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冷宮の寵妃~津国恋歌~  作者: 大雪
第一章 冷宮の廃王妃
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第八話 灰色の日々

 体が重い。

 いや、正確には全てが重く芙蓉にのし掛かっていた。


 その名は絶望。


 あの日以来、芙蓉は寝室として使っている一室から殆ど出る事は無かった。

 といっても、食べなければ飢えるし、体を清潔にしなければ病気にもなってしまう。

 服だって洗濯をしなければ汚れる。


 だから、機械的に必要最小限の事だけを行った。

 ただ、それらの作業は引きこもる前とそう大して変わらないものだったが。


 作った食事は時間をかけて数口食べるが、後はなかなか体が受け付けない。

 無理に食べて戻すよりはと思い、明日に回す事にして早々に床に就いた。


 時刻は夜半過ぎ。

 虫の音や木々が風で揺れる音以外は、何の音もしない。

 当たり前だ。

 この冷宮はおろか、敷地内に居るのは芙蓉ただ一神。


 正直に言えば、たった一神という現実に、寂しさを覚えた事も過去にはあった。

 最低限宮を維持する者達が時折訪れる以外は、芙蓉しか冷宮には居ない。


 侍女の一神すら共を赦されなかった。

 あの日に一神でこの宮に放り込まれてから、芙蓉はたった一神。


 宮を維持する者達も、芙蓉と直接会話をする事はない。

 姿を見かけても、まるで芙蓉が居ないかのように振る舞う。


 思えば ここに来てからも芙蓉に変わらず接していたのは、前夫と上層部ぐらいだ。

 といっても、上層部でここに来る者達はごく僅かで、来た回数も一度や二度ほどだ。

 例外は白鷺で、前夫と彼だけが一週間とおかずに足繁く通ってきた。


 そんな彼らも、今となってはここから足が遠のいていた。

 白鷺も仕事から戻ってきた筈なのに、あれから一度も訪れは無い。


 そして前夫もまたーーあの日以来、芙蓉の前には姿を見せなかった。

 呆れたのか、憤ったのか、飽きたのかーー。


 ただ、もうどうでも良いと思った。

 何をどうしても、芙蓉は自由にはなれない。

 いっその事、全てを放棄してただ朽ちるがままにするのも良いかもしれない。


 此処には誰も居ない。

 強引に食事を取らせる者も、風呂に入れる者も、身繕いさせる者も。

 だから芙蓉が全てを投げ出すと決めれば、それで終わる。


「白骨化するまで気づかれなかったりしてね」


 こちらから連絡をとる手段もなく、かといって向こうから連絡が来ることも……唯一連絡役だった白鷺が来なければ『全く無い』と言っていい。

 そして今の状況では、こちらの命が尽きた頃にも来るかどうか。


 しかし、それすらもどうでも良い。

 芙蓉が生きたかったのも、前夫達の温情に縋り付いて利用したのも、全ては自由に生きる為。


 それが叶わない今、芙蓉の生きたいという気持ちは大きく薄れている。


 昔興味も無いのに読まされた物語のお姫さまならば、このまま儚くなるのが一般的だろう。

 それか、白馬の王子様がやってきてお姫さまを助けて最後はハッピーエンド。


 そのどちらも芙蓉には無い。

 これからも、無い。


 あるのは絶望と長い一生だけ。


 芙蓉は溜め息をついた。


 こういう時に頑健な体が憎らしい。

 グータラ神生を送ってきたにも関わらず、元が頑丈なのか風邪一つひかず大病すら裸足で逃げ出す体は『医者イラズ』の名を与えられる程だった。


 そもそも、大戦中にて軍の半数が食中毒で苦しんだ時にも、同じ物を食べた筈なのに全く健康だったという伝説すら持つ。

 あの時助かったのはそれを食べなかった者達で、食べた者達は全員発症したというのに。

 また数年前に津国を襲った疫病の時にも、「既に抗体が?」、「むしろ生き物じゃねぇ!」と言われるほどに疫病を襲った村々に突っ込んでも全く罹患しなかったぐらいだ。


 おかげで『鋼鉄の王妃』、『非生物王妃』とか不名誉な称号も付けられたのは言うまでも無い。


 そんなわけで、毎年の健康診断では花丸をもらった芙蓉。

 反面、姫君らしくないと性悪貴族達には嘲笑われる事数多く。



ーー姫君とは本来儚く可憐なものだ!


