一時の情熱を受け入れる理由などなかった。
ただ、ここでガイアンを呼んで騒ぎを起こすことは得策ではない。こちらの失態をバルダミア側に教えることになってしまう。かと言って、ロゼットを挑発するような言葉で対抗するのも危険過ぎる。
私は静かに淡々と前を向いて言った。
「フェディオンの王妃はただのお飾りじゃない。国王と一緒に政治に関わって、閣僚や宰相たちと議論だってする。ロゼット、あんたが早く外交大臣になれば私たちはいつまでも対等でしょ。それで、宰相にまで上り詰めてよ。ここで私に溺れたらあんたは負い目ができるわ。例え、密通がバレなかったとしても、どっちかが惚れた時点で対等じゃなくなる。お願い……私はあんたと永遠の競争相手でいたいの」
ロゼット、早くいつもの鉄の理性を取り戻して。ロゼットは私の洗いたての髪に顔を埋めてじっとしていた。
互いの長い長い無言の闘争の末に、やがて私を拘束していたロゼットの両腕が体から離れた。私は素速く一歩離れてロゼットと向かい合った。
その時の彼の瞳はどうしようもない深い哀しみで溢れているように見え、私は狼狽えた。
「わかった。お前が永遠の競争相手を望むなら、そうしよう。けど、後悔するなよ」
まるで悪役の捨て台詞のような言葉を返して、ロゼットはぎこちなく微笑むと、来た時と同じように静かに扉の外へ出て行った。
【第6章へ】




