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(2)

 陽が完全に落ちた頃、ようやく港街に辿り着いた。街の至る所に篝火が灯され、今日到着したばかりの者と明日発つ者とで賑わいを見せていた。

 街外れまでは姿を見せていた精霊も今は遠慮するとばかりに姿を隠し、すっかりいないのと同じ状態になっている。

「困ったな。乗るって言っても、んな大金持ってないし……」

 船着場には明日の早朝に港を出る予定の乗船券を片手に声を張り上げる男がいる。時折、身なりの良い紳士淑女に呼び止められて金と引き換えに乗船券を手渡しているようだった。

 ふと、ダズは思い出したように自らの胸元に手を当てる。服の下に硬い異物を感じ取り、迷うように視線を巡らせる。首から下げているのは、恐らく闇市にでも持っていけば結構な額で引き取ってもらえる代物だった。この港街のように人が多く、大きな街であれば闇市は結構な確率で存在している。しかし、それを手放すことは考えるものの、実行に移すことはできず広場に立ち尽くしていた。

「どうした?」

 不意に少年が、ダズの気を引くように繋いでいる手を揺らす。目を向けると、少年はいかにも腹の虫を刺激する香ばしい匂いを振りまく屋台を示した。

「食べてみるか?」

 そう尋ねてみるが少年は是とも非とも応じない。視線を追ってみるとそこで焼かれているものではなく、立ち上る白煙に目を奪われているようだった。そんなに煙が面白いのだろうかと思っていると、ぐう、と派手な音が聞こえてダズは少年を見下ろした。無表情なので分かりにくいが、恐らく自分の腹の音に驚いているのだろう。ダズはじっとしたままの少年の手を引きながら、反対の手で目の前にあった酒場を指し示した。

「飯食ってから考えよう」

『待て』

 酒場に向かって一歩踏み出すと同時に、姿のない精霊の声が耳元にそっと響いた。ダズは思わず足を止める。

『主が近くまで来ている。村の入り口へ』

 有無を言わさぬ口調でそう告げるとすぐに村の入り口へと向かったのだろう、それ以降雑踏の中に精霊の声が聞こえることはなかった。ほんの少しの間、ダズはその場に佇んで思考を巡らせる。少年の腹の虫は気になるが、精霊の言葉を聞き流すのも気が引けた。仕方なくダズは屋台で売っていた肉の串焼きを一本少年に買い与え、並んで村の入り口を目指した。

 村の入り口となっている石門をくぐると、篝火の届かない暗がりに人影が二つ確認できる。片方は姿を見せた精霊のものであろう。もう一つの影は大柄な背格好をしていた。近づくまでもなく、その正体に気付いてダズは眉根を寄せた。

「グレイス、お前……精霊持ちだったのか」

 精霊の“主”というのは、フィンレイのことだとばかり思っていたダズにしてみれば予想外も予想外。世間では血塗られた二つ名ばかりを冠され、事実血塗られた道を歩んできたた者が純潔な精霊と契約など通常では考えられない。

「……そうだな」

 肯定にしてはやや腑に落ちない返答にダズは内心で首を傾げるが、グレイスは気に留めた様子もなく既に繋いである茶毛の馬の背を大きな手で撫でてやっていた。

「フィンレイは?」

「そのことで話がある」

 話があると言いつつ、グレイスの視線はダズには注がれてはいない。馬の背を見つめたまま、何かを考えているようにも見える。

「どっか宿取るか」

 こいつもいるし、と少年の背を軽く叩く。そのついでに見下ろすと、少年は串焼きの肉についたタレを丁寧に舐めとっていた。メインの肉は全くの手付かず。どうやら食べ物として認識してないらしいと気付くのは、タレだけがきれいに舐め取られた肉を“もう終わった”と言わんばかりにダズに突き返してきた時だった。


