第九話 白い嵐
炎水界北方国の一つである津国の冬の到来は早い。
けれど、今年は更に早く訪れ、あっという間に王都を白く染めた。
風は身を切るように冷たく、雪は溶けきる前に降り積もって根雪をつくる。
冷宮の周りもあっという間に雪で覆われた。
芙蓉は窓から外を眺めていた。
背後から、パチパチと暖炉で火が踊る様に燃えさかる音が聞こえる。
まだ修理されず使用不可能だったそれは今、きちんと本来の機能を果たしている。
先程、団体で訪れた王からの使者。
彼らは手際よく暖炉を使用可能にすると、冬を越すのに必要な物資も置いていった。
食料、衣類、燃料、そして雑貨類。
これだけあれば、贅沢をしなければ芙蓉が生きて冬を越すことは可能だろう。
冬の到来が早かった事と、のし掛かる絶望でほとんどを自室に引きこもっていたせいで越冬の準備が出来なかった。
しかも驚いた事に、秘密裏の地下室というものをこの度初めて目にした。
冷宮の奥部屋の床下から入れるそこは、ゆるやかな階段を降りて二十メートル程の幅広い通路を進んだ先に存在し、結構な広さを持っていた。
間取りは、大広間の様な部屋と幾つかの小部屋からなっており、そこに持ってきた物資を彼らは素早く搬入した。
今日は特に酷い雪嵐の日だった。
まるで神目から隠すような吹雪は、それこそ白く分厚い紗幕となって現王妃側の目を惑わすのに一役買うだろう。
だが、それだけでそんな大量の物資搬入を隠しきれるものだろうか?
数回に分けて少なくして運べば、神の行き来の少ないここに来る事でより目に付きやすい。
それを指摘すれば、意外にも彼らから答えが返ってきた。
その目をそらす行事があるのだと。
それは、泉国と海国の使者団の訪問だった。
といっても、それだけでは完全に目をそらす事は出来ない。
そもそも物資を搬入する前にも色々と作業はあるのだから。
しかしその訪問の情報を事前に現王妃側に流すことで、その作業も滞りなく済んだ。
というのも、現王妃側にとってはその訪問より大切な事は中々無いからだ。
むしろこれはチャンスとばかりに、使者達の歓待に力を入れるべく動いて居るという。
それもそうだ。
前王妃を引きずり下ろす形で強引に現王妃を押し付けた事で、他国からの現王妃の出身国の評判は軒並み下がっていた。
また、水の列強十ヵ国の支持を現王妃が得られていなかったのも、それに拍車をかけていた。
現王妃が新しくたった際に、お披露目の儀が行われた。
それはどこの国でも行う大事な行事であり、周辺国が送る使者もそのお祝いに駆けつける。
だから津国の新しい王妃誕生の際にも、水の列強十ヵ国は形式的に使者を送った。
ただし、それは海国や泉国などの王妃が立った時とは明らかに違った。
更に凪国に至っては、やんわりと現王妃を無視した。
それは在る意味あり得ない事だが、炎水界切っての大国が無視した事で、他の列強十ヵ国もそれに倣うのが当然と言わんばかりの対応を取った。
水の列強十ヵ国に相手にされぬ王妃ーーそれはとてつもなく惨めな事だった。
ただそれでもかの国が強気で居られるのは、かの国に従うーーいや、強制的に従わせている国が幾つかあった為と言って良い。
確かに、かの国の規模は他の水の列強十ヵ国には敵わない。
しかし、それでも十数ヵ国を支配下に置くかの国の力は侮れず、重要な箇所を抑えているかの国を決して無視する事は出来ない。
今では数百から千に近い数の国が立国された炎水界。
大国はまだしも、小国では幾つもの国が建ち、消えるを繰り返している今、余計な戦乱は避けるべきだ。
だが、かの国が凪国に宣戦布告を行わない理由はそれだけではない。
真っ向から無視されても、凪国に正面切って戦を仕掛けられないのは、それだけ相手の国が強いからである。
凪国だって決して一枚岩ではない。
しかし、怒らせればまず間違いなくかの国側も甚大な被害は免れない。
かつて煉国という国があった。
