第五話 廃王妃の日常【前編】
秋にしては、珍しく暖かな日だった。
くすくすと笑い声が聞こえる。
美しい令嬢達数神分の。
後宮で最も日辺りの良い場所にあるテーブルに、彼女達は着く。
一神が囁く。
「ねぇ、知ってまして?」
一神が囁く。
「ええ、もちろんよ」
一神が囁く。
「一体どんな生活をしているのやら? きっと屈辱に満ちた貧しい暮らしでしょうけど」
扇で口元を隠しながら、リーダー格の女が歪んだ笑みを浮かべた。
「私なら冷宮に入れられる前に、廃王妃となったその日に自害いたしますわ。本当に今も生きているなど愚かしい事」
その四神は、一週間前に入ったばかりの新しい妾妃達。
実家はそれなりの地位にあるが、後宮では新参者として下の地位を与えられた。
その鬱憤晴らしもあっての発言。
しかしーー彼女達は知らない。
壁に耳あり障子に目あり。
特に、この伏魔殿とも言われる後宮では、誰が聞いているか分からないという事を。
さて、そんな揶揄された当の本神の生活はというとーー。
こんな感じだったりする。
「あ~~、寝た寝た」
朝五時ーー。
後宮の中で下働きの者達を除けば、誰よりも早く眠りから目覚めた芙蓉は、いの一番に首をコキコキとならす。
寝台は粗末だが一神にしては広い木のベッド。
そこに薄いマットが置かれ、洗いまくってヨレヨレとなったシーツと薄っぺらい布団が敷かれていた。
無駄に大きいのは、あの元夫が来て芙蓉の隣を陣取るからである。
だが、今日は一神での目覚め。
昨夜は仕事で来られないという白鷺からの報せを聞いた時は、思わず心の中でガッツポーズをした。
寝台から降りると、何度も洗ったせいでヨレヨレの寝間着を脱ぎ捨て、やはり粗末な着物を身につける。
それから、粗末な寝台で痛んだ体をゆっくりと伸ばした。
芙蓉が寝室として使っている部屋は、家具の少なさに反して広さだけはある。
因みに置かれている家具は、寝台と机、椅子、そして戸棚ぐらいで、当然ながら全て『粗末な』が前に付く。
「よいしょっと」
ストレッチ体操が終わると、芙蓉は部屋を出て水場へと向かう。
そこは、一応調理場として使っている場所だ。
下は完全な土間で、竈と流し台の他には芙蓉が自分で製作した食器棚兼戸棚がある。
ただし水に関しては水道なんてものは引かれていないから、外にある井戸から水を汲んでこなければならない。
他の後宮の施設はおろか、王宮全土に水道が引かれているにも関わらず此処だけが引かれていないのは、実はここが元々居住区としてあった場所ではないからだ。
だから芙蓉が住むために急遽整えた際に他の部分の補修で手一杯となり、水道の方まで手が回らなかったのだ。
むしろ井戸があった為に後回しにされたといってもいい。
そんな井戸も、もともとは単なる水質調査用に開けた一つをそのまま残していたという代物だった。
が、今思えば不幸中の幸いと言えよう。
さて、水を汲んだ芙蓉は中に入る事なくそのままそこで顔を洗う。
お風呂の時は、この水を浴室として使っている場所まで持っていき、そこで水を溜めるのだ。
というのも、あいにくこの宮には、人間界にあったとされる五右衛門風呂しかないからだ。
ここでも幸いなのは、その浴室が井戸から比較的近い場所にある事だ。
しかし今は風呂には入らないので、そのまま朝食の調理用の水を桶に汲んで水場まで持っていく。
途中で、離宮近くに作った畑から野菜を幾つか抜く事も忘れない。
「さて、今日は何を作ろうかな」
基本冷宮から出られない芙蓉は、食料を手にする手段は限られている。
そもそも廃王妃となった相手の所に好き好んで来る行商が居るわけがないし、来たとしても自由になるお金がない以上何も買えない。
となれば、後は自給自足である。
だが、最初に冷宮にあったのは、荒れた土地と枯れ果てた木、そして水の無い池だった。
当然ながら、食べられる物なんて殆ど無い。
しかし、そこは監視の目をかいくぐって前夫達が種やら苗やら、そして鍬などの農具を秘密裏に差し入れした。
また、前夫達がやはり秘密裏に頼み、他国からの貢ぎ物として池用の食用魚やら立派な果樹やらを差し入れした。
鶏や兎なども時々迷い込みと称して投げ込まれる。
だから、後は芙蓉がそれらを上手く世話して、この宮に来て半年も経過した今は、何とか自給自足が行えるようになってきた。
そうして、作物の実った畑、冷宮の周辺や中庭にある果樹、そして広い池を泳ぐ沢山の魚達と、冷宮を駆け回る小動物達。
芙蓉の食料庫はきっと庶民のものよりも豊かと言えるだろう。
だがいくら今は豊かでも、資源というものには限りが有る。
「今日は野菜のスープかな」