*  *  *


「まったく、やっと落ち着いた」

 見慣れないふかふかのベッドを目の当たりにした少年は、やや興奮したようにその上を叩いたり撫でたり落ち着かない様子だった。最初はダズもグレイスも仕方ないと微笑ましくそれを見ていたが、途中で事態が一変する。羽毛布団に興味を引かれた少年は、躊躇いもせず持ち合わせていたナイフを突き立てて中身を周囲にぶちまけたのだ。気付くのに遅れたダズとグレイスは慌ててそれを取り押さえ、部屋を片付けて宿の主人に頭を下げに行く羽目になった。

 少年が眠りに落ちたのはつい先程。もうすっかり日をまたいでいる。頭を下げに行った帰りに手に入れた酒を二つのグラスに注いで、硬い丸太のような椅子に腰を下ろした。

「それで、なんでフィンレイは来ないんだ?」

 ようやく切り出せた本題だったが、グレイスの表情は浮かなかった。元々あまり喋る方ではない彼が口を真一文字に結び、いつもなら水のように煽る酒にも一向に手を付けようとしない。

「グレイス」

 長い沈黙に耐えかねてダズがもう一度呼びかけると、グレイスは固く握りしめていた手をそっと開いた。

「確認したわけではないが……」

 いつもなら、是か非かの解答ぐらいしか口にしないグレイスにしては珍しい言い回しである。明らかな躊躇いの空気にダズも知らず知らずのうちに固唾を呑んだ。

「ゲレリィは落ちた。グスタンも……恐らく、フィンレイも」

 その言葉はダズの脳裏にあっさり入ってきたものの、なかなか吸収できなかった。意味もわからず、答えるべき言葉も見当たらない。

「こちらの情報が漏れて、予定よりも随分早く決行することになった。それはお前も知っての通りだ」

 本来であればもっと遅い時間、少年が仕事に出る時間帯を狙っていた。最後にフィンレイと言葉を交わしたあの時、確かにフィンレイはグスタンに呼び出されていた。恐らくあの時であろう。

「予定外だったからな……決めていたことは何一つできなかったと思う」

 その時になってようやく、グレイスの視線が向けられた。言葉を理解するのに精一杯だったダズは、突然のことにびくりと両肩を震わせる。

「お前を逃し、俺も出た頃合いを見計らって禁術を使った」

 耳慣れない言葉だったが、ダズには尋ねることもできなかった。全身が凍りついたように動かず、指一本はおろか口を開くことも難しそうだった。しかし、表情には出ていたようだった。