ーーあの化け物にはか弱さというものがない


ーーいやいや、化け物だからこそないのですよ


ーーあの化け物が我が国の王妃とは嘆かわしい


ーーどこかの勇者が退治でもしてくれればいいのに



 気にするなーーと心ある貴族達が芙蓉を気遣い、中には反論してくれる者達も居た。

 しかし、あまりにも対立が激化する事で国が乱れる事は望まず、庇われる芙蓉自らの手で「静観」を指示した。


 ああいう輩には何を言っても、何をしても無駄なのだ。

 頭から自分達が正しいと信じ、それ以外の意見なんてこれっぽっちも認めない。


 芙蓉は王妃には相応しくないーーそれ以外、彼らの認める真実は無いのだ。


 津国ーー。

 天界十三世界が一つ、炎水界において、凪国に次ぐ水の大国。

 水の列強十カ国の第二位に位置し、凪国を除けばそれこそ敵なしと謳われるこの国は、炎の列強十ヵ国でも、一位、二位の国にも負けず劣らぬ強さを持つ。

 炎水界にある数百に及ぶ国々の中では、間違いなく上位国に属する。


 だが、それは国そのもの力であり、その国を構成するのは王だけでなく、上層部だけでもない。

 ましてや、一神、二神だけの力ではない。

 王が、上層部が、貴族達が、民達が、大勢の努力の結果が、津国を上位国として存在させているのである。


 そして広ければ広いほど、多ければ多いほど、それだけの問題もある。


 ただ、それでも津国は他の国々から見ればよっぽど安定して安全で住みやすい国だろう。


 しかし、芙蓉にとっては、津国という国はーーいや、津国王宮は決して優しいものではなかった。

 王妃という地位は、芙蓉に沢山の責務をおわせ、負担を強いた。


 しかも夫となった男は……そして上層部は……。


「……私の神生、これで終わるのかしら」


 思い返してみても、ロクな事はなかった。


 子供時代=大戦時代。

 家族は失うし、住んでいた街は失うし、戦災孤児への道まっしぐら。

 それからも最悪で、前夫達ともタマタマ出会っただけで、最初は激しく嫌われていた筈なのに、気づけば軍に入れられていた。

 冗談ではないとして逃げだそうとしても、なんでか毎回追い掛けられて捕まった。

 もちろん、その度に前夫や上層部男性陣をモデルにして描いたBL同神誌を売りさばいてやったが。


 ただ、良い事もーーほんの少しはあった。

 芙蓉一人では行けない場所にも軍に居た事で行けたから、そこに駐屯中だった前夫の友神たる男率いる軍に居た従姉妹と再会出来た。


 そうーーそれは、良かった。


 と思えたのも、結局は一時の物だったが。


 大切な従姉妹とはもちろん大戦が終われば二神で暮らしていこうと約束した。

 なのに、大戦が終わるや否や、従姉妹はあっという間に前夫の友神に連れ攫われていった。

 そうして互いに望まぬ王妃の地位を押し付けられ、拒否すれば芙蓉は強引に前夫に体を奪われた。


 諦めて王妃になったらなったで嫌がらせは受けるし、洒落にならない事も色々とされた。

 暗殺未遂なんてしょっちゅうだったし、影で貴族の姫君達に囲まれる事だってあった。

 嫌味、罵詈雑言、誹謗中傷はもはや日常行為と化していたし。


 更には「後宮を開け」、「王妃の座から降りろ」、「別の女性を薦めろ」と、自分の縁者の娘を王妃に、側室に挙げたい者達からは脅迫同然の忠言を押し付けられてきた。


 ならばと別の女性を薦めれば、前夫からはお仕置きと称して酷い目に遭わされる日々。

 上層部も助けてはくれなかった。


 唯一の気晴らしは、お忍びで王都を出歩く事だった。

 だが、それだって監視がつけられていて、本当の自由とはほど遠かった。


 それこそ、何か有事が起きた際に王宮の外を駆け回った時の方がよっぽど自由に振る舞えただろう。


 だから新しい王妃が来て、ようやく芙蓉が望まぬ座から降りられると思えば、今度は冷宮に幽閉され苦難の日々を強いられた。


 それでも『いつかの自由』を夢見て耐えていれば、そこに前夫は思い知らせてくれた。

 暗黒の未来。

 芙蓉に待ち受けている未来は、真っ黒。

 生涯ここに幽閉されて、自由の「ジ」もない。


 というか、普通そういう話というのは、もっとビッグイベントがあってその後にとかではないだろうか?


 いつもの様に部屋に来て、いつもと変わらぬ状態で、奇妙だけどそれほど代わり映えしないお茶を飲みながらの話で前夫はのたまってくれた。


 お前に、未来は無いのだと。


 ならば、今終わらせてもどうせ変わらない。


 ただーー。


「もう一度、最後に果竪に会いたかった」


 従姉妹である彼女もまた、冤罪にて王宮を追われて遠い地へと追放された。

 そんな彼女と再会出来る可能性は零。


『寿那! 寿那ちゃん!!』


 ああ、本当に……。


「ロクな神生じゃなかったわ」


 しかも好きになった男が前夫で、そして上層部の事も少なからず……いや、それなりに大切に思っていたからこそ、余計にその想いは強い。


 心の底から憎めれば。


 もっと、楽に生きて死ねた。


 世界は芙蓉に厳しい。

 そして芙蓉が居なくとも、変わらずまわっていく。


 この津国も、新しい王妃の下に進み続けるだろう。


 だから芙蓉は。


「『芙蓉』はいらない。そして『寿那』もいらない」


 この世界に、どちらも必要ないのだ。


 クシュンと咳を一つ零す。

 凍える寒さの冬が、すぐそこまで迫っていた。

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