その国はバカな振る舞いを続けて凪国に喧嘩を売った結果、国を腐らせた者達は総じて凪国に始末された。
後には、国に虐げられ続けた民達や心ある貴族達だけが残され、彼らは総じて凪国に従属を近い今では凪国から使わされた統治者によって国の復興が進んでいる。
逆らえば、国を潰される。
いや、逆らうといってもしっかりとした理由や信念があるのならまだいい。
そもそも凪国の気質は穏やかな方で、自ら戦を仕掛ける様な事はまず無い。
眠れる獅子
逆に言えば、凪国ほどこの言葉が似合う国もなかった。
挑発される事も数多くあったけど、凪国はそれらを突っぱね、常に静観を貫いている。
他国に惜しみない援助を行い、見返りだって常識ある範囲で無理を押し通す事も無い。
凪国のおかげで生きながらえ救われ、今では発展している国も沢山あった。
だからこそ、それほど静かな国である凪国を怒らせるのは『滅亡』と同義語となる。
それをかの国も知っているからこそ、屈辱に震えながらも黙っているのである。
しかし現王妃側付きの者達の苛立ちと怒りは日増しに増しているのも事実。
現に、津国の王や上層部にその屈辱を訴えて凪国が自分達の主を認める様にせっついている様な事を前に白鷺が言っていた。
どうやらかの国比べて、現王妃の傍に付いている者達の方が浅慮らしい。
浅はかで、短絡的で、感情のままに動く。
思えば、最初からその傾向が強かった。
主である少女に妄信的で、少女の為ならば死んでも構わないとすら思う。
いや、実際にはどうかは知らないが、とにかくその盲信の凄まじさには芙蓉ですら気味が悪かった。
それこそ、下手に突けば凪国にすら突っかかりかねない。
今は眠れる獅子たる凪国側が、尾にたかる蠅程度に思ってくれている。
そして津国側も、そんな暴走気味の者達の手綱をまだしっかりと握れている。
だから、まだ何も起きずにすんでいる。
それは津国と凪国の王達が友神だから、上層部同士が大戦で何度か苦楽を共にし命を預け合ったからというからではない。
いや、むしろそんな仲で動いているならばとっくに二国揃って潰れている。
時には昔の知り合いすら利用し、出し抜き、支え合うーー。
だからこそ、津国も凪国も大国としてその名を馳せているのだ。
あるのは冷静な舵取り。
情に流されず、必要とあらば昔の仲間さえ切り捨てる。
そんな冷酷さを持っていると津国の現王妃側の者達は知っているだろうか。
何せ、凪国はあれほど寵愛していた芙蓉の従姉妹たる王妃すらも切り捨てたのだから。
そして芙蓉もまた、王妃の座から引きずり下ろされた。
芙蓉が王妃でいる事で、津国に巻き起こる嵐で民達が傷つくのを防ぐ為に。
その前に前夫達は色々と手を打ち、何とか芙蓉を王妃として留めようとしていたがーー最後の最後の手段として、引きずり下ろす事を検討していたのも事実。
それは言い換えれば、時と場合が変わればーーかの国よりも強く利用価値のある国が現れれば、現王妃すら同じ憂き目に遭うと彼らは分かっているのだろうか?
いやーーそれすらどうでも良い。
芙蓉にとっては、全てがどうでも良かった。
唯一従姉妹の果竪の事だけが気にかかる以外は、生きている事すら面倒になっている。
だから前夫達が現王妃側の目を欺き、大量に保管してくれた物資も無用の長物としか思えなかった。
なければ冬はこせず待つのは死だとしても、芙蓉にはそれもどうでも良かった。
もはや暖まる為の行動すらしない事を、向こうも分かっていたのだろう。
暖炉を修理した者達は手際よく暖炉に薪をくべて、部屋の暖を取ってから去っていった。
だから今も暖炉の炎は燃え続ける。
それを余計なお世話だと思いながら、芙蓉はパチパチという火がはぜる音をぼんやりと聞いていた。
外はまだ吹雪いている。
まるで終わりのない芙蓉の絶望の様に渦巻く嵐は、それから三日ほどしてようやく収まった。
そして嵐の終わりは、意外なものも運んできた。