「知らないのか」

 やや意外そうな口ぶりに、ダズはなんとか頷いてみせる。

「禁術は、妖精術の応用だ。妖精術は陣を用いる書術、描いた陣に術を封じ込めた描術、詠唱によって発動する詠唱術の三つがある。禁術はこのうち書術、詠唱術を併用する」

 そこまではダズも知識として知っていた。少し気持ちが落ち着いたのか、グレイスは酒で喉を潤して言葉を続ける。

「そこに、人の血だ」

 血を用いる術など、ダズは聞いたことがなかった。精霊は死臭や血を嫌うが、その眷属である妖精にも同じことが言える。血を流せば充分な妖精は集められないのが普通だった。

「条件を満たした上で血を与えると妖精たちは暴走する。通常の何倍もの猛威を振るってな」

 その条件というのが書術と詠唱術だ、とグレイスは言い添えた。

「人間の手に負えるものではない。術者は死に、術者に近いほどその力を強く受ける。あいつのことだ、グスタンの目の前で発動させてるだろう」

「なんで……」

 ようやく振り絞った声は、ダズ自身にもはっきりと分かるほどに震えていた。対称的にグレイスはまったくの無表情でダズを見返す。

「グスタンと幹部をまとめて――」

「違う! 違う違う!」

 立ち上がったダズはグレイスの胸倉を掴み、その顔を睨みつけた。

「フィンレイは仲間だろ! なんでそんな平気な顔してんだ!」

「……」

「なんでそんなことさせたんだ! 他にも方法はあるだろ!」

「ない」

 激昂するダズの目を真っ直ぐ見つめたグレイスは一言、静かにそう告げた。

「数の上でこちらは圧倒的に不利。覆すことができるのは禁術だけだ。あいつも、俺も、その点では意見が一致した」

 胸の内に渦巻くそれが怒りなのか悲しみなのか、ダズには判別できなかった。ただ、目の前にいるグレイスのあまりにも落ち着き払った態度が許せなかった。

「お前は生かされて、何も思わないのかよ!」

「……約束したんだ。やらなければならないことを済ますまでは死なないと」

 グレイスの言葉はあくまでも淡々としたものだったが、その瞳が一瞬小さく揺らいだのを見てダズは思わず言葉を飲み込んだ。


*  *  *


 翌日。陽も昇りきらないうちに睡眠をとったのかどうかも怪しいグレイスに叩き起こされ、ダズは少年とグレイスと三人で大型客船に乗り込んでいた。乗船にかかる金は全てグレイスが支払っていたが、一体どこから手に入れたのかと問いただしたいほどの金貨が腰袋に無造作につめ込まれていた。それを見たのがほんの数時間前。

「もう降りたい……」

 通された船室にはベッドがきちんと三台用意されていた。少年は真っ先に真ん中のベッドを占領すると、まるで赤子のごとくあっという間に眠りに落ちてそれから一向に目を覚ます気配がない。そしてその隣、壁際のベッドにはダズがぐったりと倒れ伏していた。別に船酔いのせいではない。昨日の今日だ。気分が晴れるわけもなかった。加えてこれから丸三ヶ月は船上生活を言い渡されている。晴れるどころか、滅入る一方である。

「なぁ、グレイス」

 ダズは顔を壁に向けたまま、恐らくまだ背後で剣の手入れをしているであろうグレイスに声をかける。

「……あのバカみたいにでかい剣、どうしたんだよ」

 最初に聞こうと思ってたのとは別の言葉が口をついて出てきていた。それでも一応、昨夜のうちから見当たらない剣については疑問に思っていたことの一つだ。

「あれは目立つ」

 確かに、目立つ。あんなものを背負っていたら乗船前に没収されるのが目に見えている。今彼が手にしているのは、使い込まれたようにも見えるが、何の変哲もないどこにでもある長剣だった。ただ、大柄なグレイスが手にするとやや小さく見える。

「一つ、聞いてもいいか」

 そう発したのはダズではなく、グレイスだった。昨夜の饒舌ぶりといい、今の自発的な質問といい、やはりどこかいつもと違うとダズは感じていた。

「どーぞ」

 姿勢を変えず、顔の向きも変えず、やる気のないままそう返すと、一拍置いてグレイスが息を吐くのが分かった。

「お前はなぜ国を出たんだ?」

 顔をグレイスに向けていなくてよかった、と内心思いながら表情はしっかり歪んでいた。

「……そうだな」

 今更隠す必要もないだろう、そう考えてダズはのそりと体を起こした。振り返ると、こちらも見ずにじっと剣に見入るグレイスの姿が目に入る。

「あの国が閉鎖的で、精霊中心に回ってるのくらいは知ってるだろ」

 フィンレイが知っていたのであれば、グレイスも当然知っているはずである。そう踏んで口火を切ったところ、やはり予想は外れてはいなかったらしい。先を促すような視線が向けられた。

「そんな中でさ、まぁ……王様の次に偉いのが父様で、精霊持ち。上の兄様も精霊いてさ、精霊中心になるのは分かる」

 壁に身を預け、足を投げ出した格好でダズは大きく息を吐いた。

「小さい頃、爺様が病気になった。妖精術にも精霊術にも怪我を治す術はあっても、かかった病気を治す術なんてない。でも……」

 医者ならそれができる。そう口にしようとして、できなかった。

「なりたかったのか」

 静かに響いてきたグレイスの声に、ダズは頷くことでそれに応じた。

 医者になりたかったのだ。しかし、歴史ある家柄はそれを許さなかった。

「父様だけじゃない。皆反対だ……誰も、賛成しなかった」

 医者なら治せるのに、何度訴えても家族は誰一人としてその意見に賛成することはなかった。それでも医者を目指すことは諦めきれず成人の儀を控えたある日、いてもたってもいられずに家を飛び出した。まとまりなく思いつくままに説明していると、当時の様々な光景が蘇ってきた。どれも青臭い自分の姿である。

