第三話 他妃との対面
その日現れたのは、豪奢な装いをした一神の麗しく若い女神だった。
「まあ、これがかの噂の廃王妃ですの? 王を惑わすどんな妖婦かと思えばこんな色気もそっけもない子供だったなんてがっかりですわね」
そんな言葉を一字一句聞き漏らさず受け取れた芙蓉は、素直に感嘆した。
「腹筋強いですね」
「なんですって?!」
しかも地獄耳らしい。
小さな呟きを一字一句聞き漏らさないなんて。
見た目は、艶麗たる美姫なのに。
と、そんな素晴らしい腹筋を持つ持ち主は、幾重にも張り巡らされた鉄柵の向こうに居た。
たぶん――五十メートルは向こう?
しかも、そんな遠くからでも確認出来る魅惑の大きな胸のなんと素晴らしい事か。
「何かしら? 胸に視線を感じるんですが」
「胸は見るものです」
いや、揉むものだろう!!――と、世間の男達は言うかもしれない、が、芙蓉にはどうでも良かった。
「で、あなたは誰ですか」
「まあ! この私を知らないの?!」
「初めて見る美神さんです」
そしてたぶん、上層部よりもとっても性格が良いだろう。
なんたって、遠くに居る自分に聞こえるように話をしてくれるからだ。
これ、コミュニケーションの基本。
相手の状況を素早く判断して声量を操作する彼女に芙蓉は心からの賛辞を送った。
と、一番外側の鉄柵の前に立つ彼女がなんだか慌てている様に見えた。
「ま、まあ、この私が美神なのは当たり前ですが」
「そんな美神さんにお願いです、津王を誘惑して寵妃にのし上がって哀れな私をここから解放してください」
「プライドはどこに行ったのです、王妃としてのプライドは」
そんなものは最初からない。
自由の為にはプライドすら捨てる。
芙蓉は向こうに居る美少女が後宮の妃の一神であると確信していた。
というか、この冷宮があるのは後宮の一画で、そもそも後宮自体が厳重な警備のもとに囲われている。
寧ろそうしろと前夫を懇懇切々と説得した。
何せ最初は
『警備? いっその事、全員皆殺しにされてしまえばいい』
と、のたまったバカども。
『分かった。無限の一歩手前まで譲って、どこかの好色どもに攫われてしまえばいい』
その時の前夫と上層部の淀んだ瞳に、あれらの精神が色々とまずい事を悟った。
ならなんで最初に迎え入れたんだと言いたい。
まあ、後宮は勝手に造られたようなものだが、かの国の姫君は最終的には前夫と上層部が受け入れを了承した。
ならば最後まで面倒を見ろと芙蓉が言えば、前夫はふっと刹那的な笑みを見せた。
『若く美しい正妃が横恋慕されたり攫われたりっていう話は沢山あるからな』
悪かったな、年増で美しくもない元正妃で。
今まで一度たりとも攫われた事もなければ、横恋慕された事もない。
むしろ攫われかけるのは前夫や上層部ばかり。
いや、別に攫われたい気はさらっさら無いが。
というか、攫われた場合はどうするんだ、正妃を助けるんだよな?
