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月光館の令嬢と残高ゼロの錬金術  作者: ダッチショック


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第九話 銀の輝きと知識の研磨

温室の隅で、篠田 啓介さんが熱心に肥料の仕込みに励んでいる。彼が作業するたびに、庭の土と落ち葉と木炭の灰が混ざり合い、未来の食費を賄うための貴重な資産へと変わっていく。彼の労働力が生み出す価値は、私にとって計り知れない。


私は、彼の作業をしばらく観察した後、手に持った小さな銀の砂糖入れを彼に見せた。それは、かつて霧島家が社交界で使っていた、最高級のスターリングシルバー製のティーセットの一部だ。しかし、長い年月と手入れ不足により、表面は黒く変色し、見る影もない。


「篠田さん。次の任務は、これです」


私は彼に、銀の砂糖入れと、古びたクロスを手渡した。


「これは、私の最後の贅沢品です。そして、私の最強の防御壁でもあります」


篠田さんは銀器を見て、すぐにその価値を理解したようだが、なぜそれが防御壁なのか、という点で疑問の表情を浮かべた。


「贅沢品、ですか。これを売れば、しばらく生活費に困らないのでは…」


「売る? とんでもない」


私は静かに首を振った。


「このティーセットは、私が社交界で霧島雅という令嬢を演じる上で、絶対に欠かせない小道具です。次の弁護士との交渉や、親族会議で猶予を得るためには、私が依然として『財力のある人間』であるという、完璧な錯覚を生み出さねばなりません。この屋敷の壁が剥がれていようと、給水管が石鹸パテで塞がれていようと、銀器だけは常に輝いていなければならない」


この輝きこそが、私の生活を支える信用、すなわち「最後の贅沢」なのだ。


「しかし、見ての通り、酷く変色しています。専門の銀磨き剤は一本千五百円。私の一日の食費の十倍の費用です。購入費用は、もちろんゼロ」


私は彼の目を見て、無言の要求を突きつけた。


「篠田さん。あなたは古代の金属製品の修復や、当時の生活様式にも詳しい。過去の錬金術師たちは、高価な化学薬品を使わずに、銀の輝きを取り戻す方法を知っていたはずです。あなたの知識を、再び私の節約術に役立ててください」


篠田さんは、銀器の表面を注意深く調べ始めた。彼は再び、考古学者としての探究心を刺激されたようだ。


「わかりました。古代の清掃術ですね。銀の変色は硫化によるものが多い。強い酸性またはアルカリ性の自然素材が必要です」


彼はしばらく考え、そして私の台所を指差した。


「霧島様。米のとぎ汁はありますか。そして、紙薪の灰は?」


「とぎ汁は、もちろん毎日保管しています。紙薪の灰も、納屋に大量にあります」


「完璧です。まず、米のとぎ汁を一晩発酵させ、弱酸性の液体を作ります。さらに、紙薪の灰を極限まで細かく濾過したものと、塩を混ぜてペーストにします」


彼はさらに続けた。


「古代から、木炭の灰は微細な研磨剤として利用されてきました。さらに、米のとぎ汁に含まれるでんぷん質が、灰と塩を組み合わせることで、金属表面の硫化膜を効果的に分解するのです。これは、専門の清掃剤よりも安全で、費用はゼロです」


私は彼の知識に感嘆した。彼が提供したこの知識は、私に千五百円以上の価値をもたらす。この無償で得た知的資産は、私の信用を支える「最後の贅沢」を守る鍵となるのだ。


「素晴らしい、篠田さん。まさに首席錬金術師にふさわしい功績です」


私は彼を台所に案内し、すぐに米のとぎ汁の発酵と、灰の濾過作業を開始させた。


「このペーストを、このティーセットの全てに使用します。そして、明日までに、これを新品のように輝かせてください。この銀器の輝きが、霧島家の名誉を、そして私の生活を支えているのです」


篠田さんは、彼の専門外であるはずの銀磨きという作業に、どこか職人のような集中力をもって取り組み始めた。彼の顔に塗料や泥が付くのは構わないが、この銀器に傷一つつけてはならない。彼は、自分がこの屋敷の「最後の幻想」の維持に貢献していることに、無意識の喜びを見出しているようだった。


私は、輝きを取り戻し始めた銀器を眺めながら、心の中で微笑んだ。私の最強の節約術は、ただのケチではない。それは、知識と労働力を無償で調達し、廃棄物を黄金に変え、そして「令嬢」という最も高価な幻想を維持するための、知恵の結晶なのだ。



第九話 後書き 霧島 雅

読者の皆様、いかがでしたでしょうか。


今回は、私の生活における「最後の贅沢」、すなわち、霧島家の令嬢という社会的信用を維持するための銀器の輝きを守る戦いでした。


この屋敷がいくら荒廃しても、私が社交界に持っていく銀器や、身に纏う衣服だけは、一級品でなければなりません。この幻想を維持できなくなれば、私の信用は地に落ち、固定資産税の猶予交渉は不可能となり、屋敷は競売にかけられるでしょう。


この極めて高価な「幻想の維持費」を、私は篠田さんの知識と、米のとぎ汁、そして紙薪の灰という廃棄物でゼロに抑えることに成功しました。彼の知識は、私にとって千五百円の銀磨き剤以上の価値を持つ、真の知的黄金です。


彼は今、私のために、この屋敷の最も大切な「顔」を磨いてくれています。彼の存在は、私の節約生活を単なる我慢から、知的な戦略へと昇華させています。


次回は、私が篠田さんに課す、さらに高度な「特殊な業務」と、彼が月光館で見つけようとしている「幻の種子」の秘密が、少しずつ私の生活と交錯する様子を描きたいと思います。


どうぞ、今後の物語にご期待ください。


霧島 雅

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