お米と小麦の備蓄もあるにはあるが、どう考えても次に献上品として新たな食料が投げ込まれるまでの半年分はない。
トントントンとリズミカルに野菜を切り、鍋に投入する。
「調味料は塩でいっか」
塩と砂糖は献上品として渡された分を少しずつ使っている。
特に塩は、海国から大量に献上された事もあり、余裕もあった。
その後、手際よく調理して野菜スープを作る。
大量に作ると燃料の節約になるので、三日分は作った。
本来自給自足では燃料も重要な問題になるが、燃料として使える燃える石――「油石」が冷宮の中庭を掘るとゴロゴロと出てくる為、それを利用している。
ただし、火をおこす道具のマッチは、上層部が投げこんでくれているものを使っているが。
と、ここで「本当に逃げたいなら上層部が投げ込むものなど使わなければ良い」、「結局使っている事で嫌よ嫌よと良いながらも頼っているのではないか」と思う者も居るだろう。
だが、芙蓉はそこまで聖人君子ではない。
というか、どう頑張ったって今の自分の状態では、誰にも頼らなければ潰れるのは目に見えていた。
むしろ、解放すれば全ての案件が解決するにも関わらず意地を張る向こうが悪いとして、芙蓉は利用出来るものは利用する気満々だった。
解放してくれれば、即座に王宮から出て行き自活する。
だが、それが無理な今、その解放の時までは何としてでも、何を利用してでも生き抜く気だった。
それに、どうしても五月蠅く言う輩が居れば、後々何とかして衣食住の代金を返す方向で事を進めれば良い。
「いただきます」
芙蓉は一食分のスープを皿に盛り、それを飲み干す。
食器や調理道具は壊れたものが投げ込まれていたので、それらを修理したり磨いたりして使えるようにした。
そうして朝食を終えると、芙蓉は畑作業に向かった。
午前中のうちに終わらせなければ、次の仕事に移れない。
「そろそろ蕪が食べごろかしら」
畑には、トマト、きゅうり、ジャガイモ、サツマイモ、かぼちゃ、キャベツ、タマネギ、人参、蕪、紫蘇、大根など実に様々なものが埋まっていた。
また、もやしなどは冷宮の中でも作っており、いつも食卓に上っている。
雑草を抜き、水をまいて昼過ぎに作業は終わる。
その後、また昼ご飯として野菜スープを飲み、今度は裁縫仕事に取りかかる。
端布や色の地味な布はわんさかあった。
特に、後宮の妾妃達を上手に誘導し、いらない布などを冷宮に捨てさせるという上層部の手腕でもって、材料はたんまりあった。
裁縫道具も、裁縫の嫌いな妾妃が秘密裏に捨てさせたものが幾つかあり、しばらくは困らないだろう。
それらを使い、自分の着る服を仕立てていく。
「下着が足りなくなってきたからね」
今日中に下着五枚と、上着一枚を仕上げなければならない。
だが、大戦中に嫌というほど繕い物をして上げた裁縫の腕前によって、それほど時間もかからず午後三時前には目的のものを縫い上げた。
それからは、夕食前までしばらく休憩時間となる。
休憩時間といっても、普段は保存食作りやら何やらに勤しむ芙蓉。
たっぷりと梅の実を付ける木があったから、それで梅干しやら何やらを作った事もあるし、池の魚を何枚か干した事もあった。
また果実でジャムを作ったりもして、少しずつ冬支度も順調に進んでいた。
そうして前半で頑張ったおかげか、今日は比較的時間があった。
そういう時には、芙蓉はのんびりと冷宮傍に聳える大樹の根元で読書をする。
本だけは沢山あった。
というのも、ここは図書庫には保管できなくなった本などを一時保管する場所だったから。
優しい内容のものもあれば、難しい内容もある。
絵本もあれば、実用書や歴史書もある。
ただし、元庶民の芙蓉が果たして字を読めるのかという疑問が出るだろう。
大戦前はおろか、大戦最中も満足に学校に行けた庶民は少なく、更には字を読む事も書く事も出来る庶民自体がかなり少なかった。
当然ながら芙蓉もその一神に入っていたが、今彼女は『字の読み書きが難しい庶民』と言うにはあまりにも自然にその書物を読んでいた、内容をしっかりと理解していた。
それは、大戦時代に彼女を強引に軍に引き入れた前夫とその仲間達の大半が高い知識を有していた事もあり、芙蓉に読み書きを叩き込んだのである。
おかげで、スパルタ教育もあり今では貴族の子息レベルには芙蓉も読み書きが可能となっていた。
それに、新しい事を知るのは苦痛ではなく、むしろ楽しかった。
だから色々な事が書かれている書物を読むのは苦ではなく、昔から芙蓉はこうして一神で読書にふける事があった。
『芙蓉は、だれているか、畑仕事しているか、読書しているかの三つしかない』
そう言ったのは誰だっただろう?