なんて事を言う前に、やっぱり襲われかけて芙蓉はそれ以上の追求を止めた。
しかし、きっと見捨てる。
あの前夫と上層部は見捨てる。
いや、なんというかもう――。
「王も奇特な趣味をお持ちですわね。こんな特徴のない十人並みの女を正妃に迎えるなんて一時の気の迷いとしか思えませんが、一体何がそこまで王を追い込んだのか」
「美神すぎる自分を見過ぎて審美眼がぶっ壊れてたんじゃないですか?」
カラン、と彼女が持っていた扇が地面に転がる。
ああ、あれ高そうなのに。
きっと売ったら家一軒ぐらい建ちそうなのに。
形態が丸かったらここまで転がってきたかもしれないのに。
そして拾って売っぱらう。
拾ったものは私のもの。
芙蓉もかなりの確率でジャイアニズムだった。
「って、陛下の審美眼が壊れているとはなんて不敬なっ」
「いやいや、壊れてなかったら胸が大きくて色っぽくて床上手な女性や自分の後ろ盾になってくれる強い後見神を持つお姫さまに手を出しまくるでしょう、むしろ正妃にして、更には沢山側室を侍らすでしょう」
「うっ」
「それが、こんな寸胴で色気もそっけもなく平凡な容姿の私に手を出した時点で色々と壊れているって考えるのが普通ですよね?」
「あ、うん」
思わず頷いてしまう彼女に、案外素直な少女なのかしれないと芙蓉は考えた。
「というか私が男なら出す、胸の大きい子を侍らしまくってハーレムつくる」
「いや、だからどうして胸に執着するの」
「人は自分にはないものを求める生き物だからよ」
「人じゃなくて神ですわ、私達」
そんなツッコミもスルー。
むしろ芙蓉はその神力の弱さからどちらかというと人に近いと思う。
というか、あんな強大な神力を振るう前夫達が化け物級なのだ。
そもそも、世界広しといえど、この炎水界でも十指に入る実力の持ち主なのだ、前夫は。
そしてそれに付き従う上層部も、凪国に次ぐ、もしくは同等とさえ言われている実力の持ち主達。
――変態だけど。
むしろ前夫は痴漢でも良いと自ら痴漢認定したぐらいだし。
と、そこで芙蓉は前夫の存在を思い出した。
「というか、ここって立ち入り禁止な筈だから不用意に近づいたら怒られますよ」
それどころか消される。
やる、やつらはやる。
常識も何もかも通用しない変態達だから。
ってか、権力者が変態ってイタイな、うん。
権力持っているのが変態って普通の神には太刀打ちできないではないか。
良い例が凪国の萩波だ。
奴はロリコンを甘受し、堂々と果竪を愛でている。
きっと炎水界のロリコン王の称号の座も近い。
というか、果竪はそんなロリコンの妻……ロリコン達にとっては夢見る光景だが、いたいけな幼女達からは悪夢そのものだ。
顔が良いなら変態でも良いという者も居るだろうが、あの従姉妹にそこまでの度量はない。
むしろなくていい。
あったらあったで困る。
「それで、なんでここに来たんですか」
「もちろん、廃王妃の顔を見る為ですわ」
誰か止めろよ。
見たところ、彼女は一神だ。
「ちなみに、どこのご息女様ですか」
その質問に放たれた答えに、芙蓉は目眩がした。
かなり良い所のお姫さまだ。
いやいや、その前にそんな貴族のお姫さまがこんな場所に居ていいのか、一神で。
侍女、どうした。
職務放棄か。
いや、芙蓉が相手ならばまだしも、こんな生粋の令嬢の侍女の仕事を怠慢する者など居るだろうか?
「それと、ご挨拶もかねてですわ」
「挨拶?」
「私、つい先日後宮入りしたばかりですの。それでもう昭儀の座を得ましたのよ?!」
「ああ、九嬪のトップか」
後宮の最高位は王妃。
その下に四夫人が居り、更にその下に九嬪、二十七世婦、八十一御妻という地位がある。
「いずれは四夫人にとさえ言われているこの私が、わざわざ挨拶に来て差し上げたのだから、もう少し感謝して欲しいものですわね」
「するよ、ここから出してくれたら」
それ以外はする気は特にない。
「へ、へらず愚痴をっ」
「私としては今すぐにでも寵愛を得てほしいです。そして『まあ陛下! どんな望みでも叶えてくださるというの?! ではあの冷宮に居る廃王妃をとっとと王宮から追い出してくださいませ』とお願いしてくれるのを今か今かと待ち望んでいるんですけど」
鉄格子同然の鉄柵を掴み芙蓉は淡々と告げた。
端から見れば、檻に入った猿だ。
「……あなた、陛下を愛しているのではないんですの?」
「いえ、これっぽっちも」
「……」
愛してるなら此処に送られた時点でとっくに狂い死にか自害している。
愛してないから、悠々自適に生活しているのだ。
「あなたにとって、陛下は一体何なんですの?」
「変態」
再び彼女の手から転がり落ちる扇。
芙蓉の直球すぎる本音の威力は絶大だったらしい。