その4
4.
廊下に出るときんと冷えた空気に包まれる。ここ数日間は続けて粉雪が舞い、公邸も町も雪化粧になってしまった。
私を庇って肩を負傷したガイアンは、公邸に戻ってすぐに適切な治療を受けたお蔭で酷い結果にはならず、しばらくおとなしくしていれば傷は塞がるとのことだった。そして、私が兇手に狙われたと知ったライナは、私の首に縋り付いて大泣きし、ガイアンの怪我の手当てを熱心に行っている。
「前奏曲だな……」
廊下の大きな窓の前で立ち止まっていると、不意に後ろから深みのある声が降ってきた。
「予想よりも降雪が早い。迅速に大広間を収容所にできてよかった」
バルダミアは特に私の顔を見るでもなく、窓の外を見ながら言った。
そう、貧困層や浮浪者たちの収容はなんとか三日目の日の入りには終了していた。ライナが集めたキダ教徒地区の貧困層は別館にまとめて入ってもらった。やはりシン教徒たちと同じ空間で過ごすことは難しそうだと判断したからだ。
負傷したガイアンに代わってリンが収容所の秩序統制を担当している。収容する前に、貧困層の中でも健常で話のわかる人たちを説得していたため、調理や片付けなんかの自助努力と相互扶助の決まりはなんとか浸透してきているみたい。
「さっき、騎士団長に会ってきたが、面白いことを言っていた」
「面白いこと?」
「どうやら彼は伯爵令嬢の行動に疑いを抱いているらしい」
その懸念は私もガイアンから直接聞いた。ライナが私たちを異教徒の地区に連れて行き、そこの聖職者と秘密の会合を持った後すぐに私が兇手に襲われたことが、できすぎた話で怪しいというものだ。
「だが、ライナ嬢のことは心配しなくていいと俺が保証する。まぁ、敵将にそう言われたところで騎士団長は信じていなかったが……。むしろ、今後、彼女の身も危ないかもしれないな」
「ライナも? じゃあ、バルダミアは私を襲おうとした相手が誰だか検討がついてるってことね?」
私がバルダミアを見上げると、彼はそれには答えずにこう言った。
「俺から離れるな、シャイラ。外出する時は必ず隣にいろ」
「え……」
「最初の会談で約束した。バルダミア・カイの名において、あんたを守るってね」
深い声と真摯な瞳に、私の心臓は飛び跳ねた。相手が敵将だということを忘れてしまいそうなくらい、今のバルダミアは穏やかで信頼していいと思わせる雰囲気を纏っていた。私は一瞬混乱してしまった。最初に抱いた氷の悪魔という印象は一体何だったのか、あれは錯覚だったのか。それとも私は――。
突然、羽音が響いた。はっと顔を上げると、窓の近くの木に高原の鳥が枝についた雪を散らしながら舞い降りたのが見えた。
「……敵に守られるなんて変な感じね」
辛うじてそう言うと、バルダミアはまたいつものように硬質の無表情な顔を見せて続けた。
「俺にとっては、手に入れることも守ることも大した違いはないからな。現に自治区の住民はできるだけ救いたいと思ってるし、いくらかは救えたと思ってる」
「あなたの意図はまだよくわからない」
「そう言えば、一つ目の課題は行き詰まってるのか? まぁ、この地下の図書室には目ぼしい文献はないだろうが」
バルダミアの口調は、まるで辺境自治区のことは全て知っているというようなものだ。本当にどうして彼が、というかギュリド王国が単純な領地争いという意味以上に辺境自治区にこだわるのか全く想像がつかない。
資源確保のために領地がほしい、という理由ならとてもわかりやすい。でも、バルダミアはそれを否定はしないものの、別の本質的な理由が潜んでいるのだ。
考える鍵となるのが二つの課題だと思う。二つ目は住民の救済の指示で、とりあえず実行済み。一つ目はルトガ自治区に特有の奇病の原因とここでの治療方法が何か突き止めること。
「ねぇ、商工業省勤務をしていた私が知らないのはおかしいって言ってたわよね? だから、私は家禽類の感染症がその奇病の原因かなと思ったの。でも、ロゼットは畜産業者じゃなくて貧困層の労働者が罹患してるんだから別の原因だろうって」
「……いい判断だ」
「私も後から考え直したら、家禽類の感染症ならフェディオン中どこでも発生するし、辺境自治区特有じゃないわよね。この先のことはまだ……ライナが心当たりがあるって言ってたんだけど、しばらくガイアンの手当てで忙しかったから話を聞けてないのよ」
それに、私は別の調査方法も思い付いていた。収容所に集めた貧困層の人たちに聞き取りをするというものだ。ロビの家族は今回の収容の対象にはならなかったけど、ロビの父親の知り合いや同じ仕事に従事していた人たちは絶対にいるはず。
バルダミアに自分の考えを告げると、彼は間違ってはいない方法だがうまくいくかどうかは自分で確かめろと答えた。
その時、私たちは前方から来たロゼットに声を掛けられた。
「敵国将軍と王妃候補が揃って何話してんだ。重要な会談なら会議室でやってくれ」
「今は雑談よ」
「へぇ。仲がよろしいことで」
ロゼットは相変わらずバルダミアに対して警戒心を強めたままだ。もうちょっと柔軟に接してもいいんじゃないかと思うけど、私やライナが気を許しすぎているのかもしれない。
「あのさ、収容されてる奴ら、いい気になってどんどん要求が増えてきてるぞ。もしこれが国家的事業で、俺が大蔵大臣だったらこんな費用対効果の薄いもんに手は出さない」
貧困層の収容について、ロゼットは最近、あからさまな批判を言う。ちょっとムッとした私はバルダミアがいる前で言い返してしまった。
「人の命を費用対効果ではかるの? そりゃあ、予算の制約とか諸々のことは考えなきゃいけないけどね」
「あいつらが費用をかけるに値する者なのかが重要だろ。何の見返りが得られるんだよ」
普通の城下町で育った私と違って、ロゼットは根っからの貴族だった。生産性のない貧者に予算を費やす余裕があったら産業や新しい土地を開発すべきだというのが彼の持論である。
私たちのやりとりを聞いていたバルダミアは、私が再反論する前に静かに告げた。
「上に立つ者こそが救われない者に手を差し伸べるべきだと、俺は思っている」
その口調は、単にロゼットを言いくるめるためではなく、自分の信条を改めて示したというような淡々としたものだった。
「……蛮国の軍人からそんな言葉を頂戴するとはね。とにかく、あいつらをつけ上がらせないように、副官によく言っておいてくれ。じゃあな」
旧友が言いたいことを言って、そのまま歩いて行ってしまうと、私は大きく溜息をついた。長い付き合いでも、こういう価値観の違いは全然埋められていない。
バルダミアは私の方に向き直り、真面目な顔をして私に詫た。
「寒い廊下に長い時間引き止めて悪かった……。生憎、俺の外套は戦利品として誰かの手元にあるようだから、あんたを暖めるものがないんだ」
「気にしないで。ライナに温かい檸檬水をもらうことにするわ」
私が言うと、バルダミアは微かに笑みを浮かべ、無言で去っていった。