だが、それが真実であるーーと全く疑わずに芙蓉は思っている。
そんな彼女が、実はその昔にこの津国を大飢饉が襲った際に「とっとと国庫開けよ」と命じて実行に移させた実績を持つ元王妃であるのも事実だった。
当時、国庫には十分すぎる食べ物があった。
しかし、その時隣国が焦臭く津国に戦を仕掛ける噂が流れており、物資の配給を制限しようという声が一部から上がった。
流石の王宮もその声を完全に無視して強制的に行動を起こすのは困難だった。
だが、それらを全て押さえ込み国庫を開かせた芙蓉の偉大なる功績は更に二つある。
一つは、隣国が焦臭くなり出した頃に、芙蓉は早々に友好国かつ同盟国である凪国に即座に密使を送って隣国に睨みをきかせてもらう様に頼んでいた。
それはただ隣国への警戒と牽制の理由だけではない。
芙蓉にはその年に大飢饉が起きること、隣国にまで手が回らない事を予め知っていたのだ。
それは、気候を読み農作業を営んできた農家の娘だったからこその長年の勘。
だから芙蓉は連絡網を徹底させ、ある訓練をさせていた。
それは、とくに被害が大きくなる部分に直接赴き、予めその旨を村や町の長達に伝え、予め対策を行わせていたのだ。
どうあがいても避けられないならば、真っ向から立ち向かうしかない。
そうして芙蓉は、民に強いた訓練と対応策の成果を、その災害時に披露させ、迅速かつ手際よく王宮から支給された配給が全ての者達に行き渡ったという結果が残った。
配給物資があったって、それを上手く活用する訓練をしていなければ役に立たない。
それは、災害を多く体験してきた芙蓉の神生経験に基づく言葉だった。
最低限の動きで最大限の利益を得る
飢えて動けなくなる前に。
思考力が落ちて、略奪や殺戮に向かう前に。
大切な者達を失う前に。
無駄な力は使わず、それでいて迅速に物資が全員に行き渡るように芙蓉は徹底的に民達を指導していた。
勿論、全ての街や村を芙蓉一神で指導出来るわけがないから、いくつかの村や町で行った後はその訓練を受けた者達が自主的に他の町へと訓練に向かった。
そうして度重なる訓練が行われた村や町は届られた物資を混乱なく効率良く全員に行き渡らせ、大飢饉にもかかわらず死者は出なかったという。
――今回は当たり年だから
大飢饉。
唯でさえ厄介だが、時々予想外の被害を及ぼすものがある。
それすらも芙蓉は見抜いていた。
大戦時代死ぬほど飢えてきた民達。
ようやく生活も軌道にのってきた時の大飢饉に昔を思い出し恐怖した者も多い。
しかし、それを未然に防げなくとも物資を惜しみなく各地へと分け与え、隅々にまで行き渡らせるように指導した芙蓉を、助けられた民達は王である津国国王と同じぐらい心から敬愛した。
にも関わらず、その王妃は廃王妃となり、冷宮へと追いやられてしまった。
それに涙し、抗議した民達だって居た。
だが、それらは全て廃王妃となった芙蓉の『王妃としての最後の演説』により、振り上げた拳を降ろしたという。
彼らの中にあったのは、何故?の一言。
敬愛し心酔する陛下が、上層部がどうしてーーと今でも思う。
そして今でも信じている。
再び、芙蓉が王妃として復権する事を。