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月光館の令嬢と残高ゼロの錬金術  作者: ダッチショック


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第七話 幻の肥料と知識の無償調達

水道管の修理を終えた篠田さんは、石鹸カスパテの匂いを漂わせながら、疲労の色濃い顔で温室の隅に座り込んでいた。彼の研究時間は、私の「特殊な業務」によって大幅に削られている。だが、約束は約束だ。私は彼に温室での研究再開を許可した。


「篠田さん。研究に取りかかる前に、最後の任務をお願いします。これはあなたの専門分野が生きるかもしれません」


私が彼を連れてきたのは、館の裏にある、荒れ果てた菜園だ。冬の寒さに備え、庭の一部を温室のように覆い、一年を通して食料を自給自足する計画を立てている。食費をゼロに近づけるには、自作の野菜が不可欠だ。


「ここを、私の食料供給基地とします。ですが、問題は土壌です。長年放置され、土の活力が失われています。化学肥料を買う費用はありません。何より、市場経済に依存したくない」


私は、手に取った土を見せた。粘土質が強く、痩せている。


「私の計画は、この土を、館内の『無駄』だけで再生することです。しかし、どうしても活性化に必要な、ある種のミネラルが不足している。篠田さん、あなたは古代の植物学者について調べているのですよね。当時の土壌改良について、何かご存知ではありませんか?」


篠田さんは、水道管修理の疲れから解放され、久しぶりに自分の知識を問われたことに、わずかながら誇らしげな表情を見せた。


「土壌改良…専門ではありませんが、知識はあります。この温室を研究していた植物学者は、西洋の技法だけでなく、日本の伝統的な土壌再生技術にも精通していたという記録があります」


彼は痩せた土を触り、そして近くに積まれた、私が紙薪を製造した際に取り分けた木炭の灰の山を指差した。


「霧島様、この灰は、通常の燃焼灰よりも比重が重く、炭素以外の不純物が多い。おそらく、この館の古い暖炉やボイラーに使われていた石炭か、特殊な木炭を燃やした残骸でしょう」


彼の瞳に、いつもの研究者としての輝きが戻ってきた。


「古い文献によると、特定の鉱物を多く含む土壌では、腐葉土だけではpHが中和されないことがあります。その場合、彼らは館の建材の破片、あるいはかまどや炉の灰を再利用しました。特に、この灰に含まれるカリウムと、微量の石灰質が、土壌を中和し、野菜の生育に必要なミネラルを補給するのです」


「つまり、この廃棄物が、私の求めている幻の肥料だということですか?」


私は興奮を抑えきれなかった。肥料を購入する予算はゼロだったが、ここには大量の、しかも必要なミネラルを含んだ灰が、長年「ゴミ」として眠っていたのだ。


「ええ。ただし、この灰をそのまま撒いてはいけません。比重が重すぎる。これを、庭の落ち葉や枯草と混ぜ、水に湿らせて発酵させ、さらに台所から出る米のとぎ汁と混ぜて、完全に分解させる必要があります。そうすることで、土壌への吸収率が最大になります」


篠田さんは、まさに古代の錬金術師のように、知識を惜しみなく提供した。彼の知識は、私にとって数十万円の肥料代を節約する、最も高価な無形資産となったのだ。


私は即座に、新しい計画を立てた。


「篠田さん。素晴らしい提案です。あなたの研究の邪魔はしません。しかし、温室での研究を続ける対価として、今後はこの菜園の土壌管理と、その発酵肥料の製造を、あなたの業務とします」


「…肥料製造、ですか。私は考古学者なのですが」


「あなたは、古代の知恵を現代に蘇らせる、月光館の首席錬金術師です。あなたにしかできない業務です」


私は彼に、新しい役割と、それに伴う優越感を与えた。これで彼は、自分の専門知識が役に立っているという錯覚を抱きながら、無償で私の菜園の管理者という重労働を担うことになる。


私は温室の隅から、古びたバケツとシャベルを取り出し、彼の足元に置いた。


「さあ、首席錬金術師。あなたの知識を、私の究極の節約術のために、存分に役立ててください」


その日の夜、私は自作の紙薪で暖を取りながら、温かい魚のアラの出汁を飲んだ。頭の中では、篠田さんの知識を活用した、さらなる節約計画が、次々と構築されていた。知識も、労働力も、そしてゴミまでもが、私にとっては全て「残高ゼロからの錬金術」の貴重な材料なのだ。



第七話 後書き 霧島 雅

読者の皆様、いかがでしたか。


危機を乗り越えるたびに、私の「残高ゼロの錬金術」は進化を遂げています。今回は、篠田啓介さんの知識という、最もコストのかからない知的財産を無償で獲得することができました。


肥料は、食費の自給自足計画における最後の難関でした。しかし、彼はその解決策を、私たちの目の前にある「廃棄物」の中に見出してくれました。古い灰を、適切な知識で処理すれば、それは市場の化学肥料に匹敵する「幻の肥料」となるのです。彼の専門知識を、私は「知的コスト・ゼロ調達」として計算しました。


篠田さんは、水道管の修理工から、一気に「首席錬金術師」へと昇格しました。この称号は、彼の自尊心を満足させ、無償労働を続ける動機付けになるでしょう。人は、お金だけでなく、承認欲求や探求心でも動くものなのです。


次回は、いよいよ食費ゼロを目指した菜園の本格的な運用と、この貧しい生活の中で、私が守り続ける唯一の「贅沢品」について触れていきたいと思います。その贅沢品こそが、私の令嬢としての威厳を保つための、最後の砦です。


どうぞ、今後の展開にご期待ください。


霧島 雅

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