第五話 循環する水の極意と考古学者の役割
翌朝、私は約束通り、ローソクの光がまだ揺らめく台所で篠田 啓介さんを待った。彼は、昨日とは打って変わって、少し使い古した作業着に着替え、不安と緊張の入り混じった顔で現れた。彼の背中には、彼自身の研究に対する強い意志と、私への不信感とが、まるで二つの重い荷物のように乗っているのが見て取れる。
「おはようございます、霧島様。昨夜の…業務から始めるのですね」
「ええ、篠田さん。まずはご挨拶代わりに、こちらのチーユの瓶詰めをお願いします」
私は、昨夜鶏皮から抽出した黄金色の油がたっぷり入った瓶を指差した。
「瓶詰め、ですか」
篠田さんは、考古学者が発掘現場で扱うような繊細な手つきで、瓶から小さな消毒済みの容器にチーユを移し始めた。彼の指先が油に触れるたび、彼は奇妙な表情を浮かべる。彼の頭の中では、古代の遺物と、この現代の庶民的な油とが、激しく衝突しているのだろう。
「このチーユは、私の生活における最重要項目の一つです。市場から油を購入する費用を完全に削減し、炒め物からパンの耳を揚げる際の風味付けまで、全てをこれで賄います。一滴たりとも無駄にできません」
私は静かに説明した。私の節約術は、彼にとっては理解不能な「儀式」に映るに違いない。しかし、この一連の作業を通して、彼は私の生活の厳しさと、それに対する私の真剣さを否応なく理解するだろう。
チーユの瓶詰め作業がおよそ一時間で完了すると、私は本題に入った。
「さて、篠田さん。それでは、いよいよ本日の本命です。水道管の修理についてお話ししましょう」
私は彼を連れて、月光館の最深部、地下のボイラー室へと向かった。埃と湿気が篭もるその空間は、まるで歴史の深淵のようだ。古い鉄パイプが複雑に絡み合い、蜘蛛の巣が張っている。
「館内の水道使用量は、弁護士にも指摘された通り、異常なほど低い。その秘密を教えましょう」
私は一つの巨大な古いバルブの前で立ち止まった。バルブには、長年の錆で「中庭循環」とだけ刻まれている。
「この月光館の配管は、明治時代、祖父の代に大規模な改修が行われました。その際、彼は、私の知らないところで特殊な水再利用システムを導入していたのです」
私は小声で語った。これは、誰にも知られてはならない私の最強の秘密の一つだ。
「全ての浴槽の残り湯、そして台所の皿洗いの後の濯ぎ水の一部は、この配管を通り、濾過装置を経由して、庭の地下に埋められた巨大な貯水槽に導かれます。その水は、庭の散水と、主要なトイレの洗浄水として再利用されているのです」
篠田さんの顔色が変わった。彼は、ただの古い屋敷の配管だと思っていたものが、環境工学的な、信じがたいゼロエミッションシステムの一部であることを悟ったのだ。
「…そのシステムは、今も稼働しているのですか」
「もちろん。そうでなければ、私の水道代は月光館を維持するどころか、私を破産させるでしょう。私の低すぎる水道代は、この循環システムの賜物なのです」
彼の目に、私を見る光が変わった。単なる「優雅な節約家」ではなく、この巨大なシステムを管理し続ける「管理者」としての私を見たのだろう。
「しかし、このシステムには致命的な弱点がある。篠田さん、こちらをご覧ください」
私が指差したのは、貯水槽へ水を送る中継地点にある、ひび割れた太い鉄パイプだった。そこからは、微かだが確実に水が滲み出ている。
「専門業者を呼べば、配管全体の交換を勧められ、数十万の費用が発生します。しかし、この漏れは、循環させた貴重な水を毎日少しずつ失っていることを意味します」
「この水は、私の明日からの生活と、庭の野菜を育てるための生命線です。そして、何よりも、この循環システムが崩壊すれば、水道局に高額な請求をされ、私の節約計画は破綻します」
私は篠田さんに、錆びついた工具箱を渡した。
「あなたの今日の任務は、この漏れを、私が用意した特別なパテで塞ぐことです。このパテは、使い古しの石鹸カスと、館内の石灰を混ぜて私が自作したもの。強力な専門の接着剤を買う費用も、私には惜しいのです。あなたは、このシステムを一時的にでも守り抜いてほしい」
篠田さんは、その手の中の工具箱と、目の前の複雑な配管、そして私の必死な表情を見比べた。彼の顔には、考古学的な探求心と、現実的な泥臭い作業への抵抗感が混ざり合っていた。しかし、彼がこの場所で研究を続けたいのならば、拒否権はない。
彼は深いため息をつき、作業着の袖を捲り上げた。
「わかりました、霧島様。私の対価として、この漏れ、必ず止めます」
私は心の中で勝利を確信した。篠田啓介は、私の最強の節約術、すなわち「無償の専門的労働力の確保」の最初にして最大の獲物となったのだ。
第五話 後書き 霧島 雅
読者の皆様、いよいよ私の「残高ゼロの錬金術」の核心に迫る部分をお見せしました。
私が実践している節約は、単に電気を消すとか、特売品を買うとかいうレベルではありません。月光館という巨大な資産を、その古さと複雑な構造ごと、徹底的に利用する「生活インフラの自給自足化」です。水道代の低さの秘密は、風呂の残り湯や生活排水を濾過し、再利用する循環システムにあります。
篠田さんには、そのシステムの維持管理という、最も重要な役割を担ってもらうことになりました。彼を無償で雇うことができたのは、私の計画の中でも最も成功した「人的コストの削減」です。
次回は、篠田さんが私の用意した自作の石鹸カスパテで配管修理に挑む姿と、さらに私が彼に課す、次の「特殊な業務」をご紹介できるかと思います。彼の考古学者としてのプライドと、私の節約術との戦いから、目が離せなくなるでしょう。
どうぞ、今後の展開にご期待ください。
霧島 雅




