第七話 廃王妃の絶望
しかし、世間はそう甘くなかった。
それを教え込む為なのかは分からないが、芙蓉はしっかりと白鷺を使った。
「ボク、夕飯ごちそうになる筈だったんだけド」
「嫌なら帰れ」
そう言った所で白鷺が帰らないのも知っている芙蓉は、自分の作業を進めた。
それは、窓と扉の修理である。
一度直したが、最近またガタガタ言い出したので、白鷺が居るのを機会に全ての窓と扉を点検した。
全てと言っても、王宮の建物に比べれば小さい部類に入る冷宮である。
芙蓉の手際の良さもあり、あっという間に修理する扉と窓を選別し、こうして白鷺に手製の梯子を支えて貰って修理を行っていた。
「芙蓉、ボクがやるから」
「これぐらい自分で出来るわ」
いつもなら、芙蓉は一神で修理を行う。
そう、夕食前の完全に暗くなる前の時間は、こうして住居の修理を始めとした時間に充てていた。
と、普通なら暗い時間だと手元や修理する場所が見えにくく危険という考え方が一般的だが、芙蓉としては、大戦時代にはむしろ暗い時間に修理作業などを行っていた事もあり、こうして暗い時間に行うのが常だった。
それに、今まで数え切れないほど色々なものを暗い中で修理してきた身としては、殆ど感覚で行っている部分がある。
釘打ちだって、目を瞑っていても自分の手を打つことなく行えた。
だが、白鷺としてはそんな芙蓉の腕前を知っていても、もし万が一その手を金槌で打ってしまったらとハラハラし通しである。
おかげで、その後の夕食の野菜スープも満足に喉を通らなかった。
「いらないなら、私が食べるけど」
「芙蓉のバカ」
誰がバカだと、白鷺の耳を引っ張る。
「だ、だだだだっテ! 芙蓉は王妃様なんだよっ!」
「廃されたね」
「む、むぅぅぅっ」
何か言おうとするが、言葉が出てこないのだろう。
最強と名高い影の長を言葉で言い負かした芙蓉は、ふにゃりと無い筈の兎の耳をたれさせる白鷺を見詰めた。
こうして白鷺と食事を取るのは、冷宮に叩き込まれてからはそう珍しい事ではない。
一週間に一度だったそれは、今では三日に一度はこうしてやってくる。
時には、前夫と三神で食事する事もあり、その度に前夫は不満そうにしていた。
だが、芙蓉からすれば招かれざる客が一神増えただけぐらいの認識しかない。
冷宮には、芙蓉しか住んでいない。
他には、世話役の一神も居ない。
これは、いくら廃されたとはいえ、後宮に留められた妃に対する処置とは思えないものだったが、そこまでする事で現王妃の祖国に示しているのだろう。
廃王妃はただ陛下の温情で居るだけで、なんら現王妃の敵ではないのだと。
ならば、そのままそっとしておいて欲しい。
いや、完全にそっとされると物資が断たれて餓死するので、王宮から放逐して欲しい。
その後は自分の力で生きていくから。
「王妃様はそれは美しい方だそうね」
「エ?」
ぽつりと呟いた芙蓉に、白鷺はスープ皿から顔を上げた。
「今日は来るの?」
それが誰を指しているのか分からぬほど愚か者ではない白鷺は、コクンと小さく頷いた。
芙蓉にとっては、絶対に来て欲しくない相手。
「そう……」
芙蓉が前夫の訪れに対して呟いたのは、その一言だけだった。
夕食を終えると、食器を手早く洗って乾かす。
後は特にする事もないので、寝台に座ってまた書物を読みふけった。
白鷺は少し前に帰った。
明日からしばらく任務で離れるので、その前に会いに来たのだと最後に小さな笑みを残して。
戻るのは一週間後。
戻ってきたら、また食事に誘っても良い。
といっても、向こうから勝手に来るだろうが。
だが、この時芙蓉は気づいて居なかった。
いつも通りの日常は、少しずつ歯車をきしませ、『いつも』とは違う日常を作り始めている事を。
その足音は、すぐそこまで迫っていた。
その後、ダラダラとしていると、床の軋む音が廊下から聞こえてきた。
冷宮に誰かが入ってきたのは、もっとずっと前から気づいていた芙蓉は、パタンと書物を閉じた。
ギィィィイと木のきしむ音を鳴らしながら開いた扉。
現れた、輝く美貌の主に芙蓉は開口一番吐き捨てた。
「帰れ」
それが無視される事など、予め分かりきっているというのに言わずにいられない。
そして今回も無視され、前夫は部屋の扉を後ろ手に閉めた。
「……」
「……」
どちらも何も言わずに違いに視線を向ける。
最初に折れたのは、芙蓉だった。
「……飲み物でも入れるわ」
そうして手早く飲み物とお茶菓子の代わりの漬け物を机に置くと、椅子を二つ用意する。
もちろん、向かい合わせになるように椅子を配置した。
そこに所作も優雅に座る前夫にもう一つ溜め息をつくと、芙蓉も向かいに座った。
始まるのは、前夫と元妻の奇妙なお茶会だ。
「……不自由はないか?」
「無いと思うかこの状況で」
どついてやろうかとも思ったが、基本的にめんどくさがり屋の芙蓉はその考えを切り捨てた。
やっても無駄な事はしない。
むしろその時間をグータラして過ごす。
「不足なものは」
「今の所は大丈夫」