「十三やそこらのケツの青いガキがそんなこと言ったところで仕方ない、って今では思うんだけどさ」

「だが、もう立派な医者だ」

 家を飛び出し、右も左も分からないままゲレリィに入ることになった。当時は応急処置一つまともにできなかったが、九年掛けて知識を磨いた。最近ではこっそり寝床を抜けだして、近隣の村へ往診もしていた。地元の者はまだ年若いこの医者を“ダズ先生”と親しみを込めて呼んでいた。

「あの人から色々学んだからな」

 ダズが言うと、グレイスは手にした剣を遠くを見るような目で見つめていた。いつもの引き締まった、ともすると厳しく見える表情とは違い、どこか懐かしむような穏やかな空気を漂わせている。

「でも、一人前だとは思ってない。爺様を蝕んだ病の治療法、まだ見つけられてないしな」

 いつか見つけてみせる、と強がりのように口にしてダズは再びベッドの上に転がった。

「それで、昨日言ってたやらなきゃならないことって、なんだよ」

 殆ど勢い任せだった。先程よりもするりと言葉が口をつき、ダズは内心で驚いた。

「謝罪に行こうと思っている」

 更に驚いたことに、半ば期待していなかった返答はあっさりと返ってきた。次いで剣を鞘に収めたのだろう、室内に小気味良い音が響いた。

「赦されるとは思ってないが、それでも……この手で殺めた者へ頭を下げてまわろうと思った」

「今更、だろ……」

 否定するつもりはなかったが、遺族のことを思うと止めることはできなかった。思わず起き上がってグレイスを睨むように見据えた。

「やっと忘れたのに、思いださせることになるかもしれないんだぞ」

「承知の上だ。敵意や殺意も向けられるだろうな」

 どこか自嘲めいた雰囲気すら垣間見え、ダズはきゅっと拳を握りしめた。

「あいつと……フィンレイと約束したんだ。もう、自分のためや殺しのために剣は抜かないと。その上で、これまでに俺が手にかけた者すべてに謝罪すると」

「馬鹿じゃないのか。お前、何人殺したと思ってるんだ」

「十万、七千五百四人」

 間髪入れずに返ってきた答えに、ダズは盛大な溜め息を吐いた。確かにグスタンはグレイスが何人殺したのかを嬉々として数えていたのを覚えている。しかし、まさか本人までもがその数を覚えているとは思わなかったのだ。

「フィンレイは俺に生きろと言った。目的をもって生きろと。人を殺してきただけのこの手でできることを考えたら、それしかなかった。今は梗もいる。易々と命を絶つことはできない」

 グレイスが立ち上がる気配がして視線だけを向けると、いつにも増して険しい――否、決意に満ちた瞳と視線がぶつかった。

「色々考えて、これ以外思いつかなかった」

「グレイスらしいな」

「お前はどうするんだ、ダズ」

 普段相対していると何も考えていないのではないかと思えるほど感情に起伏がなく、言葉をかわしても一言二言やっと返ってくる程度だったグレイス。その彼が、ようやくゲレリィを離れて歩き出そうとしている。そのグレイスに尋ねられ、ダズは再び天井を仰いだ。部屋の中央に吊るされたランタンは、今はお役御免と火も入れられずに波の合わせて揺れている。

「そうだな……」

 少し迷うように言葉を切ってみるものの、既に答えは決まっているようなものだった。

 目の前の屈強なこの男にも、連れてきた少年にも、自分の兄たちにも、そしてフィンレイにも、恐らく同じことを期待されているように思う。しかし、ダズの心の中にある答えではどうやらそれに応えられそうにはなかった。

 答えを口にした時のグレイスの反応はいかなるものか。申し訳ない想いを抱えながら、グレイスに向かって再び口を開いた。


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