第六話 究極の自給自足と無駄ゼロの哲学
地下のボイラー室で、篠田 啓介さんが私の用意した石鹸カスパテを手に、水道管のひび割れと格闘している。パテは完全に乾くまで時間がかかるが、彼の集中力と手先の器用さは予想以上だった。
「篠田さん、そのパテは少し厚めに塗ってください。水圧がかかる部分ですから。…ああ、いいですね。その力加減です」
私は彼が作業に没頭している隙に、別の「特殊な業務」を始めることにした。彼の労働力は、この水道管の修理だけで終わらせるには惜しい。
「篠田さん、修理が終わったら、今度は私についてきていただけますか。次に重要なのは、エネルギーの自給自足です」
私は彼を、館の裏手にある、普段は誰も近づかない納屋へと案内した。納屋の中は暗く、木材や古びた家具が積まれている。
「霧島様、次は電気の配線ですか?」篠田さんはパテで汚れた手袋のまま、訝しげに尋ねた。
「違います。光熱費の中でも、ガス代と暖房費が、水道代と並んで最大の敵です。月光館は広大ですから、冬場の暖房費は破滅的な数字になります」
私は納屋の隅に積まれた、大量の古新聞と、裁断された木材の山を指差した。
「私たちは、冬に向けて燃料を自作します。見ての通り、この館には不要な紙類や古木がたくさんあります。これらを無駄にしてはなりません」
私は、古新聞の束を水に浸し、それを潰すための自作のプレス機を見せた。プレス機は、古い家具の部品と、庭に放置されていたジャッキを組み合わせて作ったものだ。
「これが、私の発明した紙薪製造機です。新聞紙を水でふやかし、強力に圧縮乾燥させれば、非常に燃焼効率の高い固形燃料となります。館内にある暖炉や、小型のストーブに使用すれば、ガス代や電気代を大幅に削減できます」
篠田さんは、もはや驚きを通り越して呆然としていた。彼の頭の中で、「お嬢様」という概念は完全に崩壊し、「生活サバイバリスト」という新しいカテゴリーが構築されているのだろう。
「考古学者の業務の範囲を超えていると思いますが…」
「費用はかかりません。あなたの研究の時間を、私の労働力として提供していただくだけです。この紙薪の製造は重労働です。篠田さん、あなたにプレス作業をお願いします」
私は彼に、古新聞をプレス機に入れる作業を教えた。彼は、不満を漏らしながらも、どこか興味深そうに指示に従った。
紙薪の製造と並行して、私は台所で別の節約術を実践していた。
「篠田さん、少し休憩しながらこちらを見てください。食費の節約です」
私が取り出したのは、スーパーで手に入れた大量の魚のアラと、大根の皮だった。
「魚のアラは、一パック数十円で手に入りますが、これこそが最高の出汁であり、たんぱく源です。私はまず、このアラを丁寧に下処理し、水に浸しておきます」
そして、私は大根の皮を見せた。
「皆様は、大根の皮を捨てます。しかし、これには栄養と食物繊維が豊富です。私はこの皮を細切りにし、チーユで炒め、醤油とみりんで煮詰めます。これは、皮のきんぴらとなります。もちろん、みりんの代わりに、私が自家製で作った米のとぎ汁を発酵させた調味料を使います」
「そして、この魚のアラから取った濃厚な出汁に、この皮のきんぴらを加える。これが今日の夕食です。これで、一食あたりの費用は数十円。栄養価は高い。これが私の無駄ゼロの哲学です」
私は、彼の目の前で鮮やかに魚のアラの下処理を始めた。彼の表情は、もはや考古学者ではなく、目の前で未知の文明の生活様式を観察している人類学者そのものだった。
篠田さんは、プレス機に力を込めながら、低い声で尋ねた。
「霧島様は…なぜそこまでされるのですか。この屋敷を売れば、全て解決するでしょうに」
私は、魚のアラを洗う手を止め、静かに彼を見つめた。
「月光館は、単なる建物ではありません。私の人生と、霧島家の名誉そのものです。そして何よりも、この節約生活は、私の存在証明なのです。もし私がこの屋敷を手放し、普通の生活を始めたら、私は何の努力も価値も持たない、ただの無力な女性になるでしょう。この錬金術こそが、私が私であるための理由です」
私の言葉には、一切の迷いも嘘もなかった。篠田さんは言葉を失い、プレス機をさらに強く押し込んだ。その動作には、どこか私の哲学を理解し始めた者の、諦めと共感が混ざっていた。彼の汗は、月光館の維持という私の使命に、無償で貢献している証であった。
第六話 後書き 霧島 雅
読者の皆様、いかがでしたでしょうか。
今回は、水道管の修理という物理的な問題解決に加え、私の「究極の自給自足」の術を篠田さんに体験してもらいました。紙薪の製造、魚のアラと大根の皮を利用した無駄ゼロの調理法、そして自作の調味料。これらは全て、生活コストを限りなくゼロに近づけるための私の知恵です。
篠田さんの反応は予想通りでした。彼は、私の生活が単なる「我慢」ではなく、高度に計算された「生存戦略」であることを理解し始めています。彼の戸惑いは、私の勝利です。彼はもう、逃げられません。
彼にはこれからも、重労働や、彼の専門とはかけ離れた「特殊な業務」を課していくことになるでしょう。私は彼を、月光館を守るための最も安価で優秀なスタッフとして徹底的に活用します。
次回は、私が彼に課す新たな任務と、その任務を通じて、彼の専門知識が意外な形で私の節約術に貢献する様子を描きたいと思います。どうぞ、今後の展開にご期待ください。
霧島 雅