むしろあってもこいつからは貰いたくないーー心情的に。
しかし、全ての物資を止められれば芙蓉が生きていけないのも事実だった。
それを思えば、結局前夫達の慈悲に縋らなければ生きていけない身でこんな事を思うのは、何とも身勝手で恩知らずと言えるだろう。
そして、それを知りながらも、これは当然の権利としてその恩恵を貪り全て自分の頑張りだとする自分が一番汚い。
「違う」
「え?」
前夫の呟きに芙蓉は顔を上げる。
まるで芙蓉の心の声を読んだかのような言葉が続く。
「お前は何も悪くない」
「……」
「悪いのは俺達だ。正妃から引きずり落としたと言うのに未練がましくお前をここに閉じ込めている」
「分かっているなら」
解放してほしいーー
「だが、それでもお前をここから出すこと出来ない」
「どうして? それこそ身勝手じゃない」
「ならば、もし仮にここから放り出されたとして、お前は本当に自由に何の柵もなく平穏に生きていけると思うか?」
「え?」
そう言った夫の眼差しは、芙蓉を戸惑わせるのに十分だった。
「一時でも王の寵愛を得て王妃となっていた者が、本当に自由になれると考えているのなら甘すぎる」
静かな語り口調が、余計に言いしれぬ恐怖を与える。
「たとえ寵愛が無くなった王妃と言えども、前王妃の存在は現王妃側からすれば目障りな邪魔者でしかない。それに、今回の王妃の交代劇は寵愛云々ではなく、強引に引きずり落としたものだ。だから、王の寵愛は依然前王妃にあると考えている者達は多い」
「誰が」
「現王妃側だ」
「なら、あなたが現王妃様を寵愛すれば」
「したとしても、向こうは禍根を遺さないようにお前を葬ろうとするだろう」
指先が冷たくなる。
「それに、万が一現王妃側が見逃しても今度は津国の貴族どもがお前を手にいれようとする」
「……」
「そもそも、前王妃と言うだけで利用価値はあるうえ、お前には功績がありすぎる」
功績?功績って何の?
「あの、国庫を開いたアレ? あれなら功績どころか一歩間違えれば国の崩壊を招く愚策よ」
「だが、そうしなければ民達の七割は飢え死にだ」
「けれど、その後の国の経済は大幅に傾いた」
「正確には傾きかけた、だ。傾く事を前提に国庫を開いたお前は、その対処も」
「実際に対処したのは、陛下達でしょう?」
傾きかけた経済立て直し、他国の交渉を行い自国に有利な輸入まで引き出した。
それは、紛れもなく前夫達の功績。
そして芙蓉の行った事が功績と言われるのは、国庫を開いた後の尻ぬぐいを前夫達がしてくれたからこそ、だ。
「俺達だけでは無理だった」
「……」
「それは、あの凪国を始めとした水の列強十ヵ国も認めている。だからこそ、よりいっそうお前の存在は危険視される」
それ程の手腕があるとして。
「それにあの強引な王妃の交代劇だ。よほどの馬鹿でない限り寵愛が無くなったとは思わないだろうし、いまだ王に未練があると考えるだろう。そうなれば、手駒としてなんとしてでも手に入れようとする」
それが、トドメだった。
「つまり、あなたの妻となった時点で私には自由になる術なんてなかったのね」
呟いた言葉は、返事が返されることなく消える。
それが真実。
紛れもない、現実。
けれど、判明した真実が自分にとって受け入れがたいものだったというのに、立ち上がれないほどまでの絶望感は襲って来なかった。
それは、心のどこかでその事実を予測していたと言う事に他ならないだろう。
そう……本当は、知っていたのだ。
涙さえ出なかった。
未来はもうとっくの昔に閉ざされていたというのに。
いつかーー
夢見ていた。
ただの少女に戻る日を。
ただの寿那に戻り、従姉妹の果竪と二人でひっそりと生きていく。
もしかしたら将来結婚するかもしれない。
平凡な男の神と、生まれた子供と穏やかで静かな生活を営む。
そんな、夢を、描いていた。
無理だと分かっていても。
せめて、静かに暮らしていくだけでもーーと。
なのに……。
津国王妃となった事で、その全ての未来は閉ざされてしまった。
大戦が終結すればと長い地獄を必死に生きた先に待っていたのは、望まぬ未来だった。
従姉妹は凪国国王に奪われ、自身は津国王妃に封じられ。
互いに大国の王妃となった事、しかも遠い地に建国した事で滅多に会えず、手紙のやりとりさえ赦されず。
そして、津国王妃の座から引きずり下ろされて、ようやく静かに暮らしていけるかと思えばーー。
この冷宮に幽閉された。
しかも、この宮から出ても芙蓉に待っているのは『邪魔者としての死』か『貴族の手駒』。
現王妃側に殺されるか、利用しようとする貴族に追い掛けられるかである。
どちらにしろ、いやーー後者も死んだ方がマシという神生となるのは間違いない。
「芙蓉……」
手が伸ばされる。
けれど、芙蓉はその手を払った。
「帰って」
「……」
何か言いたそうな気配は感じたが、そこまで気遣うだけの義理も余力もない。
芙蓉はその日から、冷宮に引きこもり明かりの一つさえ付けなくなった。